はざまの散歩
ひとりぼっち、静かに泣きながら散歩をして、いつしか東京タワーの目の前にいた。
東京タワーはオレンジに光って、東京タワーというよりエッフェル塔みたいだった。
たとえばお話の登場人物はあなたで、これは実話ですか、という質問が一番答えにくい。物語はずっと遠いところで勝手に進行している。
同じなのにまるで違うのだ、こっちの「ほんとう」と、あっちの「ほんとう」は。
私ですら踏み込めない。
物語の中で私(のような人)は家出をしたが、ここにいる私はそんな勇気をもたない。はじまりの部分で、私と彼女にはすでに根本的な隔たりがある。
私の方が百倍情けない女だな。
そんなことを考えながら散歩をする。物語と現実のはざまのお話。
それは、物語より苦く、こうやって私を泣かせるし、散歩させる。
その日、大昔、大好きだった人が、私の後輩と手をつないで前から歩いてきた。
私は彼のことをもうなんとも思っていなかったけれど、彼は私と関係は持っても手をつなごうとはしなかったので「このひとも手をつなぐんだ」と思った。
その人の次の次に好きになった人と、もう五年恋愛をしている。
正確にはしていた。そして先日彼は婚約をした。けれどもそれは私のとったある行動で破談になった。
こんな大事件が起きて、お互い普通でいられるわけもなく、そんな中、昔好きだったひとと、後輩が手をつないでいるのを見て、昔と今がごっちゃになり、私は今の彼の左手を想った。
彼の左手は、いつも右手を伸ばせばそこにあって、いつ繋いだのかわからないくらいいつも自然に繋がってて、私の右手ととても相性が良かったのに。
静かに私を受け入れていた、冷たい指、嘘をつかない手で。
それでも彼は左手の先に繋ぐ右手を選べない?
選んだのに、もう片方を手放せない?
選べない生き物を男と呼ぶのでしょうか?
離れようとすると抱きしめるんだもの。
彼の左手を思い描くことは簡単だったけれど、その温度まで思い出して哀しかった。右手をのばしても届かない。
「お前は自分のことばっかりだな」
おととい彼はそう言ったっけ。
物語と現実のはざまのお話を私は散歩する。
東京タワーは依然としてエッフェル塔に似た淡いオレンジ。
※このコラムは月刊ジェイ・ノベル7月号に掲載されました。(実業之日本社2009)
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