志磨サマ

2014年12月18日 (木)

ドレスコーズ「1」

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夕暮れ手前の冬のrun。
息を吸い込むとからだ中に流れ込んでくる冷たい空気と一緒に、志磨さんの新しくみずみずしい音楽が、細胞に、血液に巡ってく。

無垢なこどものように、旋律は跳ね、わたしはこうして思わず立ち止まりこの躍動を書き留めてしまう。

忙しかったり、心の余裕がなかったり、そんな慌ただしい日々の中で、しばらくの間それから離れていたとしても、なにもなかったように迎えてくれる音楽があるって幸せなこと。

こういう絶対的な感覚を大切に生きていこう。

「1」というタイトル、とってもいいなって思います。

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2014年8月22日 (金)

フォークソングライン(ピーターパンと敗残兵)

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今 ぼくらは生きて なにかをなくす
まだ悔やみながら
きみを抱いてやれたなら
だましきってあげれたなら

ああ ぼく あざとくなりたい
詐欺師のように なにも感じなくなれ
そして この胸をつきやぶれ
フォークソングライン

賛美歌 ひびくよ ただ
間違うぼくらをさばけ

今 ぼくらは生きて なにかをなくす
まだ悔やみながら
きみを抱いてやれたなら
だましきってあげれたなら

ああ ぼく あざとくなりたい
詐欺師のように なにも感じなくなれ
そして この胸をつきやぶれ
銃弾と放物線 フォークソングライン

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作詞:志磨遼平
作曲:the dresscodes

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弾丸(たま)は、その鎖骨をぶしつけに撫で。

遅ればせながら、終戦記念日に。
広島のこととか、長崎のこととか、
シュウダンジエイケンのこととか、
考えていたら、もう22日でした。
でも、忘れてしまうより、いいと思う。

全部の歌詞はこちら。
http://j-lyric.net/artist/a0568a6/l02df62.html

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2014年8月20日 (水)

近況、まずは志磨さんのLive!

えー、気づけば8月も中盤を迎えており。
30分のショートムービーの脚本と、甘滴恋情事に追われて、あっという間に過ぎた7月、そして8月、つまり夏!

気づけば全然ブログの更新ができていない!
「くまのうたタネ」にいたっては来て下さい告知は凄いのに、
ご来場ありがとうございましたレポートもなく…(。-_-。)ポッ

反省……デス・・・

というわけで、8月後半から2014年後半は、ブログに力を入れてゆこうと思ったモカコです。

まずは順番逆ですが志磨さんのライヴから!!!

日比谷野外音楽堂!!!

なぜ、順番が逆かというと、その前日に日比谷公園の松本楼にて、我が同期で照明家の、
はめちゃんの結婚式がしめやかに行われ、そのあいまに日比谷アーカイヴカフェにて、店主の山田さんと話したり、久しぶりの日芸演劇学科同期と話したり、
千穗のCDがそこに置かれていることを知ったり!いろいろあったのですが、
こちら写真盛りだくさんの為、明日以降に載せます☆

とまあ、わたしは日比谷公園に連チャンでやってきたというわけ。
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ひさしぶりに志磨さんの生歌聴くというのでうれしそうなわたし☆

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陽ざしが熱いのだ!ちゃんとドレスコーズのタオル持ってます。

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うおおおおおおおおbearing

 

ぎゃあああああああああああhappy02

 

しまくぅぅぅぅぅうぅぅううん!weep

てな具合にライヴは進行し。
(皆がこう、プッチュハンズアッ!してる姿ってけっこう好き)

わたしは意外と随分、志磨さんの歌を生で聴いていなかったことに気がつきまして。

やっぱりいいcrying

フジロックの時から思っているんだけど、毛皮のマリーズ、ドレスコーズとも、

Mゼロがいいのよね。
(Mゼロって芝居用語でしょうか)

つまり、アーティスト達が登場する直前の曲。

それらがやっぱり芝居のようだとわたしは思っていて。
この日のMゼロもすごくよかった。
Mゼロサントラ作りたいくらい(笑

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陽が落ちる頃、ひととおりのLiveが終わり、
DiscotiQなアンコールが始まりました。
クチロロから三浦康嗣さんをゲストに迎えて。
新曲たちのお披露目回です。

Body&Soulやステファン様や、Kingstreetなどの、クラシックなHouseが好きなわたしとしては、耳馴染みのあるサウンドやFlow、

そしてこうしてどんどん新しい場所を開拓するドレスコーズのやりかたはいいなと思いました。やっぱり常に冒険していかなくちゃね。

巨匠たちほど冒険をやめなくて。
新人の自分なんかが守りに入っていたら、面白い創作で日本をびっくりさせることなんてできないね。

自分は志磨さんのファンだけど、同時に同世代の創作家でもあるわけなので、
いつもハッとさせられて身が引き締まる思い。

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ニュイイイイィィィイイイーン!!!

最後?に「ヒッピーズ」という曲を歌ってくれました。

「ゴッホ」とかもそうですが、
どういう形の服を着せても、志磨さんが歌いたいこと、歌っていること、が変わらないのがいいなと思う。

志磨さん、志磨さん!と言い過ぎてますが、
実はわたしはドレスコーズのメンバー皆様のファンである。

ドラマのすがさん、髪切ってたし。とか。
そしてアメリカのロックンロールヒストリーから抜け出してきたみたいな風貌の丸山さんのギターはいつも何かにあらがっていて、すごくすごくロックなので、わたしはたまらない。

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こうして、ドレスコーズの夏のライヴが終わりました。
個人的には野外というのもあるのでしょうけど、いままでのドレスコーズのライヴの中ではいちばん開放的で、ポジティヴというか温かいものであった気がします。

とくに8月17日、終戦の二日後。

68年前の今日、この日比谷公園では、どれだけの人間が、家も持たず、食べ物もなく、
敗戦という虚しい空気を抱きしめて、眠れずにこの場所のどこかで横になっていただろう。

セットリストに、志磨さんが横田さんに捧げた、
「フォークソングライン」
それを歌ったことは、もっとも意味のあったことのように、わたしは思った。
この場所でこの日に奏でられるべき曲であった気がして。

八月の最後を待たず手を振れば
きみは泣いてくれるかな

68年の時を経て、まだ忘れていないと志磨くんが歌ってくれた。

賛美歌 ひびくよ ただ
間違う 僕らをさばけ


歌を聴きながらわたしは船パリのことを考える。
二月から止まったままの船パリのこと。

時計の針を進められるのは作者のわたしだけ。
そしてふと考えた。
あの物語はほんとうに昭和6年を跨がずに、終わってよいものかと。

あ〜時計は、回ってごまかすんだよ〜

ねえ〜死ぬとか〜今は信じられないけど〜

昭和の初めに生まれた少女は、17歳のとき、爆弾から逃れるため、
梨畑に飛び込んだ。
22歳で親を失った彼女は逞しく生き、ふたりの息子を育て、
幸せに82歳まで生きたけど、去年ちょっとしたことが原因であっというまに死んでしまった。
半円の大きな虹が空にかかっていた。

死ぬとか今は信じられないけど。

あなたが死んだとか今も信じられないけど。

この中指に光る黄緑色の宝石は、それを教えてくれている。

その石を空にかざしたら、西の魔女は教えてくれるか。

東の魔女が歩んでいくべき方角を。

ーーーーーーー

余談ですが、
あまりに感動して、せっかくだから志磨さんに挨拶しよ!といきまいて、
楽屋の方に向かったら、

「パスがないと入れません」と。

後日Zipperライターの妹に「パスなかったら挨拶でけんかった(涙)」
言ってたら、妹、
「それ絶対やばいファンと間違われてるで。インカムで場内スタッフに伝達されてるかも」

と(笑

まあそうよね。ドレスコーズのタオル、ドレスコーズのトートバックで、
「知り合いなんです!」と詰め寄る謎の女。

でも良かったなって思いました。

2011年のフジロックにひとりで行って。
とても遠いステージ上の志磨さんを見ながら、同じ土俵にあがれるようにがんばろうと思った。時は流れて、いろんな人の繋がりで、ドレスコーズのバックヤードにお邪魔でけたり、文庫本の解説かいてもらったり、たくさんの人が志磨さんと自分の距離を縮めてくれたけど。

それはわたし自身の力じゃない。
(いやもちろん「魔女と金魚」は名作です!)

もっともっとわたし自身が力をつけないとね。

ふんとに、すばらしいライヴで、
おらもこぴっとがんばらねばと思ったさ!

志磨くんありがとう!!
歌をうたえるってすばらしい。

 

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2014年1月 9日 (木)

RUN! mooca RUN!!!

去年のクリスマスの日記を見ると(この場合2012年のクリスマスを指す)、
「モカ暦の元旦」とあるが、
なんだかわたしはここ二年ほど24日を節目にとらえているところがあるようで、
そこから始まる新しい暦に慣れ初めて粛々と正月を迎える、そんな具合なのですが、

2013年の12月24日より、わたしは再び走り始めました。比喩ではなく、
ほんとうのRUNです。笑。
2014年1月現在4回走っているので今後も続くと思われます。

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※以下タイトルの軽快さとはうってかわって情緒的な内容になってしまった!

12月24日、空は高く水色に晴れて、ドレスコーズの新しいアルバム「バンド・デ・シネ」と、アヴリルのデビューアルバムを聴きながら、なんだか素敵な言葉がいっぱい頭に降りて来たのだけど、書き留めることを忘れてしまった。

だからあの日の瑞々しい言葉たちはここに記されることなく、再びあの水色の空に飛び立ったわけだけど、なんだろう、ともかく外堀を踏みしめ、長谷川時雨さまが暮らした家を目指して左内坂を登り、今をきちんと歩いて行こうと、そんなことを誓った。

そして順番にいつかのわたしに頭の中で出会った。

アブリルのデビューアルバムを聴きながら渋谷のジムに通っていたころのわたし。
芝居でできた借金をひと月5㎏のダイエットの賭け金で返した。
泣きたいくらい辛かったが選択肢はなかった。
バイト以外の時間をジムと誰にも頼まれていない脚本書きで埋めていた23歳の頃。

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三の橋から恵比寿までを走る日々をすごした27,8の頃。
役者とはいいながら何者でもなくて、ただ、バニーガールとスナックのおねえさんと、渋谷のclubのbarのお姉さんがそのころのわたしの肩書き。
わたしはまだ「毛皮のマリーズ」を知らずに、そのころはなんだろう?
レイチェルヤマガタとか、エイミーワインハウスとか、カーラブルーニとかを聴いていたのかなあ。妹の影響でMatthew Jayとかpulpとかを聴いていたのかもしれない。
妹と、妹の彼と、風変わりだが面白い毎日を過ごしていた。
あの麻布十番の家で「蝶番」を書いた。

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2009年はcharaをがっつり聴きなおして、青春をさかのぼり、
2010年に「ティン・パン・アレイ」と出会ってからは、わたしは志磨さんの数々の楽曲に心酔をして、彼等の楽曲を遡ってくりかえし聴いた。
リリース年を調べて、その頃自分が何をしていたのかを思い返すと、それらのアーカイヴが自分のそれとある種連動するということを知り、ーたとえば清志郎が死んだこととかー携帯心臓のようにそれらを持ち歩いた。
同時にあるひとに恋をして、
そして恵比寿に引っ越して、いつのまにか走らなくなった。

2009、2010と「売れっ子」と言ってよいのではと思えた連載もひとつ、ふたつと終わっていくと、
どこかしらパッとしない日々の中で、わたしはただ恋だけに生きていたように思う。
別にそれはなにか行き交うものがあったわけではない恋。
なかったわけではないけれど、なにか形として残ったわけでもない。

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2011年、2012年と思い返すと、なにかどこか心のレンズが「絶えず曇っていた」とかそんな風にしか思い出せない。たまたまだけれど、自分の心の浮き沈みに合わせるように、
「the end」というアルバムを出して毛皮のマリーズが解散したりして、
わたしはいつのまにか、ひとりで暮らす恵比寿橋の、まるで生活感のない、ある男の子には「刑務所の扉みたいだ」と言われた重たい、しかも中に開く鉄扉の1LDKの中で、ときおり留まりはしない男の子を泊めたり招きいれたりしながら、
ある種の低音にすっかり慣れてしまっていた。
不整脈の発作がしばしば出て、常に死が隣にある気がしていた。

その中でもフィンランドに行き「誰かJuneを知らないか」を刊行したことは、
ものすごい事件だった。ぐっちゃぐっちゃの私生活の中で、10年抱き続けてきた魂の塊を産んだことは、ある種、ノリにノって新作を出すと言うより、非常にブンガクテキ!なやりかたであったと思う(笑 太宰や、芥川みたい??な。非常に昔の作家的な、生きざまをぶつけて飛び散りながら、でも生きる!みたいなあれであった。

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いまでもときどきフィンランドのあの厳かな夜や深くて冷たいプールや、しんしんと雪の降るヘルシンキの街並みと、熱い石に水をかけて蒸気にするあのサウナを思い出す。
また行くなら次は白夜にすればいいのに、わたしはどうしてもまた、冬のフィンランドを訪れたいと思ってしまう。

そんななか、死を隣に置くような刹那的な人生を変えようと、わたしは心臓の手術をした。
あれから一度も、発作はおきていない。

2013年になって、オカルトみたいな話だが、かさこ地蔵のような出来事があって、
わたしはいま自分が居る場所が「闇」だと気づき、光のある方へやっと腰を動かした。
「もうすこしで、あなた、レールから外れて落ちてしまう」
喫茶店で言われたあの言葉はわたしには重くささった。
毎日玄関を掃除するようになり、あたりまえのことに、すこしづつ気づくようになってきた。
フォークがあるところに歯ブラシをさしていてはいけない、とか、冬服の中に夏服を混ぜていてはいけないとか、そんな、ほんとうにあたりまえのことに。

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3月に引っ越しをして、すぐ下の妹といちばん下の妹と暮らすようになり、そこには当然3番目の妹がちょくちょく遊びにくるわけで、ごちゃごちゃはするものの賑やかな暮らしが始まった。
新しい連載が始まり、破産寸前だったわたしの生活も、家賃が下がったこともあってすこしずつまともになり、alwaysのママがおめでたになり店が閉まることになり、
そしておばあちゃんが亡くなり、3番目の妹がお母さんになることになった。
初の官能ライトノベルを刊行して、初めてNYに行き、初めてトークショーをした。
志磨さんはドレスコーズという新しいバンドを始め、わたしは初めて志磨さんにお会いした。
もうひとつすごく大きな出来事もあって、ほんとに激動の一年だった。

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♪あー時計は、まわってごまかすんだよーおわーりなんてない顔をして〜

外堀を走るわたしの耳にゴッホが流れる。2010年に出会った志磨さんの音楽、それも2014年を迎えようとする今、全部で4枚のアルバムが世に出た。
わたしの物語。それも2011からアンソロジーを合わせて3冊を数える。
2009からだとなんと地味に7冊にのぼる。

「僕らが何かを変えるために生まれたなら、こんな音楽もほんとうはいらない〜だろう」

それでも物語は要る。
最低限今日のわたしのために。そしていつかのあなたのために。
志磨くんもそうではないかしら?たずねたことはないけれど、
やっぱりそうして音楽を紡ぐのではないかしら。

だからやっぱりゴッホにならなきゃ。

2013年、足かけ5年をかけても「船パリ」は完成しなかった。
もはや売るためとか、名誉のためとか、生活のためとかキャリアのためにこの作品に向かってはいない。

なんのためにそれを書くのか。それはもう、わたしの命のため。
この作品でわたしはまずゴッホになれるのか。
それを問うためにわたしはまた外ぼりを走り、左内坂を見上げて、長谷川時雨さんを想う。

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2013年12月 8日 (日)

紫のバラのひと。

紫のバラのひと。
今日は最高の夜だ。
ドレスコーズは素晴らしいし、
志磨くんは素敵で、

紫のバラの人から花がきてる。

こんなふうに、永遠に物語の中で生きて生きたいといつも思ってる。
誰だ、こんな気の利いた悪戯をしたひとは。

あぁ。
すべての映画は 僕らのエチュードだ
エンドロールには
すべてのキャストの名前を刻むよ
思い出せるかなー

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2013年11月 6日 (水)

中島桃果子のハローNY、ハローゴッホ

申し遅れましたが昨日からNYに来ています。
本日11月6日は我が敬愛するドレスコーズの新しいアルバムの発売日でしたが、
前日にNYに旅だったわたしは、まだそれを手にすることができていません。
そのかわり、なんの因果か、今日わたしはゴッホの絵を見てきました。
なので志磨くんあてに、届かないお手紙をかきました。

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志磨くんお元気ですか?

くしくも発売日前に、NYに旅立ったわたしは本日、
ゴッホの絵に出会ってきました。
それは偶然の出来事で、はからったわけではありませんでした。

おもえば八年ほどまえに、人影途絶えたオルセー美術館の、
ゴッホの絵の前で、
彼が重ねたたくさんの絵の具のその上に、
自分のひとさし指の指紋を、重なるようにそっとやはらかくかざしたそのときも、
涙が流れてとまらなかったけれど、
今日も志磨くん、
わたしはやっぱり涙がとまらなかった。

Vincent van Gogh、そのひとの絵は、
生前には予想だにしなかった立派な金色の枠にふちどられて、
Vincent van Gogh、そのひとの絵の、
その後ろ側にはずらり、ゴーギャンの絵が同じように並行して飾られていた。
ひとつの小さな部屋の片側にゴッホ、片側にゴーギャン、
気づかずにゴッホの絵だけをくいいるように眺めていたわたしは、
ふとふりかえってそれをみたとき、思わず息を飲んで、
思わず泣きだしてしまっていた。
かつて同じ部屋で寝起きしたふたりの画家の、
その運命は背中合わせにどんどん離れて、
片方はタヒチに移って、たくさん女の絵を描いた。
片方は自分の耳を切って、生前に売れたその絵、二枚を数えず。

Vincent van Gogh、そのひとの絵を、百数年の時を経て、向かいあわせにしたのは、
彼の絵を愛するもののはからいか、それとも皮肉か。
嗚呼、わたしにはわからない。わたしにはわからないよ。

ただひとついえること、

あなたの絵はこんなに眩しく逞しい金色にふちどられて、
わたしのからだは足も手も震えて、正気では見続けていられないほど。

Vincent van Gogh、ゴーギャンの絵には朗朗とした生活が見えるね。
たくさんの瑞々しい女たちに囲まれて、その躍動を描いている。

Vincent van Gogh、あなたの絵は、
景色や花瓶や、誰か知らない家族や、お金のかからないものばかり。
カンバスさえ、買えないあなたは、きっと、
描くものさえも選べなかった。
しなびた向日葵をふたつ、並べてそれをその色の弱い瞳でとらえ、
絵の具を重ねた。
誰もそれを見ていなかったし、
誰もあなたのモデルにはならなかった。

それなのにVincent van Gogh、わたしはこの広い美術館の、
何千という美術品の中で、ほんの数枚のあなたの絵の前を離れられず、
時を忘れてたちつくしてる。
この小さな部屋からでてゆくことができず、
あなたの重ねた絵の具のその盛り上がりを見ているだけで、
瞬きをわすれる。

Vincent van Gogh、苦しみを経て、
いつか運命をわかちた盟友と、向かい合わせに絵が並んでいることを、
あなたはどう思う?

わたしはそれを。
非常に奇妙な皮肉なできごとに思う。

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わたしは夜のカフェテラスという万年筆をずっと使っていた。
そしていまは、ひまわり、という万年筆が届くのをずっと待っている。

けれどそんな百年後の事実は、あなたの死を前にとても無力だ。
もしかしたら、ゴーギャンのものよりも立派かもしれないこの額縁の輝きも。

だからわたしも、

やっぱりゴッホじゃやなんだ。

Vincent van Gogh、
なぜならあなたを、
とても愛しているから。

愛しているからこそ、

やなんだ。

わたしの涙を見て、黒人の監視員が
アーユーOK?、とやさしくたずねた。

わたしは涙をぬぐわずに、
アイム ファイン、と笑ってこたえた。


2013.11.6@ NY  中島桃果子「イキテ・デシネ」

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2013年7月20日 (土)

トートロジー

♩ー僕らがみてるのは幻なんかじゃない〜

zipperガールとのコラボPVです。みいきさんこの撮影に仕事で同行したんだよ、羨ましすぎる。

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2013年7月18日 (木)

最強のタイバンライヴ

【ベンジ—とドレスコーズという最強のタイバンライヴに行ってきた!(*゚▽゚)ノ】

ときに楽しいことがものすごく重なっちゃって、心が賄いきれないなんていう素晴らしい一日ってのが365日の中、いやもしかしたら730日の中に一日くらいあるものです。わたしにとって水曜の夜は久しぶりにすてきな、感動を覚える一日で、それだけも胸いっぱいなのに、その次の日にドレスコーズのライヴという、光が続いてくらくらする24時間でした。

「世界に対してオープンになっていれば、いつか会える」
これは村上龍のツイートです。この言葉を知る前におなじことを心に思った2011のフジロックを思い出していました。志磨くんの歌を聴きたいだけの一心でひとりで向かったフジロック、雨の中歌う「それすらできない」を聞いて、いつか会いたい、会えるステージまで絶対自分は行くのだと誓いました。

そのときはどれだけ近づいても、20メートルほどはあったステージまでの距離、
昨日の渋谷クワトロで志磨くんはほんの2mほど先にいて、彼の瞳に降りてきえは燃える歌詞のひとつひとつが手に取るように見える距離でした。おまけにもう彼はわたしのことを知っていて、わたしの本を2冊も持っているのだ!
2年で志磨くんという世界にここまで近づけたってことがとても感慨深いです。
ほんとうに好きなものに、ひとはいつか会えるのだ。街角でCharaにばったりあって抱きしめてもらったみいきのように。

わたしがベンジ—こと浅井さんのお仕事仲間のFさんと繋がりがあるのは、なんのコネクションでもありません。
道で会ったのです。笑。
四谷から麻布十番まで、生善説にもとづいたヒッチハイクで送ってもらったのです。
知る人ぞ知るこの道での出会い、その年のフジロックでわたしがベンジ—とすれ違った話を車中でたまたましたので「それ僕の担当してるひとです」みたいなことになって、いまにいたるミラクルな縁。五月の千穗のライヴもきてくれました。

そのFさんにとってもらったチケットで志磨くんに会い、楽屋にご挨拶いけるパスをもらいました。そこにはドレスコーズのスタッフさんがたくさんいて、ドレスコーズとお仕事を一緒しているみいきがみんなを知っているので、わたしは再び志磨くんと会えたのです。志磨くん「誰June読んだら感想文かきます」ってゆってくれた(T−T)/

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(↑これはドレスコーズ公式twitterより)

2011年、震災の影響もあり、内定もらってた会社もぜんぶだめになって、文学編集の道をたたれたみいきが、ほんとうになんのコネもなく、自分で見つけて熱い思いを伝え、採用になったのが雑誌Zipperの雑用係でした。
みいきは文学と同じくらい大好きなお洋服、しかもいちばん大好きな雑誌Zipperのアルバイトから、東京生活を再スタートさせました。
いま彼女はいっぱしのライターになって、芸術への造詣も深いことから、綾野剛さん、ドレスコーズはじめたくさんのアーティストの記事を書いています。
今日の動きが悪かったら次もう呼ばれないかも」と死ぬ気で原宿のスナップにでかけていったみいきが、ドレスコーズのレコード会社のスタッフとか、ひいてはドレスコーズのみなさまに「どうもこないだはおつかれさまです〜」と雑談なんかしているのを見るとなんだか眩しい気がしました。

ドレスコーズのライヴが最高すぎるのはいうまでもなく、
ベンジ—のライヴもめちゃくちゃよかった!(*´˘`)♡
ベンジ—は、、、エロい!!
ドレスコーズが完全無欠のロックンロールで心臓にビリビリ、Soul(魂)を届けてくるとしたら、ベンジ—は独特の「抜け」感で観客を恍惚にいざなう、スローセックスみたいな大人のライヴです。この2バンドのバランスと出番、絶妙だと思いました。20歳のときはわからなかった林檎の「そしたらベンジ—あたしをグレッチで殴ってぇ〜」って気分がほんともうよくわかります。笑。
ってなると20歳でそう思ってた林檎ってやっぱすごいな。
あとドラムのひと(スカパラのひとなんだね)がすごく楽しそうにドラムを叩いていて、こういうドラマーってすっごくすっごくいいなって思った。
(写真の黄色いパンツのかた)

ドレスコーズの新曲「トートロジー」最高すぎて泣いちゃった。
ーふたしかなものを信じなければヒーローにはなれないー
最強の歌詞だと思う。

濃厚すぎる24時間に頭が飽和状態で、ドレスコーズのみなさんにせっかくお会いしたのになにも言えなかった。丸山さんのギターがすばらしすぎるって、ずっとずっと思っていることすらも。

前にわたしがクワトロに行ったのは、レイチェルヤマガタのライヴのとき。
わたし、クワトロとはほんとに相性いいな。いっつも最高のことがそこでおきる。

さあわたしも、ふたしかなものを信じてそろそろヒーローに!
ってなわけで本日FDF最終回UPです。
作家ページにUPしますのでみなさまどうぞよろしくお願い!

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2013年3月 9日 (土)

志磨くんに会った。

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きのうとうとう志磨くんに会った。

心の底から憧れているひとに出会うのは人生で二回目。二回とも不思議なことに、わたしの小説がわたしを追い越して本人と先に出会っている。
「僕ね…あれを…読ませて頂いたんですよ…それで…」
志磨くんはいちばんにそれを言ってくれた。そして何かを言ってくれようとして言葉を探して詰まった。わたしは、その表情で、もういろんなことが伝わったから頷くだけだった。
それはきっといろいろあるけど、清志郎のいなくなった夏、マイケルのいなくなった夏を、きっとどう過ごしたかってことなんだ。そしてどうしてマリアンヌだったのか。
いいよ志磨くんわかるからもうその先はいいよ。
うまくいえないけど、江國さんに会ったときの感覚に似ていた。
初めて会うのだけれど、どこか通じ合えていることを信じられる気持ち。
それだけでどこか懐かしくすらなってしまうような。

わかれを知り僕ら 大人になる それでもよろこびは
まだ出会うまえの 誰かへの祈り

この歌詞で再出発した志磨くんにどんな言葉を贈ろうか迷って、
言葉遣いが仕事のはずなのにわたしは「蝶番」の見開きのところに、なぜか清志郎の言葉を書いた。なんだろう、それがいちばんふさわしい気がして。
『いつか会いましょう』
というまったく同じ言葉をしたためて、デビューアルバムと短篇『いまかつて』を交換する運びになったわたしたちにふさわしい、清志郎の言葉。
もっともっと頑張らないといけないわたしたちへの。
まだまだ悔しいことがたくさんある、わたしたちへの。

きのうわたしは志磨くんに会った。
会えない流れだったのに。
会えた。
「それすらできない」を降りしきる雨の中聴いたフジロック2011。
そのときにいろんなことを自分と約束して、
そのあとが、『”かつて”と”今”に贈る恋文』

その”今”すらもかつてになってしまったいま、に。

あの作中に紡がれた志磨くんへの言葉が、読むはずのなかった本人に届いた12月。
そしていまは三月。たくさんの巡りあわせに支えられて。
きのうわたしは志磨くんに会った。

みいきありがとう。志磨くんをひきとめに走っていってくれたあの果敢な背中をわたしは一生忘れないだろう。

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ドレスコーズの、美しくも完璧な、

完全にロックバンドであるのに、どこか演劇的なライヴの感想についてはページが足りないので後ほど!

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2012年12月24日 (月)

今日はモカ暦の元旦

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(さあ、はじまりの朝だ)― (ああ)振り向かずに、そのままで聞け
いいかい ロリータ  すべては今 きみの目の前さ
戯れの日々も 淡い恋も  美しい思い出は ロリータ
この旅路の きみの傘となる   ードレスコーズ-Lolitaー

Merry Xmas! とかいうにはまだ早い朝なんだけど、
今日はなんだかとても楽しいことが起きそうな気がしていて。

クリスチャンでもないけどクリスマス大好き。
でも今日は朝起きてベランダに出てみたら元旦みたいに朝の空気がしゃきっとしているので、思わずマキネッタで淹れた珈琲を片手にパシャリ。

いい朝だ。
部屋は片付いているし、珈琲はおいしいし。
いつもの師走とは違って、忙しい予定を縫って毎日船パリを書く2012年の12月は、大変だけどすごく充実しているし、幸せを実感している。

去年はとても厳しい一年で、この時期、一日がすごく長くて辛かった。
ああ、まだ5日もある、ああ、まだ4日も…。そんな風な一年だった。
でも今年はいい年だったと思う。
ここ数年ではちょっとないくらい、自分が何かを乗り越え成長したことを実感できた、
自分を褒めてやりたい2012年だった。

まだ振り返るには早いんだけど、みなの元旦は1月1日なんだけど、
その暦じゃないモカ暦で、わたしはどうしても、昨日で終わりで今日が元旦な気がするから、今日新しい気持ちで2012年を振り返る。
だから記念すべき今日、iPhoneを新しくする。
20日で滅亡といわれたマヤ暦は実は13パクトュンとかいうある長いスパンの暦が終わってまた新しく始まる循環暦のことらしい。
おそらくわたしのこのモカ暦は、手の腱をを切って手術した15歳冬から、不整脈の手術をした33歳の冬までの18モカトゥン(笑)のことをいうのだと思う。なんとなく。根拠はないけど。

「負けること」が、惨めなことや、淋しいことや、哀しさや虚しさとイコールになるのは、
自分が納得してないから、自分が自分に負けているからで、
自分が自分のイニシアティヴを持って納得してやったことなら、
負けすらも美しさや、潔さといった眩しいものに変わるのだと気づいたんだ。

2012年、わたしは相対的な評価で、著しく負けた。
渾身の「誰June」は売れなかったし、
このひととだったら一生一緒に居られそうだと思った人にも振られて、
おそらくそのひとは別な人と人生を生きていくことを選ぶ。
船パリにかける手間暇で夜を減らしたので生活が苦しく、
人生初の家賃滞納という危機にさらされた。
負け倒した一年だと思う。
でも悲しくはない。
絶対的なところでわたしは自分にけして負けなかったから。

依然わたしは「誰June」を2012年に世に出された本のどれにも負けない不朽の名作だと思っているし、大好きだった人と自分の中にあったものは何よりも本物だと思っている。
ひもじい日々だったけど、100円をようやく五枚ためて飲むスタバがこんなに美味しいものかと33歳になって初めて知ったし、待ってあげるよと言ってくれた大家さんのおかげで、船パリに集中することができた。

悲しさや痛みや傷もいっぱい知った年だった。
やるせなさとか、この世にはどうにもならないことがあるってことに気づいたり。
気持ちや信念だけでは叶わないこともあるって知った。

でも痛んだ自分やその傷口に気づかないフリをしたりもしなかったし、
自分の気持ちに顔をそむけたり一度もしなかった。
ちゃんと向きあってちゃんと乗り越えたし、
さびしいからって、誰かとなんとなく寝たりとかもしなかった。
自分の限界を超えて誰Juneを書き上げた。
だからあれが売れなくても何も恥ずかしくない。
だってあれは最高だから。

自分はとても弱い人間で、それを恥ずかしいと思っていた。
色んなことに振り回されて疲弊してしまう自分を格好悪いと思っていた。
なのに変われなくて。
「歴然の向こうに行く」なんてたいそうな目標を掲げて始めた2012年だったけど、
全然歴然の向こうになんていけなくて。

でも今自分は強くなれた気がする。
自分が格好悪いと思うことはしない女にすこしずつなってきたと思う。
心はもしかして、歴然の向こうを垣間見た。
まだ歴史はついていない。
だから惨敗したけど。
でも負けても清々しい。負けても幸せだから。
なかなかいい女に、なかなかいい作家に、
なってきたんじゃないかと思えるんだ。
たとえ誰かに批判されてもぐらぐらしないで自分の作品を信じられる。
たとえ片想いでも最高の恋愛をしているのだと満面の笑顔でいられる。
わたしは今年ようやく「しなやかさ」を手に入れた。
「自分」という一番手のつけられない、厄介な生きものを、
だいぶ飼いならせるようになったのだ。

結果は大切。
だからこそこれらの負けが、
大きな結果を連れてくる過程だったと言えるように、
いまを精一杯生きよう。
愛しているものを愛していない、愛していないものを愛しているフリなんてしないで。

今、船パリを書いています。
いまからすごくすごく大切なところになるので、考える時間もかけています。
さぼったわけではなくて、作家人生ではいままでにはない長いお話にいまなっているので(刊行時はもっと短くなってるかもしれないけど)
そういう新しさを噛みしめながら丁寧に書いている。

船パリが教えてくれること、それは未来。

いままでは、経験や自分が通過し咀嚼した感情や感性、つまり通りすぎたものを物語にしていた気がするの。
でも、今は、船パリを通して自分が日々成長しているのを感じる。
わたしがまだ見ぬ明日に、筆がわたしを運んでくれているのを感じる。
そういう意味でも「未来を書く」という、新しいこと、未知との遭遇が起きている気がする。
これはモカ暦の新しい暦の頭に置かれる、第一作目。
旧暦の最高傑作はもちろん「誰June」である。
最後に書いた作品がこれまでの最高傑作で、まだ見ぬ新しい作品が、それを塗り替える最高なものになる。
これは恋愛も人生も作品も含めて、一番幸せに近いやりかただと思うのだけど。

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この青い鳥がまだこのグラスの足くらいに青かった頃、物語の「輪郭」を模索し、この家に引っ越してきた。毎日太陽を浴びて、いつのまにか青い鳥は白い鳥になった。
でも大丈夫。
幸せの青い鳥を追いかけなくても、幸せを見つけたから。
誰かの中に見いだす幸せじゃなくて、自分の中に見つける幸せを。

別れを知り ぼくらは大人になる 
それでもよろこびは ロリータ
まだ出会う前の誰かへの 祈り

ロリータ 歌え さあ今 そうだ これが生まれた意味だ
ロリータ 歌え さあ今 すすめ きみは美しい ロリータ

いつか出会う君と僕の、まだ見ぬ未来に口づけをして祈ろう。
幸せと幸せを持ち寄って最強の永遠を紡ぐの。
今日はモカ暦の元旦。新しい旅立ちに祈りと珈琲を。

Photo
溺愛する ドレスコーズの志磨様の直筆サイン〜♪
ここにもひとつ、まだ出会うまえの誰かへの祈り。
志磨くんの歌はいつもわたしの傷の一番傍にあって痛みを和らげてくれた。
でも今は喜びとともにある。
だからもちろん志磨くんの歌への溺愛は新しい暦にも持ち越し。
清志郎じゃないけど、♪もしかしたら〜君にも〜会えるね〜。

いつか。

そのいつかのために。振り返らずに前に進もう。

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