映画

2015年12月16日 (水)

CAROL

ケイトブランシェット×ルーニー・マーラ
このふたりが見られるだけも!!!って感じだよね。
試写会行ってきました。

「アデル、ブルーは熱い色」で、こういう映画への抵抗感がなくなり、
逆に「お洒落」という雰囲気すら生まれてきた気がする2015年、

レア・セドゥが演じた、男を感じさせる佇まいとは真逆の、
どこまでも不安定で感情的で、女女しいケイトブランシェット演じるCAROL

非常にコンセプチュアルでとても美しい映画だった。

試写のいまの時期がクリスマス前で、すごく旬なのよね。
(公開は2月)

冬の映画ってけっこう好きだな。

わたしはこれ客観的な評価できません!
なぜなら!!!

ケイトブランシェットが好きすぎるからだよ!
CAROLに抱かれたい!

マティーニが、
たまらなく飲みたくなる映画。

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ランチのときにマティーニをがぶ飲みしているような、
ダメで秘密のある女に、なってしまいたくなる映画。

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2015年6月17日 (水)

映画「あん」

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ひょんなことから本日、携帯を家に忘れて、 天王洲アイルの寺田倉庫までの長い行きしなの電車で携帯をいじることはできなくなった。
しかしおかげで、ほんのしばし誰かや何かと電波的に繋がることを忘れて、映画「あん」のパンフレットを読みふけった。

気になっていた映画をさおりに誘ってもらって、それがちょっと特別なイベントだったので、終わった後になんと河瀬監督じきじきのトークショーもあった。
いや、語順が逆である。
「あん」があまりにすばらしかったので、そのあと河瀬監督を遠巻きに眺め、
どういう思いでこの映画を撮ったのかが聴けたことが、とても大きな財産だった。

「あん」の内容については皆に見ていただきたいのではしょる。
とてもすばらしかった、言い得ようもないくらいにすばらしかったことだけを伝えておく。

この数ヶ月考えていたこと。
世界ってなんだろうか、
人が「今」を生きるってどういうことだろう? 
そういうことを考えながら「うたタネ」をやったり、
文月悠光ちゃんと、互いの詩を朗読したりしてきた。
メメント・モリを書いたりなんかして。

そういうことがとても美しく、もっともっと純度高く、
要らないものを完全に削いだ形で丁寧に紡がれた珠玉の映画だった。

こういう作品、またこういう映画監督ーつまりひとつひとつ順撮りをし、オフカメラで、役者の芝居ではなくそこを生きる姿を映し抜いていく、本物と作りものの境目がわからないような物作りをする監督ーがカンヌで高く評価されて、
世界的にみとめられているというだけで、世界はまちがっていない、大丈夫、そう思えた。

神は細部に宿る。 この言葉が、さいきん頭から離れない感覚。
そういうことを考えながら大切な人や尊敬する人たちの仕事を見ている。
前半はそんなことを想いながら見た。そして思った。
細部に宿る神とは、実は神ではなくて、愛ではないのか、と。

たくさんのひとの想い、それらが丁寧に掬いとられ託し託されたりしながら、「命」のように、人がかたちづくったものの中に宿るのではないかと。
それはだから同時多発的な世界の声。
世界はこうして細胞分裂しながら命を宿り宿らせ、呼吸しながら生きている。 永瀬正敏がすばらしかった。 そして樹木希林という女優の、もう、すばらしいでは片づけられない圧倒的な存在。 そして河瀬監督。

10代の頃、芝居はこういう風につくるものだと思っていた。
役を生きる、というように。
だから花よりタンゴを演出したときも、役の状態での全く台本にはないシーンのエチュードをたくさんしたりなんかして。
高校の文化祭のときでさえ、役が感じた風を感じる、などと言って学校を抜け出し、遠く高槻あたりまで電車に乗ったこともある。

けれどたいていそれは、「役者気取り」の行動であって、
そういう無駄をたくさんしたからといって、結局はわたしなんかは素人だから、実際の台本上のシーンがよくなったりするわけでもなかったりなんかして(笑
シーンにはないシーンを脳内でいっぱいつくった結果、その重要な本当のシーンの稽古がおろそかになって本末転倒になったり。つまりはアマチュアだったのだ。笑
プロフェッショナルがともなって初めてそういう「ニュアンス」は生きる。
そのことを今はよく知っている。

それに、大人になるとともに、当然、そういう「風」や「匂い」的な準備をしなくとも、すばらしいものをつくりあげる芝居の現場もたくさん見てきた。

だから今ではそういうことは執筆にのみ反映されている。フィンランドを書くならとりあえずフィンランドに行こうか、とか、酒を書くときは酒を飲むとか、心や状態を添わせていく作業。

しかしパンフを読んでいると河瀬監督は、それがなによりも重要なことだと、徹底した芯がありそれを実行していて、そこがなんとも潔くかっこよかった。説得力をともなっているところが。

ひとりでやる執筆業とたくさんの人の手とお金と協力の中で撮る映画はまったく違うし、その環境の中でそういうやりかたを徹底する、そしてそれを徹底することを認めてもらえる河瀬監督の才気と感性と器。そしてそれに一流の役者たちが応じたときに生まれる、
すさまじい生々しさ。これらの集まりはひとつの奇蹟といえると思う。
その奇蹟にふれることができてとても幸せだ。

「あん」を見た人にはぜひパンフレットをじっくり読んで欲しい。

個人的には、凄まじい!!!!と思ったいくつかのシーンについて、
やっぱりその場にいた役者さんたちが「あのシーンは……」と語っていて、
その裏話が書かれていることも、とても贅沢だった。

最後に、印象に残ったセリフがパンフにやはり抜き出されていたので、それを載せます。
ネタバレではないですが、なにも知りたくない人は見ないようになさってください☆

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2015年4月20日 (月)

イミテーションゲーム

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実は3回観に行った(笑 しかも映画館に!

1回目は壺井さんとで、これもお誕生日にと、チケットを買ってもらった。

ふつうに素晴らしい映画でしたが、
なんていうか、わたしには、ときどき、
「ふつう」これくらい評価されるであろう映画だという感覚とは、まったく別のところで、
途方もなく惹かれてしまう映画がある。

3回も?なぜ? 
そう言われたらなぜかはよくわからない。

2回目はその正体を知りたくて行った。
なぜ?こんなにも惹かれるのかを知りたくて。
3回目は母に見せたくて。
わたしは2回目に感じたことを、もういちど確認しながら見た。

なんどみてもうれしい、感動するシーンがある。
「気づき」のシーン。

ほんのささいなことが脳みその導火線に触れて、花火が弾ける。
そのとき、こころも、からだも、それが起こるすこし前からそれに気づいている。
ああ!すごいことがおこりそう!!
そのいのちの躍動。

わたしが途方もなく、惹かれるのは、
人目につかないところで、
孤独な作業をしながら、自分の信じる真理を追究しつづけた人がいて、
そのひとは何十年も経って、こんな風に称えられることも知らずに、
知らず知らず追い詰められて死んでいった。
そのことさえも知られずに。

けれど今、誰もの日常に不可欠といっていい、パソコンや、
手放せないiPhoneなど。
このルーツを追いかけて行ったならば、彼の生きた日々にたどりつく。

この手にいつも持っているiPhoneの中に、
その彼が追いかけ続けた日々があって、
追いかけ続けた答えがある。

そんなことも知らずに、人はそれを使っていたり、するんだなあと。

そして、そんなことを知ってしまったが最後、
もう、あなたを思わずには、日々を過ごせなくなってしまったということ。
だって、これはあなたが切り拓いてくれた道だから。

天才や、スターや、芸能人や著名人やオリンピック選手とか。
身の回りににはいない、
「ふつうではない」
スゴイ人を人は敬い、憧れる。

なのに、身の回りにいる「ふつうではない人」を、
実は人は嫌う。

その「ふつうではない」と、この「ふつうではない」を、全然違う、雲泥のように考える。
でもほんとうは同じだから、
「ふつうではない」人間は、「ふつう」の中で苦しむ。

映画の中であの警官だけが架空の人物だという。
パンフレットにはこう書いてあった。

「ノック刑事は、悪人ではない普通の人間がいかにチューリングにひどい仕打ちができるかを観客に見せる」

ほんとうにそうだと思う。

ふつうではない人たちに支えられて科学や芸術や、世界はすべてここまで歩いてこられたのに、そのひとたちの人生は、日常という単位の中では理解されずないがしろにされることも多い。

けれどそれでもそんなにも、自身の中に「成し遂げなければならないこと」があった、その神秘にも心打たれる。

ゴッホはなぜあんなになってまで絵を描き続けたのだろう。
ルソーは?

チューリングにとってマシンはなんだったのだろう。

あるのだ。

自分の内側を叩く運命の音が。
自分を内側から突き動かす宿命のひかりが。

彼等はそれにまっこうから取り組んできた。
なんて美しいのかしら。

同時に。

自分の周りにいる、「ふつうではない」人たちにも、
ちがう角度から接してみることができるのではないか?

「こいつ日本語つうじない」

たまに人を馬鹿にしていうことば。

でもそうだろうか?わたしの日本語は、その誰かにとっても同じ日本語か。
そしてそのとき、自分の日本語が正しいと、いったい誰が決めたのだろう。

にんじんとグリンピースがけして混ざってはいけないと強くこだわることは、
ほんとうにおおげさか。

人の姿形は似ている。でも、その中はどうだろう。
わたしたちは、常に相手も「当然こう考える」というふうに決めつけてはしないだろうか。
ただ、なんとなく姿形が似ているというだけで。

関わるすべての人に対して、もっと目をこらそう。
もっと耳をすまして。
そのひとにとっての真理はなんなのか、たとえ解らなくとも、すこしでも寄り添えるように。

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2014年4月16日 (水)

アナと雪の女王

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凄く良かった!
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・

ぜひ大人たちに見てもらいたい!

定番のようでとっても新しい、ニューエイジdiamondの作品です。
吹き替えは、みな松たか子に注目してるけど、神田サヤカ演じるアナが素晴らしかったのだ!

字幕版はやはりイディナさま☆の歌が凄かったnote!!

ハイ!そうなんです、2回観ました!(笑

個人的には字幕と吹き替えは、吹き替えの方が好きでした☆

いろんなものが詰まっていて、すごく心に響く映画でした。

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原題は「FROZENsnowshine

「アナと雪の女王」という邦題も、歌の訳詞もとてもとても良かった。

こういう風な訳詞の仕事、いつかしたいなと思ってます。

レリゴ〜♪

自分を肯定して、愛を起点に行動すること。

わたしが扱う「言葉」という力も、エルザが持つ「氷」と同じように、
使い方を間違えば人の心を凍らせ、傷つけてしまいます。

けれどおそれず、きっと伝わると信じて、
愛を起点に言葉を紡いでいこう。

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細かい表情までもほんとうによく創りこまれていて、
これに携わったすべてのスタッフたちの想いが目の前でキラキラとはじけては心に届いてきて胸が熱くなりました。

是非みんな見てください☆

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2013年2月14日 (木)

『つやのよる』

「艶が危篤だ」
ある女性が死のうとするとき、その女性と関わった男たちを通してその男たちの向こうにいる女たちがざわめいていく。

昨日、やっと行定監督の「つやのよる」を観に行くことができました。
上映前から楽しみにしていた映画です。原作は井上荒野さんで、脚本は、わたしも一度お会いしたことがある伊藤ちひろさんが担当されています。

誰もの日常に潜むあたりまえのドラマに、はっと気づく映画です。
ひとりの女を巡って数人の男たちがざわめく、またはその逆の物語というものはよくありますよね。

だからわたしも、ひとりの女を巡るたくさんの女たちの話だと思ったときに(キャスティングやなんかで)、一体どういうことなんだろうと思いました。
でも、観て、ああそうかこういうことなんだなあと。

つやじゃない側の女に立ってみればよくよく解る話です。
いま自分が愛したり関わっているひとの向こう側にいる女のひと。
それは厄介で、気にしなくてもいいけど気になって、
なんか勝手にすごい女なんだろうとか、勝てないとか、クズみたいな女だとか、想像だけがふくらんでいく。実体のしれない「艶さん」を、名前やその響きから透けてみえる人格をつくりあげたり、知っていても知らない部分を妄想で勝手に乗っけてみたり。あるいは「知りたくない」と、なんの情報も入ってこないようにシャットアウトしたり。

でもわたしがこの映画を面白いと思ったのは、
わたしたちは、艶じゃない側の女でもあるし、その方が自覚しているけど、
同時に同じだけ「艶」でもあるのだということに気づいたからでした。

じぶんが奔放に生き、恋愛をするということは、
自分が恋愛をし関わる男を通して、その先にいる女たちをざわめかせ揺さぶっていく行為でもあって。女はみんな、揺さぶられる側であると同時に同じだけ揺さぶりをかける側でもあるということを思い知った映画でした。

じぶんがじぶんであることには無自覚ゆえに、意識がないけど。

わたしたち女はひとりひとりが艶でもある。

原作を、読んでみたいと思いました。
みなさんもぜひ、映画館で観てみてください。
行定さんの力作です。
わたしは個人的には監督の「作品に触れて貰いたい」という熱意と真摯さ(それはきっと映画というものに対する真摯さ)、に触れる機会を頂き、たいへん感動しました。行定さん、役者陣、そしてスタッフさんたちによって、大切に紡がれた作品です。よろしくどうぞ。

個人的には野波真帆さんの、
「男と女って、寝てしまうと、どーしてこうもつまんない方向にしかいかないのかね」という台詞が秀逸だと思いました。
秀逸な台詞にひとつ出会えるだけでも、わたしはひどくしびれる。


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2013年1月23日 (水)

希望の国

遅ればせながら、園子温監督最新作「希望の国」観てきました。
原発の映画です。
凄まじい映画でありました。そして、素晴らしい映画でありました。
この映画の中には、いままでの園映画で園さんが押し出してきた世界観も性も猛々しさも暴力もない。ある意味とても「静かな」といえる映画で、
わたしは園さんがどれだけ真摯に、この課題にとりくまれたのだろうと想像して、身動きがとれなくなるくらいでした。
「今回は、台詞もシーンも、なるたけ想像力で書くのはやめて、取材した通りに入れようと思ったんです。勝手に書いた嘘は、薄っぺらいだけですからね。空想して書くことは控えようと思いました」
園さんはパンフレットでそう言っています。それだけ「突きつけられた」事実に、真っ向から向かいあわれたのだと思うと心が震えました。
資金は集まらなかったとききます。
映画館はとっても小さかった。
配給してくれるところがなかったんだなあって思います。
それでも園さんはこの映画を撮った。
こういうものが、ある意味ほんとうの「映画」なのかなあなんて、思います。

園さんの詩を引用させて頂きます。

ーーーーーーーーーーーーー

「数」

まずは何かを正確に数えなくてはならなかった。
草が何本あったかでもいい。全部、数えろ。
花が、例えば花が、桜の花びらが何枚あったか。

涙が何滴落ちたか、その数を調べろ。
今度またきっとここに来るよという小学校の張り紙の、
その今度とは、今から何日目かを数えねばならない。
その火はいつ、正確に数えろ。もしくは誰かが伝えていけ。

―自分を数えろ。お前がまず一人だと。

「膨大な数」という大雑把な死とか涙、苦しみを数値に表せないとしたら、何のための「文学」だろう。
季節の中に埋もれてゆくものは数えあげることが出来ないと、政治が泣き言を言うのなら、芸術がやれ。

一つでも正確な「一つ」を数えてみろ。

ーーーーーーーーーーーーーー

深水くんが出ていました。
知っている人が出ていることを嬉しく思うと同時に、
羨ましくも思いました。
こんな歴史に、わたしも加わりたい。
もしかしたら形は違えども。

わたしもすこしづつでいいから数えてゆきたい。
人の痛み、やるせなさ。
そういう風に、数学でははじきだせない、数を。

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2012年2月20日 (月)

この世でいちばん透きとおっているもの

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喉が痛い。クラビット飲んでカカン!と寝たのだが夜中に目が覚めてしまったので映画「ブロンドと棺の謎」を観ました。1924年の船の話です。製作は2001年かな。主演キルスティン・ダンスト。この人の作品選び好きだな。エターナルサンシャインとかね。うん。つまらないという前評判があったが自分が何かを得たいという前向きな視点で観たこともあって面白かった。わたしが描きたいことの9分の5くらいはそこにあった気がする。うんうんこんな感じだよビジュアル的にも。だいじなことは全然違うけどね。
物語の案内役を努めたエレノアという女性作家の女優さんが素晴らしかった。ありそうでない女性作家像で惹きつけられた。ああ、こんな感じのひとひとりいてほしいな船パリのキャストに。音楽が非常に時代に忠実であって2001年製作と思えない空気を醸し出しているんだけど、そうかあ、小説だと音楽は聞こえないもんね・・・なんてことに改めて気付くと小説版でやるべき事が見えてきたりもして。衣装はどうかな。衣装はある程度描写できるな。
1920代のジャズが流れるエンドロールを聴きながら、静かな深夜の闇に目をこらすと、真っ暗だった頭の中に少しずつ星が降り始めた。まだ、ぽつりぽつりだけど、篠山月子の物語。
篠山雪乃の秘密、山崎比呂十の心の奥。
月子の真っ白な心のカンバスは旅が終わるときどうなっているんだろう。ぽつりぽつり降り始めている星が、絶え間なく流星群のように落ちてこないと書き出すことはできないので、今週も霧の向こうに物語の輪郭をみつけようと足掻きあちこちにでかかける。

たったひとりでいいわたしの存在を信じてくれるあなたがいて、わたしもあなたを無条件に信じて、あなたがわたしを信じてくれていることをわたしはまた疑いもなく信じる。その存在の唯一無二に魂をたくしてずっと心で結びついていられたらとかそういうの。
そういうことに向かって生きているのにうまくできなくて。

「この世でいちばん透きとおっているもの」にたどりつくこと。

欺瞞や嫉妬とか欲とか建前とか形とかそういうくだらない積み荷を全部おろして裸足で歩きはじめて、そのおぼつかない足元がすこし確かになってきたと思った矢先になにか運命の大きなうねりのようなものに翻弄される。世界はいじわるだ。
そしてわたしは、ひどくひどく、ひどくひどく未熟だ。
世界のいじわるにわたしの未熟さが勝てない。わたしの純真ささえも。
じぶんの土俵で起きるすべてのことはわたしの未熟さゆえのことであるのだから。
「この世でいちばん透きとおっているもの」はいつだって歴然と傍にあるはずなのにときどきとても遠くて向かいかたを忘れたり間違ったりしてしまう。
ならばいまはすこしたちどまって、しばらくはわたしの物語ではなく篠山月子の物語に心を沿わせよう。
果敢に進むことだけが進歩じゃない。

ああ。愛とあたしの中の綻びよ永遠に。
あたしが朽ちたらその屍の上に透きとおる青に似た桃色の雪を降らせておくれよ。
空から降りてくるのか、わたしから昇っていくのか、 わからないような曖昧さで。
そして君よ、君だけは何も言わずにそっとその屍を抱きしめてくれないか。
そしてそのときには、
君を翻弄し続けたわたしの未熟さを、どうかゆるしてはもらえないか。

写真は、大富豪の恋人マリオンと、マリオンと恋仲になるチャップリン。
DVDのジャケットは「え?もっとノスタルジックにできなかったの!?」とそこだけが謎の方向性なので載せません。

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2012年2月 1日 (水)

カサヴェテス「こわれゆく女」を見る

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わたしの敬愛する奈奈さんに頂き、なんの因果かもうひとり敬愛するさららさんに強くオススメいただいた映画「こわれゆく女」朝5時に仮眠から目覚めて観ました。なんていうか・・・映画としてこんなに完璧な映画を久しぶりにみた気がします。
衝撃。

かなりコアなので映画をかなり好きな人でないと観れないと思うのでやみくもにおすすめはできませんが、ジーナ・ローランズがすばらしい。その佇まいのすべてが。そして彼女演じるメイベルの行動や感情の動きのひとつひとつが手にとるようにわかるわたしは、こわれるかもしれない女なのかしら?・・・とも思いました。
(いやでもそもそも女ってああいういきものなのかもしれないけど)
奈奈さんはやみくもに何かを薦めたりしないので、この作品をモカに・・って思ってくれたゆえんがわたしはどことなくわかるような気がしたのであります。
ああいう愛しかたをするよね、種類として。わたしたぶん。
わたしはメイベルに似ている?似てるって言われたらある意味すごく救いようがないのだけど(狂気の沙汰だから)でもあれくらいまっすぐ純粋に人を好きでいたいと思う気持ちもある。メイベルに対するある種の憧れみたいな。
だって、じぶんを受けとめてくれることを信じられるから人は感情をだすのであって、逸脱できるのであって、、そう思うと狂気もやはり愛だなぁ・・あそこまで壊れることができるって愛されてるんだよ幸せじゃんか、と思ったり。

しかし完璧な映画だったよ、それにつきる。ほんとにため息がでるほど完璧だったなにもかもが。


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2011年12月26日 (月)

ことばにからだがともなうとき

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クリスマスはとても重要。とても大切。
でもそこにあんまり恋愛をからめたくない。きっとじぶんにとっての神聖さと、わたしがクリスマスに求めていることと、恋愛というものの温度が乖離してるからだ。
だから恋愛はわたしのクリスマスへの欲と神聖を満たせない。
だからわたしは毎年わたしなりの神聖を満たすためになにかしら特別なことをする。
去年はイヴに「黴菌」を観に行った。
今年は渋谷に園子温の「恋の罪」を観に行った。
11月の公開前から気になってたけど、今日観に行ってよかったと思う。
(こっから長いです。みなさんよろしくどうぞ)

2011年12月25日をある種の記念日にしてもいいくらい、きっと今日を境にわたしの作品は変わる。だってこういう作品にであってしまったから。
「気づき」をくれる出来事はいっぱいある。
最近では12月14日。その前は9月。
それらはわたしの視野や考え方をかえ成長させてくれる。
でもそういう気づきとは違う、もっと根底からわたしを揺さぶる出来事というのが何年かに一回あって、それらは「それ以前、以後」と言っていいくらいにわたしの人生を揺るがしてきた。
衝撃を受ける作品とわたしを変える作品は違う。
パンドラの鐘はわたしを変えなかった。パンドラの鐘ほどの衝撃はなかったはずなのに上海バンスキングそして串田和美はわたしの人生を大きく変えた。

わたしを変えたものたち。
10歳で出会った演劇。18歳で出会った上海バンスキングと串田和美。スワロウテイル。23歳に味わった劇団の崩壊とディスコという世界。
ヘドウィグアンドアングリーインチ。
ノルウェイの森。
震災の日隣に大切なひとがいて、地震が起きたらわたしはおそらくひとりで死ぬという長年の強迫観念を払拭したという出来事。
(あの日、死がたくさんのひとに訪れ、それはいつか自分にもふがいない形で降り注ぐかもしれないことを覚悟した上で、書きます)

そこに今日から「恋の罪」という映画が加わる。
園子温という映画監督が加わる。
(よしもとばななと江國香織ははぶく。このふたりは音もなくわたしの骨髄にいつのまにか入り込んでいたから)

今日わたしはこの映画を一緒に観たい人がいて、映画を一緒にみたいのではない、この映画を一緒にみたい人がいて、結局ひとりでいったのだけど、この映画をそのひとと観ないのであれば、その代わりといってはなんだけれどあることを実現してみせると心に決めたていたことがあって、それは映画を見終えたあと未来への確信と言ってもいいくらいのことになったので、それをわたしはいまから8年くらいの間で必ず遂行する。それがなにかは成し遂げるまで誰にも言わない。
生まれてはじめて今日わたしはわたしだけの秘密をもった。
この映画を「モノカキなら絶対見ろ!」と言ってくれた人に言いたいありがとうも、映画の台詞をかりると「ことばにからだがついてきたとき」に伝えようと思う。いまありがとうを言うことは簡単だ。そこには覚悟がない。
そんなものではすまないきっかけをもらったのだから。

渋谷の話だから渋谷で観ようと決めて、どれだけ自分が呆然としていたかわかるのだけど、パンフレットを買うのも忘れて渋谷の街に出た。

どうしてもこのまま帰ってはいけない気がして、足は円山町に向いた。
この映画の舞台になった場所。そしてわたしが4年近く住んでいた街。
ちいさなみいき(妹)ともっともっと小さかったかおり(いとこ)を子どもの売春婦に見立てて初めて映像を撮った街。あのときはきっとこの街の怖ろしさも深さも知らずに夜の23時だというのに危ない所で笑ってカメラを回していた。

ああなんだろう。こんな猥雑な場所に住んでいたのに、この頃わたしはとてもきれいだった。心もからだも何もほんとうのことを知らなくて。

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『影がある人ね〜って言われるうちはまだ間に合うのよ。いい?闇は影よりも、濃いから』

わたしもこの10年でずいぶん沖まできてしまったものだなあと思いながら、住んでいたマンションの前までいくと「マイキャッスル渋谷」とある。そうかここにも「城」があったのか。そしてわたしはその入り口をぐるぐるしていたんだ。(映画を観てないひとにはここのくだりはわからないと思う。すまない)

きれいにピュアに生きていると思われがちなわたしだけれど、何度も影よりになったことはあった。いまでもある。ここは闇の入り口だなというところまでも何度も行ったことがある。運良く入り口で引き返してきただけだ。

「あなたが思っているほどわたしはまっすぐでもイノセントでもないのです。見られてまずいことを、知られてまずいことをたくさんしてきた。表向き屈折していると思われがちなあなたよりよっぽど」

思わず懺悔してしまいそうになったけど、”それも宿命だよ、だっておまえはモノカキなんだから” そういう声が聞こえてきて、わたしはわたしのなかに思いとどまった。

坂を登り、昔上司に「俺の女の忘れ物をとりにいってくれ」と頼まれたラブホの前を通り、3年前まで働いていたクラブの脇をとおる。もうここには誰もいない。キャッシャーのくみちゃんも、素直なしんごも、アッシュの髪がとても似合っていた店長のりょうくんも。

カップルが手を繋いでラブホに消えていくなか、わたしはてくてくと慣れた足取りでそこいらを歩き、巡回のパトカーの脇をとおる。
そして映画の台詞を頭で反芻して、次にそれを声に出して言ってみた。

ことばなんか覚えるんじゃなかった。日本語と、ほんの少しの外国語を覚えたおかげで、僕はあなたの涙の中に立ち止まる。ことばなんか覚えるんじゃなかった

ことばではあらわせないことしかない世界に生きて、
こんなにもことばの非力さを知っているのに、
わたしはことばをつかうしごとをしていて、もめごとも、愛も、行き違いも、わかりあうにも、あたしの人生はぜんぶぜんぶことばとは切っても切り離せないところにある。ことばに傷つきことばで傷つけて、なのにことばをつかうことをやめられない。

円山町の出口に、たまたま友人の店があって、そこで一杯のんで夜を締めた。

クリスマスはとても重要。とても大切。

今日を境にわたしの作品は、変わる。
もしくはわたし自身すら、も。

水野美紀さんは圧巻なほどに女優で、
富樫真さんは骨の髄まで女で、
神楽坂恵さんは園子温という映画をよく知っていた。

個人的にはこの映画に、小劇場界の園子温といってもいい劇団「毛皮族」の看板女優、町田マリーが出演していたことをとても誇りに思う。
これはとても、意味のあることだ。

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2010年11月24日 (水)

『N.Y i love you』

Unknown
昨日公開打ち上げが無事に終了し、
今朝みいきが一ヶ月の滞在を終え、滋賀に帰り、ほんとうは、打ち上げのブログやら写真の整理やら、お部屋の整理の続きやらをしようと思ってたのに、夕方起き出して、オレンジ色に染まったリビングで、わたしが真っ先にしたことは映画を見ることでした。

今朝めずらしくすぐ下の妹あやめから
そういえばdvdの中にN.Y. ilove youっていうDVDが入ってるやけど、パリジュテームみたいなかんじのオムニバスでおもしろそうなのでよかったらどうぞ』というメールが来ていて、

わたしとあやめは実は映画の趣味がすこぶる合う。
みいきとは邦画の趣味がすこぶる合う。
ロンドンに長く住んでいたあやめがいう「映画」にはほぼ邦画は含まれず、あたしもあやめもアメリカ映画は実はそこまで好きではない、たまに遊園地に行くみたいな気分でパイレーツオブカリビアンを絶叫しながらみたり(笑 するわけだけど、日々に溶けこむ映画としては、ほぼイギリス映画、たまにフランス、スペイン、オランダ、ドイツ映画といった具合なんで、その『NY』という響きにすごく違和感を感じたのだけど、あやめがあたしに超アメリカ映画を、わざわざメールで推薦するはずがないので、好奇心もあって再生してみたらば、

冒頭からもう、しゅるしゅるしゅる~~と吸い込まれていきましたよ。

そしてなんか「わたしの毎日がようやく戻ってきたconfident」って気分になりました。

わたしの日常に欠かせないもの、それは実は芝居でも小説でもなくて、
音楽と、世界、なんですね。

半分ロンドン人のような妹と長く暮らしていると、もちろんいろんな国籍のが家に遊びにきてたり、わたし自身もともだちがロンドンや、ドイツにいたりすることもあって(しかもマンションの隣はトルコ人のモデルのドゥイーグだし、向かいは中東系の家族だし、前のマンションは真下にフランス人が住んでた)
家や生活のなかにいろんな国の文化が混濁している様がふつう。

けれどもここひと月というのは、
『芝居』というひとつの要素しかわたしの中に存在していなかったので、
そしてさらに多忙を極め、自分のことは後回しになってたので、

こないだジャズピアニストの池野さんのリサイタルに行って、たくさんの管楽器と生音に囲まれて、『ああ 戻ってきた』ってすこし思ったけど、
今日、夕焼けのオレンジに包まれながら、ひさしぶりに「ひとり」と「静寂」を満喫し、コーヒーを飲みながら、画面の中に転がる異国の街角、それもさして劇的ではない日々をながめていると、
なんか遠い旅からようやく自宅に戻ってきたような、そんな安堵感に包まれたわけなのです。

そして映画がすばらしかった。
ほんとに、なぜこうなんだろうと思うけど、芸術的に大がかりなすごい企画でも、商業的にすごくないと日本のプレスは全然宣伝しない。
正直映画を見て、その豪華さにオドロキました。
映画自体はほんとうにマニアックで、『ラブ・アクチュアリー』や『マグノリア』をもっと単館系にした感じ。コーヒー&シガレッツ的なマニアックさ。

アメリカ映画かと思いきや、ぜんぜんそうではなくて、NYを舞台に世界中の監督が10人集まりオムニバスを撮り、11人目がそれをブリッチするというスタイル。当然役者も世界中から集まっていて、まさにNYの混濁したイメージ(行ったことないのでイメージ)を構成している。

数年前に「TOKYO」という映画がそういう感じであったけど(北見さん出てた)TOKYOはわたしみたいなマニアから見てもマニアックすぎたのに対して、これはとても見やすいと思う。
Barで会って、ノリでセックスしてまった男女がまた会う約束をしてしまって、
それぞれが合流するまでの往き道で、
(今日はやらんとこ(女)/ いや、やってしまうかな(男)/ でも所詮先がない関係だし意味ないでしょそんなの(女)/ でもあのセックスはよかった…(男)/  そのそもあの日ってそんなに飲んだっけ…?(女)/ぜんぜん好みじゃなかったのに…(男))とかを考えているのがナレーションで入りつづける話や(写真下。その後どうなったかはは教えなーい)、

彼女に振られた男の子に薬屋のおやじが超美人の娘を紹介して一緒にプロムに行くことになるんだけど、迎えに行ってみたら車いすだったり(JUNOに出演してた友達役の女の子が出てた!)、、、
なんか、あーそういうことあるよねー、でもわざわざ映画にはなってなかったねーっていう身近な感じでよかったです。

ずっと舞台に没頭していたので、映画のもつリアリティとかも心地よかった。
こういう感じのオムニバス舞台つくりたいな。自然な感じの。

個人的にはハリウッド色のない、いち役者としてのオーランドブルームがすごくよかったこと、ナタリーポートマンが可愛かったこと、(出演者豪華すぎじゃね!?)
日本からは岩井俊二監督が参加しているのだけど、
冒頭でこれだ!とわかったこと、それが岩井さんを溺愛しているからなのか、自分が日本人だからかはわからないこと、その作品でずっと声のみの出演で最後に一瞬だけ登場する女優が、世界中でもっとももっともあたしが愛している、
クリスティーナリッチであったこととそれを知ったときの衝撃!!!
つまり、溺愛岩井 × 溺愛クリスティーナリッチ×いち役者オーランドブルームって(写真下)、 
ジョニーデップ×クリスティーナくらいの衝撃があるので、心の準備欲しかったこと、などが特筆すべき感想としてあげられるかな。

映画好きなんで、ここまで前情報もなく見始めたしたDVDはひさしぶりでした。
いろんなことが知りたすぎて、途中で検索したよね…やっぱ現代人なんだな、嫌になるわ(笑

ともかくN.Y i love you おすすめです!アメリカ映画ではなく世界映画です!
すごい企画です。「そしてひと粒のひかり」の監督が撮ったのどれかまだ確認してないけど、ナタリーポートマンが出てたやつではないかな。

が、日本ってやっぱり娯楽としての映画しかウケないのだと再認識しました。
宣伝全然してなかったもん。
マドンナが初監督をした「Wonderlust」もそうとうイイ映画ですが、これも人に言うと「え?マドンナって映画撮ったの!?いつ!?」ってなります。
もったいない!

そして最後に。
旅から帰ってきてほっとした気分と書きましたが、
その旅(ねじ~~)は、とってもすばらしいものでした。
もちろんまた旅に出たいです。
その旅のことはおいおい大切に振りかえるとするとして、
まずはお茶漬けを食べたかったんだ、という意味に、解釈していただけたら。
このN. Y i love youな件。

つーか、我が友人たえこって、土屋アンナに似てるからあんなってニックネームだったけどクリスティーナリッチにも似てるね。

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