文化・芸術

2015年2月 5日 (木)

今を映す鏡

「日本人は2つの分かれ道に立ったとき、いつも平和に進む方の道を選んできた」

writters exchangeの作家のマリアムが、昨日の新聞のコラムで、
日本のことを、そしてわたしのことを書いてくれました。

わたしのことというよりは、たまたまマリアムがわたしが話しているときに、
日本人に脈々と流れる国民性を感じてその名前が出たというだけで、
わたしたち皆のこと、と言ってよいと思います。

全文がアラビア語なので、わたしたちは昨日アブダビのガイドのモハメッドさんに英訳してもらい、その後、本人とお茶をしながらそのことなどを話しました。

その全文をマリアムに英語で翻訳してほしいとお願いしたのでまた近いうちにシェアできると思いますが、彼女と話して理解した彼女のコラムの内容はこうです。

『日本は、原爆を受けたり、震災にあったり、また原発のことがあったり、また先日の後藤さんのことなど、たくさんの歴史的な事態に直面してきた。
そういうときいつも道は、戦争に向かう道と、平和に向かう道と二つあって、
日本人は自分たちの過ちや大きな悲しい出来事などを、誰かのせいにせず自分の胸にたずねながら、平和に向かう道を選び、そこへ向かって来た。

マリアム曰く、そういった日本人のいいところが昨日のミーティングからも感じ取られた。
そういう日本人を前に、我々(モスラムたち)も、
今回の出来事を機に、彼の頭(ジャーナリズム)を自分の頭に、肩に載せ、
それを我々の今を映す鏡としなければならない』

ざっとこんな感じです。

わたしは、モスラムとイスラム国が違うってことを伝えたい。
マリアムは、もちろんそれは疑いようのない真実ではあるけれども、
彼女は、同時に自分たちと同じ宗教を信仰する人間が、
こういうことを起こしていることについて、自分たちも何かもっと向かいあうべきものがあるのではないか?と投げかけて文章をしめくくっています。

正しい英文はまた掲載しますので、言葉のはじっこをとらえずわたしの印象というフィルターを通した全体を、みなさんに感じてもらえたらと思っています。

互いが極端に互いのせいにしたり知らん顔をしたり、偏見でもって相手をみるのではなくて、こうして相手に向きあいながら自分自身を、そして自分の国をわたしも肩に載せて、今を映す鏡に向かいたいと思いました。

マリアムは3月日本に やってきます。

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2013年11月18日 (月)

「夢」

World cafeにてNYを振り返る、ということで、「楽園のカンヴァス」again。
もともとはこの、ルソーの「夢」をNYのMOMAに観に行こう!ということで企画した旅行でありました。
「夢」は、NYと物語の現(うつつ)の中で、「夢を見た」という幻に移ろう。そっくりのもう一枚が、あったか、なかったか。
ともあれわたしたちは、「夢」を、見たー。

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わたしったら、なぜヤドヴィガの真ん前に立ってしまったんだっ!༼☉ɷ⊙༽
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2013年11月 6日 (水)

中島桃果子のハローNY、ハローゴッホ

申し遅れましたが昨日からNYに来ています。
本日11月6日は我が敬愛するドレスコーズの新しいアルバムの発売日でしたが、
前日にNYに旅だったわたしは、まだそれを手にすることができていません。
そのかわり、なんの因果か、今日わたしはゴッホの絵を見てきました。
なので志磨くんあてに、届かないお手紙をかきました。

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志磨くんお元気ですか?

くしくも発売日前に、NYに旅立ったわたしは本日、
ゴッホの絵に出会ってきました。
それは偶然の出来事で、はからったわけではありませんでした。

おもえば八年ほどまえに、人影途絶えたオルセー美術館の、
ゴッホの絵の前で、
彼が重ねたたくさんの絵の具のその上に、
自分のひとさし指の指紋を、重なるようにそっとやはらかくかざしたそのときも、
涙が流れてとまらなかったけれど、
今日も志磨くん、
わたしはやっぱり涙がとまらなかった。

Vincent van Gogh、そのひとの絵は、
生前には予想だにしなかった立派な金色の枠にふちどられて、
Vincent van Gogh、そのひとの絵の、
その後ろ側にはずらり、ゴーギャンの絵が同じように並行して飾られていた。
ひとつの小さな部屋の片側にゴッホ、片側にゴーギャン、
気づかずにゴッホの絵だけをくいいるように眺めていたわたしは、
ふとふりかえってそれをみたとき、思わず息を飲んで、
思わず泣きだしてしまっていた。
かつて同じ部屋で寝起きしたふたりの画家の、
その運命は背中合わせにどんどん離れて、
片方はタヒチに移って、たくさん女の絵を描いた。
片方は自分の耳を切って、生前に売れたその絵、二枚を数えず。

Vincent van Gogh、そのひとの絵を、百数年の時を経て、向かいあわせにしたのは、
彼の絵を愛するもののはからいか、それとも皮肉か。
嗚呼、わたしにはわからない。わたしにはわからないよ。

ただひとついえること、

あなたの絵はこんなに眩しく逞しい金色にふちどられて、
わたしのからだは足も手も震えて、正気では見続けていられないほど。

Vincent van Gogh、ゴーギャンの絵には朗朗とした生活が見えるね。
たくさんの瑞々しい女たちに囲まれて、その躍動を描いている。

Vincent van Gogh、あなたの絵は、
景色や花瓶や、誰か知らない家族や、お金のかからないものばかり。
カンバスさえ、買えないあなたは、きっと、
描くものさえも選べなかった。
しなびた向日葵をふたつ、並べてそれをその色の弱い瞳でとらえ、
絵の具を重ねた。
誰もそれを見ていなかったし、
誰もあなたのモデルにはならなかった。

それなのにVincent van Gogh、わたしはこの広い美術館の、
何千という美術品の中で、ほんの数枚のあなたの絵の前を離れられず、
時を忘れてたちつくしてる。
この小さな部屋からでてゆくことができず、
あなたの重ねた絵の具のその盛り上がりを見ているだけで、
瞬きをわすれる。

Vincent van Gogh、苦しみを経て、
いつか運命をわかちた盟友と、向かい合わせに絵が並んでいることを、
あなたはどう思う?

わたしはそれを。
非常に奇妙な皮肉なできごとに思う。

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わたしは夜のカフェテラスという万年筆をずっと使っていた。
そしていまは、ひまわり、という万年筆が届くのをずっと待っている。

けれどそんな百年後の事実は、あなたの死を前にとても無力だ。
もしかしたら、ゴーギャンのものよりも立派かもしれないこの額縁の輝きも。

だからわたしも、

やっぱりゴッホじゃやなんだ。

Vincent van Gogh、
なぜならあなたを、
とても愛しているから。

愛しているからこそ、

やなんだ。

わたしの涙を見て、黒人の監視員が
アーユーOK?、とやさしくたずねた。

わたしは涙をぬぐわずに、
アイム ファイン、と笑ってこたえた。


2013.11.6@ NY  中島桃果子「イキテ・デシネ」

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2013年4月17日 (水)

ミュシャ

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今日は久しぶりにある方からお誘い頂きましてミュシャ行ってきましタ!*・゜゚・*:.。.
.。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
行くことは決めていたまま、グズグズしていたのでいい機会を貰いました!ずっと連絡とかとってなくてもこうして何かのはずみで趣味を通してまた会える縁というのはよいもんです。
(T ^ T)

ミュシャミュシャアールヌーボーフロムチェコ。チェコボンジュールベルエポックパリ。
アァ大正ロマンアールヌーボー、フロムミュシャ。

舞台美術を長く手がけていたミュシャ。錆びない宣伝美術だなぁと。同時に、女優サラ・ベルナールも気になったりして。

1番気に入った絵はポストカードになってなかった…
(´・_・`)ので、、、
四枚の絵で綴られた「芸術」シリーズを買いました。
音楽/詩/ダンス/あといっこは…なんだっけ?あ、絵画です!

というわけでミュシャミュシャアールヌーボー。このバタフライエフェクトはみだれ髪与謝野晶子の本の装画にまでエフェクトしていくベルエポック大正トウキョオ。
ミュシャと芋洗坂郷愁は時系列逆のローダァテイルランチアゴー。

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2012年11月 2日 (金)

つけ牙

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つけ牙をつくっている所…。

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↑エジプトにゃんこ♪

歯につけるとこうなります。笑。
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興味ある方はこちら。
http://fangophilia.com/

かなりニッチでマニアックなところを攻めているなあ、と個人的にいたく興味が湧きました。
指カバーを次回は是非つくりたいなと思っています。

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2012年2月15日 (水)

松井冬子と昨日のこと

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昨日、横浜みなと博物館でやれることが思ったより早く終わったので、その近く、横浜美術館のレストランで働いているジニアス時代の後輩の健太に会いにいって立ち話をすると、
「すぎさんならなんか感じ入るものがあるんでは」と、松井冬子展をすすめてくれた。
彼女がまだ三十代だということ、同年代の表現者であることがひっかかって行くことにする。(少し上ですけど)

「松井冬子めちゃ美人なんですよあとでネットで調べてください」

と言われて美術館に入った折も折、入り口に凄い美人が居て、ググってみると松井冬子本人の模様。
さっそく報告した健太からは「さすが!持ってますね〜」と言われながらも、作品より先に本人に遭遇してしまったのはわたしにとっては残念な事故。であった。
が、そのあと松井冬子展をまわっていて思いの外インスピレーションを受け感銘を受けていると本人がなんと入ってきた。偉いぽいひとを案内する日らしくて、 金魚のフンよろしくしばらくそこについてまわって松井冬子本人の説明なんぞに”ふむふむ”と耳を傾けたりした次第である。一瞬だけ当人とも接触(笑)

個人的には、没頭しすぎて次の一年なにも作品がつくれなくなったという東京芸大の卒業制作の「世界中の子と友達になれる」よりも二年後につくられた同じタイトルの別の絵のほうが格段に良く本質を射貫いていて(わたしにはそうみえた)とても興味深かった。
ああ、なんかそういうもんなんだよなあって共感した。
(なんか丁度時期も BABYBABYやったり初代JUNEを書いたりしてるころで、かぶっているんだよね)

右往左往して体力もセンスも限界までやって作ったもの、もちろんそのときのベストなんだけど、知らないうちに力がつくと、それを超えるものがいつのまにかひょひょっと作れてしまう。え〜あの苦労なんだったの!!って思うんだけど、きっとあの苦労があるからいまそれが出来るんだと思うんだよね。筋肉がついたからいつのまにか持ち上げたとき、軽かった、、、みたいに。

あとは下絵なんぞもみれたから、やっぱり何層にもわたって設計図というか、そういうものを作っているんだなって参考になりました。圧倒的に提示したいものがあるときはやっぱりMAPがいるよね。方位磁石というか。

個人的には臓物を描きじゃくっているのは別に猟奇的な感覚ではなくて、ひとのからだには見えないけどそれがあるのだから真実を描くという意味でそれを描くのだということに
「へー」とおもしろく思ったのと、あちこちに子宮が描かれていて、

「女(雌)だけが持ちうる特権としてそれを誇りに思い、最大の武器として提示することで最大の防衛をする」

といった説明があったのだけど、どうもわたしは子宮を持っていることや子を産めるということで保たれるアイデンティティや男(雄)に対する優越感はゼロの模様。
なのであまりピンとこなかった。

繁殖願望が極めて弱いわたしは、やはり生命力として、生きる欲みたいなものが欠けているのだなって思った。そういう意味では松井冬子さんはたくましい。

ともかくこの圧倒的純度にほれぼれするとともに、accoだってここまでいけるのではないかという期待と、この個展のこと角田ルミちゃんに教えてあげよう、という思いを抱いた。
個人的にはこのエッセンスを篠山雪乃(船パリ登場人物)に活かすことに決めた。まだ未定ですが。

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これがその卒業制作「世界中の子と友達になれる」

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わたしが本質を射貫いてると思ったほう「世界中の子と友達になれる」

※この見解はあくまであたしの個人的感想です。

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2010年10月 8日 (金)

シャガール後…


シャガール後、な、な、なんと傑(スグル)兄貴に学食ごちになりました!学食とか懐かし〜!!

建物好きだから建築の話は楽しいな♪

肝心のシャガールは、よかったけど、なにげに点数少なかったぜ!
あたいの1番好きな絵はスティルパリ、ポンピンドゥセンターっぽい。

しかしシャガールのデザインした舞台衣装、最高!アンサンブルでいいからあれ着て舞台に乗りたい。
串田さんの芝居と相性よさそう…。

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2010年9月13日 (月)

マン・レイ展

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実業之日本社の加古さんに頂いたチケットで行って参りました!新・国立美術館!
withあやめっくす(妹) わたしが船パリ(新作)の取材で行こうとしていたマン・レイ展が、
妹が行きたいと思っていた展覧会だったという奇遇。
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↑新・国立美術館イエーイ(めっくす)♪  ↑新国立美術館イエーイ♪(めっくす)
Img_3792 ←新・国立美術館イエ…(も)。

設計/黒川紀章。また来たくなる美術館でした。
すこし日本離れした建築に感じたなあ。

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なんか素敵な感じに光はいってます。
全写真にめっくす写ってマス(笑
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マン・レイ展。
NY、パリで活躍した写真家のマン・レイですが。
正直私は、あまりいいと思う写真がありませんでした。
肖像写真で知られるマン・レイですが、うん、なんていうか、

私「最初にひとり、有名人を撮って、そこから芋づる式に撮ってってなんか売れてしまったのかな」
妹「そんな感じしたね〜著名人のともだちがたくさんいたんだねー」

私が写真に素人すぎるならごめんなさいですが、
アニー・リーボビッツや、マーティン・パーのように、
「有名人を撮ったというより、この一枚のおかげで被写体はますます有名になった」
みたいな、ハッとする特別感はどの肖像写真にも感じませんでした。
この頃、写真というよりは人物にすごく価値があって、それを普通に映せれば、肖像写真は成り立ったのではないかなと感じました(素人意見ですが)

いま生きてて一線で仕事をしてる人にもそういう人いますが、その才能の圧倒的というよりは、周りの人に恵まれ、仕事があった人なのではないかなと思いました。
出口の方に「ハッ」とする写真が数枚ありましたが、それは、
篠山紀信がマン・レイの生家を撮ったものでした。
写真家とはそういう華のある写真を撮る人のことなのではないかなあとあたしは思います。

ただ、マン・レイのドロウイング(なんかスケッチみたいなやつ)
は本当に素晴らしくて、華があり、独特のオーラがあり、
わたしの中で、マン・レイはその瞬間から写真家ではなく絵描きという位置付けになったのですが、なんか、人生ってそういうことだよなあとか、思いました。

もちろん光やガラスや屈折やなんかを利用した現像へのあくなき探求心、や、色彩に対する研究心みたいなことはすばらしいなあと思います。
あと、彼の撮ったショートムービーはフランス的でとても魅力的でした。
本人が「フランスを母国としたアメリカ人」と言うのも納得です。スピリッツがフランスですもの。あと写真家としてはどうかわからないけど、美しい女優や著名人の中で、ひときわ魅力を放っていた写真は奥さんを撮ったものでした。そういうの好きです。

帰りに、マン・レイに影響されて姉妹で芸術写真を撮りました(笑

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(↑ By も)

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(By あやめっくす)

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2007年6月27日 (水)

「THE BEE」を観た日。

役者という職業は、ほんとうに忍耐の必要な仕事だと思います。でも細々とでも表現しつづけることがほんとに大切だなと思う。

テレビや映画に友人や知り合いが出てるのも楽しいものですが、大学時代の芝居バカたちが、ひょこっとのったバスの中吊り広告にクレジットされてたり、昔なら「観る」ことしかできなかった規模の劇場に出演してるのを見ると、感動はひとしおです。
しかし最近そんなことがけっこう多くて、あたしは嬉しい。

この日記は長いです。

昨日はオフでした。

野田MAPの「THE BEE」を観にいきました。
シアタートラムという劇場があたしは大好きです。
そこで野田MAPを観る。
最近技を覚えて、完売のチケットをオークションで、定価で落として、ちほと観にいきました。

つい最近水戸で、後輩が主演した芝居の相方の女優さんが、元宝塚のひとで、あたしが昔お世話になったひとだったという偶然を話しながら劇場に入ると、もぎりの子がひとつ下の後輩で、「えー!!何やってんのー?!」なんて騒いでると、
「麻衣子さんとまともさんも中にいますよ」という。

えーー!!
麻衣子はあたしが唯一才能を認める演出コースの同期で、在学中は仲が悪かった(笑)でも卒業してからは仲良くなった。今は串田さん(串田和美)の演出助手をやって長野にいる。
もうひとりのまともくんは、ほんとに素晴らしい役者で、わたしとちほは在学中ほとんどの公演を彼と出演した。彼も串田さんの舞台に出ていて長野や水戸が多く、もう2年くらい会ってなかった。

あたしの芝居にちほは欠かせず、麻衣子の芝居にまともは欠かせない。
このペアが、野田MAPの「THE BEE」という素晴らしい公演で、打ち合わせもせず同じ日に観にきたという偶然が、うちらの興奮度を高めてしまい、あたしたちは開演まえに振り切れてしまった(笑)あたしとちほも昨日思い立ってチケットを買い、二人は昨日水戸から帰ってきたばかりだという。

しかも「パンドラの鐘」という野田MAPの大作を、あたしはまともと観にいったのだ。
7年前。
公演の稽古中で、午前の稽古が終わってすぐ、午後の座学をさぼって行った。公演後、池袋のカフェでふたりレモネードを飲んだ。
今から思い返せばその公演には我らがAlwaysの栄順さんが出演していたのだから人生はおもしろい。


「THE BEE」は素晴らしい舞台だった。
最近野田MAPの本公演はいまひとつなモノが多いけれど、
こういう番外公演は、ほんとうに素晴らしい。

赤鬼、パンドラ、THE BEE、
野田MAPを観た日、あたしの歴史は動く。
ゆらゆら、ひらひら。
秋山菜津子さんという女優さんを初めてみたが、
生生しく生活感があって、素晴らしかった。
生っぽくて生活感があるということが、舞台でこんなにも強い感覚を見ているひとに与えるのだということを強烈に感じた。
これはある種の発見だった。

わたしも生っぽく生活感のあるタイプの役者(というよりむしろ人間)だが、あたしはそれを隠して、すましてしまい、空回りしてることが多かった。

原作は筒井康隆で、もう30年も前に書かれたものらしい。
昨日来てたらしいがきづかなかった。
ひとつ言えるのは、時代を創るひとは、時代を読むでもなく、
時代に乗るでもなく、多分人間ていうものをどっしりと見据えているんだろう。人間はそう変わらないといういことを感じた。

舞台美術は言うまでもなく本当に素晴らしかった。
基本、紙一枚だけ。小道具は多いが。
それが矢継ぎ早に色んなものに変化していく。
今回珍しく映像も使っていたがそれもものすごく斬新だった。
斬新でシンプル。

みんなにも観にいってほしいがあいにく完売している。
前日に電話すれば当日券買えます。

わたしは妹と、ロンドン公演にも行くつもり。
同じ芝居を最初にロンドンでやったのだ。それが輸入されて、
今の日本バージョンが終わったらロンドンバージョンに切り替わる。ロンドンでじゃないよ!
生生しい女役を今度は野田がやる。
全編英語バージョン。
美術もまったく違うらしい。
ここはお金使っとくとこやなと思っている。


終演後4人でお茶をした。
串田和美監修のもと、来月松本で麻衣子が演出をてがける。
こんなに嬉しいことはない。もちろん、ちほと駆けつけます。
泊り込みで。
わたしのように好きなことばかりかいつまんで蛇行してるタイプと麻衣子は逆で、彼女は自分の作品を生むことをぐっと我慢して、串田さんの助手に徹してきた。もう何年も。
コツコツやってる人の上には大きな花がさくのだなと思って嬉しくなった。

役者をやるという作業は、まわりが思ってるよりずっと地道な作業のくりかえしで、「俺はそんなことない」と思ってても、そういう奴ほどすぐには絶対売れないし、結局は見えない愛情の積み重ね。演じることにたいする飽くなき愛情の積み重ね。

それでも長い道の道すがら、たまに偶然友に会って、元気を貰いあったり、たまに大事な奴にやっと陽が当たって嬉しくなったり、ああ、あいつとまた一緒に演りたいなと思ったり、そうやって登っていく。だからあたしは役者って仕事は、絶対に他人や人間に関心があって愛情がないとできないと思ってる。


舞台も映画も個人主義ではむりだと思う。
完成させることはできても、なにかを生むことはできない。


「THE BEE」は国境を越えて、
言葉をこえて、何かを生み出している、
それは、感動とか、そういう類のものではないけど。

Bee Maiko
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