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2020年1月22日 (水)

世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ[前半]

どうも、モカコです。お久しぶり。
このブログは昨年4月に退院してから全然更新してなくって、
久しぶりに書いたらまた入院しているのでなんかブログ上ずっと入院してるみたいだけど、
実のところわたしは6月から「イーディ-Innocence Define-」という芸術酒場を始めて、
9月にはそこの経営者になり、お店がありがたいことに数ヶ月に軌道に乗りまして、
12月からは自分の個展や、人生初の引き語りライヴなんかもして、わりとてんこ盛りの下半期だったのだよ。

「世界の救済」に向かってかなり巻きで針を進めた2019でした、まだ回り込んで食い止められていない。

今朝、大切なことをみんなに伝えようと思って、大変丁寧にこの記事を書いていたら、
先生が問診にいらして、そのあとPCに目を移したら、かみかくしのように全部消えていた。涙。

なのでもう、感覚的に、必要なことをぽん、ぽん、と書いていこうと思う、ルーディエスタ/アンチクライスタ、世界の終わりとその救済。

 

そうそうわたしは現在「燦々金色(仮)」という新作を執筆中です。

「誤解」と「赦し」「憎しみ」と「憎しむ苦しみ」についての物語です。
なのでわたしは毎日この4つのことについて考えている。

 

Img_2833

↑ルーディエスタ/アンチクライスタ

 

じぶんが生きているこの人生において「似てる」と思う人がたまにいて、この「似てる」というのはどこを切り取るのか、
それによっても「誤解」が生じてしまう難しい言葉なのだけど、まずは本人の中に湧き上がる奥底からのシンパシーのようなものとして定義した場合、わたしがこれまで生きてきて「なんだかとても自分と似ている!」と思った人は最初が「江國香織」そしてこの「志磨遼平」という人である。

江國香織、という作家に関しては「なんでこんなに世界にはじぶんみたいな人がいるんだろう」とつくづく不思議に思っていた。それは江國さんが女性にとって共感性の高い作品を書くと言うのとはもう全然違う話で、いわゆる”ものの捉え方”というのかな、世界の見かた、のようなものがとくに丸ごと似ていて、仮に文学的な言い方をすれば、いつも心の中に無垢な少女を住まわせて、その子を通して世界を見ている、みたいなところ。

ともあれ、

わたしは、この、じぶんと似ているこの人ならば、もしかしてわたしが「これはちょっといいと思うんだけど」って感じに書いてみた小説を、理解してくれるのではないか、彼女はわかってくれるのではないか、わたしの言いたいこと。そう思って、江國さんが審査員を一人でつとめるという新潮社の賞にわたしは応募し、結果は皆さんもご存知のとおり、ここに中島桃果子が誕生したわけであるが、そのパーティでわたしは江國さんにこう言われたのだ。

「わたしとモカコちゃんはねえ、似ているのよ。うん。とても似ているの」

だからどうって話ではないんだけど、
これは幼い頃から時折、星の様に降ってくる、わたしの中の得体のしれぬ”予感”や”感覚”が、時間をかけて証明されることを教えてくれた。

次にわたしが熱狂的に「志磨さん志磨さん」言ってる、ドレスコーズの志磨遼平さんに関してだけど、

これは相手が異性なので「似ている」という言葉は謹んでいた。
なぜなら「似ている」という言葉は盲目的な恋の始まりに、だいたい使われる言葉であって、笑、

「まさかあんた志磨さんと自分がどうにかなれるとか思ってへんやろな!」という周りのおかしな声などに晒されるのも嫌やし(笑)

なのでとりあえず「世界観が好き」「大ファン」というところにとどめておいたのだけど、実は志磨さんは、わたしが「このひとわたしと似てんなあ!」と思った人生で2人目の人間であった。先にも言った様に「似ている」というのは大変語弊を招く言葉であって、仮にわざとそう言う言い方をしたら「階層型執筆者」と言う意味でわたしは村上春樹に似ているし、笑、グラムロックが根底にあるという意味ではレディガガにだって似てる。笑。同時に今同じ部屋で入院している、はす向こうの素敵おばあちゃんにちょっと似ているし、今わたしに代わって毎晩お店を開けてくれている天才デザイナー”ワタセミ”とは、ものの捌き方や処理の仕方が大変似ているように思う。

こういうわけなので「似ている」という言葉は本当に使い勝手の難しい”誤解み”の強い言葉なのだけど、
あくまでわたしの主観だけどね、という前置きをするとわたしと志磨さんの、根幹にあるモチーフが、わたしには大変似て感じた。

「毛皮のマリーズ」というバンドを知ったのは2010年で、

そのバンド名は、演劇学科卒で、あの熱狂の1960年代演劇ブームになぜ生まれなかったのか、と悔いている自分には当然「毛皮のマリー」を彷彿させるバンド名であり、そこへあのサウンドと世界観を持ってこられたあかつきには、

もともとグラムロックと吉井和哉と忌野清志郎を溺愛していた自分としてはハマるより他なし、と言う感じなんだけど、

ただそれだけではなくって、こう、時代をね、表現者として生きてゆく流れ、みたいなもの、そしてそれに対して変化してゆくその過程、も、
わたしは「似ている」と思ったのだ。最初にそう思ったのは「清志郎が亡くなったことが一つの起点になった」というインタビュー記事を読んだときだった。2009年わたしはすでにデビューしていてその年はデビューした年だったので結構連載を抱えていたのだけど、5月に清志郎が亡くなって、6月にはマイケルが亡くなって、本当に世界から色彩と音楽が消えた。一度も会ったことのもないミュージシャンが亡くなることで、こんなにも日々が辛くなるのだというくらい、それはもう予想を超えて辛い毎日で、まじでクソな1年だった。同時に大きな失恋もして、なのに仕事がすごいあってわたしはいわゆる新人にしては売れており、書きかた、とかもよくわからぬまま小説を書き続け、白黒世界の中で執筆をし、執筆の合間に90年代のイギリス音楽ーーパルプとかーーを聴いては「ノルウェイの森」をくり返し読んだ。

あの2009年の夏、フジロックでは清志郎の音楽があちこちで流れるのに本人はいなくて、それから大好きだったCharaと浅野が、その直後に別れた。もう、信じていたものが全部崩壊していく2009年、あの1年を踏まえてこの「ティンパンアレイ」はわたしのところへやってきたのだ。そう思うとその音楽のどのベース音にもその下に、わたしは清志郎の不在に対峙する悲しみ、を感じるのであってーーあの記事を読んだら最後、その悲しみは自分のものか志磨さんのものかすらもわからぬーーあのアルバムはわたしにとって2009年の葬いであり、新たな朝の幕開きだった、おはよう世界、おはよう東京。2010年の年の暮れ、沈む夕日を眺めながら「欲望」を聴き、わたしは世界の美しさに涙した。わたしの長編大作「船パリ」も、間も無く船出を迎えるところだった。

けれども容赦無く3.11がやってきたのである、2011年3月11日。

奇しくも関東大震災の日から始まる「船パリ」は、
歴史、ではなく、今、勃発した未曾有の大震災の渦の中で、一時的にその輪郭さえも失った。
執筆が決まっていた実業之日本社の文芸誌「紡」に寄せた「月子とイグアナ山椒魚」はその混乱の中から立ち上がってた短編で、
ゆくゆくは船パリの一部となるはずである。

先日読んだ志磨さんの連載「本と音」にも2011年以降、音楽は変わらざるをえなかったと書いてあったけれど小説も然りで、
しかし小説の場合は連載しているお話はその「世界観」の進行があるのであり、そこに一気にそれを注入すると映画の「ヒミズ」みたいなことになってしまうのであり(あれはあれでよかったと思うしその後の「希望の国」がとてもよかった)、
わたしとしてはそれは2012年に「誰June」を世に放ってから考える、となった。

そして「誰June」はあまり世間に、届かなかった。
(熱狂的ファンかつ我が店のバリスタ、池田栞を獲得したのでこれに関してはもう解決済)

 

そしてわたしは運命のアラビヤに行くのである。

 

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<世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ>[後編]に続く。

 

 

 

 

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