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2020年1月22日 (水)

世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ【終編】

むくり。ワタセミの口調を真似しながら起き上がる、就寝を中止。
22じ35分。普段のわたしなら朝みたいな時間であるがここは病院、
21じに消灯をむかえた病棟は静まり返ってまずまず深夜2時頃の雰囲気。

今日は1日だるく微熱もあって、基本的にはこの記事、
「世界の救済、ルーディエスタ/ アンチクライスタ」に終始した1日だった。

なぜこの記事を書くのにそんなにもエネルギーがいるかというとそれは「誤解」を恐れず、わたしの正しさを貫く、その強さを養うためのこれが旅であるから。そしてそれには勇気が必要なので。
これが書きぬけぬなら「燦々金色」など書きぬけぬ、書きぬけぬよ、中島桃果子。

 

(疑いを、払い抜け)


繰り返し頭に浮かぶその言葉に自身で問う。疑い? 何に対する?
じぶんの書くものを、疑ってる? いいえ違う、わたしの筆はいつもたしか。

これまでだってわたしは自分の筆を信じてきたし、船パリをのぞいては基本的に全ての作品を、
ちゃんと書き抜いてきた。

燦々金色はどう?

燦々金色はいいよ、すごくいい。おそらく蝶番を超え、中島桃果子の当面の代表作になるだろう。

じゃあなに。何を恐れている?

わたしは何を恐れ、何を疑っている?

ここまで問いかけたときにわかった。

ーーそれがどこまで、伝導するのか。

それはまだわたしの体験したことのない未知なる世界。

 

2012年にわたしの「June 」を世に放ったとき、わたしはこれは世界に届くと確信していた。
でも響かなかった、思ったより。
作品は完璧で美しく、神秘もパワーも、秘めていたのに。
でも届かなかった。

あの時の「なぜ?」が今わたしにのしかかっている。

つまりわたしの、作品に対する確信は揺らがないとして。

もしその確信と、世界の間に、溝があったら。

すばらしいと思っているのがわたしだけだったら。

「燦々金色」も、わたしも、引いてはこの記事すらも、
妄想的な狂人によって綴られた、大いなる嘘になってしまう。

圧倒的な伝導が、必要なのである。
何刷も重ねるような、伝導が。

むくり。

恐怖と対峙し起き上がる。

ならばもう、それを超えていくしかない。
ならばもう、それをやるしかない。

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ここ数日、言葉は頭に流星のごとく降り注いでいて「燦々金色」は日に日にその輪郭を強くし、わたしの頭の中で徐々に仕上がりつつある。書き留めねば流れてゆくので、発熱していても書き続ける。
「なんか(執筆の)神様が降りてくるんだって?」
担当の先生がわたしに訊いた。パソコンを抱えて談話室にパタパタと走っていこうとするわたしを捕まえて朝「どうしたの、ずいぶん急いでいるね」と訊いた先生は、その様子などから看護師さんにわたしの状態などを訊いて、その報告のカケラーー看護師さんとわたしの対話も含むーーを先生が繋げた結果「どうも執筆の神様が降りてくるみたいだ」という話になったのだろう。ここの先生と看護師さんは細やかに連携している。
誤解を恐れるわたしは、なんかわたし作家風かな、そう見せかけてるみたいかしらと思う。
(わたし、なんか、、、”天才ぶって”、映っているかしら)
しかしわたしは実のところはそれを演出しているわけでないし、そもそもこの感覚じたい久しぶり、なぜそれが発熱して今日は1日寝ていましょうねという日に起こるのか、それも嫌だし、なんか売れてもないのに売れてる風でいや。

でもそう言う全ての目線を、全ての「誤解」を、今は払おうとせず前に進まなくてはいけない。ハイ。

 

ああくるしい。

 

苦しいよ。

愛していた人に、憎まれているということは。

 

嫌われて、疎まれて、拒絶されている。

 

そういう環境で何かを書いたり、何かを生み出すのは、途方もない勇気がいるよ。

 

だってそうじゃないか、普通、世界中の誰もに嫌われたって「君が僕を知ってる〜♫」ってやつで、人は世界に対峙するパワーをもらうんでないの。
♩何から何まで 君がわかっていてくれる 離ればなれになんかなれないさ〜

じゃあその真逆の場合はどうなるの。

 

わたしの言動ややっていること、歌ったり店やったり小芝居仕立てのジャズライヴやったりして、全然小説を書いてこなかったこと、全部深い意図があってやっていたけど、2012年から時が経つたびに単純に人は、わたしが作家としては仕事がないのだとみなすようになっていたり、
お店を始めたのも作家として売れていないからなんだろうと思われたり、

例えば歌ったり、自分のお店で女主人然ーまるでスターのようにーふるまってそれを発信していることを、
ただただ「承認欲求が強い」とみなしている人もいる。
別にうまくもないピアノを弾いて歌うことを「痛い」とみなす人もいる。

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それら全て「誤解」だけど、気にしないことにしてきたし気にならなかった。

だってそう思う人は人生に「中島桃果子」が必要ではない人だもの。

でもね、わたしはそうではない人のために存在してるから。

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わたし自身がカッコよくスタイリッシュであることを優先したらわたしは志磨さんの楽曲など、ぜったいに!!!歌わない。
彼の音楽がどれだけアカデミックで、音楽的造詣に富んだものか、ファンのわたしは当然知っている。キネマ倶楽部のライヴをご覧になりましたか!? あの「しんせい」と「Lolita」のアレンジはもう神でしょ。音楽がさ、ふるえてるのよ、楽器たちと一緒にさ。もうバンド編成もメンバーも素晴らしくてさ。
椎名林檎か志磨遼平か。

あれは音楽家ですよ音楽家。

ええと。話がそれたけど。つまりさ、自分を良く見せたかったら笹川美和さんの歌など歌わない。わたしは養源寺であのお方の歌を、本堂の中で厳かに聴いたのだもの。本当に目の前で。自己承認が勝ったら恥ずかしくてそんなことできないよ。アデル!!!歌いますか? いちばんに避けるよねあのお方の歌を歌うなどということはさ。

でも必要だと思ったから行った。
筆以外の手法で、救済を。

音楽は伝導が早いからね。あと「感じる」ことができるから。
2019年、燦々金色は、ちょっとまだ間に合わなかった。それを放出できるわたしに、仕上がってなかったのね。

2019年12月24日と25日。クリスマス。

実際あの日、イーディという宇宙船は慎ましくも煌々と発光してまさにイエスキリストの生誕の日、クリスマスイヴがイベントではなく儀式の日だと、まざまざと感じることができたあの温かい夜に、気づけばみんな、あの場所に集った人は泣いていたんだよ。

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youtubeを見て、笑いたい人は笑えばいいと思う。

きっとだって、わからないから。大真面目に「世界の救済」だなんて。

察しわかり合うなんて日本のいい文化か知らないけれどそれですれ違いだって増えている。
伝えなければわからないことがたくさんある。

「誤解」と「赦し」と「憎しみ」と、憎む苦しみ。

それらもうすこし互いにちゃんと伝えられていたら何か変わっていたんじゃないかって、
「金色夜叉」を見つめ直してそう思うから。

だからわたしは、いつでもちゃんと、伝えたいって思うんだけど、
今だってこれを読んでくれているあなたに丁寧に伝えたいって思うんだけど、
それでも家族だって最初は「え?お店?あなた小説家じゃなかった?」ってびっくりしてくらいなのだから、

家族以外の友人や仲間以外の他人が、わたしというこの”誤解されモンスター”を、理解できなくともそれは仕方ない。

 

でもよ、だからこそ思うじゃんか。せめて例えばあなたにはわかってほしい。

せめてあなたには、伝わってほしい。わたしのこと。本当のわたしのこと。

わたしが何を思ってあのお店で女帝然としているのか、

わたしが何を思って、あのひ、イーディの2Fで「わたしを映す水面」を歌ったのか。

わたしはなぜあんな髪型をしているのか、

わたしはなぜ「25歳の中島桃果子展」をやったのか。

わたしは親しい人対してだけはにはそう思うの。そばにいる人にはわかってほしい。
だからこのあなたは「妹」だったり「ワタセミ」だったり、
唯一無二のファンの栞ちゃんだったり、りさこだったり、わたるくんだったり、する。

 

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[↑素晴らしき巨匠たち/左から山澤伸天才、横山こうじ巨匠、そしてmacmaroon編プロ先生]
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[左/photograph by 横山こうじ,右/photograph by 山澤伸]


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[↑わたしに生身の志磨さんと対面するきっかけをくれた、妹でエッセイストの丘田ミイ子]


でももうとにかく、

目覚めた時に、わたし以外の誰かが、志磨くんの曲を流しながら料理をしている、そんな朝は、もう来ないから。


だとしたらわたしに残るものは志磨くんの音楽と文学しかない。


わたしよ、書きぬけ、エイミーワインハウスのように。
今ここを書き抜けば、Tears Dry On Their Ownが生まれるよ。
美しかったでしょ、あのシーンはさ。

そう思って自分を奮い立たせたけれど、わたしも映画のエイミーのように苦しみ悶えて、泣き咽いで、死ぬかと思った。
約束があるからね。それを守らないとね。描写しない、という約束。

 

宮はさ、覚えがあると思うの。
貫一に憎まれる、覚え。そして、手紙を出すのがね、遅すぎたと思うの。
遅すぎた、宮の手紙、そしてその内容。

でもねわたしには身に覚えがない。
わたしは宮とは違う。

なのにこんなに憎まれている。

もはやその身に覚えのなさすら「そういうところだよ」とさらに憎まれる理由なきがしてしまうよ。

 

このままでは全く、Tears dry on their ownしないので、そしてこのまま死んでしまいそうになったので、
USBを繋いでDVDを再生。

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↑ルーディエスタ/アンチクライスタ

表現者としての使命を、思い出せ。

注入。

シャキ。不死鳥のごとく蘇った。

モカコよ、まずこの記事を書き抜け。

まずこの記事に、タイトルをつけるところから、始めよう。


これ以上愛しているものに嫌われることが怖いわたしは、
記事のタイトルに「ルーディエスタ/アンチクライスタ」という言葉をを使うのが怖いのだけれど。

その言葉で世間の気をひき自分の記事を読ませようとしていると思われて志磨くんに嫌われたらどうしよう。

わかるか世界、こういうことなんですよ、人に思い切り、疎まれるということは。
「僕を知ってたはずの」「わかってくれるぅ」はずの君を失うっていうことは。
その喪失は、もはや自身の喪失も兼ねて、

憎まれたわたしは自分で自分のことを信じるのがすこし困難になるし、
大しけに見える世界という海原は、わたしの足をすくませる。

そしてわたしの中に「たしかにあったはずの」正しさの方位磁針の針を揺らがす。

 

あのときあんなに燦然としていた感覚が、嘘か真実かわからなくなり、
わたしは、自分がまともか狂っているのか、わからなくなる。

すると世界が、大変見えづらく、ぼやけてみえてくる。確信、や予感、も薄れていく。


そういうときはね、もう、筆しかないの。

わたしの中の、たしかな、ゆるぎない、光。
わたしの中の小さな女の子。

おそらく誕生と同時に授かって、きっと死ぬ時までそばにある。
それはきっとわたしには、文学しかないのであるから。


それを生業にするわたしがさ、この記事にさ、いちばんふさわしいタイトルをつけたらさ、

もうそれしかないんだよ。もろびとほろびて、パラダイム。世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ

 

この感覚を曲げたら「燦々金色」も曲がるんだよ、わたしはこの沼から出れない。
肺炎が治るより前に魂がゆがんで、朽ち果てて、死ぬ。

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[Exihibition live「わたしを映す水面」初日の朝。photograph by Daichi Gunji]

 

今朝、起きて、わたしはまず表題に「世界の救済」と打ち込んだ、そして、ルーディエスタ/アンチクライスタ。

嫌われること、を、恐れるきもちを、もうここに、置いてゆこう。

嫌われていることに「なぜ」ととう気持ちも、そのことによって書けなくなるわたしも、

もう、ここに、置いてゆこう。

結局のところ、わたしは「世界の救済」には抗えず、生きている限り、筆を置くことはできないのだから。

だから今ここで、決別。

さよなら。

さよなら、わたしの、愛しいものたち。

わたしは 前に 進む。

この瞬間にすら あなたを 傷つけて。

でももう ふりかえらない

 



[前編]、を書き終わって点滴をつないだわたしの頭の中にあの歌が突然降ってきた。

♩ズズ チャチャチャン、ズズ チャチャチャン(ギターの音)

さあ..はじまりの...朝だ ahh...ふりむかーずに..

この歌はリリースされる前にとある事情でサイン入りのCDをいただきリリース前から聴いているけれど。
まるで今初めて聴いた曲のように、この歌の歌詞が今日わたしの中にはっきりと形をなし、そのはな向けにわたしは泣いた。
なんども聴いた歌、なんども見た歌詞。だけど何も受け取れてなかった。この歌の意味。淡い桃色のこの歌に籠められた強い強いメッセージ。
ああこの感じは、まさしく2009年のノルウェイの森。きっとこういうことなんだろう「誤解」というものの正体も。それは誰にもイニシアティヴがなくって、それら全てを「時」が所有している。刺し違っているときはその「正しさ」すら猟奇的な刃物。あゝ、偉大なるかなアカシック。


それでもわたしはあがきたい。あがいて今日のように、聴き慣れた歌に、新しくしびれたいよ。

7年ごしにわたしに届いた新たなエピファニーは、志磨さんの歌声を通じてわたしに語りかける。もしかしたらこの歌を作った時、同じようなエピファニーの中、彼も立ち上がったのかもしれないね。


♩誓って言おう

正しさ ah 誰一人も 傷つけずには 守れ

と きみは泣くけれど

別れを知り ぼくら ah  大人になる
それでもよろこびは ロリータ 

まだ出会う前の 誰かへの祈り

今のわたしにこんなにぴったりの歌をわたしは他に知らない。

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[2012/12.07 ]

Lolita/ 志磨遼平[作詞作曲]

♩ズズ チャチャチャン、ズズ チャチャチャン(ギターの音)

(さぁ、始まりの朝だ)
ah 振り向かずに、そのままで聞け いいかいロリータ
すべては今 きみの目の前さ

戯れの日々も ah 淡い恋も
美しい思い出はロリータ
この旅路の きみの傘となる

ロリータ 歌うは 今 
燃えるほほに 夜明けの風
ohh ahh ロリータ 歌え さあ 今
光は見たか? 振り向くな ロリータ

誓って言おう
「正しさは ah 誰一人も傷つけずには 守れない」
と きみは泣くけれど

別れを知り ぼくら ah  大人になる
それでもよろこびは ロリータ
まだ出会う前の誰かへの 祈り

ロリータ 歌うは 今
すでに きみは正しいのだ
ohh ahh ロリータ 歌え さあ今!
怒りはあるか? それでいいロリータ

ロリータ 歌え さあ今
そうだ これが生まれた意味だ
ohh ahh ロリータ 歌え さあ今
すすめ きみは美しい ロリータ...

 

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表現者には”いかり”を”ひかり”に、変える使命がある。
”い”を”ひ”に変え世界を塗り替える。

そう思ってわたしはいま「燦々金色」を書いている。
夜叉が光でつつまれて、彼らが救済されるように。
けれどそれは簡単なことじゃない。

”い”はわたしを焼き尽くす。

その火に焼かれ、爛れながら、それでもその火のなかから、わたしは手を伸ばし、その先に”ひ”をおく。
それこそか閣下が言った、我々の使命なのであるから。

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この記事の表題に「ルージエスタ/アンチクライスタ」という志磨さんの渾身のひと言を引用したこと。
それでわたし、志磨さんに憎まれるだろうか。冒涜として。
ううん、きっと彼は憎まない。
そう信じる。
モカコ、その傷は、志磨さんがつけた傷じゃないよ。
傷のありかを、ちゃんと見つめて。
同じ傷はなぞらないし、きっと彼は、そんな段階にいない。

彼はもっと、上に、いる。

そしてもし仮に、憎まれたとしても。

わたしは書き進んでゆく。書き抜いてゆく。

わたしの前には文学しかなく、後ろにはもう「死」しかないのであるから。


2020年1月23日0:05分、今後のわたしの人生のためにこれを記しておこう。

 

ほとばしる言葉の数。伝説か、只者か。
そうこれは一つの試金石。

わたしがわたしを試すための。

 

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<世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ >(終)

皆さんへ。一つの短編として、なかなか面白いものが書けたのではないかと思っています。しばらくこれを読み返したりして待っていてください。
次はいよいよ、新刊「燦々金色」で会いましょう✨

 

 

 

 

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