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2020年1月22日 (水)

世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ[後編]

中島桃果子は2009年に「蝶番」にて新潮社よりデビュー、
2012年に刊行された「誰かJuneを知らないか」まで、立て続けに本を刊行、
しかし2013年と2014年に官能ライトノベルを2冊出版し、
以来単行本を出していない。

 

2011~2014年、ちょうどそのころ、執筆に執筆を重ねていた私小説作家のわたしに、度重なる「モデル問題」も勃発した。
この問題は、実のところ、小説が売れる売れない問題よりも、わたしを悩ませた。

 

”わたしの中の正しさは、いつも誰かを傷つける”


なのにそうしてまで筆を握り続けるのか問題である。

 

それで2年間やることにしてみた空想ライトノベル官能の小説は、確かに誰をも傷つけなかったかもしれないけれど、
同時に誰かを根幹から救えたかというと、それも疑問の仕事であった。

 

そうこうしている間に幻冬舎から「アラビヤに行きませんか」という話がきて、わたしはそれに飛び乗った。
実は審査があったのだが、それをつゆと知らず「わたしが行くのだ」と思い込んでいるものの引き寄せの強さよ、
かくして2015年1月、モカコアラビヤに降り立つ。

 

それ、が起きたのは、シャルジャという古い街の「イスラム博物館」の天文学の部屋でのことだった。

 

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何が起きたのかはよく分からない。今でも。

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わたしはこの場所で、何らかのエピファニー(啓示)を雷のように浴び、その瞬間に、わたしの中のパラダイムが、根幹から崩壊、再び”そこ”に戻ってきたときわたしは、もう以前までのわたしではなかったのである。
わたしは根幹から変わってしまった。

パラダイムとは、(科学上の問題などについて)ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み。

それからしばらくたってーーこれは月イチ「がんこエッセイ」2019年8月号”メメントモリ”にも書いたのけどーー
アラビヤでの最後のランチ会のようなものがあり、そこで、わたしを大変気に入り可愛がってくださったジャマール閣下がおっしゃったこの言葉が、さらにわたしの確変を確かなものにした。

「世界の終わりはすぐそこまできている。そして僕たち筆を持つものができること。それは世界の終焉を食い止める、それだけではない。世界が滅んだらそこで終わりではない。たとえ世界が滅びようとも、僕たちはその最後の日までその手でこの世界にプラントする。プラントし続ける。それこそが僕たちの使命であり、僕はそのために君たちをここへ呼んだ」

 

一緒に行った作家の男の子は、一国の官僚クラスの人がこのような都市伝説のようなことを言うのでちょっと引いたと言っていたけれど、
この言葉はわたしの”ニューパラダイム”をより揺るぎないものにした。

 

以来のわたしには「世界の救済」が最も最優先の案件となった。

これまでの、なんか売れたらいいな、とか、芥川賞とか、直木賞とか欲しいな、みたいな、
そういう「己」にまつわる野望や野心が、皆無になってしまった。

同時に、身近なモチーフを書き続けてきた私小説作家が一体何をこの先書けば、それが世界の救済になるのか、
そこいらも大変混乱するところでもあったので(突然SFでも書く!?)、

 

熟考の結果たどり着いたのは「とりあえず対峙する目の前の人をひとりひとり救済する」ということで、

2014年より親友のジャズシンガーと定期的に行っていた、小芝居仕立てのジャズライヴ「Utatane」は2015年の5月の演目「キミとボク」以来、「人類の救済」が裏テーマとなり、2017年の7月をもって一旦休止するまで、わたしは膨大な量の戯曲を、書き続けたのである。

原宿の小さなジャズ喫茶、または神楽坂のワイン酒場の休日に合間をぬって行われたそれは、金髪夫人に扮するわたしと「実はクマ」というとんでもない設定を演じる親友の歌手との滑稽かつ地続きのやりとりがベースで、人には「学芸会風」に見えていて笑われていたのだけれど、
実は戯曲はどれも非常にソリッドで、参加してくれるミュージシャンたちは素晴らしく、ジャズライヴとしてのクオリティも非常に高かった。

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ねえクマ子、日々とは生きることで、生きるというこの日々、
つまり今が今でありながら、同時にかつてにたゆたい、
また次の瞬間には永遠のかなたにあるとも言えるとするなら、
ここにあるのはすべて”世界”で、同時にすべてが”永遠”ね。

永遠って、ずっと続く何かのようなものではなく、
ほんの一瞬の時間のねじれを、小さな洞穴に、
ぎゅっと押し込めたような、そういうものなのかもしれないわ。

          ー第二幕「世界と永遠」の予感より抜粋ー

 

2016年の9月と10月に月をまたいで再演されたこの「世界と永遠」などは、本当に素晴らしい戯曲であり演目であったとわたしは思う。
そして来てくださったお客様たちにはこれが「ただの学芸会」ではないことはもちろん伝わっていたし、来てくださったお客様の魂の救済、これはきっとできたと思う。でも同時にわたしは「これではまるで間に合わない」とも感じていた。
つまり、一回の演目で20人、多くとも30人くらいまでしか救済できない。
救済が目的であるからあまり高いチケット設定にはできないし、そういう流れでやっていくと、どれだけ頑張ってもこれは月に1かいくらいしかできないのである。これではどれだけいいものを書いても、それらが伝導するより先に世界が滅びてしまう。

 

そんなこんなでUtataneは2017年に一旦中止、そこから1年ほどわたしは中島桃果子とは違う名前で、救済をテーマにしたブログなどを書いたりしていたのだが、これもなんかスピリチュアルの方向に行くんではわたしがやりたい「地続きの未来を変えていく」ってことに繋がらないんだしと思いまる1年でこちらも一旦やめてみた。


そんな折に「イーディ-Innocence Define-」の話が舞い込んできてわたしはこれに乗船した。
この船は大変機能し、わたしがこのブログの[前編]で述べたように、2019年は随分と救済の針を進めることができたのである。

わたしは「イーディ-Innocence Define-」を一つの宇宙船と捉え、この箱舟に乗る人を全員幸せにしようと考えた。
最低限「幸せになりたい」という切符だけは持ってきてほしい、そしたらわたしがなんとかする。

 

同時に2019年は「救済にともなう痛み」で、身がちぎれた1年でもあった。

そしてやっぱり、わたしの中の正しさは、大切な誰かを、

特に最も大切な誰かを、傷つけずには、いられない。

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わたしの正しさは、
時に大切な人を発狂のふちまでおいやり、そして焼き尽くす。

加減ができないから。正しさの。

 

結果その人は、わたしを憎み、わたしを嫌う。

そして細胞からわたしを追い出す。もう二度と、こっちの方には、こないでほしいと。


<世界の救済、ルーディエスタ/アンチクライスタ> 終編に続く。

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