愛とあたしの中の綻びよ、煌きに。
原点回帰、but リニューアル。
ということでもっとも重要なことを、ここで発信するということをやってみよう。
先ほど思い立って、
ブログのタイトルを変えてみた。
ブログのタイトルを変えてみた。
これ簡単なことじゃなくって、
わたしの中で好きな語感のリズムがあって、わたしなりの耽美のリズムがあって、
誰にどう思われようがそれが好き、そのグルーヴの中にたゆたっているとすっごくなんかいい、みたいなのが昔からあって、
そういう響きを「Mocastagram」とか「モリヤマモカコ」とか「誰June」とか「KUMAMOKU TOKYO」とか「アラビヤ」とかって使っているのだけど、
わたしの中で好きな語感のリズムがあって、わたしなりの耽美のリズムがあって、
誰にどう思われようがそれが好き、そのグルーヴの中にたゆたっているとすっごくなんかいい、みたいなのが昔からあって、
そういう響きを「Mocastagram」とか「モリヤマモカコ」とか「誰June」とか「KUMAMOKU TOKYO」とか「アラビヤ」とかって使っているのだけど、
その中でも
「愛とあたしの中の綻びよ永遠に」
というのはすっごく美しい言葉だと思っていて、
その韻とか音の響きもとても好きで、
その韻とか音の響きもとても好きで、
いまでこそ「君の名は」でパブリックになったカタワレ時のイメージ、
うすい桃色なのか、淡い藍色なのかわからない色に染まった雪が、
わたしの屍(しかばね)から立ち昇っているのか、ひらりひらりと舞い降りているのか、
わからない曖昧さでそこにある、という現象が、わたしの中の絶対的美しさとして、
ずっとそこに在った。
うすい桃色なのか、淡い藍色なのかわからない色に染まった雪が、
わたしの屍(しかばね)から立ち昇っているのか、ひらりひらりと舞い降りているのか、
わからない曖昧さでそこにある、という現象が、わたしの中の絶対的美しさとして、
ずっとそこに在った。
あまりにもその言葉を愛していたので、
変更することも考えていなかった。
変更することも考えていなかった。
ただなんだろう、今年、いろんなことをひっくり返さないといけない気がしている。
わたしの人生、なんていう些細なものではなくって、それはもっと大きなものだと、
漠然と考えていて。
わたしの人生、なんていう些細なものではなくって、それはもっと大きなものだと、
漠然と考えていて。
物心ついたときから何かしなきゃいけないと思っていたその何かの、
幕が、本格的に上がる年なのかなという気がして。
幕が、本格的に上がる年なのかなという気がして。
正直、音とか韻は「綻びよ永遠に」が好きな響きなんだけど、
字面というかビジュアル的なものを、まず反転せねばならないのではないかと思ったわけで。
つまり2007年からわたしが「永遠に」と言い続けてきた、わたしの中の愛と綻びを、
「煌き」に反転する”ククリ”の2019年なのかなって。
なんかそう思ったわけなので。
なんかそう思ったわけなので。
モカティーナの「愛とわたしの中の綻びよ、煌きに」
言葉って「html」的なものだと思っている。
その配列や、順番や発音や形で、
その配列や、順番や発音や形で、
もしかしたら世界の周波数に影響をもたらせるんじゃないかって思うくらい。
そんなわたしは「サルベーション」の見過ぎでしょうか。笑。
ダリウス・タンズ、わたしはあなたの世界観が、好き。
そう、だから、
綻びよ、陽の光を受けて、煌け。
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