少しずつ、少しづつ
少しづつ、少しづつ。
のりしろを増やすような感じでね。
そんな風に自分に言い聞かせる。
先週の土曜に唐突にダウンしてから、
「もっと頑張らなきゃ、もっと、もっと」
と思う気持ちを捨てて、
Slowに、Slowにと、言い聞かせる。
わたしや親友や、同居人のヨーコや、わたしたちにはのりしろがない。
お金を稼ぐために勤勉に働くこと。
本来それをきちんとやっていれば、後ろめたい気持ちや、
後ろ髪を引かれる事なく、おいしくビールを飲んだり、
仕事じゃない時間にだらだらしたりもできる。
でもわたしたちにはそれら大前提として当たり前で、
ようやくできた空白に自分たちの表現、書いたり、歌ったり、芝居をしたり、
を盛り込んで、さらにその隙間に衣替えだとか夏の大祓いだとか、
洗濯洗剤がないとか、全然本読んでないとかが入り込んできて、
常になんというか、ホームに走って、いまにも発車する電車に滑り込む、その乗り換えを繰り返しているような感じになって、心がホッとする時間がない。
(もちろん自分で選び納得している人生である前提で)
いつも何かに急き立てられ、
いつも何かが今日はできなかったみたいな感じで明日にこぼれて、
いつも頑張りが足りないんじゃないかと思う。
(全国の働くお母さんたちや働くお父さんは、そのような感じですよね、おつかれさまです)
合間に母から「最近は何書いてるん?」と電話がかかってくる。
「連載は何かしらの理由で止まってしまってるし、わたしは今、生活にいっぱいいっぱいなん」
思わずそう言うと母は、
「でも、あきちゃんの小説早く新しいの読みたいんよ。ママ、昭子の書く小説好きやから」と、遠慮がちに、言った。
少しづつ、少しづつ、その準備をしている。
牛歩の歩みに見えるかもしれないが、
5月から、少しづつ。
まだ皆のお手元には届いてないが、今年の1月までは怒涛の勢いで「あけびちゃん」を書いていたので、脱稿してから2月、3月、少し休んだ。
そして妹のための映画を作った。
世間的には2012年から単行本を刊行してないわたしだけど、
わたしは日々、何かを書いている。
毎週月曜エッセイを書いているし、毎週15分ほどの芝居の戯曲を書いているし、
妹のための映画の脚本も書いた。
わたしは非常にいつも、何かしらを書いている。
それら表に出ず、何も進んでいないように見えてしまうアンダーグラウンドな創作活動をしながら、けれどもその要素はわたしには重要な、
いわゆるタコと手元の糸だから、
同時進行で、少しづつ少しづつ準備をしてきた。
まるで無関係に思える様々なこと。
とりあえず水を積極的に飲み、停滞している体から毒を出す。
循環するからだをつくらなくてはならない。
一気にやったらパンクするから。
5月はまず水と映画。
6月からとりあえず週2〜3回プールに行くことを死守。
わたしの頭は水中でまとまり、水中にいるときにわたしのラジオは何か、放たれるべきものを受信する。
6月からヨーコが来て新しい風が入り、わたしのからだもわたしの部屋も、
どんどん循環し始めた。
自炊を開始する時がきた。
半ばヨーコに背中を押されるような形でだけど、
6月下旬からは、だいたい何かしらが入っている豊潤な冷蔵庫を保ち続けている。
あと断捨離。
あとブログに少し長めの記事を書くこと。
そんなこんなで、サロンがなく割とスローだった6月の日々の中で少しづつ調子を整えてきた。
人生における重要な作品はオリンピックと同じ。
頭で考えて指先をタップすれば良いように見えるけどそうじゃない。
「そこ」に照準を合わせて準備していくということが、
わたしには大切。
蝶番の時は2週間六本木のスナックを休んだ。
結局書き始めたのは休みあけからで、幾つかのバイトを合わせて休みなんかまるでない怒涛の日々の中、残りの2週間であれは一気に書いたのだけど、
重要だったのは、書く前の2週間だったと今でも思っている。
体重も1.5キロ減って、わたしの目指す、循環する物書きのからだまで、
あと少し。女としてはあと5キロ痩せたいけど、
作家のからだ優先で、とりあえずあと1キロから2キロでいい。
いろんなことが出来上がってきて、
体が熱くなってきたり、ちょっとテンションが変になったりして、
そう思ったら、糸が、切れてしまった。
おお。そうか。
降ってきた土曜の休日に元からあった日曜のオフ、何かをするはずだったけどすべてを放棄した月曜日、その3日、ひたすらダラダラ過ごして、
また一つ学んだ。
自己救済の大切さ。
そしてわたしにとってもともと書くことは自己救済であったこと。
みんなが「え?だいじょうぶ!?」と心配してくれるような文章とかは、
昔なら手帳やノートに書きつけられて人目にさらされることはなかった。
けれど今は執筆メモ(心のメモ)も、兼ねて、
こうしてブログに綴られたり、する。
けれど何かを書くと、わたしはとても救われる。
心がすっと、軽くなるような、
問題や痛みを消化できるような。
あ、原点に帰ろう。
わたしによってわたしを救う、そんな文学に。
不思議なことに、
内にどんどん入っていった方が、最終的には、たくさんの人に届く作品になる。
プロだからと読みやすさや展開や、何かしら第三者の目を意識していくと、
結果何も書けない。
何を書くべきなんだろう、わたし。
そんなことは、考えなくても良かったのだ。
バイトの帰り道、いつも通り過ぎる新潮社の、ロゴのところに手を重ねた。
わたしは脇を歩いているだけでも、この会社を親のように感じる。
儀式をしよう、わたしとこの建物の間だけの秘密の儀式。
それを密やかに行い、近所のBarに行ったら、隣に男の人が座っていた。その人はわたしが物書きだと知って、こう尋ねた。
「あなたが今いちばん、書きたいものは何ですか?」
その言葉は、びっくりするくらいすっと胸の中に入ってきた。
まるでこの席に座ったらこう聞かれますよと段取られていた、
予知夢のように。
あなたが、今、いちばん書きたいものは、なんですかー。
わたしは即答した。
「私小説です。私小説。他にも色々書きましたけど、わたしには私小説しかない、というか私小説しか書けないっていうことが、よくよくわかったんです」
デビューがね、すぐそこの新潮社でね、私小説書いてデビューしたんですよ。
男の人は言った。
「やっぱり作家は、処女作に帰るんですねぇ」
そしてわたしは隣に座っていた人が、新潮社の人間であることを知った。
そのBarにはそれはそれは足繁く通っているけど、新潮社の人と会うのは初めてだった。しかも話すなど。
わたし、担当がノーリーなんですよ。と伝えると、その人は明日も会うといったので、わたしは伝言を伝えてもらうことにした。
「そろそろ、書きます」
わたしは知っている。たった2週間で書いた小説が、人生を変えることがあること。半年もあれば、全然違う日々を始めることができること。
この状況を打破し、腰を据えて船パリや、あと命のことや、今書きたいと思っている幾つかのものを滞りなく形にできる日々を手に入れるために、
突破口になるものをまず書く。
自己救済でいい。わたしがわたしを救うのだ。
でも。
少しづつ、少しづつ。
だいじなところで、
糸が切れて、しまわないように。
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