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2016年6月18日 (土)

イヤシノウタ

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久しぶりにまったりと、人生のことを考える土曜の午後。
4月に買って、買ったその日に8割がた読んでいたこの本を、なぜか2割残しているというわたしには非常に珍しい状態であったのだが、本日読了。

人生に行き詰まったり、何か無性にかなしくなったりして、
それでいてその問題に「こつこつと日々をクリアしてゆく」ことしか解決策が用意されていない時、わたしはいつも吉本ばななと江國香織に帰る。
帰る場所であるからジャッジはない。
なので今回も、里帰りしたような感触以上の感想はない。

土曜の昼間は大抵ひどい二日酔いで、夕方から始まるワインバーの出勤時間まで、
死にそうなうなぎのようにベッドに横たわって過ごしていることに心底嫌気がさして、金曜の夜は深酒をしないことを決めた。決めた、と言っても金曜も仕事で飲んでいるので、状況によるのだけど、水を多く飲む、とか、盗んでじぶんのことをいたわることはできる。

そんなわけで久しぶりにシャキッと目覚めた土曜の午後は、
お日柄もよく、風は部屋をやわらかく通り抜けてゆく。

そうだ、こういう午後を持つべきなのだった。

恵比寿橋から芝公園のプールまでをコトコト揺られるバスの中とか、
何となく好きなカフェに行くだけに外出する麻布十番の午後、とか。

吉本ばなな、と、よしもとばなな、は、似ているけれど、そしてもちろん同じお方なのですが、わたしの中ではまるで違う。

吉本ばななが帰ってきたことは、わたしの中では大きな吉報であった。

吉本ばななの新しい小説をたくさん読みたい。

わたしはいつも恋に夢中になって、
恋に夢中になることで、相手の目の中で、色あせてゆく。

膨らんでいたはずのわたしの魅力は痩せ細っていく。
そして一度死ぬのだ。その瞳の中で、わたしはいつも、一度死ぬ。

恋とか愛というのは、世界で、いやおそらく宇宙で一番美しく、
すばらしいものなのに、

それに夢中になることで、どうしてわたしは相手の腕の中の輝きを失わなくてはいけないのだろう。

わたしのからだの成分は一体何でできているのだろう。

もしも、もしもよ?
愛とか恋によって、蝕まれなければ、ならないとしたら。
どうしてそんな、間違った細胞の働きを、
わたしのからだはするのだろう。

わたしはいつもこの矛盾と戦っている。

敗北が多いけれど、向き合うのをやめるつもりはない。

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