わたしの近況(東京OASIS)
5月を振り返る。なんて言いつつ、今はもう6月も半ばであるのであった。
5月は、サプライズが全部終わった今だから言えるけど、
神楽坂ボスと、我が妹ayameっくすの結婚式が連続してあって、
(まったく、重要なこととはどうしてこう突然重なってやってくるのだろう)
ほとんどがそれらに費やされたと言っていい。
特に、妹の結婚式では、ほとんど「映画」と呼べる映像作品を作っていたので、4月末から5月21日までは、ほぼその作業に追われた。
その間にthe yellow monkyのライヴに行ったり、東踊りに行ったり、
そしてサロンは「月刊 杉浦秀明」なんかをやったりなんかして、
もう、どうしようもない忙しさだったのである。
5月30日にそれらがようやく終わって、
入れ替わりに我が家に新しい同居人がやって来た。
高校の時の同級生、NYに10年住んでいたヨーコ。
怒涛の5月と入れ替わりにやって来たヨーコさんは大変手のかからないひとで、笑、
わたしたちはラフな感じに暮らしています。
6月はサロンをお休みするということがあるので、
月曜にサロンがないのは寂しいけれども、
そのおかげで溜まっていたことがいろいろ一気にできる6月。
というわけでわたしは7月以降の2016年に備えて、いろんなメンテナンス期間。
まずプールに入会して、時間が空いたら、何が何でもプールへ行くことにした。
泳ぐというか、水の下の世界に繋がると、
忘れていたことや大切なことがたくさん、宙から降ってくる気がする。
「モカコさん、あなたはこの場所で通信するんだから、ここに来ないと」
何かに言われてるような感じで、ひたすらプールの底ギリギリまで潜って行く。
そこでもう何ヶ月もアップデートできていないOSのようなわたしは、
自分を少しづつアップデートしていく。文学を書きたい。
強く、圧倒的で、わたしが書くゆえの完全なるわたし、みたいな、
ふてぶてしい物語。
深く潜った場所から水面を見上げると、そこはぬらぬら、きらきらと、
幼い頃に脇に挿して熱を測った、体温計の中の水銀のように、
光を吸い跳ね返しながら蠢いている。
「水が足りてないよ、水を飲みなさい」
5月2日にそう言われてから水を飲み続けてひと月半、随分と体が楽になった。
水はけの悪い体であるから水を飲まなくていいというのは違うのだった。
その理屈を理解した今、毎日シンクの中の銀色の洗面器を眺める。
ゆすぐだけゆすいで洗わずにつけておくコーヒーカップの内側から溶け出した薄い茶色が洗面器を白濁させている。こういうことなんだろう。濁っているんだろうな、私の体の中は今。澄みわたっていなんだよ。
そういうことで、とりあえず水を飲む。
水を飲みながら洗面器の中にも勢いよく水を注ぐ。濁った水が完全に排出され、冷たく、すきっとした透明がそこに満ちるまで栓を止めない。
こういうことだよ、これをやるために水を飲まなきゃ。
23歳のときに、突然ナオミがやって来たときと似ている。
ヨーコが住み始めてすぐにそう思った。だとしたら何かが始まるのだ。
あのときナオミは詰まった排水管を掃除するように、
わたしの滞った人生に水を注いでくれた。
突然やってくる同居人の女の子は皆ーと言ってもこれで二人目だけどー身体がとても美しい綺麗な人で、だいたいそういう女の子の日々はシャキシャキ、テキパキとしている。ちゃんとした食事をとり、いろんなことが、悩みながらもはっきりしている。
わたしはテキパキ、シャキシャキ、しているように見えて、基本的にはぐうたらしている。そしてじっと、ひとところに止まって何時間でもモノを考えている。
それらは結局、わたしのしていることに見合っているのだけれど、
時にそれが逆に働くことがあるのだ。
何も考えずプールに行った方がいい時期がある。
いま、わたしはたぶん、すこしづつ舵を変えている。
プールに通い始め、溜まったモノをすべて片付け(書類とか洋服とか、春のなごりや、後回しにしていたことやらすべて)、ようやくこのブログに手をつけた。
たぶんまた自炊を始めると思う。でも今日とか明日はしない。
インスタを始めたしtwitterも昔からやっててFBでエッセイも書いているので、
このブログをいったいどういう扱いにすれば良いか考えあぐねていた。
基本的に答えは「出す」ものではなく「出る」ものだと思っているので、
放置していた。そしたらやっぱり、答えは出た。
このブログは全体のアーカイヴのような感じにしようと思う。
つまりカテゴリもインスタ、とか、twitter、とか、オフィシャルFBとかに分けて、
なんとなーく、ひと月分を月末までに上手にまとめるような感じにしようと思っている。毎日随時ナカジマモカコを追うほどじゃねえな・・・・っていうひとも、
ここに来ればなんとなーくひと月のダイジェストがわかるような感じ。
それは自分にとっても人生のメモのような感じでいい。
うん。それはいいね。
実際のところ、もう、このブログは「中島桃果子」ではほぼ検索されていない。
10年ほど前に始めた時と同じくらいの密やかさに、戻ってはいるのだけど。
でもそんな感じにアーカイヴしながら、
時にこういった風に、どこにも載せていない言葉を、こうして書き綴ってみたりしよう。エッセイを書く!と気合を入れない方がするすると言葉が出てくることがあって、実際のところ、今日書いたこの日記が、わたしは好きだ。から。
(わたしの大好きなmarta beckettーマルタ・ベケットさん)
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