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2016年6月

2016年6月30日 (木)

夏の大祓い

長谷川時雨に憧れるわたしは、
「女人藝術」があった左内坂に裏参道が合流する市ヶ谷八幡宮を愛していて、ランニングコースの中に入れています(まあ、最近はもっぱらプールなんですが)
あるとき、ひょんなことから見つけたこの大きな輪っか。がり勉モカコはすぐにググッとあれしまして、これが矛の輪という名前だと知りました。

夏の初めにも大晦日があることを知ったのも、ほんの一年前の、お話。

※ちなみに、放浪記の、かの有名なでんぐり返しのシーンは、長谷川時雨さまが刊行する「女人藝術」に、初めて林芙美子の作品を採用すると、知らせが来たときの、ものなんですよ😌

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∞Mocastagram∞

今日は上半期の大晦日。
氏神さまのもとで矛の輪くぐり。
なんだろう、すがすがしい。
today is the herf end of the year.
Step in the cercle and shake off something bad something dirty...
∞mocacosmo∞2016.06.30

‪#‎市ヶ谷八幡宮‬ ‪#‎夏越大祓‬ 
‪#‎矛の輪くぐり‬
‪#‎儀式重んじるタイプ‬
‪#‎魔女に憧れた幼少期‬
‪#‎寝る前に塩水飲んでました‬
‪#‎でもなれなかった‬
‪#‎夏の大晦日‬
‪#‎この神宮が好き‬
‪#‎japanesetraditional‬ 
まさに上から見たら「∞」この形にくぐります。

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その後、赤城神社のお稲荷さんにもお参りしました。

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2016年6月25日 (土)

執筆メモ「目」

このまま家に帰って号泣したら、一緒に住んでいるヨーコがあたふたして困ると思った。だから歩くことにした四谷三丁目から牛込までは、実際のところ、
心の澱を洗い流すように泣くにはとても短くて、
わたしは寺尾紗穂の「楕円の夢」のアルバムを聴きながら、
馬鹿みたいに行き場のない道を蛇行し続ける。

四谷から牛込の、直線に丘を駆け上がればいい道のりを、
馬鹿みたいに蛇行しながら、馬鹿みたいにずっと泣く。

あのね、彼女の目を見て欲しいの。
きっとこの状況を脱したいと思っていることに気づくから。

あのね、わたしの目を見て欲しいの。
きっとあなたを今、
心底必要としているのは彼女じゃなくてわたしだってわかるから。

蛇行してわざと遠回りしてみたけど、
扉は閉ざされていて、
もしも明かりが灯っていたとしても、今日からは寄らない扉であるのだけど、
やはりとても傷ついて、

磨りガラスに額をくっつけて泣いた。

もしも磨りガラスの向こうで寝ていたら、
その振動に気づいて、扉を開けて欲しいと思った。

けれどもちろん磨りガラスの向こうに誰もいないし、
もしいたら、額をくっつけている自分は、すべての状況をただ、悪化させていくだけ。それもわかっていて。
だからこれは、叶って欲しくない、妄想。

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ねえどうして。

気づいてほしいな。

わたしはあなたを、とても必要としている。

あなたが目を合わせない

ようにしているあの娘より、ずっと。

お願いがあるの。

彼女の目を見てあげて。

もう終わりにしたがっていることがわかるから。

お願いがあるの。

わたしの目を見て。

あなたを必要としていることがわかるから。

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もしあなたが、彼女の目を見ずに、
わたしの目を見つめながら、

これを続けてゆくことができたならば、

あなたは、わたしより、彼女を愛しているってことよ。

彼女を失いたくないってことよ。

失いたくないのなら、彼女と目を合わせて。

そして失う覚悟をしているのなら、

わたしの目を、ちゃんと見て。

わたし、あなたを、必要としている。

そしてわたし、あなたが思っているほど、強くない。


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2016年6月24日 (金)

蛹(さなぎ)/執筆メモ

【蛹(さなぎ)】

執筆メモのような何か。

側近フォトグラファーMによるインスタ、モカコスモ”Mocastagram"を発動してからずっと、

実はこれを実行する予定でした。
ヘアメイクさんを入れての作家モカコ撮。
いつもは自分ブランディングをすべて自分でやっているので、可能性を広げるべく、プロデュースを全面的に”M”の視点に委ねての、ナチュラルで自然で、悲しげではなく温かい、”M”の見つめる、友人であり職業を作家としているわたしの撮影。
コンセプトを井川遙に定めて(すべてのファンの皆さん先に謝りますごめんなさい)、トリッキーでアーティなモカコではなく、オーガニックでニュートラルなところを目指した。

                             
「わたしはあなたを、普通に美しく撮りたいの」
「すぐモカコさん、陰(いん)に入るから悲しそうな顔やめて」

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撮影の中で太陽をとり戻す。

自分の中にも闇や病みはある。けれど生い立ちや、わたしの持つ本来の雰囲気が全く「かわいそうな感じ」がしないため、
こいつは大丈夫だろうと思われる。そしてわたしが必要とした人は、見た目極端にかわいそうな感じの子にいつも流れた。

                             
「おまえはたくさんの人が周りにいるけど、あいつには俺しかいないんだ」

                              
10年以上も前のことなのにそう言われた時の景色を今でも覚えている。当時わたしは27になったばっかりで、正直なところひどく病んでいたし、本当はわたしだって、いや、わたしこそ、
あなたしかいなかった。

                              
男の人はいつも肝心なところを間違えていて、
そういう女の子こそ「俺しかない」と相手に思わせるポテンシャルを生まれつき持っているから、まわりには他にたくさん可能性があるわけだし、拾ってくれる男の人が欲しかったわけだから、
タイミングが違えば、あなたじゃなくても良かったタイプだと思うし、実際のところ、代わりを見つけたらあなたの前から去っていった。

そしてあなたが「俺じゃなくてもいい」と思っているわたしだけがあなたしかいなくて、あなたしかいないけど、あなたしかいない風には見えなくて、その後も何年も、
結局あなたしかいなかった。

                              
そういう恋愛をくりかえして、
わたしは自分自身こそが「俺しかいないあいつ」だということをどう表現できるのか、どうしたらわかってもらえるのかを、
きっと考えていたのだと思う。
それで知らないうちに、「悲しそうな表情」「悲しそうな気配」をなんとか纏おうとして、それが癖になっていたことにきのう、気づいた。

                              
滑稽な話だと思った。(自虐的な意味じゃなくて)

 

だって表面的な闇なんて意味がない。
相手はその奥にある圧倒的なわたしの光を見ていて、
その裏側にある、ほんとうの闇とか寂寞とかは見えないのだから。

複雑な家族構成の人間の中にも光はあるし、
つまり裏を返せば、恵まれた生い立ちの人間の中にも闇はある。

                              
だから、わたしの中にも闇はある。寂寞もある。
同時に圧倒的な光と太陽もある。でもそれは、わたし以外のひとも皆すべて同じで、それらすべて同じ分量ずつ持っているもの。
それが相手の目に映るか映らないかは、相手の持っている魂の目が「相手の何を見ているか」でしかなくて、
「わたし」が、それをなんとかすることはできない。

                              
そのひとにとって、わたし、が
「気にかけなくてもいいくらい大丈夫」で、
そっち、が「気にかけてあげていなくては死んでしまう」というのは、もはやわたしの領域を超えていることなのだ。

                              
はた、とそれに気付き、癖になっている悲しそうな顔をやめたい、と思った。馬鹿げているから。
でも時間をかけて作ってきたその「見せかけ陰(いん)」のわたしは、気がつくとそういう顔つきをしていて、
何度も”M”に「悲しがらない!笑」とダメだしをされる。

こんなに楽しいときに悲しがった顔をして、
すごく参っているときに、光に見えているなんて、わたしは滑稽だ。面白いという意味での滑稽さがある。

この矛盾をどう消化していくよ? わたし。
なんかその滑稽にどつかれるような形で、きのうわたしは、完全に目覚めた。Wake Up、した。ケイティペリー的に言うと、Wide awake、した。

まじ無意味、まじ無意味な出来事の数々。
ふざけたおせ。
つか、ふざけたおしてる。

自分が謎すぎて、謎。

まあそういう感じに陥った。
陥ったというか、おち上がった。

で、OK〜。って感じになった。

                              
撮影では、”遥”(ファンの方本当にすみません)な写真がたくさん撮れた。(素晴らしいヘアメイクと素晴らしいカメラマンのおかげです)

それらはおいおい太陽モカコな感じでいろんなところにアップしていく。それを見たらわたしがHappyに見えて、あの人がまた「モカちゃんは大丈夫」と思ってわたしのことを忘れてしまうかな、
とかはもう思わない。

                              
しょーーーーもない、から。笑。
それらすべて、逆向に作用しているこの滑稽な「なう」の中で。

人生の課題はいつも相手の中でなく、自分の中にある。そのねじれは、10年かけて悲しそうな顔を作ってくるような恋愛をしてきたわたしの過去の中で形成されている。

トリッキーでなくアーティでない写真がたくさん撮れたのに、
わたしがいちばん気に入ったのは、さっきカバーにしたこの写真だった。(結局ひどく傍目にはトリッキー感があるのだが)

                             
「なんか悩んで!うまく書けない時どんな感じになる?」

そのカットをいっぱい撮っている時に、
なんていうか芝居で即興をやっていて一瞬だけど感情がうわあああって憑依する時の感じがやってきて、元芝居仲間の”M”は一寸のブレもなくその瞬間を捉えた。
それがこのカバー写真である。「蛹(さなぎ)」と名付けた。

                              
わたしは小説を書きたい。文学を書きたい。文学を書きたい。わたしの中から生まれる、私だけの文学を、一心不乱に書きたい。
書きたい気持ちが泣きたいくらいに溢れて、喉元まで溜まっているのに、わたしはひさかたぶりに人を愛してしまって、
それはもうとても愛してしまっているので、それに紐づく諸々のこと、諸々の、もろもろもろろなそのことが、
わたしの後ろ髪を、引くなんて生やさしいものではなく、それは柔道の、返し技のように、わたしをねじ伏せ、わたしはこの3か月ほど毎日一本負けをしてきた。
そしてそのたびに「あー、死なない」と思ってきた。
大事な人たくさん亡くしたから、
死にたいなんて軽く言うのは嫌いだから。
でもさ、あー。やっぱり、あー、死なない。
死なないは死ねないではなく、死にたくない、でもなく、
死なない、という強い意思を表す。

                              
あー。あああああああ”〜〜〜〜。死なないぃぃい。
そういうこと。

                              
あの子は大丈夫と思われるときっと相手の心が離れていく。

                              
でも本当は知っている。そう思ってわたしが不安定になって小説を書けなくなっていくことがいちばん、相手を疲弊させているということ。太陽だと思われているわたしが曇っていくことがいちばん、相手を追い詰め、わたしといることを苦しいと感じさせるのだということ。

                              
小説家という職業をたまに恨めしく思うのは、自分に起きている出来事すら、小説家という視点で眺めた時に、相手の思っていることや感じていることが手に取るようにわかってしまうこと。

皆わたしが男心をわからないから「あちゃー」ということするよね。と思ってる。実は違う。逆。

                              
手にとるようにわかりすぎて、見えすぎて、うおおおおおおとなって、そうなる。手にとるようにわかったらそうしない?
そんなことない。手にとるように見えてしまうということは、おそろしいことでもあるのだ。好きな人の24時間が、スケルトンで視えたら、多くの人がたぶん狂う。

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わたしに惹かれる人はわたしに太陽を感じて惹かれている。
だからその太陽が、自分のせいで曇っていくのはこわい。
重たいという意味のこわい。
太陽を感じてわたし惹かれる時点で、何かしらの錘(おもり)を抱えて生きててそれに疲れていたはずだから。
その癒しであったはずの太陽が曇って、
自分の抱えている錘(おもり)と似た気配になっていくことは、相手にとってそこいらのホラー映画よりも恐ろしい。

                              
つまりわたしは病んでも陰っても、すべて病み損なのだ。
そうしたらかまってもらえるはずの理想形に近づいていくほど、
実は理想からは遠ざかっている。
だから意味がないのだ、わたしが悲しくなったり不安定になったりすることに意味など。

すべてのものがシンメトリーであって反転している。

 _5127                             

だってこの蛹の写真は、わたしの中では最高にポジティヴで美しい写真であるにもかかわらず、

一般的に見たら、悩んでいて、苦しんでいるように見える、つまり「蛹の時期」に見える。

けれどもこの写真は、ほんとうはわたしの、もっっとも明るく、強い光の部分を表していて、命あるいは魂に近いものであり、
この写真が、わたしの中にある本当の闇とか病みの、ま対極にある。それが完全に、どう見ても「わかりづらい」という部分、笑、そこが、わたしという人間の、周りからの見えにくさ、なのだ。

その見えにくさ、に伴う誤解や行き違いがわたしの寂寞や闇につながって、だからわたしはヘドウィグに夢中になって、わたしの片割れを探していた。

                              
蛹のカバー写真と、コーヒーを飲んでいる遥的なアイコンとは、
コントラスト、に見えると思うけど、
そうではなくて同じ、わたしの中のいちばん尊い光の部分。

わたしは今日、強い強い光の部分だけを、2枚、選んだ。

そういうことなんだわ。

 

とにかくわたしは、わたしの後ろ髪を引っ張るエセ闇を、昨夜、光で瞬溶し、早ければ今夜から、小説にとりかかる。
純文学、を書くと思う。

そろそろ新潮社を、帰宅時にただ通り過ぎる建物、としていてはいけないと思うし、

タイトルは今の所「ある私小説作家による極めて独断的な私小説」と考えている。

つまりこれは執筆メモであって、半分物語である。

物語を書いた時点でわたしはその問題を、消化している。

 

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2016年6月18日 (土)

イヤシノウタ

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久しぶりにまったりと、人生のことを考える土曜の午後。
4月に買って、買ったその日に8割がた読んでいたこの本を、なぜか2割残しているというわたしには非常に珍しい状態であったのだが、本日読了。

人生に行き詰まったり、何か無性にかなしくなったりして、
それでいてその問題に「こつこつと日々をクリアしてゆく」ことしか解決策が用意されていない時、わたしはいつも吉本ばななと江國香織に帰る。
帰る場所であるからジャッジはない。
なので今回も、里帰りしたような感触以上の感想はない。

土曜の昼間は大抵ひどい二日酔いで、夕方から始まるワインバーの出勤時間まで、
死にそうなうなぎのようにベッドに横たわって過ごしていることに心底嫌気がさして、金曜の夜は深酒をしないことを決めた。決めた、と言っても金曜も仕事で飲んでいるので、状況によるのだけど、水を多く飲む、とか、盗んでじぶんのことをいたわることはできる。

そんなわけで久しぶりにシャキッと目覚めた土曜の午後は、
お日柄もよく、風は部屋をやわらかく通り抜けてゆく。

そうだ、こういう午後を持つべきなのだった。

恵比寿橋から芝公園のプールまでをコトコト揺られるバスの中とか、
何となく好きなカフェに行くだけに外出する麻布十番の午後、とか。

吉本ばなな、と、よしもとばなな、は、似ているけれど、そしてもちろん同じお方なのですが、わたしの中ではまるで違う。

吉本ばななが帰ってきたことは、わたしの中では大きな吉報であった。

吉本ばななの新しい小説をたくさん読みたい。

わたしはいつも恋に夢中になって、
恋に夢中になることで、相手の目の中で、色あせてゆく。

膨らんでいたはずのわたしの魅力は痩せ細っていく。
そして一度死ぬのだ。その瞳の中で、わたしはいつも、一度死ぬ。

恋とか愛というのは、世界で、いやおそらく宇宙で一番美しく、
すばらしいものなのに、

それに夢中になることで、どうしてわたしは相手の腕の中の輝きを失わなくてはいけないのだろう。

わたしのからだの成分は一体何でできているのだろう。

もしも、もしもよ?
愛とか恋によって、蝕まれなければ、ならないとしたら。
どうしてそんな、間違った細胞の働きを、
わたしのからだはするのだろう。

わたしはいつもこの矛盾と戦っている。

敗北が多いけれど、向き合うのをやめるつもりはない。

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2016年6月17日 (金)

エゴイズムモカコ

エゴイズムというのは、あなたが、他の人に対して、その人自身のニーズよりも自分のニーズを先に満たしてほしいと願うことである、ということです。つまり、エゴイズムとは、相手を犠牲にして自分を幸せにすることなのです。あるいは、相手が自分を幸福にすべきであると考えることなのです。

これは、わたしがtwitterでフォローしている、リズ・ブルボーのtwitterの言葉なのですが、引用しようと思ってコピペしたら、なぜか絶対的にこのでかいサイズになってしまいました(笑 声を大にして心に刻めということだろうか。

先日、日芸チーム兼サロンメンバーのちほと近郷みほと、久しぶりに3人でご飯を食べて、近郷みほが、結婚から数年経っても、旦那さまに心地よくいてもらうため、かわいい女性と思ってもらえるためにずっと努力していたという話から、

「どうしてムーミンさんは、好きなひと、、、え? 好きなひとなんでしょ?
そのひとが心地よく居られると思う空間をつくる努力をしないの?」

と聞かれて「これまでずっと、それができてたら今こうなってねえよ!」
そして同時に「この人それが好きな人にだけできないのよ」と熊田からの注釈入りつつ、じゃあどうしたらいいんだみたいな話をしていたのだが、
親友のちほが

「不思議だよね、恋愛限定でそうなるってさ、普通みんな逆なのに。あなたはいつだって、恋愛以外のすべての人間関係で、無償でそれをしているのにね」

と言い、わたしも、そうなんだよな・・・反動ってやつなんだろうか、とか思いつつ、だからこそ「好きなひとにだけはわかってもらいたい!理解してもらいたい!気持ちが強くなっちゃうんだよね・・・」

で、それで相手の心地よさゼロなんだよね・・・とかそういう話をして、
過去に関わってくれたすべての男の子たちに感謝していた。

どうして日常生活や日々の人間関係で、自然にできていることが、
そこ限定でできなくなっちゃうのだろう。
普通の人間関係で「じぶんの丸ごと」なんて投げたら、相手苦しいよ、
って、思うし、しないのに、なぜそれを、そこ限定で、
これでもかとするのか。

しかしその近郷みほが言った、
「相手に心地よくいてもらいたい」って思う気持ちを全うするっていうことが、
なんかとても素敵、同じことなんだけど「相手をゲットするために」方法論として言われると「そういうの好きじゃない」♪ありの〜ままの〜みたいな頑なさ発揮するわたしも、みほのその感じ、旦那さんへの接しかたがとっても可愛くって素敵だなって思って、これからはわたしもそういう女性になろう!って思って(きっと全然すぐになれないんだろうけど)、

帰り道でTwitter開いてたらこの投稿が出てきて
「まさに!!」「まさにあたしこれやん!!!
と、大きな衝撃を受けたので、プリントして部屋に貼るか、
忘れないようにブログに書いとこって思ってコピペしたら、

HTMLがわたしの気持ちを汲んでくれたのか知らんけど、
とっても大きな、コピペになりました。

って話。とりあえずわたしはエゴイズムにまみれているのだ。
これからそれを、少しづつ払拭してゆ、く?

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花職人でもある近郷みほは、エクセルシオールカフェの紙ナプキンで、
あっという間に美しい花を作ってしまいました

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2016年6月16日 (木)

側近フォトグラファー

側近フォトグラファー、Miho Kingoの視点の瑞々しさ。

彼女と一緒にインスタを始めたのは、こういう乗算の光を求めていたから。
彼女はわたしが予想もしないような言葉を予想もしていない写真と組み合わせる。
例えばアブダビの美術館での光のアートの写真に、昔作ったけれどボツになった、
書き下ろしの歌の歌詞。
わたしの中では「これはドバイのもの」と勝手に仕切りができているから、
まさかDuwriteMayのために書いた歌詞と合わせるなんて思いつかない。
でも先入観のない彼女はそういう大胆なことを「ごく自然なこととして」やってくれる。
それが他視点が入ることの面白さ。わたしをよく知っていてくれる人の目の面白さ。

彼女がそうやってわたしの写真をあげると、

それらすべてまるで知らない言葉、まるで知らない女の人の写真として、
わたしの目に飛び込んでくる。

その女の人はなんだかとても綺麗に見えて、
それが自分だとわかった時に、わたしは魔法がかけられた、と思う。

言葉もそうで、誰の言葉だろう?
と思って自分の言葉だった時に、とても驚く。

そんな感じに、衝撃と発見を重ねながら、Mocastagramして行きたい。

(↓)これはポールマッカトニーの歌詞です。

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Photo by Chiho Kumada 2006(おっと実は10年も前!)

∞Mocastagram∞ 
僕らは空に向かう橋をかける
天の光がきみと僕を包む

何も見えない暗闇のなかでこそ
一番明るく輝いてほしい

誰も訪れたことのない
まだ見ぬ場所を照らしてほしい

未来へ期待を持って 
ーHope For The Futurよりー
投稿 by 側近”M”

2016.06.16 ∞mocacosumos∞

‪#‎mocacosmos2016‬
‪#‎モカコスモ‬ ‪#‎桃果子的宇宙‬
‪#‎中島桃果子‬ ‪#‎mocakonakajima‬
‪#‎ArtisticPantie2016‬


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2016年6月14日 (火)

わたしの近況(東京OASIS)

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5月を振り返る。なんて言いつつ、今はもう6月も半ばであるのであった。
5月は、サプライズが全部終わった今だから言えるけど、
神楽坂ボスと、我が妹ayameっくすの結婚式が連続してあって、
(まったく、重要なこととはどうしてこう突然重なってやってくるのだろう)

ほとんどがそれらに費やされたと言っていい。
特に、妹の結婚式では、ほとんど「映画」と呼べる映像作品を作っていたので、4月末から5月21日までは、ほぼその作業に追われた。
その間にthe yellow monkyのライヴに行ったり、東踊りに行ったり、
そしてサロンは「月刊 杉浦秀明」なんかをやったりなんかして、

もう、どうしようもない忙しさだったのである。

5月30日にそれらがようやく終わって、
入れ替わりに我が家に新しい同居人がやって来た。
高校の時の同級生、NYに10年住んでいたヨーコ。

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怒涛の5月と入れ替わりにやって来たヨーコさんは大変手のかからないひとで、笑、
わたしたちはラフな感じに暮らしています。
6月はサロンをお休みするということがあるので、
月曜にサロンがないのは寂しいけれども、
そのおかげで溜まっていたことがいろいろ一気にできる6月。

というわけでわたしは7月以降の2016年に備えて、いろんなメンテナンス期間。

まずプールに入会して、時間が空いたら、何が何でもプールへ行くことにした。
泳ぐというか、水の下の世界に繋がると、
忘れていたことや大切なことがたくさん、宙から降ってくる気がする。

「モカコさん、あなたはこの場所で通信するんだから、ここに来ないと」

何かに言われてるような感じで、ひたすらプールの底ギリギリまで潜って行く。
そこでもう何ヶ月もアップデートできていないOSのようなわたしは、
自分を少しづつアップデートしていく。文学を書きたい。

強く、圧倒的で、わたしが書くゆえの完全なるわたし、みたいな、
ふてぶてしい物語。

深く潜った場所から水面を見上げると、そこはぬらぬら、きらきらと、
幼い頃に脇に挿して熱を測った、体温計の中の水銀のように、
光を吸い跳ね返しながら蠢いている。

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「水が足りてないよ、水を飲みなさい」

5月2日にそう言われてから水を飲み続けてひと月半、随分と体が楽になった。
水はけの悪い体であるから水を飲まなくていいというのは違うのだった。
その理屈を理解した今、毎日シンクの中の銀色の洗面器を眺める。
ゆすぐだけゆすいで洗わずにつけておくコーヒーカップの内側から溶け出した薄い茶色が洗面器を白濁させている。こういうことなんだろう。濁っているんだろうな、私の体の中は今。澄みわたっていなんだよ。
そういうことで、とりあえず水を飲む。

水を飲みながら洗面器の中にも勢いよく水を注ぐ。濁った水が完全に排出され、冷たく、すきっとした透明がそこに満ちるまで栓を止めない。
こういうことだよ、これをやるために水を飲まなきゃ。

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23歳のときに、突然ナオミがやって来たときと似ている。
ヨーコが住み始めてすぐにそう思った。だとしたら何かが始まるのだ。
あのときナオミは詰まった排水管を掃除するように、
わたしの滞った人生に水を注いでくれた。

突然やってくる同居人の女の子は皆ーと言ってもこれで二人目だけどー身体がとても美しい綺麗な人で、だいたいそういう女の子の日々はシャキシャキ、テキパキとしている。ちゃんとした食事をとり、いろんなことが、悩みながらもはっきりしている。

わたしはテキパキ、シャキシャキ、しているように見えて、基本的にはぐうたらしている。そしてじっと、ひとところに止まって何時間でもモノを考えている。
それらは結局、わたしのしていることに見合っているのだけれど、
時にそれが逆に働くことがあるのだ。

何も考えずプールに行った方がいい時期がある。
いま、わたしはたぶん、すこしづつ舵を変えている。

プールに通い始め、溜まったモノをすべて片付け(書類とか洋服とか、春のなごりや、後回しにしていたことやらすべて)、ようやくこのブログに手をつけた。

たぶんまた自炊を始めると思う。でも今日とか明日はしない。

インスタを始めたしtwitterも昔からやっててFBでエッセイも書いているので、
このブログをいったいどういう扱いにすれば良いか考えあぐねていた。

基本的に答えは「出す」ものではなく「出る」ものだと思っているので、
放置していた。そしたらやっぱり、答えは出た。

このブログは全体のアーカイヴのような感じにしようと思う。
つまりカテゴリもインスタ、とか、twitter、とか、オフィシャルFBとかに分けて、
なんとなーく、ひと月分を月末までに上手にまとめるような感じにしようと思っている。毎日随時ナカジマモカコを追うほどじゃねえな・・・・っていうひとも、
ここに来ればなんとなーくひと月のダイジェストがわかるような感じ。
それは自分にとっても人生のメモのような感じでいい。

うん。それはいいね。

実際のところ、もう、このブログは「中島桃果子」ではほぼ検索されていない。
10年ほど前に始めた時と同じくらいの密やかさに、戻ってはいるのだけど。

でもそんな感じにアーカイヴしながら、
時にこういった風に、どこにも載せていない言葉を、こうして書き綴ってみたりしよう。エッセイを書く!と気合を入れない方がするすると言葉が出てくることがあって、実際のところ、今日書いたこの日記が、わたしは好きだ。から。

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(わたしの大好きなmarta beckettーマルタ・ベケットさん)


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TOP&NEWS!!【2016年June】

About JUNE
あけびちゃんを楽しみに待ってくださっているみなさま、3巻の進行が遅れて、
大変ご迷惑をおかけしています。
くわしいことがわかり次第きちんとお伝えいたしますので、
今しばらくお待ちください。

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「あけびちゃんー秘蜜のヒト科錬愛術ー」現在2巻まで配信中!

コミック—シーモア→「あけびちゃん」

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中島桃果子Facebookページ
月モカこと「月曜モカ子の私的モチーフ」は、
週1エッセイ、月モカは毎週月曜日更新です☆

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今月の”サロン de うたタネ♪”

6月のサロンは諸事情によりお休みする事となりました。m(_ _)m
つきましてはこちらにてクマ子が記者会見をしていますのでご覧くださいませ。会見前後の映像あります。会見自体は3分14秒くらいから。

ーーー補足説明などはブログにてm(_ _)mーーー
http://salondeutatane.cocolog-nifty.com/blog/

5月「月刊 杉浦秀明」小さな惑星の音楽家
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この先想像しうる全てのネガティヴな未来を書き換える

銀河の歌姫・・・クマ子(熊田千穗)
小さな惑星の音楽家・・・杉浦秀明
自称パン屋の女・・・文月悠光(Spesial guest)
演出がかってる夫人・・・モカティーナ・モカコ

戯曲・・・中島桃果子

最終週の前の週に詩人の文月悠光がサロンのために描き下ろした詩を持ってきてくれて、即興でセッションしました。そして最終週に杉浦秀明がそれに曲をつけてくれ、
クマ子が歌いました。サロンオリジナル楽曲「うたう島」の生まれた瞬間です。

ご覧ください。

サロンdeうたタネ♪

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中島桃果子のこれまでの著作など

《小説/単行本》
「蝶番」(新潮社 2009年)
「魔女と金魚」(幻冬舎 2010年)
「夕日に帆をあげて、笑うは懐かしいあなた」(朝日新聞出版 2010年)
「誰かJuneを知らないか」(祥伝社 2012年)

《短篇または文庫本》
多作家短編集「スタートライン 始まりをめぐる19の物語」(幻冬舎 2010年)
「Feel Love Vol.13 2011.3.11」(多作家短編 祥伝社ムック)
多作家短編集「眠らないため息」(幻冬舎 2011年)
多作家短篇集「密やかな口づけ」(幻冬舎 2014年)
文庫版「魔女と金魚」(幻冬舎2014年)

《エッセイ》
「はざまの散歩」(ジェイノベル2009年7月号)
「life has a funny,funny way of healping you out」(ポンツーン2011年7月号/忘れられないメロディ)
「世界がひっくりかえった日」(feel love vo.13/2011.3.11 そして今わたしが思うこと)

《官能ライトノベル》
「艶蜜花サーカス〜フィリア・ドゥ・フェティソ〜」(KADOKAWA / フルール文庫 2013年)
「甘滴恋情事(あまだれこいじょうじ)」(KADOKAWA/フルール文庫 2014年)

その他、これまでの中島桃果子の歩みはwikipediaを参照くださいませ★
(加筆も歓迎です!)

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2015年1月中旬〜ひと月ほど、幻冬舎とJACFのお仕事でUAEに行って参りました。
そのレポなどはこちらから☆
http://mocatina.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-d20e.html

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2016年6月 9日 (木)

ポエトリックジャパン

∞Mocastagram∞
異国の人がみた、ポエトリックジャパン。
な景色。
photo by josep (スペイン人)
彼の指示どおりやってます。笑
all direction by josep.

#日本の路地  #ノスタルジック
#昭和 #神楽坂
#japan #kagurazaka
#poetic #ある視点部門
#レタッチなしです
#桃果子的宇宙  #モカコスモ

Img_1163

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2016年6月 1日 (水)

あの日

∞Mocastagram∞
あの3.11の次の日の自宅の風景。
原発のニュースに吸い込まれながら、次の瞬間には互いの笑顔があり、それを写しているわたしの目もはふすまの手前に。前日妹は新宿の街で発作を起こして倒れ、たまたま一度だけ繋がった電話でモアイ像の前で原始的な待ち合わせ、一緒に2時間歩いて帰宅した。それぞれの家族にそれぞれの記憶があるあの日。これはわたしにとっては一つの報道写真といえる。
わたしは携帯にずっとこれを保存している。
this is family portrait taken by me the day after 3.11.2011.
the day before that day big earthquake had come japan.

#家族 #ポートレイト
#あの日 #中島桃果子

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