大晦日の日、最後までどこで年を越すべきか迷って、
でも、珍しい気を起こして、
「今年は都内で☆」なんて思った年に限ってとても悲しい夜になることがあったので、
(思い出しても怖ろしい、好きな人と、好きな人の彼女と、わたしとれいこさんでの実質4人の年越しとか
)
うーん、とか迷って、
でも今年、残るとしても誰かと会う約束をして東京に残るわけじゃないし、
そもそも昼間、ケンジさん(月モカ読者にとってはモダさん)と蕎麦食べたりなんかして、
家のこと全然出来てないからみたいのもありつつ、東京にいたらいらぬことを考えてしまいそうだからとにかく実家に帰ろうなんて思って、
そう、わたしはいまいち落ち着かなかったのだ。
なんとかギリギリ荷造りしてタクシーを拾おうと思ったら全然来ない。
(やっぱり東京に留まった方がよいのだろうか・・・)
とか考えつつ、よし、次のタクシーが来たらそれに乗る!と決めたときに都合よく空車のタクシーが来たからそれを止めたのだけど、なんの巡りあわせかその運転手さん、
研修をすませたばかりとかで、
「東京駅への行き方がわからない」
都内でタクシーを拾って、この師走に東京駅への行き方がわからないタクシーに当たることがあるだろうか?
運転手さんに「どこまでならわかります?」とか、会話しているうちに、新幹線も1本乗り遅れて、実家につくころには年をまたいでしまいそう。
これはもう「東京に残れってことよね」と思ったわたしは、
運転手さんと言い争うこともなく、その車を降りて、
重いトランクを再び引きずり、家に戻った。
せっかくだから都内でやりのこしたことをしたいと思い、それは帰省の荷物に入れると意外と邪魔になる年越し蕎麦を食べることと、柳湯に行くことだったから、ネットでしらべると、さすがは銭湯、銭湯とは31日もやっているものなのですね、「本日はラベンダーです」とあった。
今年どんな年でしたか? よかったですか? と聞かれて、
「んーー、そうですね、良かったですね!」
と答えると、みな、よっぽどええことが今年あったんやろうなあという顔でわたしを見て、
「へえーー」と言う。
でも本当はわたしが言いたいことはそうではない。
2015年、わたしは別段飛躍したわけではなかった。
どちらかというと別にそんなによくないはずであった。
ドバイにゆかせてもらえたという奇蹟はあったけど、
小説家の観点から言うと、船パリを書き上げることが出来なかったし、
デビューしてから初めて、1冊も本を出すことがなかった年でもあった。
お金に困ったし、恋愛も世間的な定規ー状況だけで判断すれば、いつも通り一方通行で、いつもどおり負けている状態……かもしれない。
なのに思い返すと、楽しかったことや、満ち足りた気持ちや、
うれしかったことの方が多くて、
別段飛躍したりわかりやすいハッピーがあったわけではないにもかかわらず、
なんだかすごく幸せだったな思えること、思えるわたしになれたことが、
「良かった」ことなのだ。
ほとんどすべてのことに、満足している。
なのに、わたしは、唯一といっていい、じぶんの望んだ形まではいかなかったことに、
この大晦日に引きずられている。
そのことを考えて不安になっている。
そのことが、わたしにはこわかった。
ラベンダー湯に浸かりながら思った。
そんな自分の強欲さがおそろしい。
いつになったら人は、ほとんど揃っているパレットを眺めながら、
自分がまだ手にはしていない桃色のことだけに頭が支配される日々から抜けだせるのだろう。
ああ、いやだいやだ。
自分を憂鬱にさせている案件そのものよりも、重箱の隅をつつくように、自分を憂鬱にさせる案件をわざわざ取り出して考えている自分自身がいや。
そう思って、とにかく湯舟に深く浸かった。
自分から、醜いエゴが抜けるように。
憂鬱だったので、なにか歌を歌おうと思った。
この年いちばんわたしを幸せな気持ちにしたときに流れていた曲をくちずさもう、
そう思って寺尾紗穂を歌ってみてすぐにまた憂鬱になった。
♪ふたーりの愛が、壊れる少しまえ、あなたは言った、僕は変わらない、北極星が動かぬように
この歌にまつわる想い出も、この歌のアレンジも、すごく好きだけど、
「ふたりの愛が壊れる」という言葉が、わたしには抱えきれないほどこわくて、
いまこの曲を歌うのはよくない気がした。
歌いたい。でも歌うのがこわい。
こんなふうに何もかもが拮抗していて、わたしは前に進めるのかな。
そのとき。ふと。
あ。
そう思って、わたしはその歌を少し変えて歌ってみた。
♪ふたーりの愛が、始まる、すこしまえー、あなたは言った
僕はかわらない 北極星が動かぬようにーー
奇妙な話だけど、そのときすっとすべてが軽く、明るくなった気がした。
自分自身の重たかった靄もすこし風通しがよくなって、
もしかしたら、欲しい桃色も、いつか自分のパレットの上に舞い降りるかもしれない気がした。
同時に思った。
こんな簡単なことなのか。
ことばを返せばこんな簡単なことなのに。
気がつかなかった。
この歌を知った7月から、わたしはいつもこれを口ずさむたびに、愛しくて尊い気持ちになって、それと同じだけ悲しく憂鬱な気持ちになっていたのだ。
すこし歌詞を替えてみるという、そんなことすら思いつかなかった。
これが答えだ、大晦日の答え。
わたしは思った。
すべては角度の問題であって。
すべてはわたし自身の問題。
ほんの一瞬で、自分自身の世界を180度変えることもできるし、
またはその逆も。
課題は変わらなくても、角度を変えれば、
ちがう景色が見えてくる。
この歌に対して抱えていた数ヶ月分の憂鬱を、こうして数秒で払拭することができる。
まるで魔法みたいだね。
だいじなことを柳湯で得た。
もしかしたら東京駅にゆけない運転手さんは運命の仕掛け人かもしれない。
そんなことを思いながら、柳湯を出て、しいんと静まりかえった街を歩く。
時計は11時45分をまわったところ。
月が綺麗にでていて、もうすぐ年があける。
けれどわたしは、すこし先をいった気分でいた。
すこしだけ早く、年をまたいだ気持ちで。

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