足首
facebookページでの月曜コラムやら、観劇やら日本の一大事やらいろいろで、
なんとなく俗っぽいことを言っていないような気がして、たまには俗っぽいことも書きたい気におそわれた。
俗っぽいことを言わせて貰えるのなら。
わたしは痩せたい!笑。
そう、わたしは痩せたいのだ。
6月、7月の地味ダイエットが順調で2㎏やせていたのだが栄養が偏り、8月の頭に大風邪をひいて、10日寝込んだ。新連載の執筆をやらねばならなかったので、
とにかく栄養をと、白米&野菜を中心にしこたま食べて、大変元気になりましたが、
そのぶんちゃっかり「ふくよか」になり困っている。
特に困っていることは、わたしのデフォルトはここから4㎏少ない状態なのに、
これが定着することで、こういう太さの人と思われてしまうこと。
(俗っぽいでしょ。笑。でも困る。)
わたしはヨガとRUNをつとめてやるようにしているのだが、
執筆をずっとしているテンションの時(数週間つづく)にはなかなか日々のルーティーンにそれを盛り込めない。困った困った。
ついでにいうとわたしは「細いね」と褒められたことは高校以降一度もないけど、
「足がきれいだね」とはときどき言われていて、そういう「部位」に対する賛辞というのは、女のひとにとって心の拠り所であったりするものだ。
しかし何!? なによこの足首、びっくりすんだけど。
とはいいつつ、いまわたしの足首は腫れているので、ほんとうの太さはわからない。
実はこの前のブログ、赤坂歌舞伎の幕間に、わたしは「ひとり蒲田行進曲」に陥ったのである。ひとり蒲田行進曲、つまり絨毯敷きの階段を5段ほど転げ落ちた。
幸い大きな怪我はなく、片手にもっていたウーロン茶も無事、誰かと来てたわけではないので、知人もしくは友人に恥ずかしい思いをさせることもなく、事は済んだのだが、
すねを思い切り打ったので足首全体が腫れている。それで気づいたのだが、
いま、わたしの足は全体的にむくんでいるのだ!!(* ̄□ ̄*;
これはひとえにヒールを日常的に履いていないことと運動不足ゆえ!
ということで大至急、わたしは自分の足首の為にルーティーンづくりを始めた。
正確にはわたしの作品と足首の為。
今週はシルバーウィーク+2日くらいの塩梅でがっつり執筆の為のオフをとっている。
その執筆に向かう精神統一にも走ったり、自宅ヨガをすることはとてもいいので、
からだから覚えさせてゆく。
昨日、RUN復活1日目。RUNというより歩いた。
眠ったわたしの足首を起こす為である。
グラウンディングって言葉はわたし結構好きで、アスファルトがあるんだけれども、
足の裏を地球と一体化させる気持ちで歩く。
きのうは音楽を聴かずに、からだの声と世界の声をきいた。
キンモクセイの香りごと午後の空気を吸い込むと、秋晴れがからだの中に入ってくる。
なんかうれしい☆
ひと月ほどちゃんとからだを使ってやっていなかったので、足がなんていうか、
血と水ではなく砂が詰まっているみたい。
からだの巡りとか風とおしをよくすることはわたしてきには執筆にも関係あるから、
とにかく地に足をつけて歩いた。
そして本日。足がすこし軽くなっている。が、依然足はむくんでいる。
本日から起きて数十分、我流ヨガ的ストレッチ。
信じられないくらいにからだがあちこち詰まっている。
伸ばせるところをすべてのばして、今日も外へ。
今日はApple musicで適当な音楽を流しながら、走ったり歩いたりした。
Apple musicの新しいサービスの恩恵にちゃっかりあやかってしまっているわたしですが、
こんなことでほんとうによいのだろうか?
あまりに素敵な音楽が即時になんでも聴けて、申し訳ない気がしてしまう。
ビルボードTOP40の「UKアルバムTOP10」で話題になっていた、
Jess Glynneのアルバム「 I Cry When I Laugh」が素晴らしくてとてもいい気持ち。
1時間ほどそこいらを歩いて帰ってきた。通り道の市ヶ谷八幡神宮。
裏参道が左内坂であるわけなのだから、
昭和3年、あるいは4年、船パリの時代に、わたしの愛する長谷川時雨さまも、
ここに参拝したりしていたのだろうか。
そう考えるだけで胸がときめいて、自分も船パリの中の登場人物みたい。
ここへきて親友、熊田千穗の多大なる協力があって、登場するジャズメンたちの物語がぐっと肉厚になりそうなうれしい予感。
働きながら書くしかない、作家とはいつの時代も、超売れっ子以外はそうである。
そうでありながらも、こうしてすべてをふとせき止めて、物語のこと、あるいは物語の為の準備、だけに24時間をつかえる数日間はとてもありがたくて貴重で、そして必要な日々だなあと思う。いまのところとてもいい流れだと思う。
あとは足首。わたしの足首。
および足首からつらなるわたしのからだ。笑。
自分自身(私生活)に煮詰まると、とりあえず痩せようとするくせが、
わたしには昔から、ある。
どうにかしたくてもどうしようもないことがあるときとか。
どうにかしようと思えばどうにかなることーーつまり体重とかそんなんーーに、意識を集中させて、それがどうにかなったときに、どうにもならないことが1㍉でもどうにかなっていればいいなと思ったり、するのだろう。(と、じぶんで分析している)
でもそれは悪いことではないわ。痩せて足首をとりもどし、素敵な靴を履くことは。
それに。
これはわたしにとって最大のおまじない、実感をともなうおまじないなのだが、
もうそろそろ、わたしは幸せになってもよいのだ。
いやわたしはもともとずっと幸せで、満ち足りた人生であったと思うのだが、
とある部門においては、長い間、とても長い間、きつい思いをしてきたのだから。
それはもちろん自業自得で、自業自得だからこそ自分自身で乗り越えてきたわけで、
だからそう、わたしはもう幸せになる権利があるのだ。
ベッドに飛び込むように幸せに向かって飛び込めばいいし、
きっと幸せもそうやってわたしを待っていてくれるはず。
それを感じていればいいはずなのだ。
そう考えると、わたしはすこし落ちつく。
貼り付けた音楽は、Jess Glynneではなくて、
Vintage trobleの”Doin What you were doin'"
歌詞優先派のわたしには珍しくまだ歌詞の内容調べていない。
曲が、だって、いいんだもん。
こういう大人なフロウを、わたしもわかるようになってきのだな。
そう思いながら防衛省近くの小さな坂を駆け下りた。
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