« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

2015年9月30日 (水)

ヘビを見にゆく

Web20150930_163751

とある事情で実家に帰ってきている。
けれど執筆(もしくはその為の準備)があるので、
1日家にいる。なので夕方は1時間ほど、Runと散歩の間のような感じで、
外にでる。
そのコースの中におばあちゃんの墓参りを入れる。
昨日はお墓の御神酒とかを変えて、
今日は新しい花を持っていった。
(先日、妹あやめっくすが大変きれいにお掃除してくれたのでお墓はとてもきれいだった)

夜は母親と「ほたるの湯」に行く。
(いい気分になって寝てしまうことをくりかえしたので今日は気をひきしめずっと仕事)

サウナでからだが熱くなると、裸のまま出られるちょっとした庭があって、
そこにある茣蓙(ござ)式のビーチソファーのようなものにねっころがって、
母とお月見をした。

「ねえあきちゃん、不思議よなあ。こうやって宙をみていると時間っていうものがどんどんわからなくなっていくよね」

母はこういう。

「だって今わたしらが見てるかもしれない星はもしかしたらもう実体がない星で、なのに光だけがこうして届いているって」

だとしたら。

「逆も同じでさ、たとえばもうここに、おばあちゃんはいないけど、宇宙的にはおばあちゃんはいるように見えたるということにもならへんか」

Web20150930_164621

わたしたち、とくにお母さんは、いつもおばあちゃんと一緒に生きている。
こんなに仲の良い嫁と姑はいないと思うくらい。

とくに「ほたるの湯」には、そこかしこにおばあちゃんが居て、わたしたち孫達もそれをよく知っている、というか感じている。この感じというのは「死の悲しみを乗り越えられず」いつまでもそれを言ってる、というのとは違って、

それこそ「メメント・モリ」=生き死ぬるもの双方に光を。
当てている状態なのだ。

こっちにおばあちゃんがいないのはわかっている。でもいないけど居るものとして扱っているので、例えばお墓参りとかしても、普通にしゃべりかけてしまう。

「あんな、いつも同じ花も冴えへんし、コスモスとかにしてみたんやけどどうやろ」

コスモスが綺麗だったので写真を撮っていたらおばあちゃんの声が聞こえる気がする。

「あんたそんなん綺麗にとってもしょうがないんやから、それより早く水代えて」

時というものはなんなのだろう。
とても不思議。

時というのは、「今」という瞬間の中にも、金太郎飴の断面図のように、いろんな時が散らばっている。

「船パリ」のことをいましていて、とある事情で2014年は全くそれにふれなかったので、時代の勘をとりもどすために数日を要した。そういうあれで、親友のアルバム「Sing Me A Song」を聴きながら、生まれた街を走る。
その景色の中にも時が散らばっている。

耳の奥に親友の声とよく知っているジャズメンたちの演奏が飛び込んでくると、
あの贅沢だった2008年の「花よりタンゴ」の本番前の朝の気配に時は染められる。

ふと左を見ると、通っていた小学校が。もう駐車場になってしまったここは前は畑で、
みんなヘチマを育てていた。
しばらく走って右を見ると、昔暮らしていた、駅前コーポラスが見える。あの二階の端。
外からベランダを透視するようにぐっと眺めると、部屋の中では、5歳のわたしが、
懸命に松谷みよ子さんの真似をして、お絵かき帳に、物語を書いている。

Webimg_1413

家の冷蔵庫には、家族の写真がいっぱい。
そのうち黒猫の武蔵も白猫のバニラも、すずめのぴーちゃんも、おばちゃんもおじいちゃんも、つまり半分くらいの登場人物が、ここにはいなくなってしまっている。
けれども「いる」ので、ここにそのまま貼られていることはうちら家族的にはなにも悲しくない。戸棚の上にはわたしが賞を獲ったときのパーティの家族写真がある。
そのころわたしは痩せてて、わりときれい(笑

そしてこの写真を、うちに泊まりに来たさおりが見つけて、
「なんですかこれ!!めちゃ綺麗な人だと思ったら杉田さんじゃないですか!
マジでちょっと頑張ってください。(怠けすぎて劣化しすぎてますよ、の意)」

と、言った日すら、昨日のことのように思うがもう二年ほどが経とうとしている。
(そしてそれから2年、わたしはマジでちょっとも、容姿に関しては頑張っていない)

時って、いったいなんなんだろう。

そうだ、ヘビを見にいかなくちゃ。

なぜか強くそう思った。
ヘビを見たことはなんどもあるけど、どうしても忘れられない鮮烈な出会いをした場所があって。わたしはそこでとぐろを巻いているヘビを初めて見た。
チロッと舌が出ていてとても怖かった。
あきらかに「ただものではない」ヘビだった。

なぜか急に、しかも猛烈にそのヘビを見たくなって、わたしは小学校の前の細い道を川沿いの裏道に向かって抜けた。
(滋賀県、とくに守山は水路が張り巡らされていてどこもかしこも小さな川が道のわきにある。これはなんとエジプトのピラミッドとその周りの水路と同じ手法であるという都市伝説があることを最近知った!=邪馬台国が滋賀県にあるバージョンの仮説)

やっぱりそこもアスファルトに変わっていて、ヘビがいたところには今なにかを建てている途中のようだった。

わたしはヘビを見たときの位置に移動して、もう一度ヘビがいたところをじっと眺めた。

ここに、いたのだ。
たしかに、とぐろを巻いて。
わたしはヘビと目を合わせないように、左側の小道に折れた。
傘をさしていた、ような気がする。雨だったのかどうかは覚えていない。

じっと眺めていると、その時の断面図がわたしの背中にせまってきて、
いまにもその「時」にワープしそう。

時とはほんとうに、なんなのだろう。

そこにはアスファルトがあって、
もちろんヘビはいなかったのだけど、

別な言い方をすると、やっぱりそこに、ヘビはいた。

堂々たる様で、とぐろを巻いて。

Web20150929_154803

| | コメント (0)

2015年9月29日 (火)

タンゴ・冬の終わりに

2058666_201509040027409001441376083

タンゴ・冬の終わりに 土曜昼に観劇しました。
カーテンコールは場内総立ちの拍手★

難しい芝居だけれどもちゃんと伝わるのだな!とおどろきました。

と、いうのもわたしは戯曲家、清水邦夫の大ファンで、大ファンゆえに戯曲のむつかしさや独特の時代感、を知っているからです。

ちょうど前日に「火のようにさみしい姉がいて」のWOWOW録画を見ていて、
ほとんど同じモチーフーーーつまり役者の狂気、狂気をたずさえて男が生まれた街に帰り、そこでふたりの女の板挟みに遭い、どちらかの首をしめようとしてしまう流れなどーーーだったので、
なぜ清水邦夫はこのことをくりかえし描いたのだろう?などと考えながら観ました。

火のようにさみしい……は蜷川さんの演出で、基本これが本家であるのは知っているのですが、わたしは個人的には蜷川さんの演出のすごく泥臭い部分が同時に苦手であったりもする。対極にある自由劇場、そして串田さん、そして吉田日出子の芝居を追いかけてここまできた人間なので、それはもうしかたないと思う。

なので、今回の行定さんの演出の方が好きでした。

あの雪のシーン、
タンゴのシーン、
おそらく蜷川さんだったらもっと「生生しく」血みどろの「生」という雰囲気になったと思うのですが、行定さんの演出、とても美しくて、
雪がふりしきって、1枚のスクリーンのようになるところなど、
映画人にしかできない美しくビジュアル的なシーンだったなあと、
ほんとうに耽美的で、すべてが儚く、胸を打たれました。

Mゼロ(開演時の音楽)というのがなくって、
しいん、とした中で芝居が始まるというのも、
あまり最近の演劇ではないことでしたので、
それもとても斬新で新しく感じたなあ。

幕間休憩の後も、音がなく芝居がすっと始まって、
逆にびっくりするような、そんな面白さがありました。

個人的には、ユースケサンタマリアさんがとてもすばらしかったと思った。
いい意味でのふてぶてしさというか、気負わない佇まい、話し方、
そういったものがとても生生しくて、
演劇的な空間と役者陣の中に、ああいったリアルというか、
ふつうの佇まいをしてくれる人がひとりいると、
観る方の肩の力もすこし抜けて、
とても見やすくなるんだなあと感じました。

あと清水邦夫の戯曲に対して改めて思ったことは、
長い台詞やシェイクスピアの引用なども多くて、飽きずに見続けるのはすごく難しい、ということと、なのになんだろう、やっぱり、その物語や中にある言葉が観劇後もぐっと胸に残るというか、見やすくてずっと楽しめるお芝居も今は多いけど、幕が降りると「それだけ」でしかなかったりして、そういうことを考えると、清水邦夫の戯曲は観客の心に何かをやはり強く刻み残す戯曲と言えるし、それは時代が変わってもかわらないように思えた。
きっと普遍的なことを描いているからだと思う。

物語全体の内容に関しては、昨日の月モカで触れているので、
よかったらこちらもどうぞ☆
https://www.facebook.com/mocakonovel

とても久しぶりの友人にも会えて有意義な午後でした☆
20150926_152822

| | コメント (0)

2015年9月26日 (土)

柳湯

Webimg_2233

5月のうたタネ以降、
6月はトークショーからの芝居の手伝い、
7月は12日にそれが終わったと思ったら、新連載の執筆、
8月は風邪に始まり、これまた新連載の執筆、からの親友の一大事、
9月は脚本を書いた映画の試写会に始まり前半はいろいろバタバタしていて、

この1週間がひさしぶりのオフというか……
船パリのことをやる1週間、すなわちそれは自分にとって、麻布十番での日々、
恵比寿橋での日々、そしていつのまにか3年目を迎える神楽坂での日々、それら公私ともに振り返り見つめなおす日々でもあって、

加えてわたしにとって今年の5月は大きな転機でもあり、
それを踏まえて変わった、新しい自分を、もういちどちゃんと鏡に映すというか、
そういう日々でもあって、
なんとなく5月からの新しい、ある意味「昇り」といえた流れが、落ちついたからなのか、落ちついたように見えて後退している気がしているのかそれはわからないけれど、
よくわからない取り越し苦労というか
(だいたいわたしの場合それは取り越し苦労ではなくなにかしら正しいのであって、よけいそのループにはまってしまう…)という、

よくわからない、漠然とした不安もあったりして、
(不思議とわたしはこういう感覚を創作、つまり執筆に対して抱くことはない。つまり大変恵まれたことにわたしと小説の関係性というのは、なぜかわからないがいつも極めて安定している。とても、とてもありがたいことに)

全体的にもったりとはしていたのだが、その「もったり」に対して自分の心や細胞を費やすことができた贅沢な1週間でもあり(もちろん船パリは前進している)、
わたしはこのオフを、こういう過ごし方をして、よかったと思っている。

実際「一気に書いてる時間」というよりは、「書く前の時間」の過ごし方が大切なのだ。

そして柳湯。

昨夜、久しぶりに柳湯に行った。
わたしにとって柳湯は特別な場所。柳湯は不思議なところだ。

ここにあってここではない、いまであっていまではない気がする場所。

この3年間、ときおりはときおり、ときおりはまた集中的に、柳湯に来た。

おばあちゃんが生きているときも、
おばあちゃんがもうすぐいなくのなるのだと知った頃も、
とうとうその最悪の未来が「今」になってしまった頃も。

「艶蜜花サーカス」の連載に煮詰まったときも、
長谷川時雨さんを追いかけ昭和初期に思いを馳せて牛込を散策したころも。

重低音の中、とくに好きではない、かといってもちろん嫌いであるはずはない男の子たちと、しばしば並行して寝ていたころも、
そういう気分ではなくなってパッタリ閉鎖的に過ごしていたころも、

誰かの彼女という、わたしにとってとても特別な状態を、それなりには順調にこなしてはいたが、心が大きく高鳴ることはなく、自分が淡々と恋愛をとりおこなえる女になったことをさみしく思っていた頃も、
(つまり、誰かの彼女になっても幸せになれるわけではないのだ!わかってはいたことだけど)

わたしは、柳湯に来てここに浸かった。

柳湯はいつも同じで、その同じさに救われる。

ここに来る女の人たちの背中はみな美しい。

それは女優みたいにきれい、ということではなくて、
生きることを放棄している人がひとりもいないような感じの美しさ。

ここに来るひとたちの背中ランキングでいうと、
自分は、ひさかたぶりにこの言葉を使うが「あまちゃん」かなと思う。

伯爵令嬢のように女性として行き届いた感じの背中ではない雑さがあるし、
かといってたいして生活や人生に困窮してなそうな気配もあって、
誰かにちゃんと寄り添っているような貞淑さは見受けられないが、
かといって男(単に男、特別でもなんでもないような)の気配がないわけでもなくて、

書いててもおもうが「あまちゃん」で「半端」な背中ではなかろうか(笑

わたしは背中に自分をたとえているのではない。
女の人の背中は、これくらい語る。
逆に自分の背中こそ、予想であるが、
柳湯に来ている女の人の背中はけして無口ではないから、
わたしはそれをずっと見ている。

昨夜、柳湯はわたしの好きな、なんか茶色く濁っている日だった。

素直になりすぎないようにしよう。
いつも心を100で差し出されたら、受けとる側がしんどいこともあるかもしれない。
ときに手ぶらじゃなかったり、たまたま重たいものを抱えていたりする状況の場合。

自分が置かれている状況や自分の状態というものは、
ほんとうはいちばん自分がわかっていて、
自分がわかっていることがきっとほんとうのことなのだと思う。

と、いいながらも。

The things that I love is the things that I love.

どうもわたしは、わたしと話合わなければならないようです。

Webimg_3068

この課題はきっと「過去」からやってきているように思う。
それが「今」の「ちょっとした状況」や環境によって増幅する。

打ちのめされた「過去」を、わたしがわたしで乗り越えなくては。
それがわたしの今の思考回路をつくっているのだと思うから。

その思考回路は、わたしの「今」に絶対影響する。

でもこんな風に感情が動くことは幸せなことだ。
長い間、とても長い間、わたしのこういう感情は石像のように固まっていたので。

揺れることもいいな。
かつて石像のまま柳湯につかっていたわたしは、そう思う。










| | コメント (0)

2015年9月23日 (水)

足首


facebookページでの月曜コラムやら、観劇やら日本の一大事やらいろいろで、
なんとなく俗っぽいことを言っていないような気がして、たまには俗っぽいことも書きたい気におそわれた。

俗っぽいことを言わせて貰えるのなら。

わたしは痩せたい!笑。

そう、わたしは痩せたいのだ。

6月、7月の地味ダイエットが順調で2㎏やせていたのだが栄養が偏り、8月の頭に大風邪をひいて、10日寝込んだ。新連載の執筆をやらねばならなかったので、
とにかく栄養をと、白米&野菜を中心にしこたま食べて、大変元気になりましたが、
そのぶんちゃっかり「ふくよか」になり困っている。

特に困っていることは、わたしのデフォルトはここから4㎏少ない状態なのに、
これが定着することで、こういう太さの人と思われてしまうこと。
(俗っぽいでしょ。笑。でも困る。)

わたしはヨガとRUNをつとめてやるようにしているのだが、
執筆をずっとしているテンションの時(数週間つづく)にはなかなか日々のルーティーンにそれを盛り込めない。困った困った。

ついでにいうとわたしは「細いね」と褒められたことは高校以降一度もないけど、
「足がきれいだね」とはときどき言われていて、そういう「部位」に対する賛辞というのは、女のひとにとって心の拠り所であったりするものだ。

しかし何!? なによこの足首、びっくりすんだけど。

とはいいつつ、いまわたしの足首は腫れているので、ほんとうの太さはわからない。

実はこの前のブログ、赤坂歌舞伎の幕間に、わたしは「ひとり蒲田行進曲」に陥ったのである。ひとり蒲田行進曲、つまり絨毯敷きの階段を5段ほど転げ落ちた。

幸い大きな怪我はなく、片手にもっていたウーロン茶も無事、誰かと来てたわけではないので、知人もしくは友人に恥ずかしい思いをさせることもなく、事は済んだのだが、
すねを思い切り打ったので足首全体が腫れている。それで気づいたのだが、
いま、わたしの足は全体的にむくんでいるのだ!!(* ̄□ ̄*;

これはひとえにヒールを日常的に履いていないことと運動不足ゆえ!

ということで大至急、わたしは自分の足首の為にルーティーンづくりを始めた。
正確にはわたしの作品と足首の為。

今週はシルバーウィーク+2日くらいの塩梅でがっつり執筆の為のオフをとっている。
その執筆に向かう精神統一にも走ったり、自宅ヨガをすることはとてもいいので、
からだから覚えさせてゆく。

昨日、RUN復活1日目。RUNというより歩いた。
眠ったわたしの足首を起こす為である。

グラウンディングって言葉はわたし結構好きで、アスファルトがあるんだけれども、
足の裏を地球と一体化させる気持ちで歩く。
きのうは音楽を聴かずに、からだの声と世界の声をきいた。
キンモクセイの香りごと午後の空気を吸い込むと、秋晴れがからだの中に入ってくる。
なんかうれしい☆

ひと月ほどちゃんとからだを使ってやっていなかったので、足がなんていうか、
血と水ではなく砂が詰まっているみたい。

からだの巡りとか風とおしをよくすることはわたしてきには執筆にも関係あるから、
とにかく地に足をつけて歩いた。

そして本日。足がすこし軽くなっている。が、依然足はむくんでいる。
本日から起きて数十分、我流ヨガ的ストレッチ。

信じられないくらいにからだがあちこち詰まっている。
伸ばせるところをすべてのばして、今日も外へ。

今日はApple musicで適当な音楽を流しながら、走ったり歩いたりした。
Apple musicの新しいサービスの恩恵にちゃっかりあやかってしまっているわたしですが、
こんなことでほんとうによいのだろうか?
あまりに素敵な音楽が即時になんでも聴けて、申し訳ない気がしてしまう。

ビルボードTOP40の「UKアルバムTOP10」で話題になっていた、
Jess Glynneのアルバム「 I Cry When I Laugh」が素晴らしくてとてもいい気持ち。

1時間ほどそこいらを歩いて帰ってきた。通り道の市ヶ谷八幡神宮。
裏参道が左内坂であるわけなのだから、
昭和3年、あるいは4年、船パリの時代に、わたしの愛する長谷川時雨さまも、
ここに参拝したりしていたのだろうか。
そう考えるだけで胸がときめいて、自分も船パリの中の登場人物みたい。

ここへきて親友、熊田千穗の多大なる協力があって、登場するジャズメンたちの物語がぐっと肉厚になりそうなうれしい予感。

働きながら書くしかない、作家とはいつの時代も、超売れっ子以外はそうである。
そうでありながらも、こうしてすべてをふとせき止めて、物語のこと、あるいは物語の為の準備、だけに24時間をつかえる数日間はとてもありがたくて貴重で、そして必要な日々だなあと思う。いまのところとてもいい流れだと思う。

あとは足首。わたしの足首。

および足首からつらなるわたしのからだ。笑。

自分自身(私生活)に煮詰まると、とりあえず痩せようとするくせが、
わたしには昔から、ある。
どうにかしたくてもどうしようもないことがあるときとか。
どうにかしようと思えばどうにかなることーーつまり体重とかそんなんーーに、意識を集中させて、それがどうにかなったときに、どうにもならないことが1㍉でもどうにかなっていればいいなと思ったり、するのだろう。(と、じぶんで分析している)

でもそれは悪いことではないわ。痩せて足首をとりもどし、素敵な靴を履くことは。

それに。

これはわたしにとって最大のおまじない、実感をともなうおまじないなのだが、

もうそろそろ、わたしは幸せになってもよいのだ。

いやわたしはもともとずっと幸せで、満ち足りた人生であったと思うのだが、
とある部門においては、長い間、とても長い間、きつい思いをしてきたのだから。

それはもちろん自業自得で、自業自得だからこそ自分自身で乗り越えてきたわけで、

だからそう、わたしはもう幸せになる権利があるのだ。

ベッドに飛び込むように幸せに向かって飛び込めばいいし、
きっと幸せもそうやってわたしを待っていてくれるはず。
それを感じていればいいはずなのだ。

そう考えると、わたしはすこし落ちつく。

貼り付けた音楽は、Jess Glynneではなくて、

Vintage trobleの”Doin What you were doin'"

歌詞優先派のわたしには珍しくまだ歌詞の内容調べていない。

曲が、だって、いいんだもん。
こういう大人なフロウを、わたしもわかるようになってきのだな。
そう思いながら防衛省近くの小さな坂を駆け下りた。

| | コメント (0)

2015年9月21日 (月)

お染の七役

お染の七役
お染の七役
お染の七役
ひょんなことから観劇のきっかけを頂きました、赤坂大歌舞伎。
知らずに行きましたがわたしの好きな中村屋の芝居で嬉しい。

鶴屋南北が原作の「お染の七役」

七之助の早替えがもう、
手品みたい!(;゜0゜)/

ザ!歌舞伎!というような華やかな演目が好きなわたしには、
大変見応えのある演目でした、わいなぁ〜!!カカカン♩

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月17日 (木)

2015.9.17

最悪の展開になってきた日本を、
日本人としてわたしはこれからどう生きるのか。
ちゃんと考えたい。どちらかに偏ることなく。

hello my friends live in the world,
today is one of worst day after 2nd war in japan.
we has done wrong decision.

| | コメント (0)

2015年9月15日 (火)

黒蜥蜴

12026586_896208273799349_827906606_

美輪明宏の代表作とも言えるこの作品を、18年前に見過ごした。
以来なんとなくそのまま見送ってきたのだが、美輪さんが今季で「黒蜥蜴」をおしまいにするとの発表があってから、同じ時代にこの宝と、わずかでも重なって生きているのにこれを見ない手がありますかとチケットを取った。

マイケルと清志郎が続けて亡くなった最悪の6月以降、わたしは出来る限り見たい物は生で、なうで、観るようにしている。 

美輪さんは今年80歳だ。
いくら凄まじい美貌の持ち主であっても、御年80歳である。
わたしは観客はきっとそこに若き日の美輪さんの姿を重ねて観劇するのだろうなと思っていた。わたしもそう思っていた。                              
もしそう思っている人がこの読者にもいたらその考えを改めてもらいたい。                              
80歳の美輪さんの演じる「黒蜥蜴」の、なう!美しいこと、美しいこと。                              
まず、あんなに美しく長いドレスをさばいて立ち振る舞える女優が日本には他にいないだろうし,

〈けしてドレスは扉にはさまることなく、ドレスがするりと消え扉が閉まるあの出入りの間の完璧なこと!〉

三島由紀夫が紡ぐ、ある意味シェイクスピアみたいな台詞をあれだけ歌うようによどみなく話ながら、必要な部分を立たせて聞かせる技術を持っている役者もあまりいないだろうし、〈そして絶対に噛まない〉 なにしろ、

あそこまで舞台の上に圧倒的なベクトルを持って立てる人は、ほんとうに数少ないだろう。

わたしは美輪さんのちょっとした仕草、ちょっとした言い方や、動きの選択に、走馬燈のように人生のコストを見た。珈琲屋のボーイの美輪さん、銀巴里の美輪さん、長崎をくぐりぬけた美輪さん。                                                           
美輪さんはただ役者なだけではない、たくさんの夜を生き抜いてきた、夜の世界の人でもあるのだ。 自分という存在が、類稀な美貌をもってはいるけれど、わりと小柄なホモセクシャルのボーイだとして見世物のように扱われていた時代から、彼—あえて丸山明宏とするならーはけして誰にも媚びず、かといってお客様という存在をけして金づるのようにはとらえず、誇りをもって大切にしながら、たくさんの夜をくぐり抜けてきた。                              
そうだよなあ、今は扱われ方がすっかり変わってしまったけれど、そもそも歌うたいや役者や芸能人というものは、ほんとうに人生の荒波に放り出されて、たくさんの他人に助けられたり騙されたりいろんな経験をしながら、夜の帳を生きてきた人の職業なんだよなあ本来は、などと改めて、わからされたりしました。                                    
三島由紀夫の父は「文筆業、株屋、芸人は正面玄関から入れるな」という昔気質の人で、三島さんは父に内緒で隠れて小説を書いていたとあった。                                                            

三幕物で、休憩を入れると4時間弱もある「黒蜥蜴」だが、すこしでもダレるようなシーンはなかったし、毎回すこしづつ演出を変えて新しくしているのだということは初めて観劇した人間でもわかった。                              

江戸川乱歩が書いた原作を三島由紀夫が戯曲にして、それを美輪明宏が舞台にする。このすばらしい聖火リレーを目の当たりにして、芸術の底知れぬ力に、わたしはとことん圧倒されていた。乱歩の独特の妖しい世界奇抜なトリックが三島由紀夫の美しく耽美な台詞にふちどられてそれを圧倒的な美で三輪さんが演じる。                              

ほんの四時間の間に、作品としての質の高さはもとより、歴史とか、芸術というものの扱われ方や、いろんなものが清濁合わさって押し寄せてきて、 「人生」を教えられた気分。                              

パンフレットからの引用ばかりで申し訳ないが、
美輪さんが「黒蜥蜴」を上演し続けるその理由を、 自身の才能や存在価値ではなく、                              
「江戸川乱歩氏、三島由紀夫氏、寺山修司氏始め多くの物故せられた天才方に託された私の責務と心得る」                              

と記しているところが印象的だった。

「かの天才達の珠玉の作品をリアルタイムで感じて頂く使命の為の私の生命」

そう書ける人の演じる黒蜥蜴だから80歳でもあんなに美しく、いのちに溢れているのだ。

シャンデリアをピストルで打ち落として、みながひるんだ一瞬の隙を突いてさらりと夜の中に消えていく。 1幕の終わりの黒蜥蜴はほんとうに格好良かった。

ーーーーーーーーーーーーーーー      
〈月曜モカ子の”私的モチーフ”vol.29「人生のコストと黒蜥蜴」より抜粋〉
全文はコチラ→https://www.facebook.com/mocakonovel

| | コメント (0)

2015年9月13日 (日)

幕間

 黒蜥蜴!

二幕目終わって二度目の休憩。
三輪さんが凄すぎる。
素晴らしすぎる。

昭和の名作だが新しい、珠玉の言葉たち。魂が肉体を凌駕するとはまさにこのこと。
黒蜥蜴が美しくて美しくて。
写真は開演まえ。

二幕見終えた今、自分が写っていることが恥ずかしいくらいです。笑

11150972_896087087144801_1667420455

| | コメント (0)

2015年9月10日 (木)

2015.9.9

今日9月9日、船パリ、ジャズ監修の熊田千穗のおかげで深みを増して大きく船出。

ずっとこの物語を上海バンスキングに捧げるオマージュであるとともに、

それを一緒に追いかけてきた相棒の千穗に捧げるサプライズというか、
そういう風に考えていて、
わたしが創って彼女をびっくりさせると考えていたがそうではなかった。

船パリは千穗と一緒に創るものだったのだ、
正しく風を受けて物語はひとりでに動き始める。

Web_20150909_19_10_51

| | コメント (0)

2015年9月 9日 (水)

試写会を終えて

試写会を終えて


一昨日の試写会の写真など。

冒頭のモノローグを考えるにあたり、やはり全部を見ておかないとということで5月に一度観ていたのですが、
そのときはちゃんと台詞が成立してるかとかシーンが流れているかとか、脚本的な目線でしか見れなかったのだが、昨夜は大きなスクリーンでみたせいか、ひとつの映画として捉えることができた。
いい映画でした。あはは!笑
(褒めていいんだよね、映画は最終的にはみんなで作るものだから。脚本が、とはいってないし………チラ)
機材を提供してくれたPanasonicの方とも話せて、彼らには彼らのGH4への戦いのドラマがあり、
担ってる役割は違うから一緒に仕事をしたわけではないけど、この熱意の糸は繋がり絡まり合って、このひとつの映画に結実していたんだなぁ、と感慨深い。おかげで絵が、もう、綺麗よ、ほんとに。
でもこれはインディーズ映画監督たちには朗報だね!すごいよGH4。
俳優陣にも1年ぶりに会いましたが、さすが俳優陣は変容のひとたち、
みんながなにか「抜け」て新しくなっていて、主演の永峰えりかちゃんはぐんと色っぽく女優然としていて、
人は1年でこれだけ変わるのかと、思いました。そういうわたしも書くってことに対するスタンスが大きく変わったこの一年、やはり1年はなめてはいけないし、1年で物事は大きく動くのだな。
なんとえりかちゃん、我らがねじリズムの岡田と共演している模様。
あまりにも身内な名前が出てきておどろき!
そういえば、父の友人が、デジタルハリウッドを作った立役者だったらしくて、杉山校長によろしくね、とメールがくるような、
みんなが繋がりマクリマクリスティな夜でした、監督の翔くん、おつかれさま!!
やっぱりセックスシーン、長いよ!笑
(という、昨日の一コマからのジョークでした)


試写会を終えて試写会を終えて試写会を終えて
試写会を終えて

↑主演のおふたり☆

| | コメント (0)

2015年9月 7日 (月)

panasonicGH4

panasonicGH4
panasonicGH4
panasonicGH4

試写会始まりまして、
panasonicGH4の素晴らしさについて、メイキング映像を流しながら、確認しあうタイム、なう、です。

翔監督、さすが機材のこと詳しくて実感あるレポ。脚本に関してはぶつかることも多かったけれど、
こういう部分の積み上げられたスキルには手放しで拍手を送りたい。
‪#‎panasonicGH4‬ ‪#‎shofilm‬ ‪#‎goldfish‬Image


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 4日 (金)

お知らせ!

お知らせです!!去年の夏に脚本を担当したショートフィルムが無事完成!試写会をする運びとなり情報が解禁されました。
すこし前にここでもお伝えした1分半の短いCMを一緒に作った、藤井翔くんが監督です。
わたしの感性と藤井くんの感性、どちらも違ってどちらも譲らない頑固さは同じ(笑 やりとりにやりとりを重ねてようやくひとつの道筋に。ここに自分で勝手に書くのではない、脚本という仕事のおもしろさがあります。
Panasonicから新しくでるカメラのコマーシャルを兼ねた映画ですからその絵の美しさはいうまでもなし!ふつうはこんな機材で映画を撮れません(笑
(↓以下詳細)
ーーーーーーーーーーーーーー
パナソニック×デジタルハリウッド大学院 4Kショートフィルム映像作品、「金魚 - GOLDFISH 」の完成披露試写会を開催いたします。試写会当日は「金魚 – GOLDFISH」キャスト、クルーの舞台挨拶を含めた映画上映の他に、GH4での映画撮影について、パナソニック株式会社と撮影監督を交えた対談も予定しています。

Website: http://shofilm.wix.com/goldfish
Press Release: http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000961.000000496.html

【開催概要】
■日 時:2015年9月7日(月)19:00~23:00(開場18:30)
■場 所:デジタルハリウッド大学 駿河台ホール
   東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティ アカデミア 3F
■定 員:200名
■費 用:一般2,000円、学生 1,500円 (いずれも懇親会費込み)
     *学生の方は受付で学生証のご提示をお願いいたします。
■主 催:SHO FILM
■後 援:デジタルハリウッド大学大学院
■詳 細:http://shofilm.wix.com/goldfish
■お申し込み:http://gs.dhw.ac.jp/event/150907/
Panasonic * Digital Hollywood Graduate School
World Premiere of 4K Short Film, "GOLDFISH"
Premiere Stage Greeting of Cast and Crew members of GOLDFISH as well as Panasonic GH4 Session with the representative of Panasonic.

http://shofilm.wix.com/goldfish

| | コメント (0)

2015年9月 3日 (木)

シバタヒカリ

月モカの挿絵を描いてくれているシバタヒカリがふとTweetした漫画が、 なんと3万リツイートを超え、ニュースになりました!(;゜0゜) なんて素晴らしいこと!!! やはりシバタヒカリの絵にはひとを釘付けにするなにかがあるのだ。

http://tabi-labo.com/177603/manga-twitter/

20150903_162520

| | コメント (0)

2015年9月 2日 (水)

TOP

20150930_16_56_30

ー感じること、書き記すこと、前に進むことが中島桃果子、ですー

2015年1月中旬〜ひと月ほど、幻冬舎とJACFのお仕事でUAEに行って参りました。
そのレポなどはこちらから☆
http://mocatina.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-d20e.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

中島桃果子のこれまでの著作など

《小説/単行本》
「蝶番」(新潮社 2009年)
「魔女と金魚」(幻冬舎 2010年)
「夕日に帆をあげて、笑うは懐かしいあなた」(朝日新聞出版 2010年)
「誰かJuneを知らないか」(祥伝社 2012年)

《短篇または文庫本》
多作家短編集「スタートライン 始まりをめぐる19の物語」(幻冬舎 2010年)
「Feel Love Vol.13 2011.3.11」(多作家短編 祥伝社ムック)
多作家短編集「眠らないため息」(幻冬舎 2011年)
多作家短篇集「密やかな口づけ」(幻冬舎 2014年)
文庫版「魔女と金魚」(幻冬舎2014年)

《エッセイ》
「はざまの散歩」(ジェイノベル2009年7月号)
「life has a funny,funny way of healping you out」(ポンツーン2011年7月号/忘れられないメロディ)
「世界がひっくりかえった日」(feel love vo.13/2011.3.11 そして今わたしが思うこと)

《官能ライトノベル》
「艶蜜花サーカス〜フィリア・ドゥ・フェティソ〜」(KADOKAWA / フルール文庫 2013年)
「甘滴恋情事(あまだれこいじょうじ)」(KADOKAWA/フルール文庫 2014年)

その他、これまでの中島桃果子の歩みはwikipediaを参照くださいませ★
(加筆も歓迎です!)

| | コメント (1)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »