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2015年8月17日 (月)

月モカのチラ見せ☆

本日更新になった「月曜モカ」で新連載について触れています。
月モカもなんとvol.25!ちりも積もればを実感しつつ……
Facebookやってない人には申し訳ないんだけどFacebook限定のエッセイなのですごめんなさい。いずれはまとめてモカティーナ書房から…。

faccebookやってる方はどうぞぽちっといいね!お願いいたします!

今日は新連載について触れているということもあって、大胆チラリ☆
全文を転載します。(もはやチラリではなく全裸 笑)
事情があってFBはやってないけど読みたいし!という方のために。
(今後も10回に1回くらいは転載しようかな)
というわけでどうぞ!

                  ☆☆☆

《月曜モカ子の”私的モチーフ” 第25回「型破り」》
文/中島桃果子  絵/シバタヒカリ

一年ぶりに小説を書いている。一年ぶり。
小説といっても特殊なスタイルの連載で、いわゆる漫画みたいなコマ割の小説で合間合間に挿絵が入る。            
本日そのレーベルからのニュースがリリースされていろいろ解禁になるのだが、最終確認中らしいので、細かいことは「もやっと」したままの状態でしか言えないのだがそれについて語ってみようか。                          
この仕事、渡されている原稿用紙も特殊で、A4を横向きにして、それを6分割した状態のもので、お弁当箱におかずを詰めていくように、小説というか文章を詰めていく。
そしてここは文字じゃなくて絵で見せた〈魅せた!?〉ほうがいいなと思うところにはふきだしを入れて挿絵のリクエストをする。
                             
普通の文芸の小説を書くのとはまったく脳の使い方が違っていて最初は手こずったのだが、戯曲や脚本を書いてたときの感覚で、そして描いたことはないが「もしもわたしが漫画を描けたなら」的な感覚で書き進めている。そう、わたしは漫画家。そう自分に言いきかせて書き進めてゆく。ここで〈仮〉でもタイトルをみなさまに告知できないのが大変残念である。
大変お気に入りのタイトルなので。                    
                              
昨年一昨年と、ラノベを2冊出してみっちりライトノベルの「型」を学んだ。
そのころのわたしは仕事は選ぶもんじゃない、ありがたくすべてを受けていくものだと考えていて、新しく立ち上がったレーベルということもあってライトノベル官能というものにチャレンジし奮闘しながら2年を過ごした。
                             
(そういえば今回も新しく立ち上がるレーベルの仕事であって、新しい試みに中島桃果子と名前があがることは、大変ありがたいことだと感じている。)                                                                          
後に歴史となっていく「今」、その「今」が歴史になったとき、あのときあんな風に時流が変わったその立役者に中島桃果子ありというような冒険的な生き方をしてゆきたいから。
                             
去年、2本のライトノベルそして1本ショートムービの脚本をもんどりうって仕上げて、2014年の年末にわたしが出した答えは、職業作家を目指すことはわたしには向いていない、ということだった。                                                 
書きたいものを書きたいときに書く。
(連載など納期があるものは別だよ)               
今年なにを残せるか、一年という時間に追われて何かをとりあえず残さなくてはと思うのではなく、「今」という一秒を一生という単位から捉えて、
                           
「火花」の選評にもあったように、人生のコストを、濃縮してかけて生きていく。それがいつかのなにかの一行に大きくのっかっていくように。
                             
                                   
つまり小説家は、小説を書いていないときも365日24時間体制で小説家でありつづけるのだ。そういうものなのだ。
それを確認してから、小説を書いてなくても「まわりにサボってると思われていないか」とか考えなくなった。そんなことはどうでもいい。そんなことを考えて一生ものの作品を逃したらそれこそ人生の失点である。                    
そうこうしている間に賞とかもどうでもよくなった。
売れるとかもまじでどうでもいい。作家としての生きざま優先。とかカッコイイこといえるほどの生きざまはしてないが!
生活における作家業とバイトの比率もどうでもよくなった。
(ただし日に日にギリシャ化は深刻化してゆく!)
                             
わたしがほんとうに書きたいものはなんだろう?
生涯かけて、物書きとして挑戦したいこと。
モノカキという職業についたわたしとしてやらねばならぬこと。
生涯かけて遺すべき作品。
中島桃果子とは、どういう作家でありつづけるべきか。
                              
考えていたことがある。
「これは当たる」先行でものを考えること。
それってほんとうに、機能している!?
(それらを生業にしている人はまた別)
                             
去年の6月かなあ。情熱大陸でジブリの鈴木さんが言ってたことが頭から離れ慣れなくて、未だにHDDに保存してある。
                             
有名な芸能人がPRしたらその映画は当たる。
今時代はこういうのを求めているからそのエッセンスを織り込んだら当たる。
人はこういう感じを求めてるからそのかゆいところに手が届くと当たる。
そういうノウハウのようなものが「果たしてほんとにそうか」
いつでも疑ってかかっていきたいと鈴木さんは言っていた。
                             
ラノベにも決まりごとがいくつかある。
「こうしたらウケる」はずなので必ず盛り込まなくてはいけない要素であるとか。その中でもフルールは縛りがゆるく、さらにわたしは文芸作家ということで大目にみてもらっていた。
                             
でもそれらノウハウに対して「ほんとうにそうだろうか」と湧きあがっていた疑問があって。だってそれって誰が決めてる!?
同時に基礎練習がどれだけ大切なことかも元バスケ部の自分はよくわかっている。こういう退屈な作業いやだなあと適当にやっていたから、わたしは最後までオールコートをドリブルで抜いていくことが上手に出来なかった。
「型」はやはりきちんと踏襲してから破るべきなのだ。
                                          
この新しい仕事が来たとき、わたしは生まれて初めて、依頼された仕事を断ろうと思っていた。
ライトノベルは自分に向かないと知っていたからだ。
                             
けれどあろうことか、編集者さんと一緒に来て下さった編集長さんは、わたしがずっと愛読していた雑誌「せりふの時代」の元編集長さんで。
元演劇少女にそれはいたく効いた。
あの雑誌を編集していた方が、しかも編集長が、わたしに執筆を依頼してくれるなんて夢みたい!!!                          
「戯曲を書くような気持ちで縛られず気楽に好きに書いてみて下さい」
戯曲!!!!
そんな言葉もらってしまったらヤルシカナイジャナイデスカ!!!
                             
                                   
わたしは2つ条件をつけた。
そちらが書いてほしいものではなく、わたしが書きたいものを自由に書かせてくれること。
それからいかにもレディコミという感じの挿絵を1600㌫避けること。
                                                                      
偉そうな言いかたであるが、革命にはそれなりの要素が必要である。レディコミを否定しているのではない。今それがわたしがやりたいことの追い風にはならないからそれをとり外したい。
                             
お二人はそれを心から了承してくれた。
なのでわたしは、今回は読者に寄り添わず、まったく読者を意識しないで好き勝手に暴走するということをやってみたいと提案した。
読者を意識して一生懸命やって当たらなかったのだ。だったらもう、かつてないほど好き勝手やるということに挑戦してみたい。
おふたりはそれも「ドーゾドーゾ」という感じであっさりOKだったので、わたしはこの仕事を受けた。
                             
今日のこの絵をご覧になればシバタヒカリがいかに素晴らしい画家かわかっていただけると思うが、わたし最初シバタヒカリと組みたかった。がしかし、今回の仕事は挿絵の量も尋常ではないので、売れっ子シバタヒカリのスケジュールがうまく縫えず、そしてこれは大変ありがたいことなのだが「月モカを大切にしているので丁寧な仕事をしたい」ということで、別の画家を探すことになった。                                     
シバタヒカリという道が途絶えた今、シバタヒカリを超えるくらいの挿絵画家を見つけなくては、毎週月曜日にシバタヒカリのすばらしい絵を見ては後悔することになる。わたしは熱心に編集者さんに素材を送りーー「パタリロの世界観いける感じの」「ムーランルージュ、ロートレックぽいかんじ」「玉置浩二的な愛とエロスの世界観で」等々意味不明のメールを膨大に送りつけーー
編集者さんは「このひとしかいないやろ!」という画家さんを見つけてきてくれた。                     
かくしてわたしは一年ぶりに小説を書いている。いや漫画を描いている。楽しい。とても楽しい。                           
ひとの心に響くということ。ひとの心を掴むということ。
自分で答えをつかみたい。
それはほんとうは、それらをコントロールしようだなんて偉そうなことを考えないことではないか?
ひとの心という唯一無二にしてばらばらなものを掌握できるだなんて自惚れないことでは?                  
だとしたらいまわたしにできることは、媚びないことではないのか。読み手の顔色を伺わないことでは?                        
おそれずわたしの「面白い」を、つまりわたしのフェティシズムをカミングアウトして、とりあえずわたしの股をひらくことでは?笑
なんとなく狙いすまされた下着の写真より、唯一無二の生モノのアレの流出の方が人はその勇気をかうのでは?                             
変な言い方をしてしまったが、これが吉本ばななさんのお父様がなにか対談でおっしゃっていた、
「作家のその血で書かれたものでなければ読者はお金を出さない」ということではないかと思う。
                              
                                   
むろんわたしがもっと人の気持ちを汲めて、ホテルのコンシェルジュのように心地よくひとをサポートできるタイプであれば、
そういった心遣いがうれしいねスタイルをとっていただろう。
けれどもし、そういうポテンシャル(素質)が先天的にあったなら、作家にならずに良妻賢母になっていたのではないだろうか?                
裏ブログのキャッチフレイズを村上龍の、
『頭のおかしな奴は死ぬかロックスターになるか小説家になるかしかない』
にしているような奴が、そんな心遣いうれしいねスタイルを遂行できるはずがないのである。そんなやつは深夜に4リットルの水と塩をもって、管理人さおりんの部屋のピンポンを50回も押さない。                
(先日、十年来のつきあいで初めて管理人さおりんと喧嘩しまして、奴を漬け物にしてやろうと深夜に自宅までおしかけた。くわしくはブログをご覧ください)
                             
そんなわけで、小説家になるしかなかった頭のおかしな奴のニッチな新連載、どうぞお楽しみに!!タイトルはいま明かせませんが、今日のこの女の子の髪の色とは関係があります。
                                    
                             
最後に、型の練習で苦しんだと書いたことでラノベを否定しているようにとられたらやなので書いて置くと、今回の仕事、なぜわたしに依頼したのか編集者さんに訊ねると、その理由は「蝶番」でも「まじょきん」でも「誰June」でも、いかなるわたしの文芸作品でもなく、そのきっかけはKADOKAWAで書かせていただいた「甘滴恋情事」でした。苦労しながらもラノベ二年目、すこしづつ色んなことがわかってきて、一生懸命読み手の顔を思い浮かべながらコンシェルジュにトライした作品です。                                
                                    
やっぱり、型破りの前には、かならず型がある。
型に対して全力で取り組んだ時間があるからこそ、それを破りたいという風に血が滾るのだから基礎練習は大事。
                                                    

                       〈私的モチーフvol.25「型破り」〉

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
☆エッセイを短くする、という作業には本日も失敗した模様。
(。-_-。)ポッ 短くするってムツカシイ!

 

                    ☆ ☆ ☆

《月曜モカ子の”私的モチーフ” 第25回「型破り」》 文/中島桃果子  絵/シバタヒカリ 一年ぶりに小説を書いている。一年ぶり。 小説といっても特殊なスタイルの連載で、いわゆる漫画みたいなコマ割の小説で合間合間に挿絵が入る。       ...

Posted by 中島桃果子(小説家) on 2015年8月17日

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