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2015年6月20日 (土)

拭う

今日、ひさしぶりにお天気がよかったので久しぶりに走った。
ここのところタイミング合わずヨガも行けてなかったので、からだを解放してやろうと、
走りにでたのだ。

走りながらじっくり清志郎を聴こうと思って家を出たのだけど、
玄関でなぜかCharaの「ミルク」を口ずさんでしまい、
猛烈にCharaが聴きたい気分になって予定を変更した。

スワロウテイルが爆発していたころ同じく爆発したCharaのアルバム「Junior sweet」は聴きすぎてCDがもう聴けなくなってしまい、今もっているCDは二枚目である。

晴れていたからかもしれない。

聞き慣れたCharaの歌が、急にすべて新しい音楽、言葉となってきこえてきた。

違う、そうじゃないのよ、これらはもっと、あなたの今と未来のための歌なのよ、
過去ではなくて。

そんな風な感じに聞こえてきた。

そこでわたしは走りながら「過去を拭う」ことに集中することにした。

悲しかった思い出、切なかった、辛かった出来事なんかが、
本当はクリスタルのように透明で美しい音にこびりついて、それらを曇らせ、
聴くことを億劫にしてしまう、そんなことが音楽にはよくある。

そしてそんなことも気づかないくらいに、それらは心の奥に居座っていて。
今のわたしの、明日への気持ちを曇らせる。不安を呼び起こしたりして。

傷ついていたんだー

けれどもそれをあまりじっと眺めたくはなくって。
でも向きあわなくてはいけないような気もしていて。

でも今日わたしがしたことはとってもシンプルなことだった。
取り出したり向きあったりそういうカッチリしたことをしたのではなくって、

歌で心を洗った。
ぐちゃぐちゃになった砂浜を、波がさらって、
何事もなかったようなもとの景色に戻すように。

もう過去のことはいいんだよ、と。

たくさん失敗をしたけれど、そのぶん傷ついて、そのぶん学んで、それでよかったと。
なにもやりなおさなくていい、今を生きれば。

固い言い方をすると、カルマとトラウマを解放。

簡単にいうと過去に巣食う、悲しい闇を拭う。わたし自身の指先で。

誰かに拭ってもらおうと待っているのではいけない。
それを相手に託してはいけない。そうすると悲しみがバトンされてしまう。
せっかく誰かに出会っても。
だから自分で拭って、それから待つのだ。

愛に溢れた、輝かしい「今」すなわちちょっと先の未来のために。

大切な、とても大切な曲を1曲解凍した(笑

雪の下で、凍ってしまっていた曲を。
2009年に本人の前で聴いて、雪どけは迎えていたけれど、
わたしはわたしを赦したわけではなかった。

その曲に今日、春の息吹を吹き込んだ。

両手を少し開いて、闇をふきとるように走る。
振り返らないけれど、この背中の後ろはすべて、愛で浄化されたはずだと感じながら。

♪全部愛してしまえばいいよと笑いながら君は歩いてく

パリで聴いた歌を思い出した。
このときわたしは誰のことも愛していなくて、この「君」が誰でもなくって、
それはそれで幸せだった。

いつもの神社でお賽銭を投げようとしたとき、強い予感があった。
予感の通り、取り出した100円玉には昭和54年とあった。
わたしの生まれ年のものだった。
36年がめぐって、透明化した哀しい闇と一緒にその硬貨を投げて、
わたしは0(ゼロ)すなわち生まれたてに戻った。
お願いごとはしない。
すべきことがなにか、わかっているからだ。
誰かに拭ってもらうのではなく、自分で拭わなくてはならないと知っているように。

完璧な、完璧な午後だ。そう思った。

わたしは生まれたてで、ここには「今」と「これから」しかない。

♪Baby 前に 進みましょう わたしたちの拡げた地図、とても大きいー

あるときから、かつてのわたしへの弔いの曲になっていたこの曲は、
もう悲しい曲ではなかった。

自分の指で、はじまりの歌に、塗り替えた。
過去を拭って。

わたしの「今」は輝いている。

たった40分、家の外を走っただけで。

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