« メメント・モリ | トップページ | ☆うたタネ詳細☆ »

2015年5月14日 (木)

最近のわたしについて

久しぶりの、そして2015年初の、うたタネに向けて、ばたばた動き始めている5月連休あけです。ようやく忙しくなってきました。そして楽しい。

うたタネは、わたしがほんとうに「豊かだ」と感じている活動のひとつです。

2,000円で1Drink付という価格帯はほんとうに色んな意味で原価ぎりぎりで、
儲かることはまずないし、製作にあまりお金もかけられません。

けれど同時にお客様にも気軽な気持ちで来てねといえるし、
関わってくれる人にもギャラとかほとんど払えないので、
でも不思議なことにそのおかげで有志というか、
楽しんで助けてくれる人たちが集まってくれて、

本当に関わってくれる人の叡智と、
「楽しそうだからやる」という気持ちと、「楽しそうにやってるから応援するよ」という気持ちに支えられて毎回やれてる。それってすっごい幸せなこと。

同時に、狭いところで少ない、コアなお客様(ほとんど友人ともいえるような)に発信するからこそ、実験的だったり、いい意味でお客さまをおいてきぼりにするようなことにも挑戦できるし、同時にさかさまだけど、これだけ近いところで、どれだけ目に見えない何かを共有できるかということにチャレンジができて、毎回とてもやりがいがあります。

やりがいがあるよ、おいてけぼりにしつつ、共有するというのを目指すのは(笑

歌手と作家が芝居してる時点でかなり置き去りだしね、笑。

でもね、ここでプロの役者を入れるというのもすこし違う気がしてね。

今回は詩人の文月悠光ちゃんもお芝居に加わってくれるから、まさに、
詩人と作家と歌手がつくる芝居なんだけれども。
でもおのおのその演目の中に構成台本や劇中詩や歌など(というか歌が主なのだが)、
ちゃんとプロフェッショナルな部門があって、
それはほんとに”プロフェッショナル”だしすばらしいからーー千穗の歌、悠光ちゃんの紡ぐ詩、いちおうわたしの台本もっーーそういうバランスもいいなあって思っているの。

毎回装画を描いてくれている近郷画伯の絵にしてもそうなんだけど、
彼女は本当は写真と花を生業にしていて、絵は趣味なんだけど、
でも彼女にしか描けない絵の世界がわたしはすごく素晴らしいと思っていて、
プロの画家よりもいい!と思っている。
(わたしは昔から彼女がたまに手紙とかに描いてよこす絵の天才的なゆるっとさに惹かれていつか絵を描いて貰おうと心にストックしていた 笑)

わたしはそういう、上手か下手かだけで計っていくと計測できない世界を常に生みたいと思ってやっています。

でも計測できない世界を伝えるためには、ちゃんと計測できる技術や構成がこれ必要で(相反する言い方になっちゃうんだけどね)
そういう人たちが素晴らしい仕事をしてくれるからこそ、その土俵の上でブレる、計測付加な事態が活きてくるんだよね。

前回から衣装に妹のみいきが加わってくれて、今回は詩人のゆみちゃん、
そして素晴らしい岡本シェフがフードの監修で加わってくれて、
毎回すばらしいピアニスト上山くんが嫌な顔ひとつせず、芝居にもつきあってくれる。
こんな恵まれたイベントがあるかい!?と思うわけです。

UAEから帰ってきて2か月ほど、わたしはほぼ引きこもっていろんな調べ物をしたり、
天の岩戸なんかにいったりしてた。わたしの中に確認したい出来事がいっぱいあって、
それを片っ端から調べていました。
そういう日々の中でどうしても表現せずにはいられないと思うこと、
とりわけ強く感じたことなどを、
なんとかみなと共有できたらと、熊田と半日顔をつきあわせて相談した。

やろうとしていることはむつかしい。でもそれをなんとか伝わるかたちにしたい。
けれどもこういう悩みはすごく幸せな悩みです。表現に対して貪欲でいられるということ。

最近わたしは小説を書くことやものづくりをすることとお金を分けて考えることにしました。
というか自然にそうなってきた。

ものづくりというか芝居はもともとそうとして、小説もね。

小説に関しては処女作から賞金、印税と頂いてのスタートでしたから、
これはもうきちんとやらねば!!!支えてくれている編集者さんのために!!
と、職業作家になるべく6年やってきましたが、7年目にさしかかり、はてほんとうにそうだろうか?と問い直してみてね。

つーか、職業作家てなんですのん?

今年バイトを減らしたいからとか、もっと書いて皆に知られる作家にならなきゃ、何も書く仕事がないよりはどんなのでもあったほうがましとかって、
あんた作家だろと、わたしがわたしに思うわたしの使命から考えるとすごくちっぽけで、
目先の話かなあと。
(あ、これまでのところ、あったほうがましとかって引き受けた仕事はひとつもないよ)

それよりもあるだろう、と思いました、中島桃果子という名前で何かを書かせてもらえるならば書き遺しておかねばならないこと。残すではなく遺すという気持ちで、書くべきではないかなと。

うまく言えないが、お金と表現を切り離すとすごく豊かだし、原点に戻れる。

月曜エッセイも楽しんでやっているうちに絵を描いてくれる子も見つかって、
これを書くことで生活が楽になるわけではないけど、確かにこれは中島桃果子だよなという執筆行為だなと思う。それはなんかすごく大切であって。

こうして些細なところまで中島桃果子を敷き詰めていってその先にケッサクが生まれるんじゃない?(笑 ぱっと見活動していないように見えたり、全然関係ないことして遊んでいるように思えても。

そんなわけで、もうすぐ装画があがります、乞うご期待!

写真はなんか、エフェクトかけたらおもしろいかんじになった、
とある五月の木。

なんか今日は急に思い立っていっぱい書いた。
衝動がだいじだな、なにごとも。

Web

|

« メメント・モリ | トップページ | ☆うたタネ詳細☆ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« メメント・モリ | トップページ | ☆うたタネ詳細☆ »