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2015年4月20日 (月)

イミテーションゲーム

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実は3回観に行った(笑 しかも映画館に!

1回目は壺井さんとで、これもお誕生日にと、チケットを買ってもらった。

ふつうに素晴らしい映画でしたが、
なんていうか、わたしには、ときどき、
「ふつう」これくらい評価されるであろう映画だという感覚とは、まったく別のところで、
途方もなく惹かれてしまう映画がある。

3回も?なぜ? 
そう言われたらなぜかはよくわからない。

2回目はその正体を知りたくて行った。
なぜ?こんなにも惹かれるのかを知りたくて。
3回目は母に見せたくて。
わたしは2回目に感じたことを、もういちど確認しながら見た。

なんどみてもうれしい、感動するシーンがある。
「気づき」のシーン。

ほんのささいなことが脳みその導火線に触れて、花火が弾ける。
そのとき、こころも、からだも、それが起こるすこし前からそれに気づいている。
ああ!すごいことがおこりそう!!
そのいのちの躍動。

わたしが途方もなく、惹かれるのは、
人目につかないところで、
孤独な作業をしながら、自分の信じる真理を追究しつづけた人がいて、
そのひとは何十年も経って、こんな風に称えられることも知らずに、
知らず知らず追い詰められて死んでいった。
そのことさえも知られずに。

けれど今、誰もの日常に不可欠といっていい、パソコンや、
手放せないiPhoneなど。
このルーツを追いかけて行ったならば、彼の生きた日々にたどりつく。

この手にいつも持っているiPhoneの中に、
その彼が追いかけ続けた日々があって、
追いかけ続けた答えがある。

そんなことも知らずに、人はそれを使っていたり、するんだなあと。

そして、そんなことを知ってしまったが最後、
もう、あなたを思わずには、日々を過ごせなくなってしまったということ。
だって、これはあなたが切り拓いてくれた道だから。

天才や、スターや、芸能人や著名人やオリンピック選手とか。
身の回りににはいない、
「ふつうではない」
スゴイ人を人は敬い、憧れる。

なのに、身の回りにいる「ふつうではない人」を、
実は人は嫌う。

その「ふつうではない」と、この「ふつうではない」を、全然違う、雲泥のように考える。
でもほんとうは同じだから、
「ふつうではない」人間は、「ふつう」の中で苦しむ。

映画の中であの警官だけが架空の人物だという。
パンフレットにはこう書いてあった。

「ノック刑事は、悪人ではない普通の人間がいかにチューリングにひどい仕打ちができるかを観客に見せる」

ほんとうにそうだと思う。

ふつうではない人たちに支えられて科学や芸術や、世界はすべてここまで歩いてこられたのに、そのひとたちの人生は、日常という単位の中では理解されずないがしろにされることも多い。

けれどそれでもそんなにも、自身の中に「成し遂げなければならないこと」があった、その神秘にも心打たれる。

ゴッホはなぜあんなになってまで絵を描き続けたのだろう。
ルソーは?

チューリングにとってマシンはなんだったのだろう。

あるのだ。

自分の内側を叩く運命の音が。
自分を内側から突き動かす宿命のひかりが。

彼等はそれにまっこうから取り組んできた。
なんて美しいのかしら。

同時に。

自分の周りにいる、「ふつうではない」人たちにも、
ちがう角度から接してみることができるのではないか?

「こいつ日本語つうじない」

たまに人を馬鹿にしていうことば。

でもそうだろうか?わたしの日本語は、その誰かにとっても同じ日本語か。
そしてそのとき、自分の日本語が正しいと、いったい誰が決めたのだろう。

にんじんとグリンピースがけして混ざってはいけないと強くこだわることは、
ほんとうにおおげさか。

人の姿形は似ている。でも、その中はどうだろう。
わたしたちは、常に相手も「当然こう考える」というふうに決めつけてはしないだろうか。
ただ、なんとなく姿形が似ているというだけで。

関わるすべての人に対して、もっと目をこらそう。
もっと耳をすまして。
そのひとにとっての真理はなんなのか、たとえ解らなくとも、すこしでも寄り添えるように。

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