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2015年1月 2日 (金)

新年のご挨拶に際して。

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どうも。新年があけました。
わたしは今、滋賀県の守山市というところの、駅からさらに奥に奥に車で行ったところにある、おおよそ野洲の手前ともいえる小浜市、というところにある母方の実家の、
仏壇の間でこれを書いています。
ちょうどこの写真の西勝寺の真向かいに、母方の実家はあるのであった。

年が明けたらブログを通して紡ごうと思ってた、漠然とした感覚、に、
さらに年末に色々ありましたので、すこし長くなるかもしれません。
お時間ある方、おつきあいください。

実は、年末に母方の祖父、中島則明が往生しました。

ちょうどクリスマス前の週末に母が東京へ遊びにきていましたが、自宅にて具合が悪くなり、母は予定を繰り上げで日曜の夕方に滋賀へリターン、そのまま入院となりました。
90歳になりますし、元々身体は強くなく、この1年はすこしづつすこしづつ弱ってきていて、
わたしたちもすこしづつ心の準備をして来ましたが、
26日の夜、母から「だんだん意識がなくなってくると思います。早く会ってほしいな」とline。

本来は31日に帰省する予定でしたが、着の身着のままで翌朝27日新幹線に飛び乗り、
その晩は母にゆっくり寝て貰う意味もかねて、おじいちゃんの病室に泊まり、
ふたりきりで、今から考えるとおじいちゃん往生の前夜を過ごしました。

日曜28日、わたしは用事や、本格的な帰省の仕度もあり一度東京へ。
そしてその夜を明けずして(朝は来たのだが……)早朝に臨終となりました。

師走の終わりということですべてが慌ただしく、斎場の関係などでお通夜が30日、
告別式が31日という運び。2014年最後の数日を親戚たちと過ごし、
すべてが終わって、母方の実家(中島家)に残るもの、
杉田家で新年の仕度をするものなどみなそれぞれの持ち回りがあり、
怒濤のうちに、なんというか、葬儀すべてのしめくくりとして「年が明けた」という、31日深夜でした。

わたしはまだ確定ではないので皆様にお伝えできない1月の予定の関係で、
この年始はしばらく滋賀で過ごす予定なので、いつも通り自分の家ではなく、
生まれてから保育園までを過ごしたこの中島の家にいるべきなのだろうな、と、
30日の夜と元旦の夜からここに泊まっています。

一昨年父方の祖母が亡くなり、なんの準備もしてこなかったわたしたち家族は、ひどくうろたえ、1分1秒を振り返っては後悔し、泣きはらし、なんども今と過去を逡巡して、
そんなふうにこの1年半を過ごしてきた。

けれどその1年半が無駄ではなく前進に繋がるものであったということをわたしは今強く感じている。

おばあちゃんの命が消えるその瞬間に、たったひとりで立ち会ったわたしが、時間をかけて悟ったことは、たかだか30数年しか生きていない自分の「予想」がどれだけあてにならないものか、ということ。そして命の終わりを迎える人の時間の流れが、
今はまったりとした自分たちの流れといかに違うか、ということ。

赤ちゃんが1歳になるまでは、わたしたちが驚くほど、日に日に成長する。
あれ?はいはいが早くなったなぁ…? と思っていると、あるときはっと見たらば、
なにかにつかまりながら立っていたりする。

命の終わりはこの逆なのだ。
この様子だと明日まで大丈夫かな。と思っても、明日は全然違う明日になる。
きのうできたことができなくなって、おとといできたことが、
そんなことできたのか!と驚いてしまうような状態まで弱っていく。
つい数週間前は自分で歯磨きをしていたなんて信じられないくらいに。

でもわたしはそれを知っていた。おばあちゃんが身をもって教えてくれていた。
だから一晩一緒に過ごすことができた。
そしてやっぱり、年末までなんとか……という、
経験のすくないわたしたちの考えよりもずいぶん早くおじいちゃんは旅立った。

ただ、家族に悔いはないです。
それは父方のおばあちゃんと、亡くなったおじいちゃんその人による、
「ゆるやかなお知らせ」のおかげ。

「新年まで引き延ばさない、という、真に父らしい、誠実な終わり方でした」

普段はすっとんきょうな振る舞いや選択をして親類にはずいぶん調子外れな女だと思われている叔母(母の妹)のスピーチがお通夜、告別式ともに、すばらしく胸を打つもので、
とくにこの言葉に、誰もが大きくうなずいた。

そういう人でしたよおじいちゃんは。

だからわたしたちは、大手を振ってはオメデトウ!!と新年を祝いはしないけれど、
おじいちゃんの意図を汲んで、新しい年をこれまでと同じように歩きます。

そういえばわたしは顔立ちも、性格も、あまり中島の筋から貰った要素はないように思っていた。けれどお葬式ではいろんな親戚に「おじいちゃんに似てはる」と言われた。
おじいちゃんは、日活ニューフェイスの試験に合格して大阪から呼び出されたくらいのハンサムな、ほんとに銀幕スタアみたいにカッコイイ人だったのでうれしい。

また、たしかにそういえば4姉妹の中で背が高いのはわたしだけ。
それは間違いなく中島の血なのであった。

そういうことを含め、わたしが今「中島桃果子」という名前でモノカキをしていること、
それらすべてに意味があるとするなら、メッセージはどこに書き記されているのか。

今年1年かけて紐解いてゆきたい。







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