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2015年1月 6日 (火)

中島の血

法事の余波が残る新年の本家とは慌ただしいもので、ばたばたしているうちにあっという間に6日になった。
元旦の夜中に新年のご挨拶をここにしてからもう5日も経ったのだ、信じられない!

さて、大雪に見舞われて延期になっていた中島の墓参りを3日に行ってきました。

このお墓は、わたしは母と母の実家に通り過ぎるくらいで、気づけばもう20年以上お参りしていませんでした。

24日に不思議な方が不思議なヒントをたくさんくれた話だけど、
そのとき言われたことは「お墓参りしなさい」ということで、
わたしはそのとき、「墓参りならしょっちゅうしてます!」と言い返した。
2013年の6月におばあちゃんが亡くなってからは、お墓はお墓じゃなく、おばあちゃんとなり、ことあるごとには訪れてはいろいろしゃべっていたから。

そしたらその方が「よく考えてごらん、バランスがちょっと悪くないかな」

そこでわたしがはっと思い当たったのは、もう何年前に参ったかも思い出せないくらいに、足が遠のいている中島のお墓のことであった。

「急がなくていいから、いけるときに、ね」

と、言われてこの正月にでも行こうと、初めて中島のお墓に目覚めたイブの夜から、数日もたたずして、そのお墓に、奇しくもおじいちゃんが入ることとなった。
おじいちゃんがお墓にはいるのは忌明けの2月15日なので、
そのときに合わせてお参りでは、あまりに失礼というか、あれなので、
年始にお掃除を兼ねて、これまでの不義理をお詫びしようと、母と叔母と中島のお墓に。

(わたしは知らなかったのだがSPEC美鈴(母)は、ちゃんと中島のお墓も定期的にお掃除に来ていた!!すごい人だ!
県の人権センターで昼間はみなの相談に乗り、帰宅するときに実家に寄ってこないだまではおじいちゃんやおばあちゃんのご飯、そしてさくら(猫)と足のわるいピーチャン(雀)の世話、加えて、家の近所に集まってくる猫にも餌をやり、四人の娘を気に掛け、父方のおばあちゃんの家の掃除や仏壇のこと、合間にちゃんとパパとゴルフを満喫、その多忙のさなか、中島の墓のことまでしていたとは!!!)

その日は暖かい日で、母曰く普段はすぐに消えるろうそくもつと消えず、短くなってゆくお線香をゆらゆらと照らし出していました。

キレイにお掃除し、お花を活けて、お墓はずいぶん美しくなりました。
中島の「中」の二画めにコケが生えてたのでわたしが必死になって掃除し、ここだけなんで…?とやっていると母、
「そこな、夏にカエルが住んどったんや。それで住ませておいたったんやわ」とのこと。

わたしの記憶の中では、小さな木のお墓がいくつか立っていたように思っていたお墓も、平成9年におじいちゃんが新しくして、中島のお骨を全部まとめたのだそう。

わたしはお墓がこんな立派になっていたことも、夏には必ず勝手にすみれがいっぱい咲くこともカエルが住んでいたことも知りませんでした。

妹たちの分の線香を灯して、手を合わせると、
なんだろう、

脈々と受け継がれていた中島の血、中島の魂を、たしかにそこに感じて胸がいっぱいになりました。申し訳なくて情けなくて、思わず涙が込み上げてきたけど、
なんで泣いてるかわからん感じに母とかには見えるやろうと思い必死にこらえる。

わたしの本名は「杉田」で、26歳の誕生日のときに、芸名として「中島桃果子」という名前を自分につけた。当時は「萌香子」という漢字だった。
なんとなく馴染みがある名字だしと、ふっと思い立って中島にしたのだけど、
この日、中島の墓の前で、自分が中島である意味を、中島桃果子として生きている意味を、つきつけられたような気がした。

わたしの中には脈々と中島の血が流れている。

おじいちゃんのお母さん、お父さん、おじいちゃんのお父さんのお母さん、お父さん、
この、いまわたしが偉そうに陣取っている仏間のあるこのお家、140年の歴史がある、明治3年に建ったこのお家で生まれて暮らしてきた中島のみなさん、
わたしはおろかでした、大切なことを見落としていた。
これからは、きちんとお参りにきます。日々の報告をします。
中島家の血を引く人間として、大切なことを忘れずに生きているか。

血というのは面白い。なんというか、だまし絵のようなものかなと思う。

見方によってふたつの顔が潜んでいる。

杉田のおばあちゃんが亡くなったとき、おばあちゃんの母は「はじまりのものがたり」でも書いたように、わたしが生まれ代わりじゃないかと言われたくらい顔が似ている(らしい)人だったので、ばーちゃんのルーツを探れと鹿児島に旅にゆき、たしかにそこに「血」を感じた。

杉田のおじいちゃんが書き留めていた俳句がおばあちゃん亡くなったときに出て来て、
それがそんじょそこらの俳人よりも美しく素晴らしい、素人が書いたものではないようなものだったので、ああ、わたしがモノカキになったのは、こういうあれがあったのか、と考えていた。

Damashi_2
[だまし絵:若妻と老婆]

こないだ亡くなったおじいちゃんは俳句が好きでたくさん書いていたがたいていは「我悲し」か「我嬉し」で始まるもので、5,7,5の間に情景をおさめきれず、(車のこと)とか(膳所の姉の法要のこと)とか、付け足しのある、可愛らしい俳句であったので(笑
「この血じゃないだろう」と思っていたが、

お葬式ではたくさんの親戚に、おじいちゃんに似ていると言われ、
たしかに杉田には背の高い人がひとりもいなかったことや、
わりと書く字を褒められるのはおそらく寺に頼まれて筆を握っていたくらいのおじいちゃんの遺伝、遺品整理をしてみたら30年にも渡る日記帳や、
家系図などがきちんと整理されており、
何事も、そのルーツを探すのが好きなわたしや、石が好きなわたし、
また「執筆を仕事でしてるのになんでそんな長い日記を書くの」とまわりにびっくりされるくらいに、なんでも書き付けてしまう性分なんかは、完全に中島の血なのであった。

いまわたしはその、中島側の顔を、わたしの中に探し、
これからわたしがすべきことを見つけたいと思っている。

そして、杉田(勝部)のおばあちゃんが亡くなる前には長野の松本から、ある人が不思議な話をしにわたしの前に現れて、間接的には実家に帰って墓参りをしろという旨をお伝えされ、今回のおじいちゃんの前には、また別な方がひょんなことからわたしの前に現れて、中島の墓参りをするように促したという、この2つの出来事の関係性についても考えてみたい。

そのとき自分が、その二人の死を全く予期していなかったことも含めて。

自分に降りかかるすべてのサインを、「またまた〜」などと言って流さずに、
いちいちちゃんと考えてゆきたいなと思っています。

この新年は中島の横顔を皆に見せて。

しつこいようですが、

感じること書き記すこと、前に進むことが、
中島桃果子、です。

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