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2015年1月

2015年1月31日 (土)

labor campの祈り

レイバーキャンプ。
labor camp=アクセントlábor càmp
【名詞】【可算名詞】
1(囚人に強制労働をさせるための)強制収容所.
2移住労働者収容施設.

モカコ注)先入観にとらわれないで。
もっともらしく書いてあることに騙されるな。

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Today, I went to labor camp,and saw their pray.
The people around the mousque, gathered out of the line,
around our car.
and I watching praying from the Car's window.
Pray was so holy, so beautiful,and also human being there.
I touched the preciousness of the pray, even though throuh the windows.

does my internal eye see the truth?
face to  internal place where the tears come from.

so, I wanna tell you, this is the relisious.
we(japanse) should know how important to have the some belief  your inside.
some belief means some belief.sometimes your child,and sometimes yourserf.

It time to " RE THINK" 
what the real hapiness is.
what the real fullness.

anyway, they were soooooo beautiful.

ーーーーーーーーー

今日はいつもの観光バス&インド人セジューのガイドをお休みして、
家村さんの友人の車でレイバーキャンプ(出稼ぎ労働者の街)に出かけ、
彼らの祈りをこっそりみました。
美しく尊い景色。
母国や家族の為に懸命に働き、団地の一部屋を何人もでシェアし寝起きしている人たちの内側に灯されている、
ひかり。

心の目は、真実をちゃんと見ているか?真実を。
internalなところを。
涙がそこからやってくるっていう、
心のずっとオクノホウ、を。

みなにわかって欲しいと思いました。これが、ほんとうの信仰の姿で、イスラムの姿だと。みなが最近日本で話題にしているあれとは全く違うものだと。
日本人がみんなサリン事件を起こす危険を孕んでいるわけがないのと同じで、
イスラム教がみな人質をとるわけでは、ほんとうにないの。
安い賃金で雑魚寝しながら奥さんや家族にも会えず、
それでも彼はこうして日に5回、メッカの方を向き、アラーにというよりは、自分自身の内面と向き合い、感謝と祈りを捧げる。

ひたむきで美しい姿。

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ヨーロッパの人たちがたまたまドバイに来てこういう場所を目にすると、
すぐに「格差社会」であるとか「奴隷制度名残り」であるとかいう風に記事にするそうです。

そしてこの町に「Labor camp」という看板をみとめることが出来ることによって、この投稿の頭の意味合いとして、解釈されてしまっていたりします。

しかし、ここの人たちはほんとうに誰も殺伐としていません。

それはひとつには、彼らを見て酷い暮らしだと思う人たちが、自分の暮らしやエミラーティと比べているのであって、
彼らがインドやパキスタンであるとかの母国に帰れば、家すらなく、食べるものすらない、そういう人たちが、
出稼ぎに来ているのです。

彼らは数年ドバイで頑張れば母国に家を建てることができるし、家族みんな、彼らの金銭感覚では充分満足できる暮らしができます。
だからここは彼らの夢の場所でもあって、それゆえに充実感のある日々を送っている、それもある。
けれどわたしは信仰があることも、彼らを誇り高くたらしめる大きな理由のように感じています。

わたしは、単に、彼等はそんなしんどくないから気にとめなくてもいい、ということを言っているわけではなくって、彼等の状況は過酷ではあるだろうけれども、
それを限界まで過酷たらしめない何かが彼等のなかにはある、
ということを、今肌で感じている、ということを言いたいのです。

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子どもを生み、ゆるがない優先順位を内側に持った母が強いのと同じく、彼らは彼ら自身のひかりを、もうすでに見つけている。

そういう意味で、彼らはたとえいい暮らしをしてようと足元がぐらついてしまう裕福な誰かより、精神的によっぽど豊かで、幸せを感じる力があります。
よっぽどスピリットが進んでいます。

どこからともなく人が集まり、道路を埋め尽くし、みなが一斉に祈る瞬間はとても尊く、眩いものだった。

わたしたちはもう一度考え直さなくてはならない。
真の幸せ、
真の豊かさとはなにか。

お金が大半の問題を解決してくれるとして、
そのジョーカーを持っても上がれない、幸福トランプの謎を。
ほんとうはなにが、足りないのかを。

インド人ガイドのセジューの給料は月9万円だそうです。
そのうちの家賃光熱費が2万弱で、生活費合わせると五万弱で、残りは家族へ仕送り。
それでも彼は、中国人観光客にもらったレイバンをはりきってかけ、朝から晩まで大ボケかましてわたしたちを笑わせ、笑、クルーズをアテンドしたら自分も踊り、
あまり寝れなくても、いつも楽しそうに、接客じゃない、ほんとうの笑顔で笑っている。
肝心なときに役に立たないセジューのフォトは、また後日!

(冒頭の英語は自信ないですが、それでも発信は大切かとやってます)

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2015年1月28日 (水)

Children

"Childres are all the same no matter how the world huge ,world complicated."

When i got out of the mosk,some girls playing there.
i become so emotional to see that view, i saw the girls from my photo flame.

it was soooo shining, soooo presious moment.

Children is shining, wherever you go.
i was so impressed.

someday, may they know where the japanese woman's tear drops from.
When they know that, they were not a littlegirl,maybe.

モスクから出てトイレに行こうとしたらば数人の女の子たちが外で遊んでいた。その光景になにか込み上げるものがあり、
わたしはカメラを取りに戻って遠巻きからフレームの中に彼女の煌めきを眺めていた。
気づいた女の子たちがこちらにむかっておしゃまにポーズをとってくれる。「写真とってもいいの?」
訊ねてみるとみな恥ずかしそうに肯いて横一列に並んだ。

ああなんてまっすぐで、まぶしい光景だろう。

わたしは胸一杯になって彼女たちの瞬間をきりとった。

立ち去るとき、彼女たちは何度も何度も「バイバイ〜」と声をかけてくれ(ひとり3回くらいは繰り返し私の背中に声をかけてくれる)、
豆粒くらいの大きさになっても小さな手をいつまでも振ってくれていた。

広い地球のいかなる場所でも「こどもたち」というのはゆるぎなく、尊い。涙が出た。

異国でカメラを構えた東洋人の涙の理由を、いつかこの子たちも気づくだろうか、いつか、少女ではなくなったときに。

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(今これを読んでくれているある人達と自分を繋ぐものは英語しかないので、意味わからん部分あるのはわかっていますが、誰かに英文つくってもらう時間もないので、そのまま載せます!)

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2015年1月27日 (火)

デイツ☆

今日はいまからモスクに行きます、が、その前にすこし食文化の紹介を。
(昨日さおりさんに、食は大切なのでそちらも教えてくださいと言って頂いたので)

砂漠の民と、切っても切れない食べ物がデイツ。つまりナツメヤシの実です。昔は貧しかったので、1日にデイツをひとつ食べて、あとはらくだのミルクを飲み、糖分と塩分をおのおの吸収してからだを整えていました。
今は食事の前とか、ちょっとした休憩時にもデイツが出てきます。

デイツを食べて、アラビアコーヒーを飲む。これが定番の文化です。甘い和菓子と苦いお抹茶の感じでしょうか?

ランチの模様はまた後ほど!
財団のマリアと。
彼女はなんと、ふたりも娘がいます!
ドバイでは、子供を生むと手当もでるし、1年は働かなくていいし、働いても育児ベースのシフトを組めるようなシステムになっているので、
子供は生みやすい環境のようです。

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2015年1月26日 (月)

旅闇夜

「旅闇夜 牛待つ枕 塩のじゃりり」

一句読んでみました。笑。

今日、週に1度のエミラーティとの会合が予定されていたので、
それに備えて昨夜夕方から皆でミーティングをしました。
(結果、作家さんとの会合ではなく、ジャマール閣下とのランチになったのですが…)
anyway、昨夜その場を借りてみな俳人の堀田さんに、俳句の手ほどきを受けました。

俳句とは基本的には、生きていて「はっ」となった瞬間、すなわち「いま」「そこ」を読むものだそうです。そこにあと「挨拶」の意味が加わります。
基本的には季題があり季語を使うのですが、これは季語を使わない雑(ぞう)の句ということになります。

いまいるレジデンスが、構造上、気の流れがあまりよくなくてー堀田さん曰くリノベするときにちょっと設計がそうなってしまったのではー
たまにぞぞ、とする瞬間があるので、みなで出雲の塩をして寝てるんだけど、その心もとない気持ちを読んでみました。笑。
旅闇夜は(たびあんや)と読みます。造語ですが…。

牛とは神様のことで、盛り塩とかは実は悪霊退散ではなく、神=牛の好むものをお供えすることで、神様にお立ち寄り願い、神様が立ち寄る場所に邪鬼はこれない、とこういうことを、前に銀座のお客様が教えてくれたので、牛、としてみました。
まだまだステップ1です。笑

恥ずかしくて堀田さんには直接は見せられないが、初めて句を読んで、誰かに見てもらいたい、と、はやる気持ちもあるので、笑、載せてみました。
旅は不思議。
ちゃんと感じて行かないとやられるような面も合わせ持っています。

オカルトとかではなくて、どこから太陽が昇るのかとか、どこに気が淀んでいるかとか、あの角は曲がらない方が良いとか、
そういうことを感じる作業が、歯を磨くように大切になっています。

方位磁石もない時代、砂漠の
移動は、砂の匂いをかいでいまどこか確認したり、このペースであるいたら火曜日に左に曲がる、とか、そういう風にしてたみたいだから、そういうことなんだろうなと思う。

俳人の堀田さんは、ほんとに凄く興味深い方で、学識が深く学者みたいに色んなことに通じていると同時に、気とかそういうものも視えるというか通じてる人だから、昨日、チーム女子は、堀田さんに部屋を見てもらって、霊とかじゃなくて、ここ淀んでるからなんかいい香りのもの置いたがいい、とか、使ってない部屋のドア必ず閉めて!
とか、色々アドバイスしてもらって、ようやくとても安心しました。
(いまは皆寝た中でひとり下にいたらとても怖くなったのであわててパソコン持って上に移動してきた)

昨日はミーティングしやすいよう、部屋にデリバリーを頼んだのですが、コップに飲み物を注ぐタイミングで、5人しかいないのに、グラスをなぜか5つ用意してしまっていて、家村さんが6人分の飲み物を注いでしまい、
一同、「誰の分!?ぞぞっヾ(。ꏿ﹏ꏿ)ノ゙」
っとなったのですが、堀田さんはそれをすぐに、誰かにお供えにしてしまった。こういう風に、ネガティヴなテンションを瞬時にポジティヴなものに切り替える瞬発力も必要なんだと感じる。
こういったちょっとした出来事が、今日のジャマール閣下のお話に繋がってゆくのだけど、それはまた明日☆おやすみなさい!

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2015年1月23日 (金)

✳︎ピースオブドバイ✳︎

今日はこれからliwaというところに行き、一泊します☆
インド人のガイドくんと。
彼、レイバンなんてかけてリッチな雰囲気ですが、
ほんとうは8人でシェアして暮らしながら、がんばってドバイで働いている出稼ぎの男の子です。
昨日までのガイドのまりこさんが物凄く文化や芸術に造詣の深い方だったので、
バタバタと旅行会社が交代したときは何事かと思いましたし、
彼はまだ若く、分からないことも「大丈夫!」とハッタリかまして、
ガッツとテンションだけで乗り切ろうとするところが多々あり、
わたしの愛しい後輩たちの尖っていた頃を思い出しますが、笑、
彼はファゥンデーション(財団)からいきなり仕事をふられたにも関わらず、
一晩でスケジュールを組んで、
「昼も夜も食べてないよ…」と嘆きながらもわたしたちの夕食をアテンドしてくれたり、体当たりで精一杯仕事をしていて、胸を打たれます。

「仕事が終わって帰ったらご飯食べれる?」と尋ねると、
「どの店も閉まってる」と言うので、「作ればいいじゃん」と言うと、
「たくさんで住んでるから夜中にそれはできない」と彼は言っていた。

朝会ったら、来るバスに乗り込むなり、貪るように朝ごはん食べたよ、と、彼、笑っていた。

国賓として、贅沢なおもてなしをして頂きながら、そういう部分だけではなく、
こうして異国でがんばって、お金を稼いで自国に送っている彼らのこともちゃんと見つめていきたい。

彼らもまた、ピースオブドバイ、です。

レイバンのサングラス、50%オフで、435ディルハムだったとのこと。日本円換算したら、14000円いかない感じだったから、
「あ、意外と高くないね」と、言ったら、ええ!これ、高くないの?!435だよ!みたいな感じだったから、
「いや、んー、50%オフでこれだとやっぱ高いよね!」と答えた。

彼はきっと凄く奮発してこれを買ったんだとわたしは思った。

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2015年1月22日 (木)

theater

theater
劇場はいつどんなときでも、わたしの胸を熱くする。

The theater make me so emotional whenever,and wherever i am.

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刻むメモ 1

刻むメモ 1
刻むメモ 1
今夜の晩餐はレバノン料理で、すばらしい、すばらしい夜になりました。
料理を囲み片膝を立てて伸ばす慣れない右手の指のすきまから、彼等の文化がこぼれ落ちる、洩らさぬようそれをわたしは必死にすくって口にいれる。

その本能的な行為を繰り返し、いつしか私達は彼等の内側と溶けあっていた。

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2015年1月19日 (月)

雨のドバイ

雨のドバイ
雨のドバイ
ドバイ着きました。
雨のドバイ。
雨は普段降らないので、みな雨を愛でている。おもしろいな。雨女のわたしには異国なのにいつもの景色。

この水滴の奥に靄がかる、街の秘密に挑んでゆくよ。

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とうとうきたよエミレーツ!

とうとうきたよエミレーツ!
とうとうきたよエミレーツ!
まもなく搭乗します!!
ドバイへっ!!

初公開!今回の旅の友、悠光ちゃんこと詩人の文月悠光(ふづきゆみ)さんと☆

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2015年1月16日 (金)

The Worst Yet The Best Day

去年の3月に脚本を手がけたショートフィルムのロングバージョンがとうとうUPされました!
この作品はメットライフアリコのコンテストで受賞を頂いています☆
監督は藤井翔くん。

タイトルは「The Worst Yet The Best Day」…
”最高の1日の最悪なこと”みたいな感じでしょうか?抽象的な感じですが見て頂くとタイトルの意味はわかるかと思います☆

---以下監督コメント---
Here's a short film we shot with red epic last year and got 3rd place in Metlife Alico Film Contest! Please watch it in 4K.
昨年メットライフアリコのコンテストで受賞を頂いたショートフィルムを期間限定でアップロードしました!ハリウッドの撮影監督にお願いをしてRED Epicの5K Rawでの撮影だったために編集が大変でしたが、その分絵は凄く綺麗に仕上がりました。是非画質を4Kに変えてから観て下さい smile emoticon しかし5kは4kとは別世界。Mac Proでも再生出来ないとは驚き。。そして手伝ってくれた皆さん本当にありがとうございました!そしてお待たせしました。

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2015年1月13日 (火)

ドバイ行きます!ー情熱を酌み交わしてー

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突然の告知になりますが、
今週日曜日より、まるひと月ドバイに行きます!!

昨夜、最終選考及び壮行会が行われ、
正式に情報も解禁となりました。

わたし自身も、窓口となってくださった幻冬舎の方たちも、
最初は全貌がなかなか見えてこなかったこの企画、
この企画に、石原慎太郎さんの、大きな熱意と多大な尽力があったことを、
わたしは昨夜、本人とお会いして、初めて知りました。

なので、家族や親しい友人には、ざっくりと「国の仕事なんだけど」

「ドバイのムハンマドさんという首長さんで詩人の方が、お招きくださった。なんでも世界で5番目の金持ちらしい」

という風に、やや間違った情報を話していたのですが(汗)

これはお招きに留まらず、日本側からも積極的に、アラブ諸国との芸術交流をし、互いが触発されることによってよりそういう芸術的熱量が膨れあがっていくことを望んで、
石原さんが色んな方に働きかけてくださり、

もちろんそこで、日本とドバイを繋ぐ人間力をお持ちであった、日本文化芸術国際交流財団の今村さんや家村さんのお力添え、寺田倉庫の方々のお力添え、そして最終的には石原さんいわく「安倍くん」の許可を頂きまして、
外務省、文化庁の支援を受けて、

つまりたくさんの大人たちの尽力の元、
アラブ諸国との交流のさきがけとして、我ら4人の、まだ駆け出しといえる詩人/作家たちが、ひと月も向こうに滞在させてもらえることになったのです。

むろん国からの援助があるので、わたしのよく知るみんな(つまりあなた)のおかげでもあるわけです。

その4人に選出して頂き、アラブの土地を踏みしめることができることを、
ほんとうにほんとうにありがたく思います。

「芸術家たるもの、一世を風靡せよ」

そう言って下さった石原さんのお言葉と交わした熱い握手を、
わたしは一生忘れることはないと思います。
一世を風靡した芸術家の、説得力のある激励でした。

壮行会のお酒の場所で、石原さんは、
政治家であるまえに、どこまでも芸術の重鎮でした。
昔の文壇の話や、三島さんが亡くなったときのことや、
若い頃に石原さんが見たアラブの景色など、色々話してくれました。

特に三島さんが亡くなった時代というのは演劇とともに生きてきた自分としては、
究極の世代ですから、宝のようなお話です。

わたしの斜めには、石原さんの編集者であり、
三島さんが亡くなったときに川端さんからコメント原稿をとったという伝説の編集者坂本さんもいらして、その隣には作家の藤沢周さんがお座りで、
「川端さん」のお話や(川端さんて……あのヤスナリカワバタでよろしいですか!?という気分 笑) 貴重なお話をいろいろ伺うことができました。

たとえばわたし世代ですと、江國さんやよしもとばななさんや山田詠美さんが目の前にいらっしゃると大変恐縮します。

しかし昨夜いらっしゃった方々は、「僕はね、江國さんとお父さんとはよく仕事をしたよ」みたいな、雲の上の人すぎて、レジェンドすぎたので、逆に存じ上げず、
意外にきさくに話してしまった、というのが、なんというか一周回って恥ずかしい感じです。

選考委員の方々はみなほんとうに優しい方たちでした。

「まだできあがっていない、のびしろのある作家が行くことに意味があるんだよ」

と、坂本さんに言って頂き、
なんだか申し訳ないことをしているような気持ちがすこしぬぐわれました。

(もしかしてだけど〜、第一線でもっとバリバリ活躍している人の方がほんとは色々よいんではないの〜、と、すこし思っていたのです)

一緒にドバイに行く作家さんたちは、みなご活躍で、一緒にドバイに行けるのが楽しみです。特に女の子はわたしと文月悠光(ふづきゆみ)さんのふたりきり。
文月さんは、23歳とお若いけれど中原中也賞を最年少受賞されている、日本きっての詩人さんです。

詩人ってそういえば姉妹にいるけど、笑(われらがみいき氏のライターではない方の顔)、みいき以外の詩人さんに会うのは初めてだし、また小説の世界と違うみたいですごく興味が湧いている。

というかわたしは作家だけど作家のともだちっていえる人もまだいないし、
仲良いやつらはみんな役者かミュージシャンで、
文学の話をする場所などないので、

昨日は非常に新鮮であった。
(と、同時に、へえー、とかうなずいているけどよく分かっていない話もあった…汗)

ともかくわたしは昨夜ご一緒した皆様に一生足を向けて寝られません!

「芸術家たるもの一世を風靡せよ」

この言葉を励みに邁進したいと思います。

わたしが直接生身の政治家さんでお会いした方は、
石原慎太郎さんが生まれて最初の人です。

のっけから口は凄く悪いというか(笑 あけすけなお方でありましたが、
シャイで温かく、表裏のないまっすぐな方だと感じました。
ゆえに誤解されることも多いのかな、という風に感じました。

なによりも、政治家の方というよりは、
文筆家であり、芸術家である、そんな風に感じました。

その確かな証拠として、自分はドバイにゆくのです。

そういう芸術家の石原さんを、幻冬舎の人達がとても愛しているんだな、というのが見て取れて温かい気持ちとなりました。

デビューして7年目になりますが、わたしが関わって来た出版社には、
なんというか、「金になる」や「儲かる」とかそういう見地から出版や小説や言葉を語る人が一人もいません。
昔いちど、売れっ子文芸評論家の人にすごく失礼な態度と発言をされてはらわた煮えくりかえったことがありましたが(一生忘れないぞ!)
、その人はものを作っている人じゃないから放置。

なので、小説や言葉や表現について話しながら酒を酌み交わせば、どんな偉いひとも、駆け出しの人も、等しく情熱を酌み交わすことができる、この紙の世界を、ほんとうに素晴らしい業界だと改めて思いました。

個人的には、幻冬舎の石原さん(こちらも石原さん)は、プロフェッショナルのDVD持ってるくらいファンなので、よしもとばななさんの世界の旅シリーズを作ったときの旅のお話など伺えて、わたしはすごく嬉しかった。

最後にわたしがこうしてドバイ行けるのも、ムハンマドさんや、石原慎太郎さんや財団の方々の前に、壺井さんの強い強い推薦があったからです。

必ず何かを得て、帰ってきたいと思います。
出発は18日です!
心に刻み目に焼き付ける景色が多すぎて、写真撮り忘れたので、
富士山の写真と小浜の夕暮れを。

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2015年1月10日 (土)

Run初め☆

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お墓の掃除をした次の日に「Run初め」して来ました!

おじいちゃん家の広大な田舎を走りぬける!!笑

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実家のあたりを走ることはあっても、小浜(おじいちゃんちのへん)を走ったのって、そういえばなかった!

ひとっ子ひとりいない正月の堤防。

いやあ、いいね!絶景だね!!

なによりわたしは、走っているうちに無性にエモーションになって、
大声で歌いたくなったり、芝居をしたくなったり、
そういうモードに突入するときも、
この田舎の土地はやさしくわたしを受け入れてくれるし、誰にも迷惑がかからない。笑。

堤防の上から町を見下ろすと、
なんか国立競技場とかでライヴする人の景色ってこんな感じのViewかもね、、、(スペースの観点ね)とか思って、大歌手気取りでテイラースイフトのall too wellあたりを熱唱する。

ああ、宝塚に入りたかった16の頃、こうやって大階段おりるスター気取りで、
ヅカソングを熱唱したなあ、、、とか。

そういえば、わたしは妄想だけど、ガチに大階段を最後に降りたぶんさん(えまおゆう)と、去年は仲良くなって、ふたりでカラオケに行って、ベルバラの歌を歌ってもらう、などという、かつての自分が想像もしえない未来(2014)でもあったのだ。

その連想から、16歳の頃よく歌っていた、リトルマーメイドの主題歌を歌ったりして。
これね、歌詞がね、昔の吹き替えの劇中歌の歌詞のがわたし好きなのよね。

まあ、そんな感じで、この堤防に登ればわたしはいつでもかつてのわたし、
少女であり子どもであった10代のわたしに戻れるけれど、
わたしはもう大人なのであった。そのことを考えていた。
わたしだけじゃない。幼かった妹達も、もうすっかり大人なのだ。
そのことを考えていた。

手つかずの雪がありすぎてもったいなかったので、
なんかしよう!と。
特に感傷的な意味合いではなかったのですが、このタイミングでこの言葉しか思いつかなかったので、こうなりました。


Photo

うまくいえないけど、こういう感じだから自分は幼いんだよな・・・と、どこかでわかっているのですが、やってしまった。

こういうのって田んぼアートとかもそうなんだけどね、角度があって、
ある角度からしかこう見えないわけ。
で、苦心して写真とってると、後ろから走ってきてた女の人が、
ちょうどその位置に来てから、

「ああ、これを撮っていたのね、なにしてるんだろうと思った」

と笑った。

うなずくわたしを見て、その人が、

「送ってあげるの?」

とたずねた。

正月に気持ちよく走っている人に重たい話をするのはあれなので、わたしは笑って、「はい」と答えたのだけど、

たしかにわたしは違う形で、これを送ったのだ。

だから「送ってあげるの?」「はい」
で、大切なことはぜんぶ入っている。

日本語って、だから面白いなと、
そんなことを考えていた。

ちいちゃんのかげおくりのように、雪言葉を空に送りながら。

こんな美しくまとめていますが、その後帰宅してお風呂入って、
入念に化粧をし(この10日間でたった1回の化粧)
そのあとわたしは、母と叔母と、
葬儀屋のあまりに真心のない一連のやりかたに、がっつりクレイムしたのだ。

糠に釘なのはわかっていても、引けない戦いが、そこにはあった。
それはまた次回の投稿で。

清い気持ちでおじいちゃんを偲んだり涙を流したり、胸が熱くなったりしながら、
同時にお金のこともやらないといけないし、偲んでいるからって、あまりに酷い葬儀屋であれば、こんなぼったくりみたいな金額おとなしく払うか!という気分になるわけであって。
親戚が入り乱れ、感情や感傷が混沌と漂い、同時にお香典やら精算やらと段取りやドライな仕切りもしなくてはいけなかったりして、滑稽なことなども山ほどあり、

葬儀というものはほんとうに、清濁をあわせのむイベントである。

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2015年1月 7日 (水)

”冷えとり”は一日にして成らず①

からだが冷えて仕方ない!
…と、いうことで本格的な冷えとりを始めました。

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2014年は慢性的な体調不良もあって(もはや怠けモノ病のような具合であった)、
それらを順番に、いろいろ調べたのですが、わからず、
痛い思いをして髄液を抜きましたが、
それはあくまで血小板の量のことであって、
すぐぐったりすることや、なんかしんどい、みたいなこととか全く無関係です!
と血液内科の先生に言われてしまったわたし、
(これはまじでぐうたら病か!?)と、
自分のメンタルを呪いそうであったのだけども、
検査ごとに毎回エラーかというような、血圧の低さ、と、基礎体温の低さ、にはたと目がゆき、
色々自分で調べてみると、
これは相当「冷え」と関係があるぞ!ということになりました。

昔から、冬は寝る前にお湯に浸からないとガタガタ震えて眠れないし、
Alwaysが5じまでやっていたころとかは、4時をすぎると唇がカタカタ震えるくらいに冷えるので、自分が冷え性なことは認識として知っていたが、
正直ここまで深刻に「冷え」に犯されているとは知らなかった。

明治の頭に建てられた田舎の平屋の屋敷は寒い。
底冷えするほど寒い。

そこでほぼ、魔法が解ける直前のアナのごとくピキっと凍ってしまいかけたわたしは、昨夜、妹みいきと近所のスーパー銭湯に出かけたのだが、そこで非常事態。

風呂にどれだけ入っていても寒いのだ。
いや、これは言い方があれなんだが、つまり、冷凍しておいたソーセージをいきなりフライパンで炒めたときのあの感じで、外はすぐ熱くなりのぼせるのだが、芯はまだ冷え切っている。
だから変な話、足の指とかを掌でしばらく握っていると、奥に「冷え」を感じる。

これはやばいぞと、帰ってきてからネットで色々調べた結果、自分が分かっていたはずなのにすっかり忘れていた、わたしは「内臓冷え」なのであった。

春先に酵素にはまって酵素酵素となっていましたが、
酵素の前にすべきことは「冷えとり」なのである。

調べるとほんとうに色んなことが繋がっていて、
夏から出来た足のくるぶしの所のこぶみたいなやつ(滑液包炎)も冷え、
代謝が下がって、体重が落ちづらくなったのも冷え、
なんと先日初めてなった膀胱炎も冷えなのだそう。

つまり冷えのアウトプットがすでに始まってしまっている!!!

そう思ったわたしは今日からさっそくカイロを貼って生活。
電気毛布や暖かくするなど、温めるのは人間の本来持っている熱を作る力を奪うからよくないとかいう流派もあるのは知っているが、こちとら、ざっくり言えば凍死に近づいていく状態なのである。まずは0まで回復させてから、プラスの構築をしようと、カイロ。

考えてみれば、どれだけお風呂に長くはいっても1時間以上は入れないわけだから、
24時間の1時間以外の時間の「暖」が大切であるのに、うっかりしていた。(厚着はしているけれども)

1時間おへその上のあたりに貼ってみる。

なんんだこれは!!かなりいい!!効いている!!
温泉に浸かりながらもあったまらないと感じた部分にカイロが働きかけている!!!

感動しながらも、捻挫したらすぐ湿布とか、二日酔いの日はこれを飲むとか、
冷えるならカイロとか、誰もがすぐに思いつく解決策に自分はなぜ気づかないのだろうと思いました。

1時間後、仙骨のあたりにカイロを移動。(お尻の割れ目の始まりのちょっと上)

(……涙がでるほど温かい)

そしてそうこうしているうちに2時間ほど経って、気づいたのだが、
足の滑液包炎が小さくなってる!!!!
(やっぱり原因は冷えだったと再確認モカコ)

まあそんな感じの「冷えとり」1日目でした。

ほんとうはコーヒーを控えて、白い砂糖を控え、冷たい飲み物を控えなくてはならない。
でもまだできない(好きだから)

しかし最近辛いモノがすごく好きになったり、
カレーならいつでも食べられるくらいカレーが好きなのは、
からだが無意識に自分を守っていてくれたのだなと驚き。
そしてそれらを欲す強さが増えていけばいくほど、
わたしのからだは冷えているということになるのだ。

PM7じころ「ピンポーン♪」

家族はみな、またお参りの方と思っている中、実はそれは昨夜わたしが注文した本をアマゾンが持ってきたあれで、母親に、
「あんたもう、ここを我が家のように使ってるな」と笑われながら、手に入れた本は、
写真上の、湯たんぽのやつです。

木曜にもう一冊届くのは、ほんとうはこっちの方が楽しみなんだけど、
絵が気に入っているこちら。

Unknown

これも中島家に宅配手配済ませまして、現在宅配中であるので、
やっぱり東京に戻るのは木曜以降になる模様。

”冷えとり”は一日にして成らず。

定期的に続報していきたいと思います☆
なお、
慢性的にぐったりしていて、ぐったりするせいで無理をしていないせいか、
風邪はもう1年ほど、引いていません(笑

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2015年1月 6日 (火)

中島の血

法事の余波が残る新年の本家とは慌ただしいもので、ばたばたしているうちにあっという間に6日になった。
元旦の夜中に新年のご挨拶をここにしてからもう5日も経ったのだ、信じられない!

さて、大雪に見舞われて延期になっていた中島の墓参りを3日に行ってきました。

このお墓は、わたしは母と母の実家に通り過ぎるくらいで、気づけばもう20年以上お参りしていませんでした。

24日に不思議な方が不思議なヒントをたくさんくれた話だけど、
そのとき言われたことは「お墓参りしなさい」ということで、
わたしはそのとき、「墓参りならしょっちゅうしてます!」と言い返した。
2013年の6月におばあちゃんが亡くなってからは、お墓はお墓じゃなく、おばあちゃんとなり、ことあるごとには訪れてはいろいろしゃべっていたから。

そしたらその方が「よく考えてごらん、バランスがちょっと悪くないかな」

そこでわたしがはっと思い当たったのは、もう何年前に参ったかも思い出せないくらいに、足が遠のいている中島のお墓のことであった。

「急がなくていいから、いけるときに、ね」

と、言われてこの正月にでも行こうと、初めて中島のお墓に目覚めたイブの夜から、数日もたたずして、そのお墓に、奇しくもおじいちゃんが入ることとなった。
おじいちゃんがお墓にはいるのは忌明けの2月15日なので、
そのときに合わせてお参りでは、あまりに失礼というか、あれなので、
年始にお掃除を兼ねて、これまでの不義理をお詫びしようと、母と叔母と中島のお墓に。

(わたしは知らなかったのだがSPEC美鈴(母)は、ちゃんと中島のお墓も定期的にお掃除に来ていた!!すごい人だ!
県の人権センターで昼間はみなの相談に乗り、帰宅するときに実家に寄ってこないだまではおじいちゃんやおばあちゃんのご飯、そしてさくら(猫)と足のわるいピーチャン(雀)の世話、加えて、家の近所に集まってくる猫にも餌をやり、四人の娘を気に掛け、父方のおばあちゃんの家の掃除や仏壇のこと、合間にちゃんとパパとゴルフを満喫、その多忙のさなか、中島の墓のことまでしていたとは!!!)

その日は暖かい日で、母曰く普段はすぐに消えるろうそくもつと消えず、短くなってゆくお線香をゆらゆらと照らし出していました。

キレイにお掃除し、お花を活けて、お墓はずいぶん美しくなりました。
中島の「中」の二画めにコケが生えてたのでわたしが必死になって掃除し、ここだけなんで…?とやっていると母、
「そこな、夏にカエルが住んどったんや。それで住ませておいたったんやわ」とのこと。

わたしの記憶の中では、小さな木のお墓がいくつか立っていたように思っていたお墓も、平成9年におじいちゃんが新しくして、中島のお骨を全部まとめたのだそう。

わたしはお墓がこんな立派になっていたことも、夏には必ず勝手にすみれがいっぱい咲くこともカエルが住んでいたことも知りませんでした。

妹たちの分の線香を灯して、手を合わせると、
なんだろう、

脈々と受け継がれていた中島の血、中島の魂を、たしかにそこに感じて胸がいっぱいになりました。申し訳なくて情けなくて、思わず涙が込み上げてきたけど、
なんで泣いてるかわからん感じに母とかには見えるやろうと思い必死にこらえる。

わたしの本名は「杉田」で、26歳の誕生日のときに、芸名として「中島桃果子」という名前を自分につけた。当時は「萌香子」という漢字だった。
なんとなく馴染みがある名字だしと、ふっと思い立って中島にしたのだけど、
この日、中島の墓の前で、自分が中島である意味を、中島桃果子として生きている意味を、つきつけられたような気がした。

わたしの中には脈々と中島の血が流れている。

おじいちゃんのお母さん、お父さん、おじいちゃんのお父さんのお母さん、お父さん、
この、いまわたしが偉そうに陣取っている仏間のあるこのお家、140年の歴史がある、明治3年に建ったこのお家で生まれて暮らしてきた中島のみなさん、
わたしはおろかでした、大切なことを見落としていた。
これからは、きちんとお参りにきます。日々の報告をします。
中島家の血を引く人間として、大切なことを忘れずに生きているか。

血というのは面白い。なんというか、だまし絵のようなものかなと思う。

見方によってふたつの顔が潜んでいる。

杉田のおばあちゃんが亡くなったとき、おばあちゃんの母は「はじまりのものがたり」でも書いたように、わたしが生まれ代わりじゃないかと言われたくらい顔が似ている(らしい)人だったので、ばーちゃんのルーツを探れと鹿児島に旅にゆき、たしかにそこに「血」を感じた。

杉田のおじいちゃんが書き留めていた俳句がおばあちゃん亡くなったときに出て来て、
それがそんじょそこらの俳人よりも美しく素晴らしい、素人が書いたものではないようなものだったので、ああ、わたしがモノカキになったのは、こういうあれがあったのか、と考えていた。

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[だまし絵:若妻と老婆]

こないだ亡くなったおじいちゃんは俳句が好きでたくさん書いていたがたいていは「我悲し」か「我嬉し」で始まるもので、5,7,5の間に情景をおさめきれず、(車のこと)とか(膳所の姉の法要のこと)とか、付け足しのある、可愛らしい俳句であったので(笑
「この血じゃないだろう」と思っていたが、

お葬式ではたくさんの親戚に、おじいちゃんに似ていると言われ、
たしかに杉田には背の高い人がひとりもいなかったことや、
わりと書く字を褒められるのはおそらく寺に頼まれて筆を握っていたくらいのおじいちゃんの遺伝、遺品整理をしてみたら30年にも渡る日記帳や、
家系図などがきちんと整理されており、
何事も、そのルーツを探すのが好きなわたしや、石が好きなわたし、
また「執筆を仕事でしてるのになんでそんな長い日記を書くの」とまわりにびっくりされるくらいに、なんでも書き付けてしまう性分なんかは、完全に中島の血なのであった。

いまわたしはその、中島側の顔を、わたしの中に探し、
これからわたしがすべきことを見つけたいと思っている。

そして、杉田(勝部)のおばあちゃんが亡くなる前には長野の松本から、ある人が不思議な話をしにわたしの前に現れて、間接的には実家に帰って墓参りをしろという旨をお伝えされ、今回のおじいちゃんの前には、また別な方がひょんなことからわたしの前に現れて、中島の墓参りをするように促したという、この2つの出来事の関係性についても考えてみたい。

そのとき自分が、その二人の死を全く予期していなかったことも含めて。

自分に降りかかるすべてのサインを、「またまた〜」などと言って流さずに、
いちいちちゃんと考えてゆきたいなと思っています。

この新年は中島の横顔を皆に見せて。

しつこいようですが、

感じること書き記すこと、前に進むことが、
中島桃果子、です。

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2015年1月 2日 (金)

新年のご挨拶☆

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引き続き、おじいちゃんの寝間の隣の仏壇の間で、火を絶やさぬようお線香を見守りながら書いている。
(くわしくはこの前の投稿「新年の挨拶に際しまして」をご覧ください)

抱き合わせになっているこの2つの投稿ですが、
過去を慈しみ、そして、未来というよりはいまを生きるという、
なんとなくそんな順番の感じで書いている。

この中島家は、もともと田畑に恵まれ、土地には不自由がなかった頃、
地主さんみたいなのをしていた中島の先祖が建てたもので一階建てだけど敷地が広くて、部屋が何個もある。
しかも100年以上前に立てられているものなので、わたしはここで幼少期を過ごしているわけだから別段すごい!とも思っていなかったが、
以前、大正モダンガール協会の淺井カヨさんに取材させて頂いたとき、
「100年以上も前からある古い家に住んでいる感覚があるというのはそれだけで財産だと思いますよ」
と言って頂いた。

ひさかたぶりにしかしこの家に泊まっているわけなんだけど、
なんか改めて居座ってみると、お風呂も、仏壇の間も、玄関も客間も、
なんか小っちゃい(笑

これは小学校の教室と同じあれで、自分の中に残されている目線が、
1歳や2歳、5歳くらいまでの記憶でできあがっているからだ。
もちろんそれから何百回も来てるのだけど、なにしろ部屋がたくさんあるので、仏壇の間とかにはそうそう来ないし、この家でお風呂に入ることもないわけで、
昨夜ひさしぶりにステンレスの小さな銀色の、
深さだけはやけにある湯舟にちゃぽんとつかりながら、
「ここにおじいちゃんと入っていたわけで…」と考えると、

高倉健さんを彷彿させるシルエットのおじいちゃんがこのスペースの大半を占めるわけだから、ここにガーゼを持ち込み、空気を入れて、お餅が焼けるとき〜みたいな遊びとかすらできたとなると、
その頃のわたしったら、めちゃくちゃちびっ子で、
我らが同級生たちが、最近FBなどに載せている娘くらいのサイズだと予想できるわけで、
なのに記憶だけは、昨日のことのようにありありとあって、どうにも奇妙な気分。

さて、わたしにとって2014年は6月の霧島への旅に始まり、
この写真にもある出雲の旅でコンプリ—トしたといえる、
いわゆる「迎合からの脱出」の年になったといえる。

結果、ひとことで言うと、わたしは2015年を、
面白く生きることだけを考えて生きていくつもりである。

楽しいと思うことだけで日々を紡ぎ、もはや職業作家と呼ばれなくても構わない。
当然、面白く生き、日々を楽しく紡ぐ為には、身体という資本が要るので、
今年は本格的な低体温虚弱体質の改善にとりくむ所存☆

迎合とは、
「自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること」

昨年わたしは、なるたけ良い子になろうと頑張ってみた。
職業作家ということにこだわって、頼まれた仕事はすべて引き受けたし、
今世間が求めているもの、に、ついて考えてみたり、流行のドラマや、流行のアプリを試してみたり。でもなんだか、そういうことでどんどん自分が薄まっていってしまって、
最後にはとうとう透明になるのではないか!という具合になった。

SNSやブログなんかも「定期的に更新する!」とかいう目標をかかげ、
なんていうのかな、これらは一応オフィシャルなものだし……と、
なにか書く度に「A」という考え方のひとにも「B」という生き方の人にも「C」という価値観の人にもひっかからないように、害がないように、揉めないように、書いてみた。

そして書くことがどんどん億劫になっていった。

仕事もそうで、たとえば好きな仕事をしていて、
それにほんの少しでも黒字が出たときは、ほんの1万円とかでも泣いて飛び上がるほど嬉しい。

なのに迎合してやっている仕事が、思っていたより金にならないと、
「なんなんだよ!もっともらわないとやってられない!」
という醜い気持ちになったりする。

だったらやらなきゃいいのに。

こっちは行き止まりっぽいなと思いながら、ずんずん進んで、最後にやっぱり行き止まりで泣きを見ないと、手前の2岐路での「そっちは行き止まりだと思うなあ」という誰かの言葉に納得できない。
なんでこう不器用なのかわからないが、なんかウネウネと回り道をしてしまう性分なんだな。短所を直すよりも、長所を伸ばすということを、
自分が勝負するカテゴリではしないといけないと他人事ならわかるのにね。

平泳ぎを得意としているのにオリンピックでいきなり背泳ぎに転向する選手はいないよね。わたしはなんだかそういうことを大まじめにしてみたり、してしまう。

2014年が終わるまでに、わたしは、普通の社会人のように、頑張れば職業作家として職務をまっとうできると思っていた自分への過信を捨てた。

わたしはそんなデキる人ではないのだ。

だから今年はとりあえず「面白く生きる」こと専念する。

そして「こういう考えって変かな?」と思いつつ湧きあがってくる自分の中の衝動を抑えずに、それが今の誰かの尺度では「よくわかんない」とか「流行らなそう」とか「それ、当たるの?」とか「誰も読まない」とか言われても、それらを形にしてゆこうと思う。

見えない顔に受け入れてもらうために書いて、見えている顔がずっと待っている物を書けないまま、ずっと見える顔を待たせている。
自分を認め評価してくれるひとをおざなりにして、自分を厳しく批判するような人をぎゃふんと言わせたいと考えるとか。

これは全然面白くないよね。

思うんだよね、いろんな挨拶とか御礼メールとかも、連絡しないと不機嫌になったり怒ったりしそうな人からしてさ、ちょっと返信返さなくても、気にしないでいてくれる人が後回しになったりするじゃない? あれほんとは絶対間違ってるはずなんよ。
おおらかに待ってくれたり、受けとめてくれる人達の方が絶対、自分のことを好きで応援してくれているはずなのに。真っ先にありがとうを言うのはその人たちのはずなのに。

「大人だからね…」

よくこういうことで済まされてしまう、なんかほんとはおかしいことたち。
いわゆる「付き合い」ってやつに関しても、もちろん大人だから(笑、
極端な行動には出られないけれど、
「こうあるべき」と言われるきまりをいちいち疑って、なるたけ自分の生理と感情に、その付き合いの帳尻を合わせていけるような道をさぐっていきたい。

たとえば「恙(つつが)なく」の「恙(つつが)」は障害や災いのことで、
そういうものはおこらないという前提の結婚式やお葬式では使ってはいけないらしいんだけど、結婚式はわかるけど、お葬式ってさ、人の死って大きくって、たとえばおばあちゃんとかが堪えきれず倒れたり…とかも可能性としてはあるように思うからさ、

「恙なくおわりました(ほっとした〜)」と使って何が悪いのだろう、と考えてみたり。

……話がそれたけど、

そんなわけで、良い意味の叱咤激励と、妬みそねみや攻撃や自分を利用しようとする誰かの思惑とかを、ちゃんと感じ分けて…
ちがうな、これまでも感じ分けてながら、まあ騙されてやろうみたいなのがあったんだけど、

つまり自分にはそんな余力と器はないということで、

本当に大切な人を、一生懸命大切にする。

そんな日々の中で、所詮小説なんてものは、生の前には来ないものであるのだから、
オリジナルラヴじゃないですが、命よりも前にある「愛」とか、そしてその次に紡がれる「生」とかを大切にしながら、じっくり時間をかけて、
わたしの本当の物語を書いていこうと思います。

楽しいアンテナ、面白いアンテナ、ふと降りて来た「いけそう!」という直感の先に、
まだ見ぬ物語がきっとあって、「書き落としてくれ」と光を送ってくれている。

その光に気づくためにはわたしがまっさらの素直なわたしでそこにいないと。
日々、幸せで満ちていないと。

そんなわけで、もしかしたらしばらく本が出ないかもしれませんが、
「面白いことしてるなあ!」
と思ってもらえるような日々を、
このブログではお伝えしてゆきたいとおもいますので、

今後ともよろしくお願いします。

小さい頃優等生だったから、あと作家になるまでは「言ってることがわからない」とたくさん言われてきたから、嫌われるのや理解されないことが怖かったのかな(・・;)/

でも、もうおそれずにゆこうと思います。

脱「べき」into「したい」へ!笑

感じること書き記すこと、前に進むことが中島桃果子です。
(wors by ayamex
)

新潮社ラカグのオープンのときのわたしの日記にくれた妹あやめのコメントを、
当面の座標にして。

あっそうそう、ちゃんと年賀状は出してますので、昨日には着いてないと思うけど、
みなさま、いましばらくお待ちくださいませ☆


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新年のご挨拶に際して。

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どうも。新年があけました。
わたしは今、滋賀県の守山市というところの、駅からさらに奥に奥に車で行ったところにある、おおよそ野洲の手前ともいえる小浜市、というところにある母方の実家の、
仏壇の間でこれを書いています。
ちょうどこの写真の西勝寺の真向かいに、母方の実家はあるのであった。

年が明けたらブログを通して紡ごうと思ってた、漠然とした感覚、に、
さらに年末に色々ありましたので、すこし長くなるかもしれません。
お時間ある方、おつきあいください。

実は、年末に母方の祖父、中島則明が往生しました。

ちょうどクリスマス前の週末に母が東京へ遊びにきていましたが、自宅にて具合が悪くなり、母は予定を繰り上げで日曜の夕方に滋賀へリターン、そのまま入院となりました。
90歳になりますし、元々身体は強くなく、この1年はすこしづつすこしづつ弱ってきていて、
わたしたちもすこしづつ心の準備をして来ましたが、
26日の夜、母から「だんだん意識がなくなってくると思います。早く会ってほしいな」とline。

本来は31日に帰省する予定でしたが、着の身着のままで翌朝27日新幹線に飛び乗り、
その晩は母にゆっくり寝て貰う意味もかねて、おじいちゃんの病室に泊まり、
ふたりきりで、今から考えるとおじいちゃん往生の前夜を過ごしました。

日曜28日、わたしは用事や、本格的な帰省の仕度もあり一度東京へ。
そしてその夜を明けずして(朝は来たのだが……)早朝に臨終となりました。

師走の終わりということですべてが慌ただしく、斎場の関係などでお通夜が30日、
告別式が31日という運び。2014年最後の数日を親戚たちと過ごし、
すべてが終わって、母方の実家(中島家)に残るもの、
杉田家で新年の仕度をするものなどみなそれぞれの持ち回りがあり、
怒濤のうちに、なんというか、葬儀すべてのしめくくりとして「年が明けた」という、31日深夜でした。

わたしはまだ確定ではないので皆様にお伝えできない1月の予定の関係で、
この年始はしばらく滋賀で過ごす予定なので、いつも通り自分の家ではなく、
生まれてから保育園までを過ごしたこの中島の家にいるべきなのだろうな、と、
30日の夜と元旦の夜からここに泊まっています。

一昨年父方の祖母が亡くなり、なんの準備もしてこなかったわたしたち家族は、ひどくうろたえ、1分1秒を振り返っては後悔し、泣きはらし、なんども今と過去を逡巡して、
そんなふうにこの1年半を過ごしてきた。

けれどその1年半が無駄ではなく前進に繋がるものであったということをわたしは今強く感じている。

おばあちゃんの命が消えるその瞬間に、たったひとりで立ち会ったわたしが、時間をかけて悟ったことは、たかだか30数年しか生きていない自分の「予想」がどれだけあてにならないものか、ということ。そして命の終わりを迎える人の時間の流れが、
今はまったりとした自分たちの流れといかに違うか、ということ。

赤ちゃんが1歳になるまでは、わたしたちが驚くほど、日に日に成長する。
あれ?はいはいが早くなったなぁ…? と思っていると、あるときはっと見たらば、
なにかにつかまりながら立っていたりする。

命の終わりはこの逆なのだ。
この様子だと明日まで大丈夫かな。と思っても、明日は全然違う明日になる。
きのうできたことができなくなって、おとといできたことが、
そんなことできたのか!と驚いてしまうような状態まで弱っていく。
つい数週間前は自分で歯磨きをしていたなんて信じられないくらいに。

でもわたしはそれを知っていた。おばあちゃんが身をもって教えてくれていた。
だから一晩一緒に過ごすことができた。
そしてやっぱり、年末までなんとか……という、
経験のすくないわたしたちの考えよりもずいぶん早くおじいちゃんは旅立った。

ただ、家族に悔いはないです。
それは父方のおばあちゃんと、亡くなったおじいちゃんその人による、
「ゆるやかなお知らせ」のおかげ。

「新年まで引き延ばさない、という、真に父らしい、誠実な終わり方でした」

普段はすっとんきょうな振る舞いや選択をして親類にはずいぶん調子外れな女だと思われている叔母(母の妹)のスピーチがお通夜、告別式ともに、すばらしく胸を打つもので、
とくにこの言葉に、誰もが大きくうなずいた。

そういう人でしたよおじいちゃんは。

だからわたしたちは、大手を振ってはオメデトウ!!と新年を祝いはしないけれど、
おじいちゃんの意図を汲んで、新しい年をこれまでと同じように歩きます。

そういえばわたしは顔立ちも、性格も、あまり中島の筋から貰った要素はないように思っていた。けれどお葬式ではいろんな親戚に「おじいちゃんに似てはる」と言われた。
おじいちゃんは、日活ニューフェイスの試験に合格して大阪から呼び出されたくらいのハンサムな、ほんとに銀幕スタアみたいにカッコイイ人だったのでうれしい。

また、たしかにそういえば4姉妹の中で背が高いのはわたしだけ。
それは間違いなく中島の血なのであった。

そういうことを含め、わたしが今「中島桃果子」という名前でモノカキをしていること、
それらすべてに意味があるとするなら、メッセージはどこに書き記されているのか。

今年1年かけて紐解いてゆきたい。







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