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2014年11月19日 (水)

神様の居る処

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出雲から帰って参りました。
たくさん写真を撮ったし、それをまたアプリでレタッチしたりなんかして、
ええ感じじゃないの?って感じになってきてるのでフォトはまた一気にUPします。

とりあえず、今回の出雲の旅は、突然やってきた恵みのような旅でした。

「神在月に出雲に行ってきた」

というと、なにかと色々おおげさな雰囲気になるのですが、
実はただの温泉旅行というか、そんな改まったことは何もなかったのであります。

そして、そういう意味でいうと「改まったこと」がないというこの感覚は、
わたしにとって新しいステージではないかと。

今回、スピリチュアル永田(家)にいざなわれての旅でしたが、
一緒に行ったのはマダムシュリンプのママ(蝶番に出てくるエビ屋)と、シュリンプの税理士さんのS先生。

初日はゆっくりしましょとご飯を食べているとき、S先生が、

「モカコさんは明日何をお願い(お祈り)するんですか?」

と。そのときに正直に考えてすっと出た答えは、

「お祈りっていうかここに来られたお礼ですかね」

わたしにとってこの旅は、きっとここに来れたというところが終点で、
ここにくるまでが旅であったように思う。

6月に妹と霧島を訪れてから、7月映画の脚本、8月「甘滴恋情事」の完本に追われる日々で、それらが風のように過ぎ去ってから、体調が悪くなったり、
なんかこれでいいのかな、みたいな9月があって。

一発奮起してRUNを再開し、ブログもまめに更新するよう心がけ、
なんとヨガデビューを果たし、ねじリズムのお手伝いに明け暮れた10月。

この10月は正直執筆に関わることは何もしていなかったけれど、
わたしを大きく変えてくれた月でした。

つまりは結論からいくと、神(すなわち、光)は日々に宿る、ということ。
わざわざ出雲までいかなくても、日常の中に、家のどこかに、また、通勤通学路に、
日々の中に神様はいるこということ。

神様。これはすなわち「幸せ」と言い換えられるのかもしれないけど。

たとえば本がすごい売れたら、とか。
いつか昔の夢が叶ってなんかすごい映画に、芝居に出られたら、とか。
すごく稼げるようになったら。
好きな人とつきあったら。
とか。

たら発で幸せが起動するとしたら人生の大半が不幸せということになって。
なにかに「成る」その瞬間だけにしか神や幸せが宿らないことになる。

そうじゃなくて、状況の変化関係なく、どんな状況下にも幸せがある、というか、
感じる力が大切なんだ、と。
(なんか小公女セーラみたいですが 笑)
それは思い込もうとするのではなく、ほんとうにそう感じること。

それがなんかわかり始めて、頭じゃなくてからだと魂でそれを感じで、響き始めていたんだよね。

こうして妹たちと3人で住んでいる日々が輝いている。
こうして銀座でも、神楽坂でも、大切に想ってもらって、なるたけカウンターにいてほしいと言ってもらえる場所(仕事場)がある日々が輝いている。
関わりたいと思う劇団がある幸せ。
なんでも話せる男ともだちがいる幸せ。
なんでも話せる女ともだちがいる幸せ。

わたしの本を、待ってくれている人がいる幸せ。

また最後に、じぶんがじぶんでいることの幸せ。

誰かと代えたいと思わない幸せ。

たとえひと月で0.2㎏しか痩せなくとも。
たとえ本屋に今はあまり本が置かれていなくとも。
たとえ生涯の恋!みたいのをまだ知らなくとも。

わたしはわたしでいたい。

わたしでいたいと思えるわたしでありたい。

最近、友達のひとりが、旦那や妻は「人のモノか」論から、
その子は昔、けっこう有名なミュージシャンとつきあっていて、

「自分には何もなくてもそのひとの彼女だっていうだけで、
何者かになれた気がして甘えていた 自分にはなにもないのに」

という話をしていて、わたしが「そういうのあるよね」というと、
「モカちゃんはれっきとした作家じゃん、何モノでもなくないじゃん」

って言ってくれたんだけど、

わたしが10月にしていた作業って、
もしわたしという人間からモノカキというアイデンティティが剥奪されたとしても。

自分を愛し誇り高く生きている35の女であれるか、というあれだった気がする。

そのときに美しくなりたいと思いました。

色んな意味を含む「美しい」です。

最終的には、剥奪されても、身近なわたしと繋がっている人達のために、
わたしは物語を書いたり芝居をしたり、し続けると思います。

じゃあ、作家だろうが作家じゃなかろうが、
銀座や神楽坂で働いていようがいまいが、芝居をしようがしまいが、
男がいようがいまいが、

わたしは輝けるわたしだ、と。

同時に輝けるわたしを目指し、日々を慈しむこと。

これがもっとも最優先の「生きる行為」であるように思って。

そういう状態で出雲に来られたこと。

それがまさにこのループにおける究極のエンドロールであったのです。

わたしの毎日に神様はいる。

そしてその神様とは、家族や、妹たちや、友人や、上司や、後輩や、親友や、音楽や文学や演劇や朝や夜や、冬や春という、わたしをとりまく日々のすべて。

そんな日々のひかり。に、感謝して。

ほんの一瞬のひかりという喜びがにじみでる旅の1枚を載せました。

温泉でほっと一息。

これはみんながもっっともわかりやすく、幸せというものを手にできる瞬間ではないかしら。笑。

まず総括から入りましたが、そんなわたしの、出雲見聞録。
明日からちょいちょい写真たくさん載せて、更新していきます☆

















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