ねじな日々(胎動は己の子宮から①)
任された作りものがちょこちょこあって、
稽古場に通う日々が続いています。
愛情こめて作っているものだから完成したらすぐUPしたいのだけど、
なにせお客様に初お目見えの驚きを壊したくないから、
写真はなにもあげられず。
木曜日。
わたしにとって最大の難業である作りもの「Ptt」を完成させるべく15時とかの早めの稽古場入りをしたら、稽古場ががらんとしており、めんさん(石川)だけがつかの間の睡眠をとっておられる模様で、それを邪魔した形となってしまいました。
芝居ってけっこう本番前にぽん!と休日を設けることがあります。
どうもその日だったらしくて、稽古は見れなくて残念ですが、
わたしのような作りもの部隊には、逆にいい部分もあり、
(気になるところがあると、すぐに演出に確認できるから。稽古中だとやっぱり芝居がなにより大事だからわずかな隙間を縫って聞くのだが、そうするとめんさんは煙草の一本も吸えなくなったり…)
じゃあ、他の作りものも仕上げてしまおうとその日は12時頃まで居座ることに。
休みですがねじメンバーは来るとのことで、ちょっとしたら祥ちゃんが。
「”ねじリズム”っていう劇団作るんだ」とめんさんから話を聞いて、
制作をお手伝いすることになったあとしばらくして、4年前、渋谷かどっかのイタリアントマトで、祥ちゃんを紹介されました。
ああ、そうだねえ、最初はこのふたりだったよねえ、と、思いつつ、くだらないことを言いながら芝居の打ち合わせをしているふたりをぱちり。
芝居の稽古場でいちばんくだらないことは、殺伐とした空気になることだとわたしは思っていて。好きでやっていることで、不穏な空気になったり、
重たい感じになるのって本末転倒じゃない?と思う。
このひとたちにはそれがまるでなく。終始、自分たちの作ったシーンの「ヤバイ」部分は、あそこヤバイねと笑い転げて(まじにヤバイほう 笑)
うまくいってる部分は「おもしろいよね」「うんうん」なんて言いながら、ヤバイ部分の対策を練っている間も、笑っています。笑
あまりにそのふたりが愛らしいシルエットでしたので正面に回ってパチリ☆
睡眠不足の石川さんですが、カメラ目線くれました(笑
その後岡田、仁くん、タカヤが稽古場にやってきて、なんかとってもなじみのある空気に。
タカヤとはすごく久しぶりに会ったのだった。
最近自分が「べき」なことに囚われすぎていたのではないかなと思っていて。
この歳だからこうすべき、とか、プロになって6年も経つのだからこうすべき、とか、
職業作家なんだからこうすべき、とか、
それが「こうしたい」と合っていたらいいんだけど、
最終的に「こうすべき」には他人からの目線とか、社会っていうものは、とかそういう混じりけが含まれているわけだから、実は自分自身で納得して責任を持てているかというとそうじゃなくて、
たとえば「こうすべき」と思ってしたことが失敗したとき、
「こうしたい」と思ってしたことが失敗したときよりも、大きく、やり場のない後悔を覚えるのではないかなあと、そう思い始めているのです。
えっと、これは会社員の方だとまた違うと思う。わたしも土曜のワインバーでは(べき)に従うし(なぜならオーナーは阿久津さんだから)。
なにかに帰属せずフリーの生き方を選んで就活もしたことがなく、
でもなんとか「中島桃果子」という名前で仕事をしている自分に対してのこれは問いかけである。
たとえば「ねじリズム」のお手伝い。
そのお手伝いよりも、物書きであればやる「べき」ことがあるんじゃないかとか。
(なんていうのかな一般的にいうと戯曲とかキャストでオファーを受けているわけじゃないから、人によれば、他人の芝居の作りものしている場合じゃないんじゃないのと思うかもしれない)
今回のねじは公演期間も長く、二本立てで、キャストも豪華です。
豪華っていうかわたしのいいと思う役者たちがキラキラ輝いて芝居をしていて。
だから変な話、自分が出たいとは思ってないのです。
わたしは芝居を愛しているから、自分の役者としての器量もわかっているつもりなのです。
贋作「蝶番」には出ましたが、あれは原作がわたしというだけでいろいろ許されるし(笑
あと、イクイノックス始め、めんさん(石川)脚本は、宛て書きで、わたしが居ればそれで成立するように書いてくれている奇蹟の戯曲なのです。
だから最初は少し悩んだ。こんなに立派にどんどん皆を巻き込んで大きくなってきているねじリズムがあって。出たいわけじゃなく、自分がいなければ回らないわけでもないのなら、
大切な仲間たちが自分たちの道をこうして前進しているように、
わたしもわたしの道を前進していく(べき)じゃないか。
つまりいますぐ新作を書くなどして。
でも一度稽古場に行ったらそんな気持ちが吹っ飛んでしまった。
(べき)なんてことを微塵も思わず、
やりたいことだけで埋め尽くされている稽古場を見て。
その稽古場にいて。
出てもいないし、たいして何もしていないけど、ちゃんとわたしにも居場所があって。
(と、思っているだけだったりして。笑)
きっとわたしは役者とか戯曲とかそういう小さなパーツではなく、
そういうの全部を含んだもっと大きな芝居のうねりとして、「ねじリズム」が好きなんだと思う。自分が死ぬほど面白いと思っている人達が、死ぬほど面白い芝居を作っているから。かな?
わたしも死ぬほど書きたい物語を書こう。そう思いました。
評価されなくとも、構わない。
胎動は己の子宮から。
その段階でその生まれたものがどこまで届くかなんてわからない。
世界に届くものを。日本中で売れるものを。賞をとれるものを。人に受けるものを。
そんな逆算でモノを作ることは少なくともわたしには出来ないんじゃないかな。
これこれこういう赤ちゃんを産んで下さいということがすべてのお母さんにとっても難しいように。
そんな逆算でモノを作ることは少なくともわたしには向かない。
それを稽古場で確信しました。
(べき)を遂行し(べき)で集まってきたひとたちは、(べき)の躓きで離れて行く。
でも(好き)で集まってきた人達は、膨れあがって大きなひとつの絆になるんじゃないかな。
結局つくりものは、日曜日の深夜までかかったけど、
わたしの稽古場での「いま」は輝いている。
胎動が己の子宮にあるから。
(べき)を脱した作家は、「神は細部に宿る」をモットーに、
細部にこだわりながら、なるたけ低コストの、ねじの作りものに励むのであった。笑
丸山正吾の段ボール職人ぶりが凄くて、わたしはもう、丸山先生と呼ぶことに決めた。
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コメント
ほんと色々ありがとうね。
もぅアンタは8割劇団員だよ(笑)
不穏な空気出さないように頑張らなきゃね、おれ。
投稿: 制作マツシマ | 2014年10月29日 (水) 02時18分
松嶋さん、松嶋さんは不穏な空気だしちゃってください!笑
正気ではこなせないような仕事を、
ひとりでこなしてらっしゃるのですから!笑
もかこ
投稿: | 2014年10月30日 (木) 02時50分