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2014年6月13日 (金)

【一分一秒の中身】

一分一秒の中に無数の選択肢があって、
そのまた選択の奥に無数の選択肢があった。
決断というその扉を、猛スピードで滑走する時間というトロッコの上に乗ったまま、即座に選んでは開け、選んでは開け、
目尻に向かって流れてゆく彗星のような一分一秒を見送りながらまた前を向いて、
無数にある扉を開けてはまた次の扉をあけた。
「さっき」開いた扉が正しかったかどうかを振り返る時間などなく、
また「いま」という扉を開き続けて、
けれども扉が時間にとうとう追いつかなくなって、音が消えた。
一分の中に一週間があり一年があり一生があった、
そんな100分とすこしだった。
そんな数日とすこしだった。
いや、そんな十数年であったのかもしれない…

嗚呼、嗚呼。
何度も時間を遡って反芻する。

ひとつ前の扉に戻って、無数の中からまた違った扉を選んでいたら何か変わっていただろうか。すこしは楽であっただろうか、すこしは淋しくなかったであろうか、少しは不安ではなかったであろうか。
ふたつ前の扉に戻って違う扉を、
みっつまえに戻ってまた違う扉を。
ぱたん。ぱたん。
あちらの扉が開いてはまたこちらの扉が開く、
あるいはあちこちで扉が開いては閉まる音がする。
その扉のどの隙間に滑り込んでいればよかったのか。
わかっているのにいまでもしりたい。

だれもがベストを尽くしたことを、だれもが知っていて、
悔いる必要などないことも、だれもが知っている。
それでいて誰もがおなじように、家族の誰もが何度も扉を遡っては、別の扉を開けてみたじぶんと彼女を繰り返し想像する。

それでもどの扉も、果ては同じ「往生」という海にむかって流れた水であった。
または空にむかって昇る水蒸気であった。
行き先は同じ場所であったと、もちろん誰もが頭ではわかっていて。

12時10分、あなたは最期の憚(はばか)りに行った。
まるで旅支度のひとつであるかのように。
飛ぶ鳥はまさにその後を濁さず、
その場所は美しいまま、
召し物にもひとつの汚れもみあたらなかった。

立っていることすら奇蹟であるのに、
この状態でひとりでそれをあんなに美しく済ませられる気概のある人間を、わたしはあなた以外に知らない。
「冬物はまた冬に使うから。ちゃんと仕舞っておいて」
冷蔵庫にある、7月の賞味期限のモノを見つけては泣きそうになるわたしにあなたはそう言った。
なにもかも解っていて、それでいて本気でそう言った。

嗚呼。
命の灯が消えるその瞬間まで「生」を疑うことを知らないその強さよ。
あなたは完全に最期までわたしより遙かに強かった。

12時10分、おばあちゃんは最期のトイレに立った。

たったひとり扉を閉めて、誰の手も借りずにそれを執り行った。

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中島桃果子のfacebookページだけで読める小説や詩の掲載を企画していて、
最初は何にしようかと思ったのですが、
昨日が祖母の命日で、本日が一周忌にあたりますので、
今日はとても私的なこの歌を、詠ませていただくことにし、

 

この詩に関してはこちらにも掲載することとしました。
なおPCからご覧の方はわかるとおもうのですが、トップページに載せている、
「ある帰途からの帰り道」という動画は、
祖母の余命をなんとなく悟り、そして帰ってきた東京で撮影されました。
タイトルはそこからつけました。
そのことをなにも語っていないのに、この画面には、そのときの想いが映し出されていて、
この動画はたくさんの人から「なにかわからないけどなんか感じた」と連絡を頂き、
「ことば」というものが魂と結びつき、またちがう「ことば」になって伝わるという、
不思議な体験もしました。

ごきげんよう、さようなら。
これから週に一度は、小説家ページの方になにかを掲載してゆきたいと思っていますので、そちらもよろしくお願いいたします

 

(このブログのサイドバナーから小説家ページに飛んでいただけます)

 

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最後におばあやん、
今日、「花子とアン」で、おじいやんが亡くなっただよ。
おらは去年の今日のこと、コピッと思い出して、
おばあやんのお部屋にも、おらの書いた本が飾ってあったことを思い出して、涙がこぼれただよ。

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