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2014年1月 9日 (木)

RUN! mooca RUN!!!

去年のクリスマスの日記を見ると(この場合2012年のクリスマスを指す)、
「モカ暦の元旦」とあるが、
なんだかわたしはここ二年ほど24日を節目にとらえているところがあるようで、
そこから始まる新しい暦に慣れ初めて粛々と正月を迎える、そんな具合なのですが、

2013年の12月24日より、わたしは再び走り始めました。比喩ではなく、
ほんとうのRUNです。笑。
2014年1月現在4回走っているので今後も続くと思われます。

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※以下タイトルの軽快さとはうってかわって情緒的な内容になってしまった!

12月24日、空は高く水色に晴れて、ドレスコーズの新しいアルバム「バンド・デ・シネ」と、アヴリルのデビューアルバムを聴きながら、なんだか素敵な言葉がいっぱい頭に降りて来たのだけど、書き留めることを忘れてしまった。

だからあの日の瑞々しい言葉たちはここに記されることなく、再びあの水色の空に飛び立ったわけだけど、なんだろう、ともかく外堀を踏みしめ、長谷川時雨さまが暮らした家を目指して左内坂を登り、今をきちんと歩いて行こうと、そんなことを誓った。

そして順番にいつかのわたしに頭の中で出会った。

アブリルのデビューアルバムを聴きながら渋谷のジムに通っていたころのわたし。
芝居でできた借金をひと月5㎏のダイエットの賭け金で返した。
泣きたいくらい辛かったが選択肢はなかった。
バイト以外の時間をジムと誰にも頼まれていない脚本書きで埋めていた23歳の頃。

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三の橋から恵比寿までを走る日々をすごした27,8の頃。
役者とはいいながら何者でもなくて、ただ、バニーガールとスナックのおねえさんと、渋谷のclubのbarのお姉さんがそのころのわたしの肩書き。
わたしはまだ「毛皮のマリーズ」を知らずに、そのころはなんだろう?
レイチェルヤマガタとか、エイミーワインハウスとか、カーラブルーニとかを聴いていたのかなあ。妹の影響でMatthew Jayとかpulpとかを聴いていたのかもしれない。
妹と、妹の彼と、風変わりだが面白い毎日を過ごしていた。
あの麻布十番の家で「蝶番」を書いた。

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2009年はcharaをがっつり聴きなおして、青春をさかのぼり、
2010年に「ティン・パン・アレイ」と出会ってからは、わたしは志磨さんの数々の楽曲に心酔をして、彼等の楽曲を遡ってくりかえし聴いた。
リリース年を調べて、その頃自分が何をしていたのかを思い返すと、それらのアーカイヴが自分のそれとある種連動するということを知り、ーたとえば清志郎が死んだこととかー携帯心臓のようにそれらを持ち歩いた。
同時にあるひとに恋をして、
そして恵比寿に引っ越して、いつのまにか走らなくなった。

2009、2010と「売れっ子」と言ってよいのではと思えた連載もひとつ、ふたつと終わっていくと、
どこかしらパッとしない日々の中で、わたしはただ恋だけに生きていたように思う。
別にそれはなにか行き交うものがあったわけではない恋。
なかったわけではないけれど、なにか形として残ったわけでもない。

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2011年、2012年と思い返すと、なにかどこか心のレンズが「絶えず曇っていた」とかそんな風にしか思い出せない。たまたまだけれど、自分の心の浮き沈みに合わせるように、
「the end」というアルバムを出して毛皮のマリーズが解散したりして、
わたしはいつのまにか、ひとりで暮らす恵比寿橋の、まるで生活感のない、ある男の子には「刑務所の扉みたいだ」と言われた重たい、しかも中に開く鉄扉の1LDKの中で、ときおり留まりはしない男の子を泊めたり招きいれたりしながら、
ある種の低音にすっかり慣れてしまっていた。
不整脈の発作がしばしば出て、常に死が隣にある気がしていた。

その中でもフィンランドに行き「誰かJuneを知らないか」を刊行したことは、
ものすごい事件だった。ぐっちゃぐっちゃの私生活の中で、10年抱き続けてきた魂の塊を産んだことは、ある種、ノリにノって新作を出すと言うより、非常にブンガクテキ!なやりかたであったと思う(笑 太宰や、芥川みたい??な。非常に昔の作家的な、生きざまをぶつけて飛び散りながら、でも生きる!みたいなあれであった。

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いまでもときどきフィンランドのあの厳かな夜や深くて冷たいプールや、しんしんと雪の降るヘルシンキの街並みと、熱い石に水をかけて蒸気にするあのサウナを思い出す。
また行くなら次は白夜にすればいいのに、わたしはどうしてもまた、冬のフィンランドを訪れたいと思ってしまう。

そんななか、死を隣に置くような刹那的な人生を変えようと、わたしは心臓の手術をした。
あれから一度も、発作はおきていない。

2013年になって、オカルトみたいな話だが、かさこ地蔵のような出来事があって、
わたしはいま自分が居る場所が「闇」だと気づき、光のある方へやっと腰を動かした。
「もうすこしで、あなた、レールから外れて落ちてしまう」
喫茶店で言われたあの言葉はわたしには重くささった。
毎日玄関を掃除するようになり、あたりまえのことに、すこしづつ気づくようになってきた。
フォークがあるところに歯ブラシをさしていてはいけない、とか、冬服の中に夏服を混ぜていてはいけないとか、そんな、ほんとうにあたりまえのことに。

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3月に引っ越しをして、すぐ下の妹といちばん下の妹と暮らすようになり、そこには当然3番目の妹がちょくちょく遊びにくるわけで、ごちゃごちゃはするものの賑やかな暮らしが始まった。
新しい連載が始まり、破産寸前だったわたしの生活も、家賃が下がったこともあってすこしずつまともになり、alwaysのママがおめでたになり店が閉まることになり、
そしておばあちゃんが亡くなり、3番目の妹がお母さんになることになった。
初の官能ライトノベルを刊行して、初めてNYに行き、初めてトークショーをした。
志磨さんはドレスコーズという新しいバンドを始め、わたしは初めて志磨さんにお会いした。
もうひとつすごく大きな出来事もあって、ほんとに激動の一年だった。

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♪あー時計は、まわってごまかすんだよーおわーりなんてない顔をして〜

外堀を走るわたしの耳にゴッホが流れる。2010年に出会った志磨さんの音楽、それも2014年を迎えようとする今、全部で4枚のアルバムが世に出た。
わたしの物語。それも2011からアンソロジーを合わせて3冊を数える。
2009からだとなんと地味に7冊にのぼる。

「僕らが何かを変えるために生まれたなら、こんな音楽もほんとうはいらない〜だろう」

それでも物語は要る。
最低限今日のわたしのために。そしていつかのあなたのために。
志磨くんもそうではないかしら?たずねたことはないけれど、
やっぱりそうして音楽を紡ぐのではないかしら。

だからやっぱりゴッホにならなきゃ。

2013年、足かけ5年をかけても「船パリ」は完成しなかった。
もはや売るためとか、名誉のためとか、生活のためとかキャリアのためにこの作品に向かってはいない。

なんのためにそれを書くのか。それはもう、わたしの命のため。
この作品でわたしはまずゴッホになれるのか。
それを問うためにわたしはまた外ぼりを走り、左内坂を見上げて、長谷川時雨さんを想う。

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