犬とハモニカ、ゼロハチゼロナナ
実は今年は正月を返上して元旦から東京に戻ってきました。
なにがなんでも「船パリ」を完成させるためです。
同時にありとあらゆるもののインプットも始めました。
読んでない本、まだ見ていないドラマ、知らない映画が多すぎるのではないかと。
帰京する新幹線の中で「犬とハモニカ」、帰東京する新幹線の中で「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」わたしには帰るところがふたつあってどっちも帰路であることをうれしく思いつつ。
「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」は新幹線の中では読み終えられず、東京駅でたちつくし読み続け、家についてさらに読みふけり読了。
「犬とハモニカ」は珠玉の短篇集でしたが、川端康成賞を受賞された「犬とハモニカ」は圧巻で、それを読み終わった後はしばらく放心していました。
ある飛行機が日本に着陸してから、ベルトに運ばれてでてくるトランクを待つまでの物語。
なんでもない物語。特筆すべきことがなにもおきない物語。
この時間帯をきりとってこんな風に書けるのはいま世界に江國香織という作家さんただひとりでしょう。お会いしたときに江國さんがくりかえしおっしゃっていた、
「肝心なことは何を書くのかではなくて、どう書くのか、だと思うの」
という言葉を、
見事に形に結実した傑作短篇です。圧倒的でした。
辻村深月さんの本は「鍵のない夢を見る」以来二作目です。もうずいぶんまえに壺井さんが贈ってくださったのにずっと読んでいませんでした。
辻村さんは、ある閉塞感の中で追い詰められていく女の人を描いた物語が多く、
その独特の閉塞感と湿度がこの作家さんの持ち味だなあと思うのですが、
「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」も、そんな作品でした。
「??」と思って読み始めたタイトルの意味が解ったところでは、
「おおおおお」、そして、ゾゾゾゾ。
ひとつわたしには予期できなかっただいどんでんがえしがあって、
それは、さらに哀しいどんでんがえしでありました。哀しい?もしかしたら客観的にはそのほうが幸せかもしれないどんでんがえしですが、その女の子の気持ちになると哀しい真実でした。「なにも、ないの」その言葉が忘れられません。
同時に最近すごくしっかり作っているなあと思いながら全然観れていなかったWOWOWのドラマでちょうどやっていた「鍵のない夢を見る」も見ました。
追い詰められて優しさがもてなくなたり、なんだかどんどん追い詰まっていく思考の繰り返しをしてしまう女性を、友人の表情なんかをとりこんだりすることで、ドラマとしてうまく描いています。
広末涼子さんがすばらしかった。素顔ではなかなかみせない、簡単にいうと美しくない歪んだ表情をたくさんさらけだしていて、けして綺麗にまとまることなくそこにあるドラマをきちっと表現されていてすばらしかったです。
(ああ、なんかもう有名な人にどこまで”さん”をつけていいのかわからない。べつに知り合いじゃないから呼び捨ていいのかどうなのか!なんなんだ!笑)
角田光代さんの(こちらはもちろんサンつけますよね!)
「ツリーハウス」をすごく読みたいと思って、ようやくバスルーム読書@ツリーハウス。
まだ読み始めたばかりなのですが、前情報なかったので読み始めてびっくり。
わたしが知りたかった満州のことが描かれているではないか。
満州国のあたりは、船パリの物語のおしまいよりすこし先の時代かなと思うのですが、
それでも上海バンスキングにバトンしてゆくその時代をなにかもっと知りたかったのです。
執筆中に、その時間の隙間をぬっても「読みたい」と欲してしまう本には、必ず答えがある。
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