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2013年12月 3日 (火)

たまにはウダウダ書いてみよう

NYから帰ってひどい風邪をひいてから、まったくもって生活に「リズム」がとれなくなってしまった。もはやリズムがないのがリズムといえるような…
せっかく朝型に切り替えて規則正しい生活をしていたのに、、と思いつつ、
やらねばならぬ執筆が11月はわりとあったので、
とりあえずしこたま寝て、しこたま書くことにしようと、現在しこたま書き続けて15時間になるところ。

まだ皆に何とは言えぬが、新しい短篇を2個書いて、そのうちひとつは没になり、長編を手入れして、さらに過去作品の短篇を大きく改稿した。
ようやくラストスパートいけそうだった「船パリ」も残念ながら上記の作業で一時休止中だったので、ようやく本日より(いや、いまから寝るよ、さすがに寝るけれどもさ)、船パリを再開させることができそう。なんとか来週末には書き上げたい。

いま金土以外はほぼ書いているというれっきとした作家生活を送っているのだけども、どうも調子を取り戻してこられたのはここ数日のような気がする。

個展の為の短篇に驚くべく苦心して、
なんでこんなに書けないんだと、
気持ちが悪くなって衝動的に便器に吐いてしまうがごとく、言葉や感情が白い紙の上にこぼれおちていた過去を懐かしく思ったりしていた。
けれども「あー辛いなあ」と思いながらもそれでもなんとか書こうとしていると、すこうしづつ、すこうしづつ、チューニングが合って来て、
没になった物語なんかは特に深い考えもなく、数時間でさらさらと書き上がってしまって、没になったことよりも、なにかがこの手に戻ってきたことに、
わたしはホッとすると同時に「ぎりぎりだったのかもしれぬ」怖ろしさを感じた。

自分の軌道がきっとここ二年くらい、その創作していける軌道から、すこしづつ離れていっていたのではないかな。
人にはなにかに極端に没頭しなくてはいけないときがあって、いまそれではないかな。

なんだろう、NYにはなにも期待せず、ただ楽しむ為だけに行ったのに意外に大きな発見をして、それはわたしはやっぱりルソーやゴッホになりたいということだった。

先日わたしは「ゴッホじゃやなんだ」というブログを書いたけれど、
ゴッホのような作品が書けたら、ルソーのような作品が書けたら、始めてそこで、まっとうな評価がほしいけど、日曜作家って言われて困窮して、歴史に埋もれてしまうのは嫌だけど、でもそれよりもなによりも、
わたしには時代にうまく合わせる器量があったピカソやマティスや、ゴーギャンの持つ才覚よりも、貧困にも困窮にも揺らぐことなく、下手くそだとか、やめちまえだとか言われて一枚も売れなくとも、「自分の信じる世界」を紡ぎ続けた、その、あくなき探求心をなぞらえるように生きた彼等のようになりたい。
まず彼らが紡いだ、技量やセンスなんかをおおきくはみでて、胸を揺さぶられる「何か」がど真ん中にあるような、そんな作品を作りつづけなくては。

デビューして五年になるのにたいして売れてないし、これじゃ一本立ちもできないし、NYのタクシーの運ちゃんに「六冊出してstill not famous!?」って笑われちゃうし、本を出すことができて→出し続けることができていて→その先にあるのは有名になること、もしくは執筆だけで食べていけること、が正しいステップアップのしかただと思っていたけど、なんか多分そうではなくて、

わたしを好きな読者が、どこかでほんのわずかな文章を読んでも
「これは中島桃果子だ!」と言い切れるような、どこもかしこもわたしでしかない凄まじい作品を作ること。その深度を深くしてゆくことこそが、次に目指すべきところなのではないかと思う。変わりゆく時代の中でそれに乗らないことは怖ろしいが、
それを怖ろしいとも思わないふてぶてしさが、時代を止めるような、
百年も二百年も残るような、普遍的な作品に繋がるのではないかしら。
小説とはもしかしたら、演劇よりも絵画に近いのかもしれない。

土曜日にテンカラで、ヤマキさんが持って来てくれた画集を見て、わたしはひどく心を揺さぶられる絵を見つけた。
「これ好きだなぁ……」そういうとヤマキさんが笑ってこういった。
「モカコさん、これルソーですよ」
きっとそういうことなんだと思う。
本物はクレジットを必要としない。

中島桃果子という正し書きを必要としない作品を産む旅に出るのだ。
たとえ大御所に小説をわかっていないと言われても、技量がないと言われても。
売れない本を書いていると言われても。
もはやそこに自分の重心がないのなら、そんなことはどうだっていいだろう。売れたいと売れたいとは言うけれど、そのためにどう書いたらいいかというよりは、とことんわたしらしい作品とはなにかとかってどんどん掘り下がってしまうわたしは、きっとほんとうはそんなに売れたいと思っていないのではないかな。なんかそう思う。
とことんわたしらしい作品がありきで、そしてできればそれが売れたいのだ。きっと。

時代という水流の中で、自分の回りの流れを止めること、
それはたやすいことじゃないだろう。
けれどそこで見事に止まって見せたひとたち、それがゴッホやルソーなんだと思う。
流れに乗るのではなくそれを上手につくったひと、それがピカソで、
誰がどうみてもいいものはいい、そういうものをてらいなく作れた天才がモネだ。
モネはaikoやユーミンに近いと思う。
もし自分にそのどれかができるかもしれないとしたら。
そう考えると答えは明白なのである。
ゴッホじゃやなんだと言う前に、ゴッホにならなくては。

ちなみに二つの短篇はたいへんわたしらしいものになった。
これが自分なりの新しいスタート。
このおふたりの不器用な自画像が大変愛らしい。
R02 Goho

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