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2013年2月

2013年2月25日 (月)

ベル・林蔵の鬘

とりあえずフルール連載の第1話脱稿した。ホッ。

ねじリズム観に行って号泣して、そのあと内見して興奮して〜のバタバタの中、
仮眠とりつつ頑張って、ヘロヘロになりつつのあれですが、官能小説とは言えかなり世界観確立出来た感があるので「魔女と金魚」みたいな、わたしが紡ぎ出す”うそこ設定”が好きな方にはぜひとも読んで貰いたい!
内容はまだ言えませんが、ファンタスティックな驚きをお届けすることはできると思います
(*゚▽゚)ノ楽しみにしていてくださいね!
書いていて楽しい!これは何よりいいことです!
今日も内見ありますが1時間だけ寝ようかな。
しかしどんだけ世界観確立されてて起承転結のイメージ明確に頭に降りてきてても、
手をとめずにぶっとおしでやっても、書き落としにはやはり8時間くらいかかるな。
ほんですげーおなかがすくんだぜ。脳疲労なんだろうな。
頭のサーバーに1本映画ダウンロードしておく状態なんだというふうにわたしは考えておる。

えっとねじリズムをご覧になったみなさま、わたくしの作りものがなにか、
気づいて頂けたでしょうか?
正解はこれ!

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じゃじゃん!!ベル・林蔵の連獅子の鬘でした!!!笑
あははは!!

これねでもね能楽師さんに教えてもらって造りは本格的なんだよ。
素材はあれですけど。

ほんとかうそか、
「あんた前世で歌舞伎の脚本書いていたわよ!」
と言われた直後に行った芝居場で頼まれたものがコレ…。

縁(えにし)を感じます!笑

今回のねじは役者めんさんに泣かされたわ。
演出や脚本もすぐれているので、ついつい忘れがちだけど、
やっぱめんさん、いい役者。

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2013年2月22日 (金)

執筆メモ♡フルール

今日はとても冴えているので、プールでふと降りてきた閃光のような思いつきを、数時間かけて練り上げて、裏付けしながら連載のプロットを構成しています。
「魔女と金魚」以降あんましやってなかった「ありそうでない世界」の勝手構築があまりに楽しくてこれが官能小説であることを忘れそう。
この世界観の設定自体が匂い立つような雰囲気に満ち満ちているのでもうセックスシーンいらなくない?って気分ですがそういうわけにはいかず。
ああ。この作品きっと凄く独特の色香のある世界になるから、ラノベだと思わずにみんなに読んで欲しいな。ムーランルージュやバーレスクや歌舞伎やキャバレーやら、アングラ演劇やら。自分はやっぱりそういう楽屋の香りが好き。
煙と小屋と照明と白粉とかの混ざった匂い。

「すべては濁光の下にあって美し」
「楽屋の猥雑な脚」

このふたつの言葉はいったい誰のものであったか。
船パリの時代考証で得た猥雑な色香の、船パリの純情では使いこなせない、
こし器の布にくすぶったままの残り糟を筆につけて、
華々しく春画を描いてやろうではないか、この「ラノベ」という屏風の上に。

春画の特集をした芸術新潮では春画は「日活ポルノと同じ。ポルノ、という口実のもとにありとあらゆる芸術的な実験をしている」
と書かれていた。
きゃりーぱみゅぱみゅも同じ。「カワイイ」という、ひょっと入りやすい入口の奥で、なんとまあ前衛的な芸術を、彼女は意図的に繰り出していることか。

通勤時間の隙間にさささっと見ればいいと思っていた人たちが、家に帰ってもう一回ゆっくり読もうと思ってくれたらそれはもうひとつ垣根を越えたことになる。
屏風に描かれた猥雑な脚を、ひとはどう見てくれるだろうか。
その楽しみに向かって今から色々「実験」する。
みいきが忘れたこの花は、世界観が色で溢れるように。
添えた春画お猪口は、これがそもそも官能小説であることを忘れないため。
この写真みたいな小説ができたらいいね。

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湖とアンニュイな月

今日は敬愛するジョブズがもたらした文明のイタズラで、ふつう生きていてちょっと遭遇しないようなアクシデントに遭遇し、普通の人なら血の気が引く出来事でしたが、その出来事が振り切れすぎていたので、わたしは相当笑いました。
※以下わりと長め。

ところでさ、iMessegeって、あれappleのIDに勝手に紐づくんですね。
なんでなの?そしてそのメリットは?詳しいひと教えてください。
アップグレードしてから、mmsから自分のPCアドレスにメール送れなくなったから不便だ。なんで。と思っていたのだけど、iMessegeの配信元がそのPCアド(つまりappleID)になってしまっていたからですね。つまり( i )のつくものは全部Appleが管轄していてSoftBankとは関係なくなっていくのか。なるほどつまりiMessegeとはAppleのサービスということですか?

ーーーここから、これと関係ないようであるようなことーーーーー

以前母の行動は幸せスペックが高いという投稿をしましたけど、最近改めてこのひとってすごいなと思うことが多くあります。

席を立つときやロッカーを離れるとき「貴重品を持ちなさい。鍵をかけなさい」と教えられますよね。わたしはズボラかつ「盗られたらそれはそのとき。でも日本人みんないいひと」みたいな生善説でもってあんまり聞いてなかったのだけどあるとき母に、

「あんたのためじゃない、もしもが起きたときに疑われてしまうかもしれない自分の友達や、そこの周りにいるひとたちの為にそうするんや。盗難が起きて嫌な思いするのは盗まれた人じゃなくてそのときそこに居合わせた人や」

と言われてから、なるほど!と思ってきちんとするようになりました。

そんなことを今日プールでロッカーに鍵をかけながらわたしは思いだしていて。

誰かと誰かの為を純粋に思ったときにとるべき行動があって。

でもさ、そないいいひとにならんでもええやろあんた損するだけやで、みたいな選択肢をつきつけられたときに、
かつていいひとになりすぎて馬鹿をたくさん見てきた自分は、わりと(ほんのすこし)したたかさも身につけ始めていたのですが、
やっぱりそういうのは自分には似合わないと思って、

今日は純粋に思い遣りだけで動いてみた。

ずっと意地悪してきたあの子にも、本来そうするべきようにとりはからって。

そういうことをちゃんとできたとき、
じぶんが戻ってきた気がしてすこしほっとした。

ええやんか負けっぱなしのいいひとでも。
咄嗟に誰かのためだけに動ける無垢な瞬発力失うよりは。

「損をしないように」「自分がばかをみないように」動くことが、いちばんわたしを疲弊させる。そのこと気付けたからよかった。

『嵐のような恋を失って、わたしは少し自分を取り戻した』

これは「湖とアンニュイな月」のコピー。
いま別に、失うほど嵐な恋もこの手にはないし、この作品で主人公が取り戻したものと今わたしが取り戻したものはすこし違うけれど、
やっぱりわたしは何かを取り戻した。このポストカードを思いだしながら、プールに向かって歩いてみた。

ええことしたらええことが起こるもんで、
プールで、めっちゃ最高と思える連載の大枠を思いついた。これは無敵。
その欠片を星屑のように抱きしめて家へ急ぐ。これを早く原稿用紙の上に、ぱらぱらと天の川のように溢してやるのさ、そしたら物語が宇宙になって輝き出すんだよ。
そんな気分だね。

ちなみにこの景色は和歌山の串本です。下里っていうサーフスポット。

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2013年2月20日 (水)

ナオミとランチago

ナオミとランチago。
『原点に戻ろうぜ』とかっていって広尾のデプレに行った。
いい感じだった。でも、ナオミ、ドアあけるときに
『原点入ります!』って、めっちゃ笑うわ。
ナオミはいつも今を一生懸命生きていてすばらしい。
そして、どんな駄目なときのわたしも、否定しないで応援してくれて、ありがたい。
「無垢で真っ白なすぎちゃん、戻ってきて。待ってるから」
ってナオミに言われた。うん。戻る。って思った。

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モモ

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2009年にかつて溺愛していた児童書を順番に集め始めました。
その中から一冊。
『モモ』です。ほんとうに不思議な食感の小説で、宇宙人が書いたんじゃないかしらって思ってしまう。

ミヒャエルエンデ。

映画の「ネバーエンディングストーリー」の原作「はてしない物語」を書いた人です。
高熱を出して学校休んだ2日間に二段ベッドの上で読んだので、ほぼラリッてるのと同じ感じのトリップした記憶があります。

「あなたは過去と未来のことばかり考えて、そこをいったりきたりして”いま”を生きていない。だからあなたは、いまここにいない」

ということをあるひとに言われて、
その後 ”腰痛は怒りである” という本の中にも、
「いま・ここ」を生きれば腰痛は治るというリンクする言葉を見つけ、
※医学的根拠があるかないかは別として。

ああ、なんか「時間」がヒントなんだ。と思ったときに、たまらなく『モモ』を読みたくなった。きっとなにかを見つけることができる気がして。

『モモ』は時間泥棒のお話です。
時間なんてあってないもの、とかって言い出すと哲学的で解らない。でもいま、いつかの為だけに「いま」を生きると、
永遠にその「いつか」には辿りつけないんだってことだけはわかった。
「いま」の為に「いま」を生きないと時間は、つまり絨毯は、どんどん延びて、ずっと城に辿りつけないんだ。俯いたその目先に映るの絨毯の赤だけを見つめて足を出していると、いつのまにか城にぶつかる。なんかそういうことなのかな。

わたしが今持っているのは昔持っていたのとは装幀が変わってしまっていて、本来はこの、絵みたいなやつが装幀です。

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2013年2月19日 (火)

お知らせ

WEBマガジンフルールでの官能小説連載スタートを2/ 22(金)と告知してきましたが、
わたしの小説は3月UPからになりました!また期日は改めて告知させて頂きます。「楽しみにしてます」と連絡くださった方がいらっしゃったので訂正します!
今、編集の奈穂ちゃんと、もっと面白く「読める」小説にするために試行錯誤、わたくしは沈思黙考中でございます!

『過ちも二度目は愛に包括される』というシリーズ、
個人的には気に入っていたのですが、
それはまたいつかどこかでお届けできると信じています。
「へえ!モカコさんこんな小説も書けるんだ!」という感じに、
パワーアップして新しいジャンルを開拓していきたいと思いますので、
みなさんお楽しみに!(*゚▽゚)ノ

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2013年2月18日 (月)

ねじリズム明日から小屋入り

ねじリズム明日から小屋入りです。

奮闘した小道具もほぼ完成。
今日は通しを初めて観ました。感動しました。
めんさんの戯曲ってなんでこんなにシュールなのにこんなに愛があるのかな。
こういう作品を書けるのはクドカン以外には、久米と、めんたろう、この2人しか思いつかないよ(でも思いつく天才が二人も身近にいるってすげー!)
どうせ本番でまた泣いちゃうんだろうなと思いつつ。

結局、ねじに対してわたしが泣いちゃうのって、芝居のカタルシスもあるけど、
みんなが「芝居」ってものに向かう純度がおそろしく透明度高いからなんだと思う。劇団や集団て、しがらみに縛られたり、自己顕示欲の争いになったり、はたまた儲けることありきでキャストたくさん出したり、しがちだけど、ねじにはそれはない。ぶつかったり言い合いになることも全部全員100%「芝居」のため。
そういう純度は手にしたくてもなかなか手にできないものだから、だからわたしは毎回、そういう純正で創られた「生」のカタルシスに泣いちゃうんじゃないかしら。

そしてわたしはやっぱり、この世のなによりも、芝居を、つまりは物語含む芝居を、愛しているんだなぁと実感した夜。

帰りに久しぶりに四ッ谷武藤家に寄りました。2010年までは四ッ谷と言えば武藤家だった。なんかたまには「いつかの自分」に立ち返ることもいいのかなあと、
武藤家を目指して麹町から四ッ谷へ歩いたよ。

好きじゃないものを好きなふりはできない。
やりたくないことをやりたいふりはできない。
できないことをできるふりもできないし、
好きなものを、そうでもない風にも振る舞えない。

結局自分は、自分にも他人にも嘘がつけないのに、大人になろうとして、
いろんなこと飲み込んでみようと器用ぶって、結局全部吐いてしまった(笑
今日の四ッ谷会は良かったな。ゴンダワラで福岡さん(ベンジーP)に拾ってもらった2009年頃のことを思いだしていた。

武藤さんいわく「腰痛は怒りである」という理論があるのだそうだ。
いろいろ調べて一理あるなと思った。
わたしの腰は、わたしのわたしに対する怒りでいっぱいで、とうとう壊れてしまったのかも(笑
でも明日から変われる。詳細はまた今度。

武藤さんに2年おくれの誕生日プレゼントを貰いました。春画のおちょこです。
さすがのセレクト。春画ラブモカコ。湯豆腐頂いておいしかったなー。

ねじフォトはネタバレをふせぐために足だけです。
演出家めんさんばっかみてたけど今日の役者めんさん、すげーかった。
やっぱこいつ蛇口だなって思った。嫉妬しちゃうぜ。
って四流役者に、股旅も嫉妬されたくないだろうけど。笑
ではみなさんまたね。

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2013年2月14日 (木)

『つやのよる』

「艶が危篤だ」
ある女性が死のうとするとき、その女性と関わった男たちを通してその男たちの向こうにいる女たちがざわめいていく。

昨日、やっと行定監督の「つやのよる」を観に行くことができました。
上映前から楽しみにしていた映画です。原作は井上荒野さんで、脚本は、わたしも一度お会いしたことがある伊藤ちひろさんが担当されています。

誰もの日常に潜むあたりまえのドラマに、はっと気づく映画です。
ひとりの女を巡って数人の男たちがざわめく、またはその逆の物語というものはよくありますよね。

だからわたしも、ひとりの女を巡るたくさんの女たちの話だと思ったときに(キャスティングやなんかで)、一体どういうことなんだろうと思いました。
でも、観て、ああそうかこういうことなんだなあと。

つやじゃない側の女に立ってみればよくよく解る話です。
いま自分が愛したり関わっているひとの向こう側にいる女のひと。
それは厄介で、気にしなくてもいいけど気になって、
なんか勝手にすごい女なんだろうとか、勝てないとか、クズみたいな女だとか、想像だけがふくらんでいく。実体のしれない「艶さん」を、名前やその響きから透けてみえる人格をつくりあげたり、知っていても知らない部分を妄想で勝手に乗っけてみたり。あるいは「知りたくない」と、なんの情報も入ってこないようにシャットアウトしたり。

でもわたしがこの映画を面白いと思ったのは、
わたしたちは、艶じゃない側の女でもあるし、その方が自覚しているけど、
同時に同じだけ「艶」でもあるのだということに気づいたからでした。

じぶんが奔放に生き、恋愛をするということは、
自分が恋愛をし関わる男を通して、その先にいる女たちをざわめかせ揺さぶっていく行為でもあって。女はみんな、揺さぶられる側であると同時に同じだけ揺さぶりをかける側でもあるということを思い知った映画でした。

じぶんがじぶんであることには無自覚ゆえに、意識がないけど。

わたしたち女はひとりひとりが艶でもある。

原作を、読んでみたいと思いました。
みなさんもぜひ、映画館で観てみてください。
行定さんの力作です。
わたしは個人的には監督の「作品に触れて貰いたい」という熱意と真摯さ(それはきっと映画というものに対する真摯さ)、に触れる機会を頂き、たいへん感動しました。行定さん、役者陣、そしてスタッフさんたちによって、大切に紡がれた作品です。よろしくどうぞ。

個人的には野波真帆さんの、
「男と女って、寝てしまうと、どーしてこうもつまんない方向にしかいかないのかね」という台詞が秀逸だと思いました。
秀逸な台詞にひとつ出会えるだけでも、わたしはひどくしびれる。


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2013年2月13日 (水)

ねじ稽古Ⅱ

祥ちゃん&岡ちゃん。

最後はみんなでデタラメに歌ったり。
音楽がある稽古場っていいな。
寒いけど。

今日は尊哉もきていたよ〜

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2013年2月12日 (火)

次回は情熱…

日曜日にNYで10年以上女優をやっている葉子とお茶をした。
彼女は高校の同級生。前にあったのは15年前。上京したての小平のマンションに、東京であるオーディションを受ける葉子を泊めた。
ふたりともまだ東京がよくわからず、とりあえず演劇といえばと朝から下北沢にくりだして、静寂が広がる下北沢の駅あたりで、町が起きるのを待って、有名なパン屋の看板パンを買った。
道路の脇にしゃがんで、ふたり、パンを食べた。わたしたちは揃って、都会を飼いならせていない、田舎娘で、まだ東京は怖かった。

あれから15年経って、わたしはすっかり東京に慣れた。恵比寿に住んで乃木坂やら神楽坂で働いちゃったりなんかして。
葉子もすっかりニューヨーカーだ。わたしが大好きなSATCのキャリーのマンションの近所にこないだまで住んじゃったりなんかして。

15年!でも15年経っても変わらない熱量で何かに向かう同志がこの惑星のどこかにいることは、財産だ。
久しぶりに会った葉子は洗練された華と輝きがあって、わたしは、
「こいつは近々絶対来る!」とわたしは確信したよ!
葉子はアメリカのドラマが大好きでドラマ女優になりたいらしいけど、まるで明日にも、そんなこと実現しそうな気がした。
そんなこと、とか、わたしが言ってしまえそうな目の強さが、葉子にはあった。

別れ際の挨拶は、
『じゃ、次回は情熱大陸で!』

互いが出たら互いを呼び合うことを熱く約束しあって、周りをキョロキョロ。(・・;)
「こんなん周りが聞いてたらあたしらアホやで」笑
NY在住の滋賀作女優と、東京在住の滋賀作物書き。
さてはてどっちが早く情熱大陸出れるのかな?笑

ふたりとも15年前は、下北沢のまちのはじで都会を飼いならせずに、ならんでパンを食べていたね。
あのころもいまも、わたしたちはまだまだ、誰でもないnobodyだけど、自分たちの考える「何者」には少しづつ近づいているのだと、そう、信じることができた日曜日。
通い合うものがあれば、15年ぶりにあっても、まるで昨日の続きみたい!そして葉子ちんの仲良しフレンズが、世界でなかなか売れて来たトランペッターなんだが、その人と我が親友ちほさんが、リンクする繋がりをもっていたことにもびっくり!

頑張っていれば、みんな繋がれる。繋がっていけるノダ!

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2013年2月11日 (月)

ねじ稽古Ⅰ

今日は麹町に「ねじリズム」の稽古場お手伝いにきております
( ´ ▽ ` )ノ
ねたバレできぬゆえ、バシッとした写真が載せられませんので写真がだいたい岡田ですが、雰囲気感じて頂けますでしょうか?見算先生オカダが、偉そうに見算する、の図。
しかも今日は、生ネコやヲ乃ガワで一緒だった阿部ちゃんが稽古場にきてくれました!
生ネコがねじリズムの巻。

わたしは小道具係なう。
本当か嘘かわかりませんが『あなた、前世で歌舞伎の脚本書いてたわよ!』と言われてから最初に来た芝居の稽古場で頼まれた作り物が、驚くほど歌舞いている件にびっくりしております。何を作っているかは秘密♩
みなさま、当日劇場にて、ああ、これはモカコが作ったのだなぁと思ってください。笑。
次回稽古場レポは水曜、かな?

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2013年2月 9日 (土)

太陽と月をもてあまして

今日はいい土曜日だった。
ボスのフードもいっぱい出たし、チーム石高からの荒木町ガールズからの、さいごはみいきさんで、なんか自分がそこに居るってことで会いにきてくれる人のいるありがたさよ。
ボスはそういうときは完全に「モカコにこき使われている肩身の狭いオーナー」を演じてくれて、結局そういうのひっくるめてわたしはボスの掌の上でDanceさせて頂いていて、そこもありがたいかぎり。
史織ちゃんの友人が繋がりとは全く関係のないところで誰Juneのファンでいてくれるらしく、tweetとかしてくれているらしく、そういう一般の声がこうやって届いてくれるのもいいね!なんて思いつつ、わたしは例の松本の人がいった太陽と月のことを考えていた。

男は太陽に紐付き、女は月に紐付くのだとそのひとは言った。そしてあなたは太陽で、つまりだいたい男であると。だから女に成れない部分で苦しまなくていい&その代わりに女として男とうまくやりたかったら三歩下がりなさい。笑

そんなわけでわたしは今まで書いた小説の登場人物を月タイプと太陽タイプになんとなくわけてみる。誰Juneの雲谷真帆はとことん月。つまり女性。
ソメイヨシノの実環子もやっぱり月。芳本かをりも月。
船パリの暁子も月、マリ子もああみえて月。夕帆〜のこうこも月。
そうやって考えると太陽は、魔女と金魚の繭子とマドカと、蝶番の艶子くらい。
ユメノ(まじょきん)は月。あ、芙美子(誰June)は太陽。そして以外にも、あんな感じにみえてセリ(誰June)がなにげにきっと太陽なんだなぁという驚きを含みつつ、
やっぱりJUNEだけが、月でも太陽でもなく、ただただJUNEでしかなくて、
彼女はもはや「惑星」であるのであった。

「太陽と月をもてあまして」これは元々「まじょきん」の源水となった日記のタイトル。極端にどうしようもなく女なところと、自分でも自覚できるくらいに男なところと、両方を抱えて苦しんできた気であったが、わたしはとどのつまり太陽よりの、それでも「女」としてここに生きている。ということらしい。
なるほど〜。そしておやすみ〜。
不思議な話はすこしづつ続きます。

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おじいちゃんの大正ロマン

これは、正確には「不思議な木曜日」以降、連鎖して起こっている面白いできごとの話です。1月の大雪の前日から始まった『へんてこなこと』は先週の木曜、わたしが松本からやってきたとても不思議な人との体験でもって山場をむかえ、そこからちょこちょこその余韻みたいなものが続いているのだけど、今日はなんだかお告げのようなできごとがありました。
「起きたら寝室の窓を開けて、今日もいい日にするとお日様に向かって言う」
ということを今日初めて実行した次の瞬間、母から電話がかかってきた。

ママが言うには、いまおじいちゃんが2時間かけて懇々とママに話した大正ロマンの話をちょっときいてくれという内容で、船パリが昭和3年で止まっているわたしにとっては大変興味深いことだったのでわたしはフンフンと聞いた。

おじいちゃんは最近どうも、生まれたあたりの記憶を断片的に思い出すのだそうだ。そういうことをこないだおばあちゃんも言っていたから、ひとは晩年になって、急に自分がとても小さかった頃のことを思い出すのだろう。うまくいえないけどベンジャミンバトンのような心と体のリンクが、生まれた頃=晩年って感じで起きるのかもしれない。

いままでおじいちゃんは、最初の記憶は「丹後の地震」だと思っていたそうだ。ところがそれより昔の記憶があることを最近思いだした。
おじいちゃんはお馬さんに乗っていて、なぜだかとてもお母さんに会いたい。
でもそうすると「ねえや」が「いまお母さんは赤ちゃんを産んでるから会えへんのやで」というようなことを言う。小さなおじいちゃんはますますさみしい。
そのとき屋敷の前にあったカフェ(おそらく純喫茶)から、なんとももの悲しい歌が流れてきたという記憶だった。
※うちのおじいちゃんは8人兄弟の5番目で、そのころまでは大変裕福でありました、しかしこの数年後株で大失敗をして、没落する。なので我が一族は株は一切やらない。残ったのは300坪のお屋敷のみ。だからおじいちゃん家は築100年以上(!)

そしておじいちゃんは、その生まれた子をずっとすぐ下の妹だと思っていたけど、
実はその間にひとり子がいて、生まれたのだけどすぐ死んだのか、はたまた死産だったのかはわからないが、とにかくそういう兄弟がいたことをおじいちゃんは今記憶として思いだしたのだそうだ。家族で弔いをしているなか、なにもわからない2歳のおじいちゃんは、はしゃいで駆け回り、それをみて家族はいっそう泣いた。
「大正15年の暮れの話やった。15年の暮れに生まれて昭和の初めに、死んでいった子がいたんやわあ」とおじいちゃんは先ほど電話口で泣いた。

船パリの大正15年暮れ。なにが起きるかはまだ言えないけれど、いろんなことがリンクしてわたしは驚いた。
母ちゃんが恋しくてたまらなかったその日に、カフェから流れてきた歌は「紅屋の娘」というらしい。
you tubeで調べるとなんと歌っていたのは「佐藤千夜子」だった。
佐藤千夜子……
船パリを書く上の時代考証で、切っても切り離せない歌手が、佐藤千夜子そのひとである。心臓の手術をした次の夜、わたしは病室のベッドで彼女の伝記を読んだ。

なんていうか「雪を見てみたい」と思いながら雪を知らずに生きてきて、ある日起きたら外が真っ白だったような、
「お肉ってどんな味だろう」と思っていた矢先に目の前にその血肉の塊をどんと置かれたような。
わたしが空気のようなものに思いを馳せ、なんとかその空想や憧憬の塊を形にとらえたいと、綿菓子をつくるように紡いできた船パリが、
急に自分のおじいちゃんの最初の記憶としてドカリと目の前に現れた。
空ばかりみていたのに、ものすごく太い根のついた切り株を置かれた。

おじいちゃんに「紅屋の娘」を、聞かせてやろうと電話をして、電話口からその曲を流したら、おじいちゃんはひとこと
「大正ロマンやなぁ」と言って、泣いた。

船パリの中に「紅屋の娘」をどうしても入れなければならない。わたしはそう思った。シーンはもうある。昭和15年の暮れから昭和元年の年越しのシーンがもう、船パリにはある。そこにこの曲を入れなければならない。
わたしは強くそう思った。
昭和3年で留まっていた船パリがラストに向けてようやくもういちど出港するときがたぶん、きた。
その汽笛を、おじいちゃんが鳴らした。大正13年に生まれて、昭和のはじめに兄弟を亡くした、わたしのおじいちゃんが。その血潮の先にいるわたしが、この2013年に大正を書く。

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2013年2月 8日 (金)

「スズキ祭」

「スズキ祭」
来週に一度「ねじリズム」の稽古場手伝うので、
めんたろサン(股旅先輩=石川)から送られてきた「スズキ祭」の台本読了。
やっぱり面白いな〜♪めんさんの書くものは。
キレッキレッだよ…。
表紙の次の登場人物紹介でもう笑ったよね。そしてめんさんの構成は野田さんの構成と似ておる。
野田さんのは紐解くと社会問題へ、めんさんのは紐解くとヒューマンへ繋がってくという落としどころの違いはあるが。
めんさんといい、PU-PU-の久米やこうきさんといい、山口くんといい、我がsistersといい、二十代の頃からこんだけ「書ける」人らに囲まれていたから、自分が書くことに特化しているなんて思いもしなかったわけだよ。気づかないわけだよ。
と、「スズキ祭」を読んで改めて思った。

去年の今頃は、椿姫の代役で角角の稽古場に呼んで頂き、今年もスタンドインでねじの稽古場に呼んで頂き、去年今年は作家業に全エネルギーを注ぎつつも、細くても途切れず、縁あって芝居と繋がっていられて、芝居の神様に、見放されてはいない模様でうれしい。
お客さんの前に立てなくても芝居ができる、芝居のあるところにいられるだけで、わたしはしごく幸せだわ〜。

また稽古場レポします!!(*゜▽゜)ノ

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