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2013年1月24日 (木)

第八回目新潮エンタメ大賞の授賞式

昨日は第八回新潮エンターテイメント大賞の授賞式でした。
※ちょいエモい。で、思ったこと含め、長め。
1年てほんとうに早い。去年この会場でいろいろ忸怩たる思いをしたので(受付で気づいて貰えず、名刺ありますかといわれるなど)
「ああ、来年ここに来るときは絶対有名になっていてやるっ」と誓ったのに、まだ売れてないよう!!(><)/ということを思い知る為会場に入るまえに自分を撮影。
これがその変な顔のやつ。

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写真右下、左から第五回受賞者の小島達矢(こたつ)、わたし、ノーリー。
楽しそうね(。・・。)ポッ

今年はノーリもいたので、ノーリーが戌井さんの情熱大陸にちょこっと映っていた話やらいろんな話をして今年は新潮社で書きます!と約束。
思わぬところで準備なく「過去の受賞者たちからひとこと」みたいになって、しどろもどろで、すげーどうでもいいコトばっかり言ってしまってチーン(。-_-。)
あの場所でほんとうに言いたいこと、言えなかった。言えばよかった。

昨日は他社の「大きな賞」の選考委員の人もきていて、「新人賞はある意味ガンの告知と一緒だから五年が肝心で、つまり5年が勝負。がんばってください」みたいな、新人賞=有名作家になれる、じゃないんだよっていうような厳しめの挨拶をしておられた。
それもその方の立場からしたら当然のご挨拶である。

みんないろんな立場からこの賞に参加している。だからこそ。
わたしは前受賞者という立場から、もっとほんとうに言いたいことを言うべきだったのに。

今年の受賞者はぬぼーっとした容貌でぼそぼそ話すいわゆる「オイシイ」人で、
『昨年とうとうパートナーにみはなされ出て行ってくれといわれたが、この受賞を機に、僕もやるときはやるのだと知ってまたヨリをもどしてほしい』というスピーチを絶妙の間合いでして、全部の空気を沸かせてもっていった。そんな彼は全くうかれる様子もなく、淡淡とそこに座っている。

思った。あなたもっっと喜んでいいんですよ!と。
どうせガンの告知なんですから。今日喜ばないでじゃ、いつ喜べばいいんだよ!!
受賞者のスピーチを聞いて思っていた。
四年前のわたしはきっと業界の人からみたらはちはちと、ピチピチと、あるいみ痛々しくて、すごくはしゃいでいて、
(この子はこのさきの厳しさとかわかってないんだろうなぁ)って感じだったんだろうなって思う。でも悪いけど解ってるからね。
14年芝居やっててまともにクレジットされた映画もテレビもない元女優志望はそんなことよく分かってた。
解ってたけどはしゃぎたおしたわけだよ。こんなこと次いつあるかわかんないからね。

だからこそ、何年に、何十年に一回しかない何かの「受賞」をちゃんと喜んで、ちゃんとはしゃいで、明日からの険しい道に備えるべきなんだと。わたしは思う。
わたしはそんなことが言いたかったのに。
だからわたしは今日も、一年前に売れると誓ったのに売れてない自分をトイレで撮影したわけなのに。

誰かが人生の中でコツコツ積んできた努力が報われたという「絶対的」な瞬間は何にも代えられないもので「相対的」な枠でジャッジするべきじゃない。
みんな物事を相対的にジャッジしすぎる。受賞は喜ばしい。でもこれは直木賞じゃない、とか。書く仕事はある。でもスターじゃない。とか。そういう尺で測っていったときに、ほんとうに「唯一無二」で「絶対的な」ものを見つけ出せるだろうか。

うまく思いがまとまらなかった。
結果わたしは、たいして売れてない前の受賞者が、新しい受賞者になにかすてきなことを言おうとして結果「ニコールキットマンはオスカーとった夜は離婚直後でひとりぼっちでそれはなんの価値もなかったといっていたので、わかちあえるパートナーがいることが一番幸せかもしれないですね」とかいうサエナイところに落ちついたパターンに仕上がった。

なんだか重い祝いの席だった。8回やったけど、まだスターも出ず、フジテレビに協賛してもらったけど、まだどれも映画化になっていない賞の、新しい受賞者を祝うための、
不景気もともなって、さして「祝福!!!」という空気も出づらい中で。

わたしはほんとうは別のことがいいたかったのに。

Alwaysを愛しているのに、そんな空気で、いまから「バイト」に行きます。というひとことがどうしても言い出せなくて、わたしはさらに遅刻していた。
ああ全部がいまいましい。
帰りにノーリーがわたしをつかまえてエレベーターまで送ってひとこと言った。
「あの話(5年目のガンの話)は気にしなくていい」
そうそうわたしは5年目なのです。主治医はノーリーです。
あっかんっべー。

出版社は売れることを気に掛けなくてはいけない。作家を選ぶ選考委員もそれを考えなくてはいけないだろう。でも作家はそうでもあるけど、そうでもないと思う。

わたしたちは100年も200年も前の物語を読む。
100年も200年も前に描かれた絵を飾る。
その中には生きた時代に認められなかった作品もたくさんあって。
だからわたしは、売れる為の努力もしたいけど「売れるか売れないか」という尺度に抗いたい気持ちもある。
知り合いの弁護士さんが言ってくれた言葉。

「僕のように、時代と切っても切り離せない、時代を無視しては成り立たない職業じゃない仕事をあなたはしているんですから。今年来年だなんて小さな尺度で考えないで、いつか何百年後の誰かがあなたの本を読んで人生を変えるかもしれないことを考えるんだ。時代にとらわれないで」

その言葉には説得力があった。
でもだからってわたしも「売れなくていいんです」とは思っていない。
本を出させてくださっている出版社を儲けさせたい!互いにおいしいお酒の飲める仕事がしたいとはいつでも思っている。
つくりたいものと時代が噛み合えばいいな。
つくりたいものをほんの少し時代に寄せることができればたくさんの人に届くなら是非もっと努力したいし、わたしの器量が足りなくて届かないのならもっともっと勉強したい。
そう思っている。

ノーリーが教えてくれた小話は、75歳で芥川賞をとった黒田さんが25歳のときに書いた小説を読んで、ナントカっていう超大御所の作家さんが「この子はいつかくる」とおっしゃったそうで、その予言が50年後に当たったということでした。
なんかそういうのってすてきじゃないか。と思う。

黒田さんが小学生のときに旧仮名遣いから新仮名遣いに変わったときに
「言葉に対して失礼ではないか」と思ったというエピソードもとても印象的だ。
そこですでに彼女は時代に抗って、普遍的で絶対的な彼女の「言葉」を追いかけはじめているからだ。

わたしは「5年」という尺度に抗っていきたい。
それはもはや、5年という月日に抗う以外の選択肢がないということでもあるのだけれど。

現状に納得しながらも、納得できないところの先に「絶対的で普遍的なもの」が芽吹くと信じて、今年もがんばろう。

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