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2013年1月18日 (金)

何者!?

一気に読んでしまったよ一気に。ひさしぶりだよ寝落ちするギリギリまで読んで、起きたらまたすぐに開いて…みたいな。
というわけで我が家の午後は「何者」というか「朝井リョウの世界」が支配しているいま。

いやー、凄まじかったな。朝井くん凄いな。デビュー作の「桐島」以降ずっとわたしは朝井くんのファンを公言しているのですが、今回の「何者」はまた一段階凄いというか、彼のとんでもないバランス力と圧倒的な器量を感じました。
感動、というより、敬服。
個人的にはどうやったらこういうふうに物語を書けるんかい!と思ってしまう。
感情や感性もすごいのに、きっと朝井くんは書いているときすごく冷静なんだろうなって思う。
直木賞受賞のとき選考委員が「才気」という言葉を朝井くんに対して用いていて、才気ってよくわからなかったので調べた。

「才気(さいき)」=よく気がつき、巧みに物事を処理する知的能力。

まさに才気溢るる、という感じだなあ。

なんか朝井くんの作品は読む度にその才能をすごく見つけてしまうので、物語の感想というより朝井くんへの感想になってしまってごめんなさい。こう書くと作家の能力押しがすごいのかと誤解されるかもしれませんが、朝井くんは物語の中では完全に黒子になっている人。すばらしい音響さんが「音が芝居の邪魔をしないように」音を入れるがごとく、物語中に朝井くんはどこにもいません。だからこそ彼はすごいのです。私小説みたいだけど私小説じゃないから。

物語に関しては、妹達が「あきちゃん(=わたし)就活したことないから共感でけるかなぁ」と言ってたけど、ディティールは体験したことなくても、端々で共感できるものがあって、この感覚は全国共通のマクドナルドあるあるくらい、あるあるなことかなと思った。
その点でも、大衆小説としての直木賞にふさわしい作品だなあと思う。

だって就活をしててもそうでなくても、20代、一般的な青春の終わりと呼べる時期に、何者かになりたくて足掻いた日々の焦燥や痛々しさや、そういうものはきっとみんな同じだよね。
特にわたしは日芸だったし、朝井くんが早稲田のキャンパスをモデルにしてるかは分からないが早稲田演劇にも出入りしてたから、なんかあの小劇場演劇感は懐かしかった。わたしたちは逆に就職していくやつを「そんな程度の思いで芝居やってたのかよ」と馬鹿にし、見下していたかもしれないね。今は違うよ。

誰かを否定したり蔑んだりしないと自分が「何者」かわからなくなって立っていられなくなるような時期ってあるよね。誰かと区別し仕分けしないと自分がどこで誰なのかわからなくなるような。そんなころ、わたしも髪を金髪にして、似合いもしないのにYUKIちゃんみたいな格好をして「個性的」だと誰かに言われるのを待っていた。

なんかつまりは「ほんとにあなたそれで幸せなの?そうはみえないけど」って詰め寄って来る人って、そのひとが全然幸せじゃないんだ。ほんとうに幸せな人は人が見つけたそれぞれの幸せをけして否定しない。個性について答えが出ているひとは自分の個性についてつきつめて考えたりしない。自分が「何者」かって答えを出せた人は、周りが「何者」かなんて気にしない。

なあんてことをいっちょまえに言えるのは30代になってもはや「何者」とかどうでもいい時期にきてしまったからで(笑

あの頃わたしも必死で自分が「何者」か、探していた。
杉田萌香とかって自分に名前つけてみたり。笑 それを数年かけて中島萌香子に変えてみたり。でもって遊び半分で作家っぽいとかって勢いで作って応募作品にクレジットした「中島桃果子」って漢字がなんの前触れもなく、わたしの「何者」を説明する名前になった。ようやくわたしは自分に勝手に変な名前つけてそれで呼ばせているイタイ子から卒業できた。笑

思ったけど、「何者」作中で登場人物たちが「イタイ」とか「サムイ」とか言ってる行動のすべてを、今もなお、わたしは満たし続けているようデス。
ツイッターやFBやブログで「世界を手にする」みたいなこと平気で言ってるし。
「あたしは誰でもない、アタシナンダ!あたしでしかナインダァ!」みたいなことも叫んじゃってるし。
33歳だし。やばいし。それ。

だからわたしはもはや朝井くんってわたしのことそう思っているんじゃないかっていう被害妄想の段階に突入(笑 
でも朝井くん、わたしに何かしらの「感情」を割くほどの関係でもないし。ただ編集者が同じってだけやからさ。わたしと朝井くんの共通の感心は「壺井さんがいつ寝てるのか」ってことだけよ。

ギンジってるわたしだけどさ(何者読んだひとならわかる?)でもギンジの、
「みんながんばれ。がんばってることを言葉じゃないもので伝えようと思って、今日も舞台の上にいるよ」というツイートは良かった。

こういうほんの一行で、その場面で物語が必要としていること、主人公がそれをみて感じた気持ちを一語も書かずに、読者に同じ思いををさせてわからせるという、なんとまあ難しいことを、朝井くんはあっさりやってのけるものか。

なるたけ書かずに感じてもらうことができたらどんなにかいいとわたしもいつも思っている。でも下手くそなわたしはそれができない。
朝井くんは「書かない」箇所で一番大切なことを伝えてくる。だから本物の才気なんだと思う。敬服。二回目。

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