« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012年12月31日 (月)

今年最後のショットは新幹線!

左上から、某友人に多めに頂いた本代で買ったコートを着るモカコ(ラビットファーだが3900円!なぜなら古着だから)、
右上、年末にマジ心洗われたレミゼパンフレット@アンハサウェイまじ歌素晴らしすぎ、
下は新幹線にて、スタバ買いそびれたのをいいことにひとり晩酌。
サッポロとかいけてんじゃん、丸くならないよ、星になるよ来年!

みなさまにはこの長めFacebookにお付き合い頂くだけでもお世話になった一年です!
手術など大変なこともたくさんありましたが、いいこともあった一年です。
手術と誰JUNEの出版はわたしにとっては今年というより人生の中の大きな出来事でした。

『たいせつなのは答えじゃない。答えは最初から歴然とそこに転がっている。たいせつなのはその答えに自分が納得する勇気があるのかということ』
これは誰JUNEの冒頭の方に置いた文章ですが、
この、簡単そうで難しい、「歴然と転がっている答えに納得する」勇気を、持てた一年だったように思います。33年、ままならないことに納得する勇気を持てなかった、持たなかった、自分の新しい成長としてそこは褒めたい。

決別すべき過去にはちゃんと決別し、たいせつにすべき淡い思い出は抱きしめ、わたしと繋がってくれているみなに感謝し、三年ぶりに滋賀で新年を迎えます。
勝負年は、必ず明けてすぐ勝部神社に決意表明の初詣に行くのが流儀。今夜はそれをする。

貧しさに喘いだ一年でした、それをラビットファー3900円が物語っている。三ヶ月ぶりの買い物。本物なんだけどね!笑
来年は絶対稼ぐ!丸くならずに星になります。必ず。これはもはや誓い。

みなさん来年もどうぞよろしくお願いします。素敵な年賀状を作りましたがこれから宛名書きなので元旦には間に合いません!執筆してたのでお許しを!
ではよいお年を。
紅白のYUKIちゃん観れるかしら…

556995_399528860133962_847022790_n

Photo 540959_399528880133960_579319488_n

| | コメント (0)

2012年12月29日 (土)

マルセルブラウン

【今日まで10colors】
テンカラは本日まで営業してます!が、わたしはなう、alwaysの大掃除中の為、23じまたは0時あたりに出没しますが、ボスはもういます。
写真はテンカラの上のBAR MULEさんで23日に飲ませて頂いた究極のブランデー「マルセル カミュ」です。なんと1910年に作られたものを2012年のその日に封開けしたという極上のお酒!1910年は船パリより前だ!!
感動いたしました、ボス、河口さん、ありがとう!BAR MULEさんもよろしくどうぞ。

というわけで今日のカラーは、マルセルブラウン!

307153_398639483556233_1969285485_n

| | コメント (0)

2012年12月28日 (金)

乃木坂仕事納め

今日はalwaysも年内最終日なので、今年の営業初日(3月8日)を思い返してスーツ着てみました!!ジャケット、スカート、インナーまでもフロム奈奈姐さんという、スーパーお洒落モデル仕様でございます。笑。最近ちゃんと髪巻いてます!揺れてる女か濡れてる女がモテるのだとの中野裕子姐さんのアドバイスにしたがい、胸元揺らしてみました…⇦これも思えば奈奈さまからの…
頂きモカコ頑張ります!笑

張り切って家出たところで小雨〜(;゜0゜)
多少水に滴られつつ広尾商店街を歩く、いい女、いや、イケテナイ女モカコ。寒いよぅ!
カラダよわ子、少しだけ体調復活!イケテナイと思ったけど、揺れる✖濡れるで、小雨によりモテ条件を満たしたのか⁈答えは謎(。-_-。)

528605_398168146936700_154553141_n 483335_398168210270027_1686342521_n

| | コメント (0)

2012年12月25日 (火)

クリスマスコラージュ

【デイタイムコラージュ】

きのうはなかなかいいイヴでした。たまたまあやめと連絡取り合い恵比寿でランチ。
その後ふたりともiPhone5をゲットゥンし、そしたら三女もプレゼント持ってきてくれました。なんか、きのうは思ってもみない人たちからたくさんプレゼント貰い、じいーん(T ^ T)
コラージュしました。

シンディさんに貰ったモップスリッパ、サンタさんに貰った手袋、みいきに貰った姉妹お揃いのマグ(ウィルビィルの三姉妹を思い出す…)、zipperの編集者さんに貰った紀州五代梅⇦これ欲しかったの!と、お手紙、などなど。
そしてなんか小さな贅沢したいと本日コニシでオムライス。
きゃは♪

521426_396874153732766_1877659550_n
62142_396874173732764_444417758_n

【ナイトタイムコラージュ】

きのうは一日、さおりとれーこさんに『だらしない脂肪』に関して突っ込まれじゃくった一日でした…なぜセクシーサンタなのにみんなそんなに笑うの⁈
「神楽坂ではそんなクレームはなかった」と主張したタイミングでまさかの神楽坂ボスから「あのサンタは…」というコメントが…(。-_-。)…

写真はわたしとさおり。れいこさんのは許可とってから載せます!

コラージュ写真右端のわたしの全身フォトは、さおりん=グラビア=カメラマンによる、上から舐めーの『だらしない部分』50パーセントミラクルカットの見事な作品であります!笑

みなさんはどんなクリスマスをお過ごしでしたか?
わたしは34歳の誕生日までに『だらしない』をカットして、グラビアにも耐えられる作家を目指す⁈

418066_397319283688253_1785145299_n

62169_396512770435571_514988666_n

282906_396512813768900_692628662_n

| | コメント (0)

2012年12月24日 (月)

今日はモカ暦の元旦

Img_6583

(さあ、はじまりの朝だ)― (ああ)振り向かずに、そのままで聞け
いいかい ロリータ  すべては今 きみの目の前さ
戯れの日々も 淡い恋も  美しい思い出は ロリータ
この旅路の きみの傘となる   ードレスコーズ-Lolitaー

Merry Xmas! とかいうにはまだ早い朝なんだけど、
今日はなんだかとても楽しいことが起きそうな気がしていて。

クリスチャンでもないけどクリスマス大好き。
でも今日は朝起きてベランダに出てみたら元旦みたいに朝の空気がしゃきっとしているので、思わずマキネッタで淹れた珈琲を片手にパシャリ。

いい朝だ。
部屋は片付いているし、珈琲はおいしいし。
いつもの師走とは違って、忙しい予定を縫って毎日船パリを書く2012年の12月は、大変だけどすごく充実しているし、幸せを実感している。

去年はとても厳しい一年で、この時期、一日がすごく長くて辛かった。
ああ、まだ5日もある、ああ、まだ4日も…。そんな風な一年だった。
でも今年はいい年だったと思う。
ここ数年ではちょっとないくらい、自分が何かを乗り越え成長したことを実感できた、
自分を褒めてやりたい2012年だった。

まだ振り返るには早いんだけど、みなの元旦は1月1日なんだけど、
その暦じゃないモカ暦で、わたしはどうしても、昨日で終わりで今日が元旦な気がするから、今日新しい気持ちで2012年を振り返る。
だから記念すべき今日、iPhoneを新しくする。
20日で滅亡といわれたマヤ暦は実は13パクトュンとかいうある長いスパンの暦が終わってまた新しく始まる循環暦のことらしい。
おそらくわたしのこのモカ暦は、手の腱をを切って手術した15歳冬から、不整脈の手術をした33歳の冬までの18モカトゥン(笑)のことをいうのだと思う。なんとなく。根拠はないけど。

「負けること」が、惨めなことや、淋しいことや、哀しさや虚しさとイコールになるのは、
自分が納得してないから、自分が自分に負けているからで、
自分が自分のイニシアティヴを持って納得してやったことなら、
負けすらも美しさや、潔さといった眩しいものに変わるのだと気づいたんだ。

2012年、わたしは相対的な評価で、著しく負けた。
渾身の「誰June」は売れなかったし、
このひととだったら一生一緒に居られそうだと思った人にも振られて、
おそらくそのひとは別な人と人生を生きていくことを選ぶ。
船パリにかける手間暇で夜を減らしたので生活が苦しく、
人生初の家賃滞納という危機にさらされた。
負け倒した一年だと思う。
でも悲しくはない。
絶対的なところでわたしは自分にけして負けなかったから。

依然わたしは「誰June」を2012年に世に出された本のどれにも負けない不朽の名作だと思っているし、大好きだった人と自分の中にあったものは何よりも本物だと思っている。
ひもじい日々だったけど、100円をようやく五枚ためて飲むスタバがこんなに美味しいものかと33歳になって初めて知ったし、待ってあげるよと言ってくれた大家さんのおかげで、船パリに集中することができた。

悲しさや痛みや傷もいっぱい知った年だった。
やるせなさとか、この世にはどうにもならないことがあるってことに気づいたり。
気持ちや信念だけでは叶わないこともあるって知った。

でも痛んだ自分やその傷口に気づかないフリをしたりもしなかったし、
自分の気持ちに顔をそむけたり一度もしなかった。
ちゃんと向きあってちゃんと乗り越えたし、
さびしいからって、誰かとなんとなく寝たりとかもしなかった。
自分の限界を超えて誰Juneを書き上げた。
だからあれが売れなくても何も恥ずかしくない。
だってあれは最高だから。

自分はとても弱い人間で、それを恥ずかしいと思っていた。
色んなことに振り回されて疲弊してしまう自分を格好悪いと思っていた。
なのに変われなくて。
「歴然の向こうに行く」なんてたいそうな目標を掲げて始めた2012年だったけど、
全然歴然の向こうになんていけなくて。

でも今自分は強くなれた気がする。
自分が格好悪いと思うことはしない女にすこしずつなってきたと思う。
心はもしかして、歴然の向こうを垣間見た。
まだ歴史はついていない。
だから惨敗したけど。
でも負けても清々しい。負けても幸せだから。
なかなかいい女に、なかなかいい作家に、
なってきたんじゃないかと思えるんだ。
たとえ誰かに批判されてもぐらぐらしないで自分の作品を信じられる。
たとえ片想いでも最高の恋愛をしているのだと満面の笑顔でいられる。
わたしは今年ようやく「しなやかさ」を手に入れた。
「自分」という一番手のつけられない、厄介な生きものを、
だいぶ飼いならせるようになったのだ。

結果は大切。
だからこそこれらの負けが、
大きな結果を連れてくる過程だったと言えるように、
いまを精一杯生きよう。
愛しているものを愛していない、愛していないものを愛しているフリなんてしないで。

今、船パリを書いています。
いまからすごくすごく大切なところになるので、考える時間もかけています。
さぼったわけではなくて、作家人生ではいままでにはない長いお話にいまなっているので(刊行時はもっと短くなってるかもしれないけど)
そういう新しさを噛みしめながら丁寧に書いている。

船パリが教えてくれること、それは未来。

いままでは、経験や自分が通過し咀嚼した感情や感性、つまり通りすぎたものを物語にしていた気がするの。
でも、今は、船パリを通して自分が日々成長しているのを感じる。
わたしがまだ見ぬ明日に、筆がわたしを運んでくれているのを感じる。
そういう意味でも「未来を書く」という、新しいこと、未知との遭遇が起きている気がする。
これはモカ暦の新しい暦の頭に置かれる、第一作目。
旧暦の最高傑作はもちろん「誰June」である。
最後に書いた作品がこれまでの最高傑作で、まだ見ぬ新しい作品が、それを塗り替える最高なものになる。
これは恋愛も人生も作品も含めて、一番幸せに近いやりかただと思うのだけど。

Img_6581

この青い鳥がまだこのグラスの足くらいに青かった頃、物語の「輪郭」を模索し、この家に引っ越してきた。毎日太陽を浴びて、いつのまにか青い鳥は白い鳥になった。
でも大丈夫。
幸せの青い鳥を追いかけなくても、幸せを見つけたから。
誰かの中に見いだす幸せじゃなくて、自分の中に見つける幸せを。

別れを知り ぼくらは大人になる 
それでもよろこびは ロリータ
まだ出会う前の誰かへの 祈り

ロリータ 歌え さあ今 そうだ これが生まれた意味だ
ロリータ 歌え さあ今 すすめ きみは美しい ロリータ

いつか出会う君と僕の、まだ見ぬ未来に口づけをして祈ろう。
幸せと幸せを持ち寄って最強の永遠を紡ぐの。
今日はモカ暦の元旦。新しい旅立ちに祈りと珈琲を。

Photo
溺愛する ドレスコーズの志磨様の直筆サイン〜♪
ここにもひとつ、まだ出会うまえの誰かへの祈り。
志磨くんの歌はいつもわたしの傷の一番傍にあって痛みを和らげてくれた。
でも今は喜びとともにある。
だからもちろん志磨くんの歌への溺愛は新しい暦にも持ち越し。
清志郎じゃないけど、♪もしかしたら〜君にも〜会えるね〜。

いつか。

そのいつかのために。振り返らずに前に進もう。

| | コメント (0)

2012年12月19日 (水)

奮闘執筆中…

14578_430743600326509_2067232171_n

facebookページを更新しました。
(右のバナーから飛べます!)
みなさま「中島桃果子」のfacebookページもぽちっといいね!お願いいたします!(。・・。)ポッ
もう押してくださっている方はしつこくてすみません、なにぶん知名度の低め作家なもので…自己宣伝でがんばってゆきたい。
写真は夏のものですが執筆感あるので再びひっぱりだす。

あまりブログ更新できていませんが、
今頑張って船Paris書いてます。

みなさまお楽しみに…。

Webpicture
ちょっとまえに作ったコラージュ。なんとなく。

| | コメント (0)

小さい頃 第三弾

モエから送られてきたフォトたち。

Img_6518_2 Img_6474
パンダを育てるモカコ(左)、子どもながらに「どこも隠せてないやん…」
と煮詰まってた水着(右)でも笑ってる!!

Img_6485 Img_6471
シャボン玉に必死!(左)、限りなくペコちゃんに近いモカコ(右)

Img_6486

「こちとら守山の昭子やさかい!!」

以上。
自分のルーツを辿るのはよいことデス(笑

| | コメント (0)

そして…

心待ちにしていた妹の二十数年後の姿↓
(ショーヤンクの空をイメイジ)
Img_2679_2

| | コメント (0)

小さな頃 第二弾

Img_6510

まさかあんなに口の立つ手強い、かつ個性的な妹が生まれてくるとはつゆ知らず、
心待ちにしている昭子。

| | コメント (0)

絨毯の切れ端

『棺のなかに来春柿落としを迎える新しい歌舞伎座の舞台のその切れ端が入れられた。彼の亡骸の足が、まだ誰も踏んだことのない真新しい舞台を踏んでいる』

これは野田秀樹さんの勘三郎さん追悼文書き出し。

野田さんらしからぬ悲痛でエモーショナルな追悼文に胸が痛かった。
何十年も一緒に芝居を追いかけてきた親友が逝くってどんなだろう。

わたしはちほが死んでしまうことを想像すらできない。
想像する勇気すら持てない。
そんなことを思いながら、半年ぶりにちほのLIVEに行った。
そしたら池野先生(昭和の偉大なジャズジャイアンツ、歴史的なピアニスト)が、
体調を崩されて、今日はお休みとのこと。
こんなときだからなんだかすごく、そういうことに敏感になってしまったりしていて。
そしたらちほが同じような顔をして出迎え、
「野田さんの追悼文読んだ?持って来たんだけど」
とわたしが言うと、
「読んだ読んだ、野田さんも辛いだろうね、あんな亡くなってすぐ追悼文書くなんてさあ。ちほ、これがむーみん(=わたし)だったら無理だよ」
と言った。

なんかその言葉で通じ合えたというか、もうそれ以上会話が必要ないくらいな感じであったしちほも出番だったので、
すぐにその話は終わりになったのだけど、
(この場をお借りして稲澤さん、教えてくださりありがとうございます、おかげで二人とも追悼文拝読できました)

その後みたちほのtweetがあまりにわたしが考えていたこととリンクしていたので、
ここまでか!と驚いた。

              ***

『野田さんと勘三郎さんが新橋で呑み、深夜に歌舞伎座に入り込んで警備員さんに灯りつけてもらって花道を駆け回ったって話、私も学生時代もかこと同じ事をしたように、そんなことばっかしてたように、懐かしい気持ちになった。忍び込んだ先はもちろん歌舞伎座の花道とは大違いだけどさ』


『野田さんのインタビュー、「竹刀を5回振ればいいところを100回ぐらい振るでしょう。お客さんに受けると。」っていうので一気に勘三郎さんがよみがえった(笑)そうそう』

ー熊田千穗twitterよりー

              ***

なんか多分、野田さんの追悼文を読んで、辛いだろうなって思ったのって、
わたしとちほに、同じような思い出があるからなんだと思う。
ちほが言うように歌舞伎座の花道とは段違いなんだけど、どこかで芝居ができないか、
ここにも、あそこにも芝居はあるかと、18歳の頃から、わたしと千穗は、
いくつもの路地を一緒に曲がって、たくさんの芝居人の背中を追いかけ、
多くの戯曲を読んだ。
この街で十五年暮らして、千穗はジャズシンガーに、わたしは作家になって、
芝居を本業としてるわけではないし、多くの役者たちと出会い時間を過ごしてきた。
それでも今でも、自分ほど芝居を愛している人間をもうひとり見つけることはできないんじゃないかと思うし、自分が唯一自分と同じ熱量で芝居を愛していると思える人間は、
やはりちほだったりしていて。

きっともちろんほんとはそんなの奢りなんだけど、初恋を超えられないように、
わたしとちほと芝居の凝縮を、わたしたちはきっと、わたしたちでしか塗り替えられないのだ。

久しぶりに聴いたちほの歌は、素晴らしかった。
一緒に言ったウッシーさんが、
「ここに出る歌手たちの中では彼女はもう群を抜いている。トップクラスだね」
と言っていた。ここにはもう、あの中講堂で、
「聞こえないからそんなか細い声で歌わないで!」
とダメ出しされていた千穗はいない。
初めの頃は「もっとこうしたら」とか、ライヴパフォーマンスにも口だししていたわたしだけど、もう今はただお客として聞きにいくだけだ。だって彼女はもうプロなのだから。

わたしは昔から、彼女が「この歌はこういう歌です」と、歌詞の内容を物語にして聞かせてくれるMCが大好きだった。そのMCのときにウッシーさんが、今度は
「彼女が芝居畑でやってきたことが、ようやく活きてきたかもしれないね」と言った。
ほんとうにそうだと思う。

わたしたちはいつも芝居をしているから。
音楽の中で。原稿用紙の中で。

来年出版される予定の「船パリ」の中でも、わたしは唯一ちほにだけは、
完全に宛て書きをしている。
物語の中にわたしたちの芝居が生きている。

勘三郎さんが亡くなる一週間前、なんの因果か図書館でわたしは野田さんのエッセイをたまたま読んだ。
その中に勘三郎さんと野田さんの対談があった。
勘三郎さんが野田さんに必死に
「いつか歌舞伎の演出をしてくれ」と頼んでいた。
それまでに俺も歌舞伎を変えて、おまえが入ってこられるように頑張るからと、勘三郎さんは言っていた。
「えっ?」と思って日付を見ると1991年とあった。

そのいつかがかつてになった2012年。野田版歌舞伎はたしか2000年に始まる。
こうして偉大な人たちも、自分の夢を叶えるために、10年もの時間をかけて、努力を重ね、諦めずに実現していったのだ。
「70歳くらいになったらさ、若い女の子ひとり入れて”ちょっと表へでろい”なんて芝居を作ろうよ」
2010年に『表に出ろぃ』は東京芸術劇場の小ホールで行われた。ちほとは日程があわずわたしは尊哉と観に行った。その”若い女の子”には、わたしとちほの同期演出家の麻衣子の劇団の女優さんのロランスちゃんが五百人の中から選ばれた。

『いい大人が、大演出家と大役者が、そうやって子供みたいにはしゃいで騒いで、満員の観客が大劇場を埋めつくす芝居の核が産まれるのが、しんじつ』
ここでまた千穗のtweetとわたしの気持ちがリンクする。

勘三郎さんが亡くなる一週間前、麻衣子の舞台を観に行ったら、串田さんが観に来ていて、まさか串田さんが来てるとは思っていなくてその存在に気がつかなかったわたしたちに、串田さんが「おう!」と声をかけて寄ってきてくれた。
15年串田さんを追いかけてきて初めてのことだった。
勘三郎さん最後の大舞台「法界坊」の千秋楽で串田さんを見つけてわたしたちは大声をあげて手を振って、麻衣子の舞台で初めて串田さんがわたしたちを見つけてくれて、
その一週間後に勘三郎さんは亡くなった。

いつまでも背中を追いかけているんじゃないぞ、と神様が言ってるような気がする。
いつまでも誰かを頼りにしていたらダメなんだ。
馬鹿みたいでも、笑われても、自分たちが演劇を変えるんだと、
自分たちが物語をつくるんだと、いきまいて、前に進まないと。

そのためのスタート地点、に立つために、今わたしは必死で船Parisを書いている。
船Parisがもたらしてくれるのは成功とか、賞賛とか、実績とかじゃない。
あの物語がわたしにくれるのはきっと、
「長い船旅の始まり」
その船出なんだと、そう思うのだ。

『彼は”芝居”というものはもっともっと人々の心にじかに届くように、目の前の大切な人に話しかけるように、その人びとの言葉も聞きながら演じるものなんだということを実践しようとしていた。その日の芝居の本当の姿はそこに立ち会った観客の心の中にしか残らないことを体中で知っていた』串田さんの言葉。

上海バンスキングの再演で繋がることができた自由劇場の年季の入ったファンである稲澤さんや三澤さん。おふたりが貴重な資料をお貸しくださり情報や昔の映像なんかも見せてくださり、ちほのライヴを観に来てくださり、わたしの執筆のために色んな知識を貸してくださる。そして今回の勘三郎さんのことも一緒に悼んでくれた。

勘三郎さんや野田さんや串田さん達が広げて、素晴らしい役者、スタッフ、文化人が乗り踊り飛び跳ねた絨毯の上にわたしたちはいないけど、
でもわたしたちはその絨毯の切れ端を握りしめている。
これを宝物に、わたしたちはわたしたちの絨毯を敷くのだ、これから。
10年でも20年でも時間をかけて。

375469_391366980950150_442846107_n

543984_391366960950152_504723252_n

| | コメント (0)

2012年12月18日 (火)

ウィルヴィルの三姉妹

Img_6506

観てきました!!KERA版、「祈りと怪物ーウィルヴィルの三姉妹」
※ネタバレあるかも。

まず席が良かっタ!!!!
そして美術が良かっタ!!!!
音楽が良かっタ!!!
映像が良かっタ!!!

今回4時間超えか?くらいの長丁場で、こんなに長い芝居も久しぶりに観たのですが、
長さを感じさせませんでした。

実のところ、野田MAP&自由劇場フリークに思われているわたしですが、それはあくまで熱狂ファンであって、わたしが心底ホッとするというか、呼吸のように体に心に入ってくるのはKERAさんの芝居なんですね。
だからKERAさんの芝居を観ると心底落ちつく。
わからないけど、小さな頃にわたしは「親子劇場」という観劇クラブみたいのに入っていて、月に何本もあっちこっちへ芝居を、大きい物から紙芝居みたいなものまで観ていたのだけど、
多分その頃に観た芝居に近い気がするのかな。

串田さんはやはりどこかジプシーみたいな大道芸人やサーカスの、広場でやってるようなあの感じをルーツにしているし、野田さんは思想ありきで芝居を作ってらっしゃって、
芝居が「ちょうどに芝居」なその加減がわたしの求めているものにKERAさんの作るものがフィットするのだと思います。

「どん底」のときの降りしきる雪のときから、KERAさんの美術にはしびれていたのですが、今回も素晴らしかった。そして映像というか、芝居の為の「映像効果」としての映像が素晴らしかった。
わたし、あんまり映画みたいなスタンスで映像を使う芝居って好きじゃないんだよね。
だから映像が舞台美術のひとつと化しているKERAさんの映像の使い方好きなんだよな。
今回のあれは今流行の「プロダクションマッピング」ってやつだなぁって思ったのですが、
控えめなやりかたでよかった。

オープニングから映像が装置にシンクロしていくとこで泣いたわたしです。笑。

あとKERAさんの戯曲感もわたしはすごく好きですね。
KERAさんは戯曲を書く前に、人物相関図を書きそれをただ眺め読み込むことに数日でも数時間でも費やすらしく。
そのやりかたがわたしは生理的にひどく共感できるわたしです。
わたしもそうすることが多いかな。逆にもっと時間をかけるべきなのかなと思います、人物相関図作りに。
物語の展開を考えるのではなく人物を見つめなおし理解し掘り下げることで、そのひとたちが交差し関わる世界の中でどういう出来事が起きるかは必然と霧の向こうに薄らぼんやり見えてくる、、ということなんだと思う。

「残酷なほどに平等に、人間を描くために」
とパンフには書かれていますが、パンフを読んで「やっぱりなー」とか「なるほどなー」
とか思うことが多かったです。

三姉妹に解りやすい三色のドレスを着せていて(美しかった)これはすごく観客に優しいなと感動。あと姉妹たちが逞しくて、どれだけ誰かを愛しても、最後はブレないところが、最近の芝居の中でありそうでないなって思った。女って恋をすると変わるって風に描かれるのが真っ当で、実際そうだと思うし、そんな中、究極の選択で躊躇せず愛しい男を殺した(しかもそれぞれが全員)三姉妹は、わたしには衝撃でした。
緒川たまきがあまりに美しく、生瀬さんの芝居は人間味があってすばらしかった。
あと野田MAPにもよく出ている大倉さん?のパキオテ、あれ難しい役なのにすばらしかったと思う。まえに黴菌を観たのが2010年のクリスマス、今年のウィルヴィルも12月で、
なんか12月にKERAってすごくいいな。

友人のお誕生日祝いだったけど、自分も心底楽しんで、でも相手も楽しんでくれて、
いい一日でした。自分だけはりきってドレスアップしてったら恥ずかしいなと思い抑えめでいったのですが、向こうがお芝居を観劇とのことで正装みたいな感じで来てくれて、
そういうポテンシャルあるひとってわたし大好きなので、また一緒に芝居みたいなと思いました。互いに体調がよければ深酒したのでしょうが、
ふたりともあまりの体調不良に、そそくさと帰宅。

あの芝居みて三姉妹って華やかじゃなーい!と思ったので、ウィルヴィルの三姉妹に対抗して守山の四姉妹の写真を載せて終わりたいと思います。自分と自分の愛するファミリーの為には躊躇せず、男に拳銃をつきつけ引き金を引ける姉妹であれますよう!?笑

わたしも架空の町モノ、書きたいなぁと思ったところで「まじょきん」を書いていたことを思い出しました。いやね、もっとディープなやつ、なんか町が石膏でできたセットみたいな、古代文明とかマチュピチュみたなそんな感じのロケーションで、みんなビロビロっとした衣裳着てて、それも白いみたいな国のお話。

Image233









| | コメント (0)

2012年12月17日 (月)

ツリー

わたしが何気に何年も大切に慈しんでいるクリスマスツリー。昔ソニプラで買ったんだけど、もうどこにも売ってないんだよん♪

305379_394299000656948_812443709_n

| | コメント (0)

2012年12月14日 (金)

バケツとわたし。

Abnz6cccaahf14jpglarge_2

わけあって小さな頃の写真を萌恵に送ってもらったのだが…
一体どういう了見でバケツをこうしているのか…
この頃からいわゆる普通にお嫁には行けない気配の片鱗が…!

| | コメント (0)

2012年12月 5日 (水)

勘三郎さん逝く

Nakamura200811

勘三郎さんが逝ってしまった。途端に2009年を思い出す。神様が清志郎もマイケルも連れて行ってしまったあの日。
勘三郎さんの歌舞伎を理解できなかった10代のわたしがいて。
勘三郎さんの芝居に惚れた20代の私がいて。
勘三郎さんの歌舞伎に、心底惚れた、今年の春のわたしがいる。

蜷川演出ばりに舞台の奥が開いて、奥にはスカイツリーと本物の桜吹雪。
そこで凄まじい立ち回りをみせる勘三郎さんは、ゾッとするほどに美しくて、
この世のものとは思えないほどに光を放っていて。
ああどうか60歳の勘三郎さんも、70歳の勘三郎さんも、わたしたち、見せて頂いてもいいですかと、心で神様にお願いした、ほんの矢先の出来事だった。

タクシーの運ちゃんにたまらず「辛いんです」と言った。
タクシーの運ちゃんはこういった、
「あなたにとって勘三郎さんは、けして縁のない人では無かったんですね」
ーこうして思い出を遺してくれたんですから。

その言葉が胸に染みてわたしは泣き出してしまっていた。1070円を払いながら。
そうだ遺してくれたんだよ勘三郎さんは。
わたしが親友と、そして親友とともに追いかけた串田さんと一緒に、
「あなたの最後の演技を見届けた」という思い出を。その千秋楽に立ち会えた思い出を。

2012年平成中村座 法界坊再演。中村勘九郎、遺作にてその最後の大立ち回りを、
隅田川に散る桜吹雪とともに、わたしたち熊田千穗、杉田昭子は、それをれっきと見届け心に刻みたる。あなたの最後の、大芝居を、その細かな息づかいまでも忘れないほどに。

2012.12.5 中村勘三郎 永眠。

Org_20120403000103

| | コメント (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »