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2012年11月23日 (金)

深夜のメモ

今日「結婚しない」の天海さんを見て思ったこと。ていうかずっとこのドラマみながら考えていたこと。
”44歳、かつて不倫をしていて婚期を逃し今も独身。有名なガーデニングプロデューサーだったが今はいち花屋の店長に出向させられている。現在恋人なし。”

箇条書きにしたときにイメージする女性像と画面の中の春子さん(天海さん)は全然違う。淋しい感じもくたびれた感じもつらそうな感じもなくって。
で、思ったこと。
「さびしそう」とか「きつそう」っていう感じってきっと、辛い恋をしている、とか、恋人と別れた、とか、仕事がうまくいっていない、とか、ずっとひとりで暮らしている、とか年齢っていう状況に付随するもんじゃなくて、きっとそのひとが、抱える状況や事情やissueによって生まれる傷に対してちゃんと対峙していないっていうか、見て見ぬフリをしているところに巣食うものなんなんじゃないかな、って。

人は安易に状況で人を可哀想とかさみしそうって言う。でも、わかりやすい例で言うとロンドンオリンピックで4位になった北島って全然可哀想な感じしなかった。
すげーかっこよかった。
だから「可哀想」とか「さびしー」とか「それせつねー」とかって周りに感じさせてしまうその原因て状況じゃないんだよ。だから改善すべきことは「誰かと行動する」とか「彼氏をつくる」とか「子どもを産む」とかっていう《出来事》じゃなくて、自分自身の心や弱さと対峙するっていう、もっと目に見えない所のことなんだなって思う。

条件や状況が整っていなくても輝いて見える人は、きっと、自分自身を映す心の姿見をピカピカに磨いてあるんだと思う。そこにきちんと自分を、見たくないものもふくめて映して、痛いことも、辛いことも、悲しいことも、ちゃんと見て、ちゃんと受けとめて、自分以外のモノや人に依存せずに、自分自身と支え合って生きているんだね。
それは孤独を飼いならすこととは全然違うことだとわたしは思う。

人は強くない。でも、じぶんの足で立とうとする潔さは大事。誰かがなんとかしてくれるのを待つのではなくて自分自身で今日を少しでも彩る姿勢は大切。
そういうひとはきっとさみしくないひとだ。
春子さんみたいになりたいな。

Photo_5

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