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2012年9月23日 (日)

つゆのあとさき

【銀座6丁目のダンスホールを経て乃木坂のカッフェーで働く女給モカコ】

『女給の君江は午後からその日は銀座通りのカッフェーへ出ればよいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で降りた』

これが最初の2行。
この2行だけでいろんなことがわかって収穫もさることながら、市ヶ谷本村町って馴染みの店があるところやん、ほんでまさに「市ヶ谷本村町の貸間」にそのお店のオーナーはお住まいではなかったかい?(。・・。)/
そんなことで一気に親しみやすくなった永井荷風の「つゆのあとさき」

四ッ谷から神楽坂へ向かうあの大通りの感じとか、日比谷から数寄屋橋に高架をくぐってぬける感じとか、店終わりの君江を懇意の客が四ッ谷まで追いかけてきて
「荒木町か牛込で一杯」と誘い、結局神楽坂の待合(平たくいうとラブホ)に円タクを拾っていく流れとか、描かれている建物とかは昭和初期のそれだけど、いまの東京に置き換えても身近な話題だし地理も頭にはいってるとなお面白い。

永井先生の描写になぞらるとさしずめわたしは、

『芝居を志し銀座の6丁目のダンスホールに四年程いた昭子はわけあってそこを辞め、その後芋洗い坂の歌声喫茶、カッフェー・オウルウェイズの女給に落ちついた』

ということになります。昭子はその後、文壇にデビユーし桃果子と名を改めたがいまのところいまいち売れ行きがかんばしくないのと、そのカッフェーへの思慕もあいまって、週に三度ほどはそのカフェーに顔を出し、姐さんと円タク(いまは千タクだけどね)にのりあって霞町の交差点を横切り家路につく…笑 
うん、わたしライフもなかなか江戸前。
ちなみにカフェーはいまでいうクラブとかキャバクラとかの類い。まあオウルウェイズはスナックですけど…

しかもわたしが小説中につかっているカフェーの名前と永井先生がつかっている名前になんと笑えるシンメトリーがあったこの奇遇さよ!笑
刊行した船パリを読んだ人は、「”つゆのあとさき”に影響をうけてこうしたのね〜」と思うでしょう。が、そうではないことを友人達には知っていてもらいたいぜ!
これはまったくの偶然です!
↑と、いつかウィキペディアに書いて欲しい……いまはページすらない…
そして限りなく永井ワールドに近い発想までわたしはきていた……というか置き換えてみるとまるで平成の”つゆのあとさき”のような暮らしをしている自分がここにはいるのでした。

大正投稿ばっかですいません。しかしアマゾンてもうほぼアスクルだよね「明日来る」もんね。永井先生は夜の世界では有名な遊び人でございました…。
そしてこの頃、渋谷とか新宿はまるで田舎だったから、だいたい銀座から人は牛込や神楽坂や四ッ谷に流れていたみたい??大正〜昭和初期の小説には渋谷や新宿で遊ぶ描写がまったくありません。
それを思うと市ヶ谷本村町、荒木町、神楽坂あたりで飲んでいる近年のわたしの遊び方ったらとっても昭和初期!!注:近頃待合には行ってません!笑

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