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2012年9月 6日 (木)

ーだらだら記ー

昨夜バカみたいに寝てしまいました…ときどきやらかしちゃうね。そして今日も晴れている。
快晴だと困るのが、プールに行きたくてたまらなくなること。

すべての細胞が入れ替わって身体が変わるまで半年かかると篠田さんに教えてもらった情報と照らし合わせると、自炊を増やして野菜を圧倒的にとるのを始めたのが5月で週2プールを始めたのが6月だから、まだまだ半分。それでもすこしづつ変わってきた感じがあります。体力とかね!
体重は一キロ減りました(笑 1キロってバカみたいな数字だけど、食事制限をしてとりあえず減らすという目盛りのことではなく、生活の中で、動かぬ数字として1㎏落ちたってのはなかなかいい。

からだを動かすのはすてきなことで、特に先月末からは怒濤の調べ物で毎日すごい分量の文献や資料を読んでいると脳みそが煮え立ちそうになるので、そうならないようにプールに行く。
特に芝ぷは50㍍という長さと屋外のバカンスちっくな風貌が気に入って、プールじまいになる15日までになるたけ行きたいと思っているところ。

あんなにバカンスなのに区民プールというカテゴリゆえ、バス行き帰り400円、プール2時間400円と、あわせても800円、夏目漱石さま不要の低出費で堪能できるのである!!(*゚▽゚)ノ
先月あまり働かず映画撮ったり図書館いったりなんぞしていたので、極貧の底にいる今月のわたくしは、我が憧れの時雨さまとはまったく馬があわなかった、貧乏をあっけらかんとしたため一躍スターに躍り出た、林芙美子氏の「放浪記(みなは森光子でおなじみかな)」をみならい「だらだら記」と冠うった以上、ここ数年にない経済的苦境に立たされている自分のことも芙美子氏のように記していこうと思う。いやはやしかしどこへ出かけるにも右手を上げていた昨年までの自分が懐かしい。

林芙美子という人はわたしは実はその雑草的強さがすこし苦手で、粋でお洒落な時雨さまが野暮ったいと嫌ったのもわかると思いつつも、なんとなくハイソな文章ばかりが散りばめられている「女人芸術」の中で、
ーああわたしの頭にはプロレタリアもブルジョアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいー
という彼女の文章はひときわ小気味いい生活音を立ててそこに居る、と感じた。ほとんどの日本人が芸術や思想の前に生活と隣り合って生きているのであるから、この放浪記がみなの共感を得たのは当然かもしれない。

ともかく船パリを書き上げその印税が入ってくるまでは極貧の中、バンスを返して生きて行かなくてはならない2012年後半、わたしは貧乏を楽しむことを決意し、
アマゾンで大量購入してきた文献を図書館に通うことに切り替え、飲みに行くことを我慢し、ジムではなく芝ぷに通い、外食で費やしてきたお金をピーコックに投入することにして、そうしてできた少しの余力で皆にスタバをふるまうことにした。
わたしにとってスタバはそれだけで贅沢になれる代物であるので。
お金がなくなっても、いままで自分が他人に対してしてきた親切は形をかえても同じ熱量でしていきたいと思う。

お嬢様然とした考えかたかもしれないけど、お金ってお金じゃないんだと思う。お金って気持ちなんだと思う。だから120円の缶コーヒーでも「おつかれ」って誰かがくれるとすごく嬉しいし、いつもあれこれしてくれる先輩に対しても必ず毎回「ありがとう」って言いたい。その逆は悲しい。

ありがたいことに洋服だけはmiss・MODEと呼んで差し支えないモデルの中本奈奈姐さまがシーズンごとに不要な服や靴やらを下さるので、しかも奈奈さまは時雨さまよろしく、中古とはいえものすごい美品しかくださらないので、いっちょまえの服やら靴を身につけることができる。

そして話は漱石不要の芝ぷに戻るのであるが、先日、中本奈奈姐様とご一緒した際、2階にあるテラスが非常にバカンス〜♪であることを知って、以来2階に基地を構え、昨日も無理くり行った。
しかしさおり嬢に『いいだろ自慢(*゚▽゚)ノ』をしていたら『もうすぐマジ雷雨ですから早く帰宅せよ!』的返信が来て、あれよあれよと言う間に空は真っ暗、小雨の中を飛ぶように帰宅し一難はまぬがれたのですが、このスカっ晴れをみていると、今日にすればよかったなあと思いながら、ようやく斎藤憐さんの「昭和のバンスキングたち」を読み終えたとこ。

斎藤憐さんは文章の中で昭和初期のジャズエイジに思いを馳せる。
わたしはその文章の中で「ひきかえ今は」対比としてでてくる1980年代初頭の東京に思いを馳せる。
憐さんが取材に伺った厚生年金会館裏の路地。
上海バンスキングの初演の年に生まれたわたしはそのころ2歳。そのころの新宿はどんな感じだったのだろう。

2010年の上海バンスキング再演のゲネプロにいらしゃっていた憐さんも昨年惜しまれながら亡くなった。もしかしたら憐さんに直接お話を伺うことができたかもしれないところまできていたのに、いまこうして彼の筆致からしか憐さんを知ることができないことを寂しく思う。ベティ稲田というジャズ歌手の方が「当時(戦前)の六本木といえばゴトウ花屋と角の古本屋くらい」とその本の中で語っている。
ゴトウ花屋とはいまのGOTTOのことだ。2010年の秋にその花屋で半日を過ごした。

わたしがおばあちゃんになってもGOTTOはあるだろうか。
そしたらそのときわたしを取材する誰かにその日の思い出を語りたい。
そしたらその誰かによって2010年のGOTTOもセピア色の物語になる。
ノスタルジーは誰かが誰かに思いを馳せるバトン。

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