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2012年9月30日 (日)

中秋の名月

本日朝無事に退院いたしました。
コメントくださいましたみなさま、いいね!押して下さいましたみなさま、みなさまの励ましに感謝しています。わたしの心臓は無事リニューアル。
そのリニューアルテストよろしく本日は台風なり。
(※以下長いので暇なかた〜)

いつもなら台風なんかが近づけばズウウン…と重たくなる心臓が重たくならない不可思議と、それに慣れない体の記憶が「なんか重たいかも」なんて思わせぶりな雰囲気を醸し出すも一瞬、わたしのからだは信じられないくらい健康で、カテーテルという手術方法の凄さを実感するばかり。

ということで退院後わたしが最初に駆けつけた場所はやはり芝居小屋なのでありました。もはや運命(さだめ)のように、地震の日も芝居小屋、今日も芝居小屋、賞を獲ったのも本番直前の芝居の稽古場、人生のすべてが芝居のよう、もはや死ぬときも小屋にいるんではないかしら。ですからわたしは毛皮のマリーズの「ビューティフル」のあの歌詞の「音楽」の部分をついつい頭の中で代えてしまうのですよ、志磨様!

『まるで人生のような物語、まるで物語のような人生』

物語と芝居、この区別がわたしにはつかない。

本日事情を知っているねじのファンのみなさまびっくりしてらしたよ、そして温かいお言葉ありがとうございます!

もうねじとかは始まる前に泣いてしまいそうな。身内の芝居ってこれだから嫌(笑
しかし身内ってことに甘えてこない彼らそれぞれの「ひとりズム」がとても良かった。誰かに甘えている役者がわたしとてもキライだから。ある意味深くていいタイトルだったんじゃないかなあ「ひとりズム」ちっくしょー、いい役者ばっかり4人も集まりやがって!とか思うし!!

今日はその後、妹ふたりと母とご飯。
「ふつうね三十歳すぎて母が東京来たらおいしいものとか食べさせてあげて欲しいものとか買って上げるものだよねぇー」
とか言いつつ金欠のワタクシ、ブルジョワな?笑 母に甘えぱなしでおいしい和食をごちそうになりました♪
そしてさきほど我がダブルベットの半分で母が就寝後、ちょっとベランダに出てみたら、台風が去って中秋の名月が煌煌とそこに佇んでゐるではないか!!
速攻母親が買っていたらしき「丸くなるな星になれ」を冷蔵庫から持ち出し、月見で一杯。(お酒ももう飲んでよいのだ!飲み過ぎないけどっ!)

思えば去年の今日もこうして志磨くんのラジオを聴きながら月光浴をしたなあなんて思いつつ。一年は早い。
去年の今頃はわたしの無配慮でとても大事なひとを傷つけて、その返り血に傷ついて、からだ中から血が噴き出したような苦しい苦しい九月、月の光は傷口を優しく照らしていた、きっと忘れないように。まるく柔らかい月だった。

今年は言葉通り新しいわたしになって、数日前よりも逞しいわたしの体を射すスポットライトよろしく、その月は真上のような位置に煌煌とあった。
(はめちゃん、これはまさにモカコサス!(*゚▽゚)ノ 藤子サスでも蘭子サスでもない、モカコサス!!!※サスとは照明用語でピンスポのこと。だよね?)

去年の今日、自分に向かって掲げた目標、ヘドウィグの監督が撮った「ショートバス」のパンフレットにあったある言葉を、月を眺めながらもう一度じぶんに問いかける。わたしの努力は、きっとまだまだ足りない。でも、もっと出来そうな気がする、今日の自分は。

井上ひさしが書いた戯曲『花よりタンゴ』
ここから「蝶番」という言葉を貰って、登場人物、桃子の「中秋の名月だからじゃないのー」という台詞を追いかけて、わたしとちほは走ってきた。
それはすなわち上海バンスキングの背中を追いかけてきたのであって。
でもとりあえず「花よりタンゴ」から追いかけたわたしたちの船出は間違っていなかったことを、大正を極めたいま、わたしはとても感じている。
きっとあの井上ひさしの戯曲があって、上海バンスキングがある。だから順番は、本当がそれで良かったんだ。
あのとき上海バンスキングみたいなことがやれるかもしれないって、あの台本を図書館からひっぱりだしてきたちほの嗅覚。あの頃わたしたちは本能で動いていたけど、本能は理屈をおいてけぼりにして物事の本質を引き寄せる。
あのころのわたしたちは、あんなにも何も知らなかったのに。こんなにも的を射貫いていたよ、そのことに12年気づきもしないくらいにそれはど真ん中だった。

次に中秋の名月が来る頃は、この街のどこかで『船パリ』の幕が開いているといいなぁ、みたいな夢を見てみる。そしたらちほにまた「中秋の名月だからじゃないの」と言わせよう。だってわたしは作家で演出家だから。笑。勝手に台詞つくっちゃうよ?
でも今日だけは執筆はお休み!

Photo_3

写真は色々。魚眼アプリにはまる病室のわたしとか『ショートバス』の例のページとか。いやしかし、ぐんと寒くなった先週の今頃、毎日胸が(きゅううん…)ってなってて、甘い恋の記憶かだったしらとか、その(きゅううん…)の正体を必死に辿っていったら…え? 恋でもなんでもなく、12年程前の、夜稽古が始まる頃の日芸の校門のあたりを抜ける風の感じとか、地下の稽古場の明かりの感じとか、そこだったことに気づいて「結局芝居かい!」と自分で自分に突っ込んでしまった入院前。
芝居だけでなくて恋の(きゅううん…)とかも欲しいけど!?
無意識のきゅううん…すら芝居とあればもうこれは物語と心中ですな。

いやはやほんとうにみなさま、ありがとうございました。

久しぶりにPCからなので長くなってしまいました。
芝居がしのごの言う前に、モノを読んだり書いたりという行為は呼吸のようにわたしに備え付けられていて、ほぼ無意識のうちにしてしまう…つまり芝居よりずっと手前にあるんだよなぁ、じぶんが生まれたときから女であるみたいに。

ただただモノを読み書く人を作家というのであれば、わたしは芝居人である前に一生モノ書き、生きていることがモノを書くということのようです、どうやら。

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