魔女と金魚の世界
なんかこんなイメージだったなあ。
町によってすこしづつビジュアルは違うんだけど、全体としてはなんとなく一番上の感じで、
左下はつばめと雛が住んでいる「Lovers Town(選択の町)」
右下は、要が繭子に”住もうぜ!”と軽く提案した「Sun Town(陽の町)」のイメージ。
なんかね、この作品を震災後の作品だと思ってる方もいらっしゃるのだけど、これは2009年に書いた作品。
なんだろうなああのシーン。なんでああいうシーンが物語としてやってきたのかなあ。
ときどきこういう変なことあるんだよね。
「湖とアンニュイな月(東京OASIS)」を書いた何年かあとに、ほんとにひょいと、
あやめ(妹)に会いにロンドンに行くシチュエーションができたりとかさ。
そう思うと、物語ってっちょっとフライングでやってきているのかなあ。
なんてことを思います。
だからいつもわたしはじぶんのこと「ラジオ」のように思うんだよね。
わたしは空っぽの箱で、物語を受信し放つひと、みたいな。
だからきっと、
「あたしがぜんぶこの物語作ってる!わたしはひとつの世界を作ってる!あたしって神!」
みたいなことを思ってしまった瞬間から、そのギフトって届かなくなるんじゃないかなって思うの。すごく思う。
倉本聰さんもテレビでなんかそんなようなこと言ってた。
俺の力だって思って奢った瞬間から数年、まったく書けなくなったって。
才能って枯渇するっていうけど、世界が自分に与えたもうたGift(役割)って考えると、
それに真摯に向きあっていれば、それはどこかすごいとこからやってくるもので枯渇はしない感じのイメージなんだよな。
ただ「奢って」しまったら、ぷっつりその信号が途絶えて、なにも受信できないラジオになってしまうんだと思う。
わたしははっきり覚えています。わたしの中に初めて物語が届いた日のこと。
わたしは渋谷の駅を109の方へ、マークシティの方から、パチンコ屋と古着屋の間を近道して、アラニスを聴きながら歩いていた。
そのとき頭の中にその曲のPVみたいな映像が届いた。
その日からずっと「物語」に支えられて生きている。
なんていうか、それまでは誰かが紡いでくれた物語に支えられて生きていた。本を読んだり映画を観たり、誰かの物語の登場人物を演じたりだとかして。でもその日からわたしの中にも物語がやってきてくれるようになった。
わたしみたいな女にとっては生きにくいこの世界が、物語のおかげで人と繋がっていられる。ありがとう。
もっと努力して、物語をきちんと形に書き落とす力を技術をつけたいと思いますから、
どうぞこの大変壮大な「船パリ」もわたしにやらせてくださいな。
と、世界にお願いしてみる。笑
「地球が滅びて船が一艘あるの。自分の他に馬と孔雀と虎と羊、その中からたったひとつを選んで乗せていいとしたら、あんたはどれを選ぶ?」
なんだろう、この言葉、すごい気になる。
こういうことがラジオの始まり。掘り下げていかないとね。
そうだなあ「東京OASIS」もいつか世に出したいな。
そうなんだよね、「物語を見る力」は、
どうしようもなかったわたしに、世界が与えてくれた、たったひとつのギフトだから、
わたしこれを死ぬまで絶対投げ出せないんだ。
だからわたし、恋のためだけに生きる女にはなれない。
そのせいでこれまでもこれからも不具合な恋愛に悩み生くのだとしても。
地球が滅びて船が一艘あるの。
自分の他に、物語とあなた、その中からたったひとつを選んで乗せていいとしたら、わたしは、自分の代わりに物語とあなたを乗せたい。
そのときにほんとうに愛していたことがあなたに伝わればそれでいいわ。
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