ONE
社会を動かすような発言はできないけれど社会のことは一応考えている。
わたしがフォローしている100人ほどの人たちをわたしは敬愛しているので、そのなかで昨日デモに参加している人のツイートや写真はきちんと全部みて受けとめ、尊敬した。
しかしだんだんとデモに参加しない人が「非国民」みたいな空気感になっていくのは怖い。それは違う気がするんだ。
男女に上下はないけど性差はあって、2011年、男性が主宰してる劇団はほとんどが社会的な演目を上演したのに対し女性が主宰の劇団はだいたい震災には全く無関係でしかしより破天荒なエンタメを上演してた。
わたしはひとつの世界にたくさんの思想や考えが混在すること、「バランス」がなにより大切だと思っているから、世界が一色の絵の具で塗りつぶされることの方が、それがどれだけすばらしい思想であってもおそろしいから、
いま男たちが社会的な活動で日本を変えようとしてくれているのなら、そういうときこそ女として享楽やエンタメを推進したい。被災3日後の停電で静まりかえった渋谷で”Girl just wanna have a fun~(女の子はただ楽しいことを求めているだけなのよ)"と歌い叫んだシンディのように。
それは社会の流れから逃避することじゃない。
社会的な空気が強くなれば強くなるほどそれが必要になってくる。
そしてこれから日本はきっとそうなってくる。
震災直後、twitterなんかも震災のことで沈とした空気で、楽しいこととか一切つぶやけない空気だった。テレビもそれ一色だった。でもだんだん、ただでさえ24時間それに直面してるのにそれではしんどいと、音楽や震災に無関係の映像やらをUPしテレビでもアニメとか流し始めた。
わたしは逆にそういうことを忘れたくないんだよね。どんなときも。
ひとりの一日で考えたって24時間ずっと社会のことでは考えが偏る。
おいしいご飯を食べたりセックスしたり音楽聴いたり安眠したり、そういうとこから健全な思想は生まれるから。
だってその部分こそ、デモでも声を大にしてみんながゆってる「愛」にもっとも近い部分だろ?
パブリックなところで愛を叫んで活動してくれている人が5万人もいるならわたしは究極パーソナルなとこで愛を支えたい。つまりは誰かの読書の時間とか。
究極パーソナルなとこ、わたしがモカコ語で「じぶんごと」って言ってるぶぶん。
「ONE」で1対1のところ。
みなが社会に開いているときこそ、わたしはわたしの立っているこの「点」を大切にしたい。
そしてわたしは原発のことよりも幼児虐待や育児放棄のことのほうが普遍的に、個人的にはずっと気になっている。そういう人がいてもいいと思う。わたしはこの案件に関しては日々真剣に考えている日本人、上位20%には入ると思う。
でも幼児虐待反対運動とかには参加しない。
だけどわたしが子どもを産まない予定だと言ってることとそれには深い関係がある。その理由とかもいちいち言わない。それを実行できたときに言えばいいと思っているから。だからわたしは強い意志で、個人的に【ONE】ではあるけど、一生をかけてやりとげたいと思っていることがあるんだ。
でも1対1っていうのは、ときに5万人でなにかをやりとげるのと同じくらい大きななにかを生むことがあると思うんだよ。それを信じている人が地球にわたしひとりくらいいてもいいと思う。わたしはその「ONE」運動をひとりでも生涯続ける。
そして楽しいことをずっと追い続ける。だってわたしは女だから。
これがわたしの信念だ。
男女には性差だけがある。もちろんデモにも女の人は参加してるし、2011年にエンタメを作った男性劇団もあるだろうし、ぜんぶがぜんぶじゃない。
でもわたしは個人的に「女としてなにができるか」を常に考えていたい。
社会を動かすような発言はできないけど社会のことは一応考えている。
ONE&エンタメ推奨派としては社会的なことを言ったり表現したりしないのが主義なんだけど、親しい後輩にも「モカコ@スギタ、は、もうパブリックな人だから社会的なことは言わないほうがモカコ@スギタのためにいいと思う」と心配してもらったけれどもここは「ONE」代表としていっちょ意思表明をしておくとこかなと思ったから、しておく。
ちなみに、今日WOWOWでみた霧矢大夢退団レビュウ@宝塚の演目もたまたま「ONE」であった。
今日はONEが溢れている。
というわけで、わたしが大好きなミスチルの「掌」
この歌詞がミスチルの歌のなかで一番好き。
桜井さんみたいになれたらなぁ。こんなふうに作品を届けられたらなぁ。いつも思う。
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