4月のいろいろを今から書きます(笑
まずは「誰かJuneを知らないか」の校了を無事終えたお知らせ。
4月は基本的には「誰ジュン」つまり、「誰かJuneを知らないか」の校了に向けての追い込みに追われたひと月でした。
「こんなぎりぎりでの修正はほんと初めてです」
(が、やりがいはあったと言ってくださった)
と牧野さんに言わせてしまったわたしではありますが、そこは牧野さんも最後まで「もっと良くなるのではないか」とわたしに課題を与え続けてくれて、わたしもなんとかそれに応えたいとファイトした次第です。
自分で言うのもなんだけどこの4月はほんとに頑張ったと思うし、あの作品は、あの時点ではあれ以上はないくらいの限界まで頑張った。なにひとつ妥協せず粘って粘って校了できたこと、誇りに思う。
実は入稿前の直しに関して、じぶんがどうしても壁を乗り越えるすべを見つけられなくて、〆切りに間に合わなかったことがありました。
そもそも〆きり日に蕁麻疹が出たりして遅れては迷惑をかけまくっていたJuneでしたがとうとう牧野さんに
「中島さんはほんとうにこの物語をたくさんの人に読んで貰いたい、伝えたい、と思っているのですか?」
と言わせてしまいました。
そのときにハッとしました。
わたしはひとりで小説を書いているけど、本をひとりで作っているわけではないのだと。
わたしから送られてくる原稿を読んでデザインをあげてくれる人、それを読む校閲の人、編集者、すべての人がわたしの「ブレ」によって振り回されるのだと。
それで振り回し続けたそのとき、それでもわたしにできることは作品で返すことしかないと思った。
最近仲良くなったライターの女の子がいて、その子もよく言うのですが、
「〆切りがあって、早くあがったからってそれじゃやっぱりダメで、限界まで自分に戻して何度も問いかける、その熱量とそれに割く時間のすべてが作品に反映される」
それもそう。でも納期を守ることもそう。
だからわたしたち作家は、限られた納期の中で、
それをやりとげるための努力をもっとしなくてはいけない、そう思いました。
「創作」という時間と比例しないものを、限られた納期にあげる。
それは難しい作業だけど、舞台には必ず初日があるように、
どこかのポイントを目指しで絶対にあげなくてはならない、それも実力であり才能である、そう思いました。
というより、なんか家でずっと作業してると、チームであることがわからなくなっていた、きっとそういうことなんだと思います。
そんなわけでブログの更新もままならず、追い込みに追い込みをかけた
「誰ジュン」ですが、無事校了いたしました!
入稿→直し→再校→直し などのステップがかつかつになったおかげでというか、
祥伝社にも2度ほどお邪魔し、そこで作業をさせて頂き、改めてチームワークなんだということを感じたりもしました。
祥伝社は9Fが文芸で、8Fが雑誌「Zipper」の編集部で、うちの妹みいきはZipperのライターであるわけなので、同じ社内で姉妹がばったり!なんていうこともありました。
ちなみに「誰ジュン」はみいきさんの命名です(笑
ねじリズムの石川も言っているようにタイトルや団体名っていうのは、略せる名前の方が浸透率が高いし愛着も湧くっていうことを、わたしも信じていて、実際「まじょきん(魔女と金魚)」とか「イクイノ(=イクイノックス=わたしと石川で最初に作った舞台)」とかも、名前だけでも歩いて行ってくれると嬉しい、みたいなところがあるもので、
June改め「誰かJuneを知らないか」に「誰June」という新しい愛称が生まれたこと、ありがたく思います。なのでこれからは「誰June」と呼んでいこう!
校了の日は4月23日でしたが、昼の2じから夜中0じ頃までひたすら牧野さんと作業をしていました。ゲラを入稿する際に、わたしが好き勝手書いた文字を丁寧に一冊分転記してくださる様を見て、壺井さんも、池谷さんも、加古さんも、ノーリーも、堀口さんも、こうやって時間を割いて、わたしの言葉を一言一句間違いのないように書き写してくださっていたのだなあ、と改めて感謝の思いで一杯になりました。
まあ、それは校了が済んでからの話で、そのときは牧野さんもわたしも、同じ部屋にいるのにぶつぶつぶつぶつずっと独りごとを言っていて、けっこうな景色でしたよそれは。
夜の10じ頃、牧野さんと行った中華料理やの麻婆丼が死ぬほど美味しかった。
そんなわけで「誰June」無事校了&もうすぐ発売です!ジャケットアートワークもかなり入魂で新しい中島桃果子、エッジの効いた中島桃果子でいくので、みなさま楽しみにしていてください!
これがその、超絶美味しい麻婆丼。
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