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2012年4月

2012年4月20日 (金)

ねじリズム「鈍詰」

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第4回公演「鈍詰」公開ゲネを見てきました。
結果・・・初めてねじを見て泣いた(笑 
いや、スタッフ&キャストをみんな知ってて出演もしてりゃ身内なんだけどこれは身内びいきで泣いたわけでないのだ(いやちょっとそれもあるが)
でも同時にこれは、いままででいちばんお客さんに理解してもらうのが難しいだろうなということも思ったんだ、頭ではさ。

でもこれを作ったおまえら・・・かっこよすぎるぜええ(T−T)/

と思って、あの岡田終わりのストンとした幕引きをみて、明転したら、なんかもう泣いてた(笑 
いやー芝居ってこうあるべきだよねっ、説明するんじゃなくてさ、
「ここが海です」といってしまえばそこが海になるっていう、
観客の想像力の果てしなさを信じて作ることにこそ、あたしは実は、お客さんへの敬意が(説明するよりも)あるって思ってる。実はお客さんの想像力って何よりも力を持つし芝居を芝居でなく「本当にそこにあるもの」にしていくものなんだよね。
まあこれは串田(和美)さんの受け売りだけどさ。
大がかりなセットを作って「これが山だ」と言ってもそれはやっぱりニセモノでしかないんだけど、役者がそれを強く信じて「いまは夜だ」と言えば、その一言で明かりが漏れるようなテント小屋でも一気に真っ暗になる。お客さんが一緒に夜を見たいと思う心が足されて。ないものを心から信じて本当にする。それがお芝居だ。
終わると風のようにそこには何も残らなくて、だからこそその刹那が美しい。

だからこそその刹那に「生生しい息吹」がとことん必要で。

「いやここまで媚びなくしたか・・・わたしそれに感動」と言うと、
「待って待って、俺全然、超媚びたいんだけど」と主宰(めん)
※媚びるって、ここであたしたち使ったのは、きちんとお客さんに伝わるように丁寧にシーンを演出したり、まあそういう意味ね。めんたろうは「伝える」ってことへの意識がとても高いからね。

いやでも感性だけが服きて歩いてる岡田戯曲ではそもそもそれは無理というかこうなるわなあ、という感じ。

実際一般的な目線で見ると「わからない」「むつかしい」部分の多い作品だったと思います。解りやすい反応はこない・・かも?
でもわたしは「おまえら最高」って思った感じ。
なんせ役者がいいよ、ねじリズムは。
身内なんであんま変な褒め方あれだけど、ほんと才能の塊だこの劇団は。
たった4人なのに書けるやつが3人もいて、それだけで武器なのに、みんな芝居がこれまたいいんだもん。

今回作演から離れためんたろうは、その余裕もあってぶっ壊れかたが半端なさすぎて笑けるし、あたしが激愛している丸山正吾こと正ちゃんが番外公演に続き今作も出演してくれてあがるし、祥ちゃんは、去年出演したとき一緒に組んで思ったけどほんと心を動かして芝居してる。岡田はほんとどうしようもないヤツなのに感性の塊で、それが凄すぎてむかつく(笑 
「物事なんてだいたい突然だろ」
この一行だけでもあの戯曲は完璧だし、あの一行が台詞というか生身の言葉になって舞台の上におかれた瞬間の間とかがもう秀逸だった。
あの一行を書いた岡田が憎たらしい(笑 が、サイダーおごってくれたし許すわ。
&今回の尊哉はいままでみたなかで1番良かったな。昨日「そうか、尊哉って日本男児なんだな」って改めて思いました。笑 なんか素敵やったよ。

そんな感じでみなを激ボメしているのに、
ねじメンズはみななにやら浮かない顔・・・
めん「モカコが号泣したとなると・・・・」
尊哉「まずいな。これ、お客さんに受けないかも」
全体「こえええな・・・・(-_-;)」

ああ、感性が世間とずれていて悪かったよ!

個人的には旗揚げからずっとがっつり関わってきたから、今回ノータッチとはいえ、「あたしもねじの仲間だもん(。・・。)」でいたいので、ゲネ後にPOP作りに参加できてちょっと嬉しかったなあ。10代の頃から一緒に演劇やってる照明のはめちゃんや、ブカンの主侍さん、制作の松嶋さんや音響の権藤さんやらみんなに会えてうれしかったです。ちゃっかり岡本さんに写真撮ってもらったし、満足!!

みなさん、是非下北沢へ!
そういやOFF OFF天井低すぎだけど、今回昭和で、あのバトンの低さも生かしたドライでのぺっとした照明GOOD!

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2012年4月 2日 (月)

誕生日でした!!

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みなさまたくさんのお祝いメッセージをありがとうございました。ほんとにうれしかったです。
今年の誕生日は7年ぶりのオフでいろいろと考えさせられる一日でした。

7年前の誕生日はジニアスを辞めた次の日で金曜でした。金曜に働かず家にいることなんて初めてで、がらんとした部屋でひとりポツンと座って、
何かせねばとその日じぶんに「もかこ」という名前をつけました。
その前年25歳の誕生日をすごく盛大に祝ってもらったので対照的な静かな誕生日でした。でもいまとなっては思い出深い誕生日です。

今年は7年ぶりにオフで日曜ということで、なんだかそういう節目な日になる気がしていました。いつも誕生日前後はアゲアゲなわたしもここ10日ほどはほんとに落ち込んでいて正直元気とは言えなかったのですが、
たくさんの人のメッセージに背中をおされた気持ちです。
今年facebookを始めてジニアスのみなともまた繋がりだして、さおりともまた働くようになって、あの7年前のことをときどき思いだしていたので、ジニアスのみなからもこうしてメッセージもらってうれしかった。

明けたときにはれいこさんとさおりから大きなカラーの花束をもらいました。

終わるときには八年ぶりに大切な先輩からすべりこみお祝いメールを頂きました。
みゆきの「時代」を歌いたくなるような気分でしたね(笑

わたしは今年の誕生日が日曜で休みなことにずっと胸騒ぎというか「なにかしなければ特別なことを・・」なんて思っていたのですが、きのう、いつもは電話してくる母から3行ほどのメールが届いて、すべての謎がとけた気持ちでした。メールには、

4月1日は、三十三年前も日曜日で花冷えていうようにヒンヤリしていました

とだけありました。そういえばカラーを抱えて帰る帰り道、とても肌寒かったことを思いだして、そうかそういうことなんだと思いました。よくわからないけど涙がでました。特別なことなんかしなくていい。目の前に居てくれる人たちをちゃんと大切にしたい。心からそう思いました。

妹たちと食事をし、明治通りを歩きつつ花見をして、夜、みんなに貰ったものをお部屋に飾りました。その部屋にさおりが遊びにきてくれました。

七年たった今、あの日のことを思い出深くふり返ることができるみたいに、いつか昨日のことも万感の思いでふり返ることができるといいなと思います。
そしてみんなのメッセージにわたしがどれだけ励まされ支えられたら、言葉もありません。みんなほんとうにありがとう。
静かな誕生日でした。でもとてもいい誕生日でした。ほんとうにみんなありがとう。

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2012年4月 1日 (日)

昨日の深夜のこと

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昨日、わりと早い帰宅をしました。実は前日飲み過ぎたため酔ってもいませんでした。コンビニでお茶と水を買って帰ると家の前に5歳くらいの男の子がひとり座っていました。そして「やっぱりおまえか」と言いました。

男の子がいうには、わたしが男の子の「母親のようなもの」または「母親のような役割を果たすべきひと」なのだそうです。
「やっぱりってどういう意味?」
とわたしが聞くと男の子は黙ってわたしが抱えたカラーの花束を指さしました。
男の子が、母親のようなものの目印だと言うカラーの花束を、たしかにわたしは抱えているのです。
花が苦手なわたしが唯一大好きな花がカラーで、それを豪快にたくさん、それはそれは美しく束ねた花束を、れいこさんとさおりは12時ちょうどにわたしにくれたのです。
とても美しい一瞬でその瞬間人生がとても輝いて見えました。
右往左往しかないわたしの無骨な人生もそのときだけは金色にふちどられて、とても美しいものだって思えたのです。
わたしにカラーの花束を贈るなんてことを思いついてくれるその行為がとてもわたしのことを「わかってくれている」ことの象徴に見えて、わたしはとてもとても安堵したのです。

なのでそれが目印だといわれるとわたしもこれは縁なのだろうかと思ってきて、とりあえず男の子を家にあげました。男の子は勝手知ったる我が家のように、ひょい〜と部屋に入っていきます。電気をつけようと思うと水場の電球が「バチっ」と音を立てて切れました。昨日もリビングの電球が切れたばかりなのに。

「いっときしたら僕の妹もやってくることになると思う」
男の子は言いました。わたしはカラーが枯れないよう、
とにかく大きなバケツのようなものに活けながら答えました。
「まああたしは子どもを生むつもりが今後もないし、ゆくゆくそうしてもいいと思ってたからいいけどさ」
でもなんでこのタイミングなわけ?
わたしはたずねました。

「おまえは今日男に手ひどくふられただろ?」
男の子は言いました。5歳のくせにひどく生意気な話し方をします。
わたしはすこし考えて、そうだ、そういわれるとあれは確かにそういうことになるのかもしれないと考え「まあ、そうだね」と答えました。
「その男以外は生涯愛さないと決めていただろう?だから終わりだろ?」
男の子は言いました。
どうしてこの子はわたしのことをこんなになんでも知っているのでしょう。
「すべてはタイミングなんだよ。いつかきみは僕に救われる。そういうものだと思うんだ。だから当面は僕の母親としてがんばってくれ」

男の子の言い分は道理が通っていましたが、わたしはひとつだけ条件があると言いました。

「あたしはあんたを産んだわけじゃない。
あんたを育てることはいいけど、同時にわたしの女としての人生はまだ終わってないんだから、これからも誰かを大切に想ったり想われたりってことをしていい権利があるはずだ。その究極に行き着いたときに子どもが産まれるってあたしは思っているからね。
だから、あたしはこれからも自由に恋のようなものとかをしたいと思う。それはあたしの愛が今日行き止まったこととは別だと思う。恋は夢を見るようにできるからね、たくさん。愛とは違う。愛が行き止まったからって恋もやめるような悲しいことはわたしはしない。でもそのかわり、あんたの存在を認めてくれない人とは恋愛しないよ」
わたしは熱弁をふるって言いましたが男の子はあっさり
「そんなことは自由にすればいい。きみは僕の”母親のようなもの”なだけで母親ではないのだから」
そう言い残してふぁああ〜とあくびをすると「眠い眠い」と言ってあたしのベッドで寝てしまいました。男の子が眠る直前、
「あんたさ妹もくるって言ってたけどさ、それはなんなの?」
男の子をゆすってそうたずねると、男の子は半分寝ぼけながら
「…マリアンヌ」とだけ言いました。
ここでもマリアンヌか・・・。
納得できるような釈然としないような半分ゲッと思うような妙ちきりんな気分で、しかし確かにすこし幸せな気分で、わたしは男の子の横に寝転びました。
男の子はもうすやすや寝ています。その寝顔は大変幼い、5歳のものでした。
閉じたまつげはうすい金色でした。

33歳の誕生日を迎えた深夜、わたしは愛をひとつ失い、
代わりに美しすぎるカラーの花束とひとり男の子がわたしの家にやってきました。
まだ肌寒い春の夜のことです。

もしからしたらあの子はあの美しすぎるカラーの花の息子なのかもしれません。

ともかく母親のようなものとして、まずは名前をつけてあげないと。
あの子が起きたらまずその名前で呼んであげなくてはなりません。
「名前なんかないよ。呼ばれたことがないからね」
男の子はそう言ってましたから。

「ギフィト」これが彼の名前です。ゆえにギフィトとわたしは誕生日が同じということになるのです。の、ようなもの、としてはね。

4月1日。これがわたしとギフィトの誕生日です。

そしてその日は世間では「四月ばか」と言って、
年にいちどだけ大きなほら話も許してもらえる日なのでした(笑)
ちゃんちゃん。
何が本当で何がウソなのか。

でもね、物語の中ではいつもぜんぶが本当なんですよ。
だからギフィトはもうすぐ起きてきて、あたしは彼を妹たちに紹介しなくてはなりません。息子、のようなもの、だと。
ギフィト、それは今日からのわたしの「きぼう」のすべてです。

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