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2012年1月 6日 (金)

プール、あるいは物語の入り口。

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フィンランドの誰もいないプール。
美しい。このプールがフィンランドにあって、あの「かもめ食堂」と同じシチュエーションで、
いまこのプールのへりにわたしがいるというだけで、このプールはもう、なみなみならぬ輝きを発している。
あまりに冷たい水温に凍えたとしても、この豊潤な時間をわたしから齧りとることはできない。斜めにあっている水の底が突然深くほれる日本のあのサーフスポットのように、とつぜん足がとどかなくなって、わたしの手足はたゆたう。

湯舟にもつかれず、せまいエコノミーの座席できゅうっとなっていた関節なんかをくたくたにほどくいて緩める。
そんなことをしながらあることを考えていた。
それは、いまわたしはとめどない自由を感じて、ありあまる開放を手にしているけれど、それは同時に何かに縛られていなければ感じない自由なのだ、ということ。

ということは、ここにれっきとひとりで水に浮かぶわたしの浮遊も、もはや完全な自由ではなくて、そこにすでにあなたがいる。
あなたという存在を知ってしまっていなければ感じられない自由なのだということ。
だからこの自由すらあなたに与えてもらっているものなのだ。
あなた、それは別に恋愛対象だけではない。
誰よりも近い距離で互いに干渉しあったりときに揉めたりしながら日々関わり合っている妹たちや、今後どうにかやっていかなくては立ちゆかなくなるお金のこと、わたしを心配して叱咤激励してくれる男友だち。〆切り。日本に帰ればただちに操り人形の糸のようにわたしの指に腕にくるぶしにからみつく鬱陶しくも愛しいすべて。

そして物語だけはわたしを縛ることができないことを知る。
たとえ〆切りというものが物理的にわたしを縛っていたとしても。
わたしはいつもそちら向きの矢印で生きていて、物語から逃れたいという感情を持つことがないからだ。こうやって操り人形の糸のすべてを日本に置いて、北極圏の国の冷たいプールにぽかりと浮かんでいるときですら、わたしはぼんやり、人生のことと物語のことを考えている。そしてそのふたつは同じ成分でできている。

途端にこの考えや発想も、水に浮かぶ手足も、わたしのようでわたしではない、ヘルシンキに滞在している誰か知らない女の人のものになる。
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女(おそらく”みずき”という名前です。名字はまだわかりません)は思う。

ー人のからだは美しい。わたしが美しいということではなくて、こうやって光に映し出され、ここでたしかに生きているというだけで、手も、足も美しいー

大変なことだ。そこに戻らなければいけないということは。
いままでみたいに立ちゆかなくなったら、ここで終わりにしましょう、と言えるものであったらどんなにかよかっただろう。
でも自分の心は知ってる。そこからは逃れられないこと。
終わりが見えないことなど初めてだ。どうすればいい?いつも、うまくいかなくなったらそこで終わりにすればいいそう思っていた。簡単なことだと。
うまくいっていてもその恋愛のだいたいの尺がみずきにはわかっていた。
でももう、終わりがあることが、終わった。
どれだけダメになってもこれはずっとずっと続いてゆくのだ。だとすればこの自由と不自由を、わたしはどう飼いならせばいいんだろう。
不幸せではなかった。
終わりのないものに出会えないことに絶望していたこれまでを思えば、どんなに厳しいことも「終わりのないものに出会えた」幸せをくつがえすことはできない。

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片方の出口から50歳くらいの男の人が入ってきて、同じように震えながらでもすぐにいきおいよく泳ぎだした。
ついでみずきが入ってきたほうから同じく50歳くらいの女の人が入ってきて、水につかると、男の人の方に寄っていった。
みずきはこの感じのいい夫婦(だと思った)にこの美しい場所をあけわたすことにした。

会釈をして出ようとすると、なんだかわからなかったパイプがら勢いよく水が出て、男の人の背中にばしゃばしゃと跳ねた。
「これでお湯を足すんですね。どうりで凍えるかと思いました」
みずきはそう言ってふたりに会釈すると、階段をぺたぺた登って熱いシャワーを浴びた。
すごく寒かったので急に熱いシャワーでからだが暖まると、条件反射的にほっとして涙が出てきた。
さみしい? ううん。それはとっても検討違いの質問。
不思議とさみしくなかった。こんなにもひとりでいるのに、こんなにもひとりじゃない。
さっきの仲睦まじい夫婦を思ったら自然に微笑んでいた。
不思議だ。自分をとりまく状況はこんなに厳しくて行き止まりなのに。
いままではこんなとき、きゅうに寂しくみじめになって、しょぼんとなったはずなのに。

けれどもその不思議の理由すら、じぶんの心はちゃんとわかってる気がした。

それがきっと、終わりのないものに出会うということなのだ。
その不自由さに立ちゆかなくなって、とらわれてることから逃れたくて、
北極圏のプールまでトランクひとつで逃げてきたのだとしても。

1週間したらわたしは帰るのだ。操り人形の糸の場所に。
それが幸せなことなのか不幸せなことなのか、きっと誰にもわからない。

たいせつなのは答えじゃない。答えは最初から歴然とそこに転がっている。
たいせつなのはその答えにじぶんが納得する勇気があるのかということ。
操り人形の糸の元に戻る自分の幸せが、
他人からみたときとてつもない不幸に見えたとしても。

扉が開いてさっきの女の人が裸で入ってきた。

「ごめんね、タオルタオル」そんなことを言ってタオルをとるとシャワールームに消えていく。

「あなたは終わりのないものを見つけて、そしていまその終わりのないものと一緒にあの美しい時間を過ごしていたのですか?」

そう聞きたかったけどやめて、じぶんの記憶を辿った。
終わりのないものと一緒に過ごした時間や食べたもの、飲んだお酒などを。
終わりのないものがわたしにくれた言葉や、与えてくれた予感、または、なにか漠然とした確信のようなもの。

それがさっき、プールでみたふたりの夫婦の景色に、とても似ている気がしたとき、
自分がやっぱりさっき幸せだったから泣いたのだということに遅れて気付く。

終わりのないものに出会うまでは心は「満ちる」という感覚を知らなかった。
どんなに甘い言葉をもらっても。どんなに強く抱きしめてもらっても。
でもいまは、視線を交わすだけでわたしは満ちる。会話がなくても同じ空間にいるだけでわたしの容器は満ちる。それは互いの深遠を互いが知っているから起こることで、
好き、とか、思い込み、とか、そういう浅瀬のものでは起こり得ないことをわたしは知っている。なぜならその闇はもともととても深かったから。
一方通行なものでそれを満たすことはできない。
だってそうでない状態でも満ちたことはなかったのだから。
それは、ある種の絶望として、みずきをずっと支配してきた。
だれかと恋愛をしているその瞬間ですらも。

終わりのないものの途方もない厄介さを受けとめられる器があればいいのに。
この不自由を自由だと感じられるくらいの。
ありとあらゆるものをそこに載せて、それをけして投げ出さない地球のような。

髪をかわかして、服に着替えた。

****

いまからあの本棚にあるカフェに行こうと思っています。
きっともっと、ぼんやりとした輪郭がはっきりしてくるはず。

そしてすこし・・昼寝する!(笑

いまさらですがタンポン買いました!
が、このプールの空気感が崩れると思ったので、スーパーの写真はまたのちほど!

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コメント

一人旅なのね。すごい。私には考えられない。
素敵な思い出と記憶を作って日本に帰ってくるんでしょうね。
執筆頑張って。

日本より みほ

投稿: みほ | 2012年1月 9日 (月) 12時13分

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