« 旅のこころゑ的なもの? | トップページ | 弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」 »

2012年1月11日 (水)

世界との約束

Img_8662

ヘルシンキ最終日にわたしがすべきこと。それはおそらく「世界」との約束です。

えっとみなさんすみません。いきなり最終日になってしまいましたが、帰国してからもブログは更新します。ただ、生でお伝えしたいこと、それはこのことなのです。

おととい頭の中でJUNEが完成し、これはもう揺らぎようがないと思いましたので、
書き落としをあとまわしにして、このヘルシンキの街でまだわたしが片づけていないと思われるいちばん大きなことに向かうことにしました。

それが「世界」との約束です。

わたしは旅には呼ばれる、正確にはその街に呼ばれるんだと思っていて、
それがなぜかはそこにいけばたいていわかるものです。
今回わたしはJUNEという作品を完成するためにここに呼ばれました。
でもそれはほんのディディールであって、おおきくはわたしの「いのち」のためにここへ来たのです。これは別なことのようで実は同じこと。作品のまえにわたしのいのちがあるのですから。だからJUNEのことは大きな銀河の中のちいさな惑星のことであって、わたしは最後に銀河にむかわなくてはなりません。それがこの場所です。

ヘルシンキ大聖堂。

ここに来るきっかけを作ってくれたみづゑの旦那さん(彼はすばらしい立体のアーティストさん)がわたしにはエスプラナーディが似合いそうだとわざわざメールをくれたのですが、
実際のところヘルシンキの街の中でわたしがいちばん好きだと感じた通り、
わたしが毎日そこにたむろしているアカデミア書店のある、やはりそれはエスプラナーディ通りなのです。その通りのはずれに港があり、港の手前の路地を左に入ると、大聖堂が見えてきます。

Webimg_2123_3 Img_8650

Img_8651 Img_8652_2
Img_8656

Img_8658

Img_8657

Img_8662_2

ここなのだ、と、その白い建物が遠くに見え始めたときから気がついていた。
この場所なのだ、と。

街はぜんぶ好きだった。いたるところにJUNEがあった。そしてわたしがヘルシンキの中でいちばん好きだと感じた場所には不思議なことに船パリがあった。

♪港は〜雨の晩だった 波止場の灯がぼんやりにじんでいた...
男は〜わたしに〜遠い海の話を...したかぁった...

吉田日出子さんの♪港は夜の晩♪が頭の中に流れて胸がいっぱいになった。

しかしこの大聖堂には作品はなにもなかった。
静かで荘厳な「からっぽ」があるだけ。
驚くほどここには物語がない。
ということは。

つまり、ここが心臓で、いのちなのだ。
小説家でも演出家でも女優でもなんでもない、ただ生身の人間であるわたしが、
いのちのことだけを考えて向きあう場所。
いのちの約束をしにきた場所。

パリのときは猶予をもらいに行った。
でも今回はそれを受け入れ約束をしにきた。世界との約束。
それはきっと機内で読んだ「スウィートヒアアフター」とも関係がある。
マリアンヌと、いつか会うきみ」とも関係がある。
だからわたしはこの2冊を、この街に置いていかなくてはならない。
そしてもっとも大切なあれも、置いてかえらなくてはならない。
ただ、どこがその場所なのかまだもうすこし見えなくて、まだすこし答えを探している。
でも今日もういちどそこへ行けばきっとわかると思う。

Img_8681

Webimg_8683

前世感、というのはヘルシンキの街にひとつもなかった。
まるで日本みたいに、空気がフィットした。クリアで軽かった。

パリには前世感がすごくあって、それゆえにある種の鬱陶しさもそこにはあった。
長く働いた店とかに、辞めてからずいぶんたって行くような感じ。
なにもかもが、うっ、とくるくらい懐かしくて、そのままで、いまにもあの日に戻ることができそう。でも、内装や食器や、働いている人は様変わりしていて、そこがそこではないのに、とても「そこ」である鬱陶しさ。
そういうものがパリにはあった。それから誰だかわからない懐かしいひともたくさん。
思い出せないわたしの懐かしいひと。
mon viel ami-わたしの古いともだち

けれどもここには懐かしい人もいない。
だからこれは誰かとの約束ではなくて、やっぱり「世界」とわたしの約束。
前世も来世も関係ない、いま生きているこの世界とわたしの。

この大聖堂には、ただ、だだっぴろく「真ん中」だけがある。
ここは地球のはじっこなのに、なぜかとんでもなく「真ん中」だ。

この真ん中で、
パリのはずれ、ラピュタの島、モンサンミッシェルにわたしを呼んだひと、
思い出せない懐かしいひと、いつかはるか昔わたしと一緒にレストランをしていたひと
(mon viel amiのリンクを参照していただけらば)
が、「持っていなさい」とわたしにくれた石を今日、わたしは世界に返す。

キリストは嫌いだ。神様も別に信じていない。でも、世界を信じている。
だからここが大聖堂であることとかはどうでもよくて。目の前の神の絵もどうでもいい。

ただきっと「約束」にいちばん近い場所だったんだ、そう思う。
ここは「大聖堂」でも「ヘルシンキ」でもなく「世界」なのだ。
そしてわたしが石を返す場所なのだ。

そしてなにを約束するのかはもうわかっている。

わたしはそれを受け入れます。だから、生きているあいだにすべきことをぜんぶやりとげられる力をください

石は返します。もうこわくないから。
取引はしません。だって愛といのちと作品はすべて同じだから。
愛はいのちのまえにあって、いのちは作品のまえにある。
ということは愛は作品のもっとまえにある。
だから愛することをやめることもできません。

ただひとつ、
わたしはそれを受け入れます

Img_8685

いのちに火をともした。ふたつのいのちに。
あなたはわたしに、俺の葬式に出てくれというけれど、残念ながらそれはわたしにはできないと思います。でもまだ時間がある。
その時間をわたしはけして放棄したりしない。
だからこうして、ちゃんと約束をしにやってきた。
そして地球のはじっこでいま、愛を叫んでいる。

おやすみ街の灯よ ねむれ母のない子のように ネオンも街路樹も 夢みる恋人も、星野カーテンコールにしばしの別れ すぐにまた会おう

そして 愛の日々よ それぞれの日々よ
銀色の夢に沈む夜 きみは僕だけのビューティ

おはよう 美しいひと 言葉にするだけで 涙がこぼれそう

愛しきかたちのないもの、僕らはそれを”東京”とよぼう

ふいに日本がいちばん美しかった日々のことを思いだしました。
ティンパンアレイ、このアルバムを聴いていた去年の2月。東京も日本もとても静かで、街は美しく、あなたはいつも傍にいた。

けれどわたしたちは前進してゆく。

夢から覚めたいまもまだ 僕の目は覚めないままだ
僕はひとりでささやかに 人生をかわいがる

悲しい夢もみたね 過ちだってあったかも
だけど僕たちはこんなにもすこやかだ 美しい
そう 全てわかちあおう 全てを手に入れよう
何も捨てず何もあきらめず僕らは年をとろうよ

世界はいまも夜明け前 大丈夫 大丈夫
ずっとずっと ふたりでいよう 大丈夫 大丈夫

大聖堂の中で、志磨くんが東京に捧げたこの2曲を聴いていました。

志磨くんが、いとしきかたちのないものを”東京”と呼ぶなら、

わたしは、いとしきかたちのないものを、、、
”日本”と呼ぼう。

いま、夜明けがこようとしているその国で、わたしは生きている。
こうしてそこからこんなにも離れていたとしても。

おはよう美しい国、言葉にするだけで涙がこぼれそう。

地球の、限りなく果てに近い「世界の真ん中」で、いのちの約束。

これは理屈じゃない。

Img_8698 Img_8704

|

« 旅のこころゑ的なもの? | トップページ | 弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 旅のこころゑ的なもの? | トップページ | 弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」 »