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2011年10月24日 (月)

「”かつて”と”今”に贈る恋文」発売!

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記事が重複する部分あるのですが、一応ブログトップを更新したということで、日記として「いまかつて恋文(略)」が掲載された小説新潮が発売になったということを書いてみる。

蝶番の続き続編です。元来「続編物」とかを書きたいタイプではありませんでしたが、そのような提案を頂き、ここのところわたしも「まじょきん」「夕帆」とファンタスティックな作品そして「JUNE」「月子とイグアナ山椒魚」のようにある種の浮遊のある物語ばかりを書いていましたので、このような地続きな作品に立ち返るのもアリかと、そして新潮エンタメ大賞受賞作家特集で、受賞作の続きを書くってオモロイな、と、受賞以来どこにも露出がないならこれしか書けないみたいだけどそうでないなら企画ぽくてよいわ!とそのようにしました。

ノーリーが「あなたは向田邦子のように自分の人生を切り売りしてそれを書くべきだ。そのためにプライベートがぐちゃぐちゃになっても小説がおもしろければいいではないか!」と強く主張したので(ノーリーはいいひとなんですよ誤解しないでくださいね!笑)
「恋文」という言葉は「向田邦子の恋文」という本から取りました。あえて向田邦子の作品からとらずハズしたところが、わたしのユーモアです(笑 まあ人生を破壊するほどの切り売りはしませんが(笑

もちろん蝶番を読んでいない読者の方も楽しめるようになっていますし、また蝶番を愛してくださった方ががっかりしたり悲しい気持ちになるお話にだけはしてはいけないと肝に銘じて取り組みました。

人が生きていて、「かつて」も「今」も「未来」もぜんぶをずっと同じだけ愛してゆくことはきっととても困難ですよね。忘れたい過去や、愛せない今、きぼうをもてない未来、全部ネガティヴに書いてしまったけど、どこかに納得できなかったり、はがゆさややるせなさを持って人は生きているのだと思います。この小説の中の人たちもみんなそうです。

それでも。
「台風が過ぎ去って」という日記にも書きましたが、

「にんげん」というものに対する「きぼう」だけは失いたくないと、わたしは思っています。
それを失うときは愛を信じなくなるとき。
ひとは等しくひとを愛し、
ひとは等しくひとに愛されたいと思っているはず。
どれだけ複雑な東京の街に住んでも、
どれだけ歪んだ出来事にまきこまれても、
どれだけおもいもよらないほうこうに、舟が流れてしまっても。

それだけは信じていたい。
それが「にんげん」というものに対する「きぼう」であり、わたしの流儀だ。
だからわたしの小説もそうでなくてはならない。

厳しくむつかしい状況でも愛をあきらめず「きぼう」を宿すような。
だってわたしの人生はわたしの小説で、わたしの小説はわたしの人生なのだから。

そう思ってこの作品にとりくみました。

みなさんに読んで頂けたら嬉しいです。

そしてこれを読んだ壺井さん(幻冬舎)がこんなコメントをくれました。
愛に則って書かれたのが良くわかります。そしてこれは疑心とかいじわるとか、人を振り回すくだらないモノたちへの徹底抗戦の表明でもある

書いている間ずっと信じ続けた灯火を彼女がそう評価してくれたことはわたしにはかけがえのない賛辞でありましたが、読む人みんなにそう思ってほしいと考えているわけではありません。それぞれが好きなように思ってほしい。
みなさまはどのように感じてくれるでしょうか。

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この写メは地元の友人が送ってきてくれたもの。新聞載ってたで〜。と。
こういうの嬉しいね。

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コメント

「ひとは等しく~」の、等しく、という部分がわたしは好きだな、と思いました。同じだけの分量で、重さで、愛し愛されることは素敵なことだな、と。
等身大のもかこさんにまた逢えるんですね^^。
小説新潮絶対読みます!

投稿: まほ | 2011年10月28日 (金) 13時05分

まほさんへ
ありがとう!また感想聞かせてください!

投稿: もかこ | 2011年11月 3日 (木) 08時57分

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