台風が過ぎ去って
日本列島を縦断した台風が過ぎ去った明け方、わたしはいままででもっとも苦しんだ原稿を書き上げました。
来月発売の小説新潮に掲載される小説です。
じぶんやじぶんに起きるできごとを切り売りしなくてはいけないこの原稿に取り組んだ二週間半、死ぬことよりも苦しいことがあることを知りました。死んだことはないけど。けれどもやりとげだ自分を誇りに思いたい。
初稿「やわらかな破滅」は「”かつて”と”いま”に贈る恋文」というタイトルになって、内容もぐんと重ね塗りされました。 まだどちらも(仮)ですが。
書き上げ間近の先週末芝居を観に行って、それが小説の要となるぶぶんを乗りこえるヒントをくれたので、きのうも机に向かっていましたが、
「台風飲みしないか」という誘いに、強い風だけが残る中出かけることにしました。
意味があることだと思ったからです。
でも、よく誤解されるけど、わたしは小説のネタにするために人生を生きてるわけじゃない。ただ連動しているだけなの。
人生そのもののような物語、物語そのもののような人生。
そういえば志磨くんも歌の中でそういっていた 。
「まるで人生のような音楽、まるで音楽のような人生」
頭で反芻してここにもひとつの連動があることに気がつく。
台風が過ぎ去ったいま、そのことばの意味がよくわかるというか、
そのことば自身がどこからともなく沸き上がってきて、わたしのものになりました。
蝶番を初めて書いたときと同じ孤独を、ひさしぶりに抱えて書いたけど、
蝶番のときはそこにあったものを物語にした。
今回はそこにないものを物語にした。
この短篇を読んだ人が、 冷蔵庫の中にあるもので適当に作った料理のように思ったとしたら、この作品はフィクションとして、大きな成功といえると思う。
実際は冷蔵庫の中にはない素材や調味料ばかり使ったの。
とてもとてもくるしかったけど、成長できた。人生も物語も。
生身の人生を欠片も生きていなかった二週間だったので、何かを食べた記憶もあまりなく、人が作ってくれたものを口にしたときなんだか涙がでました。
だってわたしの家は「暮らす」というには不向きな家で、料理もしていないし、
火のようにさみしいキッチンで、ひとり、コンビニの豆腐を立ったまま食べてるような記憶しかないのだもの。食事は愛だと思いました。
そしてこの小説がノーリーというハードルを乗りこえ許可されるかわからないけれど、それでもわたしは「やわらかな破滅」を「”かつて”と”いま”に贈る恋文」にまで昇華したのだ。
きのう深夜帰宅してぼんやり思ったこと。
「にんげん」というものに対する「きぼう」だけは失いたくないと。
それを失うときは愛を信じなくなるときだ。
ひとは等しくひとを愛し、
ひとは等しくひとに愛されたいと思っているはず。
どれだけ複雑な東京の街に住んでも、
どれだけ歪んだ出来事にまきこまれても、
どれだけおもいもよらないほうこうに、舟が流れてしまっても。
それだけは信じていたい。
それが「にんげん」というものに対する「きぼう」であり、わたしの流儀だ。
だからわたしの小説もそうでなくてはならない。
厳しくむつかしい状況でも愛をあきらめず「きぼう」を宿すような。
だってわたしの人生はわたしの小説で、わたしの小説はわたしの人生なのだから。
そう思って深夜2じから一気に原稿を書き上げた。
もう迷わなかった。
今朝、ひさしぶりにわたしはわたしの日常に戻って、窓をあけ、台風の残り風で部屋を洗い、掃除機をかけ、きれいに片づけた。
午後、美しい人がわたしに、いらない服をたくさん持ってきてくれた。ポートレートの中で笑うケイトモスみたいなモード。
このひとの使い古しのジーンズをはきたい。
でもちょっとちいさかった(笑)
あんなにわたしより背が高いのに。
わたしはちょっぴり痩せたけど、もっともっと痩せないと、あのジーンズははけないのだ。
そう思うとなんだか生きたいという欲望が胸に沸き上がってきた。
なにかの戒めとして痩せていくのではなく、美しく生きるために痩せよう。
たぶん、この意味、誰もわからないよね。それでいいんです。
ともかく台風は過ぎ去った。
爪痕はまだ街のあちこちに転がっているけれど。
そしてわたしたちは生きている。
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