2011年9月
2011年9月28日 (水)
2011年9月27日 (火)
得体の知れないもの
(前略)
こわい夢をみたり、怖ろしいことを考えてしまったり、得体のしれないものに心臓をつかまれたような気になったり。
口がなくなってしまえばいいのにとかも思う。
そしてああ、努力が足りないなあって思うの。
ひとを傷つけることは得意なのに傷がつくことには慣れてないって勝手だなあ。
「そんなふうに人をまっすぐ信じて、思ったことを思ったときに言って、たくさんのひととたのしく、その歳までやってこれたって恵まれてるね」
誰かにに言われて、ほんとうにそうなんだねって思ったりします。
でも、それでも。
得体のしれないものにわたしを掌握させておとなしく生きさせないために、わたしは執筆にいそしむ。
ちゃんと起き上がって2011年の9月を生きる。
いやだよ。
「得体の知れないもの」
おまえに負けて、わたしがいままでのわたしじゃなくなったら、それはおまえの思うがままだ。
それはかたくななんじゃない、頑固なんじゃない、
じぶんをかえりみないんじゃない。
だって「得体の知れないもの」おまえの思うままにわたしが生きたら、
扉を叩く人がいなくなるじゃないか。
わたしはそれでも勇気をもって扉をたたける人でいたいんだよ。
GAGAが言ってた。高校のとき、男の子たち数人に道端のゴミ箱の中に捨てられたことがあるって。ゴミにまみれて立っていたら女の子が「あんた泣くわけ?」って笑ったから、泣きたかったけどゴミだらけのまま笑った。
そのときはこの出来事がその後ずっとずっと自分の心に大きく影をおとすとは思ってなかった、ことの重大さをわかってなかったの。って。
そうゆうのが得体のしれないものだよ。
ほら怖いだろう?
もっとこぶりに生きるんだよ、誰にもこころを開かず、にんげんなんかに期待せずにさって。おまえが信じたいよりもおまえの存在は代わりがきくもので、おまえが肯定したいほど、おまえは誰かのこころに何かを刻める人間じゃないんだって。おまえが何かを言ったりしたりすることは、みなをかきまわして、困らせはするけどけして救いはしないんだ。
でも知ってる。スーパースターだって、こんなふうに得体の知れないものに追い回されながら、それでも何万人の前に立ってじぶんをさらけだしているんだ。
なんてタフなんだろう。なんて尊いの。
いまのわたしはまだ努力がたりなくて、まだその手先は震えている。
もっと強くなりたいな。
とんがってとんがって鋭く強くなるんでなくて、山の上から下流まで流れてきたまるい石みたいにたいらになりたい。
よしもとばななさんが小説のなかで書いてた。
「つらくなったら、つらくないところまで離れればいいのよ」って。
そうだね、いまわたしは、いろんなことから、つらくないところまで離れている。
執筆だけはそれを許さないけど。
なぜこういうことを日記に書くかって、扉をたたいていたいからだよ。
そしてわたしが作家である運命を、赤裸々に生きることとイコールにとらえているからだよ。大事なとこはぜんぶ隠して「ここなら見てもいいよ」ってやっている人間の言葉を誰がお金を出して買うだろう?だれが枕元に置いて寝る?
わたしが愛する作家さんはみんなじぶんを投げ出している、そうやって生まれた言葉を紡いでいる。だから枕元に置いて寝る。ノルウェイの森、神様のボート、姉さんと僕。
光を浴びて歌っている人だって、強いからそうできるわけじゃないんだ。
弱い部分を見せないスターのありかたもあるけどね、わたしはスターじゃない。
いち「おなじにんげん」の代表としてたまたま小説を書いている。
情熱大陸で伊集院静さんが言っておられました。
「小説なんかで人は救えないんだよ、人の人生を変えたり、そんな力は小説にはないんだよ」
でも。
「読む人が世の中にはこんなつらいこともあるんだ、こんな痛みもあるんだ。
こんな思いをしている人間は僕だけじゃないんだ。そういうことを感じたとき、小説は誰かの痛みに寄り添うことができる。それを救いとよぶなら、僕は小説を書く意味として、誰かになんらかの形で救い、寄り添うものを書きたいと思う」
人が幸せなとき「物語」や「読み物」は、単なるエンターテイメントにすぎなくなる(もちろんそれはそれで素晴らしいこと)。でも、ひとが今日を生きることすら苦しんでいるとき、
「物語」や「読み物」は人対本というマンツーマンで、誰かの心の奥にすうっと入っていって、何もできないけど寄り添うことができる。
じぶんもやはり物語を書く意味を後者の方に置きたい。
2011年9月26日 (月)
台風が過ぎ去って
日本列島を縦断した台風が過ぎ去った明け方、わたしはいままででもっとも苦しんだ原稿を書き上げました。
来月発売の小説新潮に掲載される小説です。
じぶんやじぶんに起きるできごとを切り売りしなくてはいけないこの原稿に取り組んだ二週間半、死ぬことよりも苦しいことがあることを知りました。死んだことはないけど。けれどもやりとげだ自分を誇りに思いたい。
初稿「やわらかな破滅」は「”かつて”と”いま”に贈る恋文」というタイトルになって、内容もぐんと重ね塗りされました。 まだどちらも(仮)ですが。
書き上げ間近の先週末芝居を観に行って、それが小説の要となるぶぶんを乗りこえるヒントをくれたので、きのうも机に向かっていましたが、
「台風飲みしないか」という誘いに、強い風だけが残る中出かけることにしました。
意味があることだと思ったからです。
でも、よく誤解されるけど、わたしは小説のネタにするために人生を生きてるわけじゃない。ただ連動しているだけなの。
人生そのもののような物語、物語そのもののような人生。
そういえば志磨くんも歌の中でそういっていた 。
「まるで人生のような音楽、まるで音楽のような人生」
頭で反芻してここにもひとつの連動があることに気がつく。
台風が過ぎ去ったいま、そのことばの意味がよくわかるというか、
そのことば自身がどこからともなく沸き上がってきて、わたしのものになりました。
蝶番を初めて書いたときと同じ孤独を、ひさしぶりに抱えて書いたけど、
蝶番のときはそこにあったものを物語にした。
今回はそこにないものを物語にした。
この短篇を読んだ人が、 冷蔵庫の中にあるもので適当に作った料理のように思ったとしたら、この作品はフィクションとして、大きな成功といえると思う。
実際は冷蔵庫の中にはない素材や調味料ばかり使ったの。
とてもとてもくるしかったけど、成長できた。人生も物語も。
生身の人生を欠片も生きていなかった二週間だったので、何かを食べた記憶もあまりなく、人が作ってくれたものを口にしたときなんだか涙がでました。
だってわたしの家は「暮らす」というには不向きな家で、料理もしていないし、
火のようにさみしいキッチンで、ひとり、コンビニの豆腐を立ったまま食べてるような記憶しかないのだもの。食事は愛だと思いました。
そしてこの小説がノーリーというハードルを乗りこえ許可されるかわからないけれど、それでもわたしは「やわらかな破滅」を「”かつて”と”いま”に贈る恋文」にまで昇華したのだ。
きのう深夜帰宅してぼんやり思ったこと。
「にんげん」というものに対する「きぼう」だけは失いたくないと。
それを失うときは愛を信じなくなるときだ。
ひとは等しくひとを愛し、
ひとは等しくひとに愛されたいと思っているはず。
どれだけ複雑な東京の街に住んでも、
どれだけ歪んだ出来事にまきこまれても、
どれだけおもいもよらないほうこうに、舟が流れてしまっても。
それだけは信じていたい。
それが「にんげん」というものに対する「きぼう」であり、わたしの流儀だ。
だからわたしの小説もそうでなくてはならない。
厳しくむつかしい状況でも愛をあきらめず「きぼう」を宿すような。
だってわたしの人生はわたしの小説で、わたしの小説はわたしの人生なのだから。
そう思って深夜2じから一気に原稿を書き上げた。
もう迷わなかった。
今朝、ひさしぶりにわたしはわたしの日常に戻って、窓をあけ、台風の残り風で部屋を洗い、掃除機をかけ、きれいに片づけた。
午後、美しい人がわたしに、いらない服をたくさん持ってきてくれた。ポートレートの中で笑うケイトモスみたいなモード。
このひとの使い古しのジーンズをはきたい。
でもちょっとちいさかった(笑)
あんなにわたしより背が高いのに。
わたしはちょっぴり痩せたけど、もっともっと痩せないと、あのジーンズははけないのだ。
そう思うとなんだか生きたいという欲望が胸に沸き上がってきた。
なにかの戒めとして痩せていくのではなく、美しく生きるために痩せよう。
たぶん、この意味、誰もわからないよね。それでいいんです。
ともかく台風は過ぎ去った。
爪痕はまだ街のあちこちに転がっているけれど。
そしてわたしたちは生きている。
2011年9月16日 (金)
月光浴
「月光浴」という言葉があるのかどうか知らないけど、ともかく月光浴をしてみました。
「執筆の合間にベランダでお月見。足元に蚊取り線香、目の前は幸せの青い鳥、右手にビール、音楽はマリーズ。月の光を浴びながら「悲しみのための12曲」と言われたラストアルバムを聴いている」
「何を祈ろうか」
前日が中秋の名月だったとはあいまいにしか知らず。今年の月の光はとてもよいからたくさん浴びないとね、なんてこともつゆ知らずとあっては、なにか日食を見逃したような気持ちになるもの。
火曜日は執筆のためのお休みでしたが、まえの週に激しく苦しい初稿を身体中の肉がえぐり取られる想いで書いて(新潮社のですが内容はまだ発表できず)心の流血がようやく収まるなか、実際初稿が使い物にはならないこともわかっておったので(実際ノーリーにも、ここまで血がしたたり落ちている原稿を我々の一存で却下なぞとてもできないが、このままではダメ〜とばっさり)
それをどう、「中島桃果子」らしい厳しくも温かな、そして完全なるフィクションにしていこうかな・・うーん・・書けばいいってもんじゃないんだよなあ・・と考えているところ、ふとベランダを見たらそれは美しく月が煌煌と輝いているじゃあありませんか。一日遅れたってかまやしない!と、蚊取り線香やらビールやら椅子(執筆用のね)やらベランダに持ち出して月光浴開始。月光浴って言葉ったらいいわ!
気に入っている写真です。この時期の月のパワーがすごいっていうのは写真を撮るとわかるね。月が好きで、もう何年も月を撮ってるけど、月って絶対写真に上手に撮れないの。褪せちゃって。でもこれはなかなか良く撮れた。
ただじっと月を見ながら考えていました。
そしてずっと、ただ毛皮のマリーズのラストアルバム、THE ENDの12曲を聴いていました。
わたしにとって東京が最も美しかった頃、14年めになりますが、もっと東京を美しく感じていた時期に志磨くんが発表したアルバムは東京のためのアルバム「ティンパンアレイ」でした。惜しみない愛を詰め込んだ美しい12曲。そのときわたしも愛に対してとても勇敢でした。愛というものを強く信じ、その美しさに見とれていた。それがすなわち東京という街そのものだった。こんなかんじ、またはこんなかんじにね。
そのころまだ日本という国も大きな悲しみと痛みを知らなかった。
そして先週、なんの因果か、わたしにとって東京がもっとも厳しかった日に発売されたアルバムはまさかのラストアルバムで、毛皮のマリーズの解散を発表するもの、そして楽曲は「悲しみのための12曲」でした。
その日わたしはすこし前から頭に住まわせているおとぎ話があるのだけどその登場人物の名前をマリアンヌに決めたところで、なんと、なんの因果か、アルバムの最後の曲その名も「ジ・エンド」はマリアンヌに捧げる歌だったのでした。
バイバイベイビー、マイ、マリアンヌ
ああ、もう別れの時を
目の前にした 今だからこそ
君に話そうマリアンヌ
この夜空に 星ほどの 甘い夢を浮かべ
それを全て涙に変えて 今 去りゆく その前に
悲しみをとりまくひとつの連動に寄り添ってわたしはずっと月を見ていた。
すべてが琥珀。なにも話せない。言葉もでない。
なのにわたしは「ことば使い」それが仕事。歌ったり絵を描いたりして生きてゆけはしないの。ああこんなときは人のことばの舟に乗って北極星に向かって漂流したい。
もしも 私がある朝 目を覚まさずに 冷たくなって
そしたら きっと、きっとよ? 月の夜には思い出して。
生まれ変わってあなたを待つ そう ダンデライオンになって
探して きっと 見つけてね あなたを愛してるわ (ダンデライオン)
月の夜だよ、ほら思い出して。何千年も昔の過ちと、罪と、愛とと、哀しみと、幸福を。そしたらいますべきことに、ダンデライオン、もしくはわたし、気付くはず。
月光浴は粛々ととりおこなわれ、「月光浴」という言葉があまりに良いなと思ったもんで、ひとりでいたかったはずなのに二人の妹にメールをしました。
ひとりはすでにこちらに向かっており、もうひとりは、ふと下を見ると、わたしのいるベランダを見上げて手を振っているのでありました。
わらわらと急に騒がしくなった我が家でしばしの歓談。
みいきの親友のかなちゃんに頼まれタロットをして
(しばらくやっていなかったタロットですがこの日はすこぶる調子が良く。いま思えば月のおかげかもしれないね)
日本の文化に疎いあやめさんは中秋の名月が理解できず
「チュウショウノマンゲツ!?」
「?チョウシュウノマンガツ?」
こんな具合(笑)
パレードのように彼女たちが帰っていった家にひとつ、魔法みたいな出来事が起きていました。いつも本棚にたてかけている「ショートバス」のパンフレットが、たぶんかなちゃんが見たのでしょう、裏向きになっていました。
(いつもはこう↑)
もとに戻そうとしたときわたしは思わず息を飲んで、
裏返すのをやめた。
このお月様のことばは、いま、でなくて、未来のことばなんだって、わたしは思いました。
いつかずっとずっと先の未来に、いまわたしが抱えているできごとに対して、誰かじゃなくて、お月様がこういってくれる日が来たら、それはすなわちじぶんのことばであるはず。
わたしがじぶんで充分に努力したと思える日まで、この言葉が未来のことばじゃなくて、時がじゅうぶんに満ちたと思える日まで、このパンフレットは裏返さず、ずっとずっと歩いて行こう。
「私には分かるんだ 君は努力した」
このパンフレットを買ったのはもう何年も前、それなのにわたしは今日、ここにお月様がいたことも、このことばにも初めて気がついたのでした。
これが昨日の日記に繋がるのでした。
そんな月光浴の夜。
金色の心を抱いて生きてゆこう。
ちょうどな分量で正しく贖い、許し、悲しみ、心に火を灯して。
だから、
ひとつ、最後に教えてくれ 僕は生きて帰れるか
首を横に振るなら 運命よ
お前は 僕の、敵だ!
(HEAT OF GOLD)
2011年9月15日 (木)
中秋の名月
ブログの更新がぜんぜんできてなくてすいませんて、誰に謝るのやら。
でもきっと、読んでくれている人がいると信じ、詫びる。(笑)
いまわたしは、猛然と執筆をしています。
2009年、デビューして執筆しかなかったあの頃のように、猛然と。
おそらく9月はほぼどこにも出かけないで過ぎてゆくと思います。
久しぶりにある種の威嚇と絶望と情熱と静けさに恵まれたことに感謝して物語に向かっています。小説は「完璧な孤独」がないとなかなか書けないんだということに改めて気がつきました。小説は孤独という海原に浮かぶちっぽけな島。そんな気分。
そして書くことはときに苦しい。言葉は鮫だから。鮫に囲まれてそれでも小説を書く。
なぜならこれはわたしの業だから。それだけ。書きたいときにだけ書いて、書きたくないときに書かなくていいのは素人だけ。2009年からわたしは素人じゃなくなった。
生きている世界が楽しすぎても、鮮やかすぎてもね。2010年は幸せすぎました。2011年はきつすぎる。過ちばかり犯して。人を傷つけてばかり。
そして人に傷ついてばかり。もちろんそれは自分が放った矢。
かといってもちろん小説に逃げているわけじゃないよ。
さて今週月曜、キャンドルナイトというものに行ってきました。
よく会っている人や親しすぎる人と、誰とも会いたくなかったので、1年ぶりくらいにDJ caori a.k.a pecoと。このタイミングでキャンドルに触れたいと思うふたりで寄り添って行ってきました(笑
わたしは電気のものとほんとに相性が悪くて、自分のコンディションが悪くなるとiPhoneのがバグって電源が落ちなくなったりするほと相性が悪いので、この「キャンドル」でできた灯りたちがほんとうにわたしには優しくて、奥からゴスペルのリハが聞こえてきて、、、
ああ、なんかもう。涙が出そうでした。
左は自分のお願いごと。右は東北の人たちのための。東北で灯されるのだそうです。
わたしの中の小さなおとぎ話の一節を、じぶんのためにも東北のみなさんのためにも書きました。愛についての一節です。震災後初めて、なにかしっくりくると思えることを、ささやかですができたかもしれないと思いました。
いつだって愛を踏みまちがえてばかりで、愛がなにかって心の奥の痛み、ばくぜんとしかわからないのだけど。でも問い続けていきたい。
知らなかったのですが、12日は中秋の名月だったのですね。
わたしやたぶんちほも、花よりタンゴの桃子のセリフで覚えていますからてっきり9月の末だと思っていました。(ちなみにだからブルームーン。ちほさん気付いて!)
今年の中秋の名月は、6年ぶりの満月だそうで、お願いごとをするととてもよかったのだそう。
あと、このキャンドルナイトはキャンドルJUNEさんはじめ、いろんなARTISTによる複合的なイベントでした。
なんか串田演劇の美術みたいなやつ。
なんとこのアーティストは若干18歳!テイストがとみやすに似ている&この彼女も花アーティスト(しかも空間系の)を目指しているということで速攻連絡先聞いてとみやにDock!
どうなっていくかは今後のお楽しみ。
その後恵比寿のテラスぽいダイニングでディナー。
caoriちゃんにこの半年に起きたいろいろなんかを聞いたりして。わたしはじぶんのこと全然話せなかったし話さなかったけど、こうやって人の話を聞くことがその人の癒しに繋がるのなら幸せだなあって思ってそこにいました。1年ぶりに会ったふたり、きっとこの日、誰よりも互いに会うべき相性だったのかなって思います。親友でもない、頻繁に会うわけでもない、でもそういう繋がりが存在することも確か。休暇中のDJ caori早く彼女のセンスを爆発させて、ターンテーブルの中でちょこまか動く発光する小鳥をみせて欲しいな。ほんとにおしゃまな小鳥みたいなんだもの。
レンズ豆のサラダ♪
たまたま二日後にcaoriちゃんが25歳の誕生日を迎えるという情報を入手。
あわててサプライズの準備をこそこそ・・・
めでたく可愛いプレートが登場いたしました♪
わたしたちは気がつかなかったけど、テラスの上では満月がわたしたちを照らしてくれていた。
「だいじょうぶ前進してゆきなさい、過ちも悲しみも辛いことも照らし出してあげるから。
その影に口づけをしてそれを抱いて生きてゆくこともまた、愛なのですよ。
愛は優しく温かいことばかりじゃない。けれども隠れてはいけないよ。けして逃げだしてはいけないよ。振り返るなとは言わない。何度も振り返って、じぶんの足跡を思い知り、また前を向くんだ。だれかのせいにしてはいけないよ、そこには君しかいないのだから」
月はそう言いました。
この日中秋の名月であったことを漠然としか知らなかったので、わたしは月のことばにも気がつかなかった。
そんなわけで日記は「月光浴」に続く。
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