
「短冊書いた?」
というちほの日記タイトルで初めて七夕に関する浪漫
の部分を思いだした次第です。
7月に入ってすこし自分の中の底辺を抜けた感じがあって、
逆に身体がほっとして一気にツケがきて、風邪&自律神経の乱れでよく眠られない日々
が続いてる。
やることを放置していては強迫観念で寝れないがあまりに体調が悪かったので、帰宅してちょっと寝て9じ頃から「月子とイグアナ山椒魚」のゲラの直しをやった。
ゲラを直していると、というか、今回「月子とイグアナ山椒魚」にあたっては編集の加古さんが繊細に編集してくださったおかげもあって、言葉の大切さというか、自分自身の「言葉」というものに対する認識の甘さに気付く。
物語を書いているときというのは、頭の中に浮かぶ映像が消えないうちに書き落とさないと!みたいな、沈んでいく夕日に向かって必死にシャッターをきっているような「巻き」感もあって、とりあえず書き留めることに必死、ドラマを追うことに必死みたいなところでついつい言葉が雑になってしまう。
なので国語辞典片手にゲラ直し。
作家というものは言葉に対しての執着がはんぱないはずなのだけど、
やはりそこはじぶんが役者育ちの小説家なせいでしょうか、感情の流れや台詞に対してはとても繊細にこだわっているのに、どうも置く言葉にたいしてぞんざいなところがあって、きちんと伝えられていないところがあるみたい。
言葉に対しての意識をもっと高くもたないとなと思う。
これは加古さんから学んだこと。おそらく加古さんが、きっととても「言葉」を大切にしている方なのだと思います。
「月子とイグアナ山椒魚」つまり船Parisは、実はかなり久しぶりの本格的な物語、架空の物語世界を長編で描く、その冒頭部分ということで、
わたしもかなりかなり力を入れているのでゲラにも神経を使います。
なので日記とかは言葉がしっちゃかめっちゃかなんだけど、ゲラ後の日記は許してくれ。
さっき、ちほの日記をのぞいたらみさわさんがとても素敵なコメントをしていた。すこし引用させてもらうと、
「この次は、ニューオリンズに生まれたし」というバクマツが短冊に書いた言葉とともに、7月7日はまどかさんとシローが上海に渡った日、そしてバクマツとリリーの結婚記念日(上海バンスキング)だから、それ以来自分にとって七夕は特別な日になったというようなことが書いてあって胸を打たれました。
この世のどこにも存在しない人たち。
もともとは紙切れの中にしか存在しない人間、それをつかの間からだで表現してくれる役者がいて、世の中に存在した物語があって、その中に出て来た日付やなんかが、生身の人間にとっての特別な一日になっていくということ。
物語のもつ計り知れない魅力に改めて触れさせてくれた出来事でした。
みさわさんのコメントにじぃぃ〜ん
それに携わる仕事をして、上海バンスキングにとって特別なこの7月7日に、記念すべき船パリの冒頭を完全に脱稿し、バイク便を待ついま、やはり縁を感じています。
(紡)への掲載が決まって最初に会った人間もちほだったしね。
3年前の七夕にはふたり別々の場所で同時に花タンの成功を短冊に書いたのでした。中秋の名月の日には、わたしもやはり、花よりタンゴで姉妹大げんかする、あの夜を思いだします。照明じゃなく月の光として、あの明かりを思いだします。あの特別な夜を。
まだまだ船出したばかりの船Parisが、ゆくゆく誰かの人生にとっての特別な瞬間を紡ぐ日がくることを願って、バイク便がくるまで眠りにつこう。
けれど、短冊には別なお願いごとを書きます。
毎年、公演の成功や、作品のことしかお願いごとをしたことがないわたしですが、
今年だけは、もっと大きなお願いごとがあります。
作品も公演も、生きていることのぜんぶより、大切に思えることを生まれて初めて見つけました。こういうことを天に祈るべきかなと思って。
加古さんや壺井さんが送ってくれる原稿はいつも可愛い付箋やメモ用紙がついています。かくいうわたしもかわいい付箋なんかを持っていたりします。
文化的お洒落。女の子ですから(笑)
ペンは「夕日に帆をあげて、笑うは懐かしいあなた」の装画を描いてくれたコイヌマユキさんの作品。
それからそれから、昨日は鼻炎の白猫バニラの一周忌でした。
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