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2011年6月27日 (月)

どうしようもないこと

30代で色んな事を学んで40代で飲み代を払うの

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SATCのthe movie1のなかで1番好きな台詞はキャリーのこの言葉です。

解っている。SATCをわざわざ旧居に取りにいかなくては「しょんぼり」が止まらないなんて、これは重傷。カラ元気とかじゃない。充分落ち込んでます(笑 でも大人だから周りに迷惑かけるほどにはセンチメンタルまき散らしてない、つもり。

昨日の明け方帰ってきて、ひとりで白ワイン飲みながら見て、もう何回みたか分からないにもかかわらず号泣しました。なんていい映画なんでしょう。
2009年のこの時期、ほんとに死んでしまおうかと思うほどの絶望のなかで、この映画に救われました。

2011年のいま、わたしはほんとうのところ、毎日がとても辛いけど、あのときみたいに不幸ではありません。おとといこの映画を見返して思ったことは、
あのときといま、同じように悲しく同じように厳しい日々だけど、あのときといまではその種類が全然違う。いまのわたしはちゃんと愛を見つけている。悲しくても愛を諦めず愛し抜く覚悟の中でいまを過ごしている」ということでした。

あのころのわたしには信じられることがひとつもなかった。
いつか誰かが自分を愛してくれるかもしれないこと。必要とされるかもしれないこと。
自分が自分自身に納得し愛せる女になれること、じぶんの足で立てること。
何もかも信じられなくて仕事しかなかった。
だから空っぽのまま、そこに打ち込んだ。
でもいまのわたしには「Belief(信じられること)」がたくさんある。

あ、成長したんだな、と思えた。

どうしようもないこと。は、依然どうしようもないこととして、わたしの行き先をふさぐ。

でも、あのときとは違う。
2009年わたしは詩の中で長い恋愛に対して「ほんの少し幸せだったこと」と書いている。
今日読み返してじぶんでびっくりした。「ほんの少ししか幸せじゃなかったんだ」と。

この半年、わたしはほとんどいつもとても幸せだった。
が悲しいこと、ピンクが喜びだとして色分けしたら、9割ピンクになると思う。それくらいわかりやすく幸せと喜びのある半年だった。
わたしの心の奥でもう長い間完全に破壊されてしまっていた部分をその人が修復してくれた。だからわたしは愛というものの存在を信じた。そしていまも信じている。
そのひとのことも信じている。だから悲しいけど心は空っぽじゃない。
心の中には愛がある。だから誰にも同情してほしくないんだ。可哀想と思って欲しくないんだ。見つけたことが幸せだから。


2002年でJUNEという作品を勝手に書き始めてからいつだって「愛」をテーマに書いているけど、「見つからないもの」として絶望ありきでしか書けなかったわたしが、
誰もが等しく出会えるものとしてきぼうを持って描き直し始めたということはわたしの作家としてのスタイルの革命だったと思う。

ただ。愛を信じているけど、わたしは自分自身のことも信じているのです。
たくさん傷ついて時間をかけて、じぶんを愛せる女になった。
それを大切にしたい。

わたしは、女の人は男のひとの為に生きてはいけないと思う。
男のひとの為にも、生きるならいいけど、男のひとのためだけには生きてはいけないと思う。なぜかわからない。
でも、そういう生きかたをしている女のひとで幸せそうな顔をしている人をみたことがない。だってさ、男のひとってそれにかまけて必ずよそで恋愛するでしょ?(笑

女の人が元気いっぱい好き放題に生きて、それを男の人が楽しそうに、幸せそうに見ている景色がわたしは好き。だってそういうとき、男のひとはとっても素敵で格好良く見えるから。

女は肉体的にどうしてもハンデがあるから。
自分自身を愛せなくなることだけはしてはいけないと思うのです。
それが相手の為でもあると。

これはわたしが自分の失敗から思ってることであって。
わたしは前の恋愛ではとても男をダメにしたと思っていて。
どんなことをしても離れていかない、許してくれる女
として傍に居続けたことを今でも悔いています。わたしだけのせいではないけど、
5年の月日をかけてダメにしてしまった。もっと素敵でいられる素質を持った男のひとだったのに。わたしがそのひとの価値を下げた。そう思います。彼のダメな部分を全部吸い込む、排水口のような女だった。
間違っていることを、一度も「間違っている」と指摘しなかった。
一緒にいたかったから。

愛する人には、素敵でいてほしい。いまはそう思います。
たくさんの人に尊敬され、愛される人であってほしいと。
そのために、わたしはわたし自身を愛せる女でいたいと思います。息子が何をしても許す、「ママだけは傍にいますよ」みたいな母親になりたくない。勘当して自分と縁が切れても自分以外のたくさんの人に愛される人間に育てたい。愛というとこまでいきつくと、恋愛も家族も同じだなって、そんなことをわたしは思う。

 

わたしを愛しているわたしを、愛してくれる、それが「ひと」なのか「時」なのかわからないけど、「時」であることを願って、わたしはいまはひとりで毎日を過ごしています。
でもあの絶望から二年たって、すこしはSATCが描く女っぷりに近づけた気がしました。
あのとき解らなかったサマンサの別れの言葉、
あなたを愛しているけどわたしはあなた以上にわたし自身を愛している」という言葉の意味や深さにもやっと気がつけた。なんてもったいない!愛し合っているのに!と2年前は思っていました。
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ときどき「キャリーに(性格が)似ているね」と言われますが、
個人的には欠点が似ていると思います。感情を爆発的にぶつけて相手を傷つけるっていう。実際のところ反省は日々で、
もしもあそこでこうしていたら・・・」いまも一緒にいれたのかとか考えるけど、どうしようもなかったこと。おそかれ早かれ同じ局面はやってきたんだと思う。

キャリーとわたしは同じモノカキだから、発想が全く同じで笑えます。
必要なのはデスク。いいデスクがあればいい作品が書ける
とかね(笑 まあ、わたしにとって新居のデスクはキャリーのアシスタント曰く「それ開けちゃダメ!」な箱に入ってるウエディングドレスみたいなものですけど。わたしはでも辛くないな。
机を見るたびに幸せな気持ちになります。今日本格的にデスクの整理整頓。

わたしも引っ越しをしたばかりだし、作家としても三年目で、改めて共感というか新しくリンクする部分がいろいろありました。「愛を見つけたからその続きの物語を書くの」
成就しない愛でも、見つけたから、わたしも続きの物語を書きます。

キャリーほど有名人じゃないけどさ、キャリーはアシスタントのルイーズにとても救われるわけだけど、なんかこの子、壺井さんみたいだと思ってさ。
心から自分を思ってアシストしてくれる人間の存在ってほんとに大きいなあと。
もちろん壺井さんは立派な編集者だけど、いつだって心の支えでいてくれる。
そんな人間関係がこの2年でできたんだなあって。二年まえのわたしはひとりだったけど、今はひとりじゃない。
まあ、今日壺井さんは、わたしの書いたエッセイを新居に届けにきてくれたはずが、肝心のエッセイを忘れたのだけどね(笑 素敵な引っ越し祝いありがとう!わたしの聖(セント)ルイーズ。わたしがあなたにお返しできるのはいったいいつなのだろうか。

でもね壺井さん、およびみんな。わたしはね、小説のネタに恋愛をしたことは一度もないの。いつだってわたしの物語を生きたいと思っている。
出会いは純粋にわたしの人生のための出会いであって、小説の為じゃない。

でもそれはいつだって誤解されているね。
書く為に出会うなんてありえないことよ。愛す為に出会い、愛したからあなたを書くの。

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とにかく日々の充実を!と服をしこたま買いました。でも引っ越ししてお金がないので全部古着。色のある服が急に欲しくなって15着7500円。安い!
マノロの靴が買えるのはいつになるやら。

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