わたしのダンボール
『(前略)しゃぼんの泡を追いかけて、かなたに行ってしまった幼いわたしの後ろ姿を見送りながら、わたしにおいてけぼりをくらったわたしは、儚くも強い花火を打ち上げたくて、今、人の横に夢という文字をおく。
ダンボールのおうちの中でままごとを始めたあの日から、そのダンボールの中に夢をみたくてもう二十数年芝居をやっている。そしていつだって台本という紙切れの中から、こんなにも生生しく彼らは語りかけてくるのだ。ふと楽屋で鏡をみると、紙切れの中の人たちがそこに生きている。(後略)』
三年前、こんな風な主宰挨拶でもって、わたしのお芝居人生はいちど幕を閉じ、わたしはダンボールの中に生きるひとではなく、ダンボールの世界を作るひとになりました。
そして3年ぶりにまた、ダンボールの中で儚いままごとをした、愛おしい時間は、またもあっという間に過ぎ去ってしまいました。
いつしかダンボールは立派な装置になり、かつてからだに纏った風呂敷はちゃんとした衣装になり、つけまつげなんかもつけて、すばらしいスタッフ陣に支えられて、贅沢の極みの中なんと七回もままごとを堪能したあげく、それらは千秋楽の蛍の光とともに彼方へいってしまった。
虹の憂鬱も、花のような棗の笑顔も、菓子の生真面目も艶子の奔放も父ちゃんのハンバーグも母ちゃんの飯の時間も、降りしきる雪の中、雪だるまを作ったことも、
いまでは春のうたた寝に訪れた白昼夢のように、この世界から消えてしまった。
どこまでも一緒にままごとをしてくれるひとを探し続けて、
いつしかこんな素敵な仲間にめぐりあえたことを幸せと思うと同時に、
あたしだけがままごとをしていること、同時にごめんなさい、とも思いました。
こんなにも素晴らしく、感性と理性のバランスのとれた役者陣をわたしは知りません。ああ、そうだった。ずっとそんな人たちを探していた。
わたしのダンボールが色づく仲間を。
菓子ちゃんが愛らしく「もえみさん、もえみさん」と笑いかけてくると、嘘をついていることが辛い。出て行けと言われると、自業自得なのに苦しい。
ふざけた艶子をなぐってやろうと思ったとき、艶子のこわれそうなギリギリの目を見ると、抱きしめてやりそうになるから息を吸って奥歯を噛む。
こんな風な角度からしか芝居が出来ない自分みたいな人間を大人になったいま、うっとうしいと自分でも思います。でもままごとをできないならやる意味がないから。嘘でいるくらいなら死んだ方がいいから。
きっかけ台詞さえ毎回コロコロ変わるわたしを、暗転になったらはける、とかいうことさえちゃんとできないわたしを、受けとめ支えてくれたのは、ねじリズムの素晴らしい役者陣でした。彼らはほんとうのプロで、わたしが愛しい素人たちとリアルままごとをしているモカティーナ夫人のメンバーともまた全然違う。
毛並みが違う。
(えっと、わたしは自分の劇団の毛並みの揃わない素人たちの、ばらばらの血統の人間たちが紡ぐいびつな和音をこよなく愛しているのですよ。それはもう大前提)
ねじリズムの役者たちはそれで食べていける人間たち。
わたしがもっとも信頼するタイプの、
人並み外れた感性と感覚を持っているのに理性的にすべてを処理できる、ハードとソフトのバランスのとれた役者たちです。
彼らは出番の10分前に雑用を頼まれても「いま(役に)入ってるから無理」とか、絶対いいません(笑)
プロが4人と素晴らしい客演が2人いるということで、わたしはわたしのダンボールの中で思い切り遊ぶことができました。
ダンボールの中にいないときは、自分の人間としての能力の低さにとことん凹んでいましたけど(だってみんなが普通にできることを一つも普通にできないんだもん。ほんとにやだ)
こんなふうにダンボールで遊べたのは、じつはとても久しぶりのことなのではないかなあと思ったくらいです。
東京に出てくるまで、それを一番の得意技としていたわたしのダンボール遊びは、
「これを生業にしなければならない」とか「誰よりも上手にやらなくてはいけない」とか、じぶんのなかの変な決まりに縛られて、そしてたくさんの人の批評をうけていく十何年という東京の時間のうちにすこしづつ、辛い時間になっていったように思います。そしてもうダンボールの中に何も景色を見ることができなくなって、わたしは最後に思い切り遊んで、一度芝居をやめました。
※とかいって第二章やって、虎舞竜めざしてんのって感じやけど。取り急ぎっ。
今回こんなふうに時間を過ごせたこと、これはひとえに仲間のおかげでありますけれど、失った大切なものがすこし心の奥で「かたん」と音をたてました。
嫌われて、がっかりされて失望されて振られたと思っていた好きな人が、ほんとうはわたしのことを少しは好きでいてくれたんだと信じられたようなそんな気分です。
わたしは自分の出番の合間はずっと薄い幕越しに、桐島家の人たちを見ていました。彼らが葛藤し笑い家族を思うさまを。それぞれが言えない秘密を心にしまいながら生きるさまを。そしてとても好きなのはやっぱりあの夕食のシーンなのでした。
お姫様だけが入れるお城をつくった虹と棗の顔はやっぱりとても誇らしげで、とても愛らしく、仲間に入れてもらえない菓子はちょっぴり拗ねてて、「お願いするから招待してけろっちゃ」と頭を下げる艶子はとことん長女なのです。
それはやはりどこか自分の姉妹とかぶる懐かしい思い出でもあり、これが「蝶番」で、そういえば大もとになる物語はわたしが書いたのだったなあということを、いまさらながらに思いださせるのでした。
こんな風に、紙切れの中にある物語を追いかけて、脆い砂の城を作っては壊し作っては壊し、いったいいつまで生きてゆけるだろう。
今回ご来場いただきましたみなさま。きっとみんながほんとうは自分の物語を生きるのに必死で、チケット代はおろか、劇場ヘ向かう電車代さえもままならない、それは物理的にでなく精神的にいろんなものを抱えて、あの日あの客席に座って頂いたのだと思います。そのことに関して適切な言葉がみつかりません。
ただ思いだけがあります。ありがとう、ではすまない思い。
夢を壊す言い方ではありますが、そのみなさまに買って頂いたチケット代でもって、わたしたちはまた「ままごと」を続けていける。観てくれる方がいてわたしたちはあそこに存在している。あたりまえのことではありますが、それがあたりまえではないこと、ご来場いただきましたみなさまの日々、その時間を拝借し、贋作・蝶番で、桐島家のみな、居候のわたしと一緒に時間を過ごしてくださりほんとうにありがとうございます。
芝居で儲けること、これはほぼできません。
個人単位で考えても、芝居をするたびに貧乏になって、こりゃどうしたものか、、(笑 と思うのです。でも、ダンボールの中に入った瞬間、または終演後の最初の拍手を聴いた瞬間、そういう日々の苦しみはどうでもよくなってしまいます。
それは照明を浴びて気持いい、とか個人的な、全然そんなことではなくて、
そこにれっきと物語があるさま。それを同じようにお客さんが見てくれた喜び。
作りものが作りものをこえて存在しては、竜巻のようにみなをまきこみ去っていく儚さでもあります。
永遠の片想いと公言しているわたしと芝居の恋愛関係ですが、きっとずっと片想いをしているからわたしは小説を書けるのだと思います。けして永遠には手に入れることのできないダンボールの中の景色にむかって、何通も何通も、わたしは恋文を書くのです。これからもきっと。いつか振り向いてほしくて。
自分が出演した芝居のことを書いた日記、しかも大人が書いた日記にしてはどうなのそれ?という部分がたくさんある日記になってしまいましたが(当事者のくせに、芝居の出来を絶賛してるようにとれます、、よね。そして劇団員ではないにしろ劇団員を絶賛しすぎ、、ですよね)
今回のお芝居、ままごと視点以外では見れないわたしをどうぞお許しください。
震災以降、きっとみなが、自分の究極に立ち返ったのだと思います。いま自分がこれをする意味、このひとといる意味、繋がっている意味、ほんとうにしたいこと。
そんななかで自分が芝居をするならばもうそこに「とことんままごとをする」以外考えられず、そのような偏りで芝居をさせて頂きました。
劇団員には大変負担というか「遊びじゃねえんだよ」とかいう部分、ほんとにあったと思います。そして個人的な能力の低さから「ながらナントカ」のできないわたしは劇団員が担う仕事の3割もにないませんでした。それを許してくれたみんな及び主宰者のめんたろうにお詫びと感謝をこの場を借りて申し上げます。
そして劇団員のみんなが「大丈夫か!?」とびびくった最初のほうの立ち稽古の芝居のひどさよ!
あのころはまだ、再びダンボールの中に飛び込むのが怖かったのです。もしそこでまた何も見えなくなってしまったら生きていけなくなる気がして。
共演者は大好きな人間ばかりだったから嫌われたくもなくて。
ほんとこわがりで弱虫な人間だなって思います。
みなが根気強くわたしを待ってくれたことに感謝が尽きません。
そしてそんなわたしの芝居をもう何年も何年も観にきてくれているあなた、あなた。中には15年以上観てくれている人もいます。その中には私が始めて手がけた脚本「東遊記」(小6)のときの担任の先生もいます。きっとあなたたちの目には、わたしって同じに映っているんでしょうね。ずっと手に入らない蝶々を嬉しそうに追いかけてる。この学習能力のなさ!それを見届けてくれるあなたたちがいて。
それはとてもうれしいことかな。
そしてねじをきっかけに観に来てくれた方。ご覧いただいた通りわたしなんてあんなもんです。偏りがあってバランスが悪く、欠陥だらけの人間です。でも嫌いにならないでっ!お手紙やプレゼントくれたかた、とてもうれしかったです。モカ様と呼んでくださるかたもいらっしゃいますが、わたしなんか日々、生きることに煮詰まってもがいてばかりです。そしてさくっと開き直ってはみなに迷惑をかけている女です。でもなんとか好きなことを好きな仲間とやりおおせることができました。
みなさまありがとう。
最後に原作者としてですが、この贋作・蝶番ですが、
「ぶちこわしていいよ」「うん」と、クソぶちこわされた作品ですが、その中に脈々と流れているもの、それはあまりに「蝶番」でした。
原作を読んでいる方は感じてくれたかたもいらっしゃると思いますが、かまくらのシーンはわたしがとりわけ気に入っている「雪のシーン」ととても似ていました。
松本にいくバスの中、降りしきる雪を窓の外に、艶子はうとうとしながら、姉妹が幼いころ、大雪の日にみんなであそんだことを思いだします。そしてそのビデオテープを何度も巻き戻して菓子と見たこと。
ーうとうとしながら思う。巻き戻しすぎてはいけない。テープがすりきれてもう見られなくなったら嫌だから。ああでも。あの家にはもう帰らないんだっけー
あそこまで壊したくせに贋作・蝶番を「蝶番」たらしめためんたろうの才能に度肝を抜かれました。そして今回の公演にかけた並々ならぬ熱意にも。
新潮社のノーリーの嬉しそうな笑顔が印象的でした。最近わたしが送った原稿では、まあ見せてくれない笑顔でした(笑
ーかまくらじゃねえず。お姫様のお城だ…ー
楽屋の鏡でふと自分の顔を見るとそこにモエミがいる。わたしによく似た、でもほんとはあたしとぜんぜん違う女。あたしよりタフで優しい女。
違うことをあたしだけが知っている。
隣を見ると棗がだるそうにまつげをいじっている。
虹はぶつぶつ何かを唱えて。菓子はすでに新生。
幕間に明かりのおこぼれを貰う艶子の横顔はとても美しい。
父ちゃんがいて。母ちゃんがいて。
紙切れの中の人たちがそこに生きている。
そんなとき、わたしの中のダンボールは少し色づく。
ご来場頂きましたみなさま、まことにありがとうございました!!
この公演の稽古により多大に迷惑をおかけしました編集者のみなさま、
わたしは自分の職業を忘れたわけではありません!!!
ぼんやりと余韻にひたるまもなく、原稿に向かうことをお約束します。
ダンボールの色づきをそのままこんどは紙切れに。
えっと、じゃあ、頂いて。
2011.4.21 中島桃果子
PS 愛しい妹たち。みんな観に来てくれてありがとう。この公演のこと、また4人であーやこーや話せるかな。
そんな時間がもてたらいいな。
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