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2011年3月12日 (土)

大地震

地方のみんなが心配してくれて連絡くれるので日記かきます。

わたしは無事です。わたしの周りも無事です。
妹が新宿でひとりだったので、いろいろあって消防署に運ばれたりあったけど、
いまは無事家族集合して家にいます。

わたしは阿佐ヶ谷の地下の劇場で地震にあいました。
とても怖ろしかったけど、
たまたまひとりじゃなかったので発狂しなくてすみました。
発狂してしまうかと思うほど怖かった。
腰が抜けてしばらく立てず震えていました。
アーケード街の中のちいさな劇場だったのと、実はその劇場は上京して初めて出演した舞台の稽古で一ヶ月通った稽古場だったので古いことも知ってたし、
なんかもう、今日ほんとに死ぬかもしれないと、ほんとに揺れて怖ろしかったです。
灯体が落ちたりしなくてほんとによかった。
たかやも無事でよかった。

家はぐちゃぐちゃだけど、みな無事です。
バスで2時間、そこから歩いて1時間半かけて家にたどりつきました。
お店の様子も見に行ったけど、そこまでの被害でなくてよかった。
地震がきたとき「阪神大震災」を思う震度だったので、おおごとだとは思ったけど、外にいたのでなんの情報も入らず帰宅して、テレビから流れる大惨事に驚愕しました。当事者ってほんとに状況が飲み込めてないもので、
なんとかお店にはいかなくちゃ、とか思ったくらいです(周年だったので)

なんていうんでしょう、都市で生活していて、すごい勢いで復旧しようという都市の力、それがもたらす日常の再開、
でも次々に入ってくる訃報なんかもあって、しょせんひとは、自分がまず生きることが、そして隣のひとを助ける、その連鎖でもって助け合っていくんでしょうけど、わたしもじぶんの生活をどこまで日常に復帰させるべきか、
どれがどこまで「それどころじゃない」のか、

ありとあらゆる「分別」についてさっきからずっと考えています。

都内の小劇場なんかが安易に夜公演を行ったりしたわけだけど、
うーん、なんていうか、主宰者!!と思います。
地震があったときも役者は芝居をとめられないから、わたしたちが逃げたあともしばらく芝居をしてました。ともかく役者も観客も全員無事でよかった。それがそのときのすべて。

そもそもなんのために演劇ってあるの?夜公演はそこを見落とした判断かなと。
あとみいきが言ってたけど、渋谷の大きな電光掲示板に新人アーティストのPVが流れ続けてたこととか。
そこで流せる他の情報があったのではないかな。

でも、それすらも結局は地震パニックの一端なのかなと思う。まさか自分たちが、千年に一度の地震に遭遇してると思わなくて、なるたけ早く日常に復帰しようという…。わたしもよくわからず阿佐ヶ谷でコーヒーを飲んだりして情報が入ってくるのを待ってたわけで(何も情報がはいらなかったのです。携帯もつかえなくて。)
たまたま劇場にいたので特定のことに言及しました。
わたしと家族は阪神大震災を知ってるから「ヤバイ」と感じたけど、それでも渋谷について戦争みたいな光景みたときは「ぜんぜんわかってなかった」と思った。

このあとも東京で大きな地震が起きるかもしれないし停電もおきるかもなので、いまはそれにとにかく備えようと思う。

心配してくれたみんなありがとう。

妹を助けてくれたひとたちは無数にいて、うち数時間もつきそってくれた方は三人、そのうちの二人は阪神大震災の被災者、ひとりはご両親とも宮城で連絡がつかない状態だったそうです。名前も名乗らず、
「次にあなたが困ったひとをみたら助けてあげて」とおしゃったそうです。
わたしは携帯がずっと使えなくて、連絡とれたときにはもう、とも(妹彼)がみいきを迎えにいってくれたところだったので、ほんとうに助かりました。
みいきのそばに居てくれたかた、ありがとう。

こういうときこそ「恩送り」していきたいと思います。いまじぶんができることをね。

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