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2011年2月24日 (木)

この惑星(ほし)の上の僕と銀河

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この言葉は思いつき。でも、この言葉を欲しいと言った人がいるのでそのひとにあげることにしました。
でもなんとなく使いたくてつかってみる。

嘘みたいな変な話があります。

先々週の日曜日、ひとりで夕方寝ていたら、悪寒がして、金縛りのなんかぜんぜん種類の違うやつ、背中が割れてそこからなんか大クモのようなカニのような、ゴーストで死んだ人を連れて行く黒い影みたいな、そんなのが「ガサガサガサッ」って出て来て首を這うようなかんじ、それはある意味ムカデのような冷たさでもあって、
わたしは「奇妙な感じがしたときは、自分の名前を言って、そのひと以外は死んでいますよ、と唱えなさい」とあるひとに教わったので、それを唱えたら、そのガサガサは、ガサガサっってどこかへ消えて(エクソシストのような感じだね)
零下1000度くらいの悪寒だけが一瞬そこに残りました。

この出来事を六年つきあいしている整体師さん(でありなんか不思議な人)
に話してみたら、
「うーん、いま酔ってるけどね、、、」
といいながら
「小学校三年生のときを思いだしてみて」
というので、一生懸命思いだした、もなにも、小学校三年生は、みいきが生まれ、引っ越しをし、なんだが漠然と「作家になる」と言い出したころ(それが五年生になって女優になる、に変化)すごく明確に記憶がある。その前と次の年のことは覚えてないのに。

新しい二階のピアノと本の部屋にこもり、いわさきちひろさんが挿絵をした人魚姫を読んだのも、この家にあるはずの秘密の部屋を探したのもそのころだ。

あなたそのときに死神と取引をしたのよ。小説家にしてあげる代わりに魂をちょうだいって。あなたそれで深く考えずに(うん)っていってしまったの。
だからあなたの考えって全部取引だったのよ。死に神って取引だもの。
でもあなたこないだわたしのところに整体しにきたとき、わたしに

”どうしてひとつなの? いいのよ、夢も、恋も、お金も、全部手に入る、欲しい幸せは全部手に入るのよ、そのために生まれてきたのよ”

って言われてすごくびっくりしてた。
でも、そうなんだ、ぜんぶいいんだって思ったから、これ以上繋ぎ止めておけないって死に神が出て行ったの

なんの根拠もない話だけど、わたしははっとした。

わたしの生きかたの中に大きく住んでいるおとぎ話の姫がいるとしたら、それは確実に人魚姫。人魚姫のワルツのイントロを作曲して詩を書いたこともある。
自分のいきかた、それは人魚姫だった気がする、長いあいだずっと。

「足が欲しいですか、じゃあ声をください」

わたしはどことなくいつも、夢を叶えるために何か、たとえば恋とかを諦めて、捨ててきた気がする。

完全なまるとしての幸せはないと思っていて、大きなものは、どちらか、を選ばなくてはいけない気がしてた。成功か、愛か。

そして不思議なことに、その整体に行って、ぜんぶを手に入れようと、まっすぐ幸せというものに向かっていっていいんだと思った次の日、
わたしはなぜか、その二階の部屋の話を小説に書いた。
見つからない部屋を探す話。
そうして部屋のあちこちの扉や奥を探した話。

「そのときにまちがって、開けてはいけない扉をあけてしまったんだね」

そのひとは言ってた。事故だったの。アクシデントだったのね。
わたしがどこかあなたのことを魔女みたいだと思って、近づきたくないなと思っていたのは、それでだったのかもね、とも。

たしかに不思議だ。
わたしはふつうに生きている限り、そうダークでもないし、わりとピュアな感じで(笑 健康に生きている。でもたとえば、何か役を演じるとしたら、白雪姫の継母であるとか、魔女の役であるとか(実際魔女の役はもう何回もやった)
どこか心に冷たい底冷えしたものを持っていて、魂の売り買いをする役、
なんかそれ、すごくうまく演じられる気がしてたんだよね。

死に神と取引か。ぜんぜん覚えていないけど、
思いだすとしたら、二階のピアノの部屋の毛足の長い絨毯にお尻をつけて人魚姫を読んだ日。思い入れが強すぎて、何時間もその場を動けなかった。
漠然とひとごとじゃない気がして。自分もこんなふうに、大きな犠牲を払って何かを手にいれたのに幸せに届かずに泡になってしまうような気がした。
それはたぶん前世がどうとかじゃなくて幼すぎて、頭にがつん!とそういう生きかたが感覚として憑依しちゃったんだろうな。
もしかしたらそのときに、ちょっとしたボタンのかけちがいで、
死に神を呼んでしまったのかもしれない。

ともあれ「死に神エクソシスト的大クモ」はあたしのからだから出て行ったのだ。

あたしのからだにはいま「取引」はなくて、「きぼう」だけが詰まっている。

僕はいま、この惑星(ほし)の上に足をつけて、まっすぐに銀河を見上げている。

何もあきらめない。ただただ幸せに向かうよ。
じぶんが泡になって消えてしまうことをもう心配したりしない。
何かを得るために何かおおきなものを差し出したりもしない。
どんな苦難が起ころうとも、銀河の奥の「幸せ」という光だけを見つめて、
まっすぐにそれに向かうんだ。

きぼうだけに溢れた歌は嘘に満ちていると思って憎しみにも近い嫌いかたをしていたけど。わたしの人生のテーマソングはずっと”i've never been to me"だったけど「自分自身にたどり着けなかった」歌をテーマにするのはもうやめよう。
そう思って、昨日やった心理テストにはそれを書かなかった。代わりに毛皮のマリーズの曲を書いたんだよ。ほら、人生は心もちひとつで、こうやってすこしづつ変わっていく。タロットカードのひとつを意志をもって反転させれば、全部がポジティヴに裏返る可能性を持っているように。

ああ。
夢から覚めたいまもまだ 僕の目は覚めないままだ。

わたしはあなたの歌を胸に、人生向かうよ。
もう幸せに向かうことを恐れたりしない。
この「ティン・パン・アレイ」というアルバムを抱きしめて、
「東京の為の作品集」といううたい文句を知らずに、
「東京OASIS」という短編集をちょうど今朝ひとつ書きあげた。
♪hefner"We love the city"のための小説♪
MADO LOUNGEーマドラウンジー
これが却下されるかどうかはわからないけど。

でも。

太陽はあの子のように、世界を正しく照らせ。

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